第五十六話 弱さ【ニルス】
「なんだ・・・斬られた?・・・力が抜ける」
ジナスの目が大きく見開かれ、切り離された左腕を見つめている。
動揺・・・演技じゃないな。眉間に皺まで寄せているのが証拠だ。
胎動の剣は本当に精霊を斬れる。
だから勝てる・・・きっと勝てる・・・。
「痛みは無いのか。・・・人形と変わらないな。効いてるかわからない」
オレはジナスに切っ先を向けた。
「・・・」
ジナスはずっと左腕だった場所を見つめている。
本当はすぐに首を落とすつもりだったのに、一瞬で届かない高さに移動された。
あれは厄介だな。どうすれば早く終わらせられるだろう・・・。
◆
「・・・ただの剣が私に通じるはずはないんだがな」
ジナスの視線が、やっとこっちに向けられた。
「・・・ただの剣なわけないだろ」
「おかしな自信の正体はそれか。・・・腕は戻るまで時間がかかりそうだ」
ジナスの顔には余裕が生まれていた。
だけどさっき見せた動揺、この剣が通じるのは間違いない。
『・・・僕たち精霊に人間の武器は通らない。でもその剣は別、心を削られるんだ』
たぶん精霊に急所は無い。だから一撃で仕留めるのは無理そうだ。
色々試して、斬り崩すか・・・。
「その剣、少し見せてくれないか?」
ジナスが自分から降りてきた。
「・・・断る!」
間合いを詰めて懐へ向かった。
殺傷力が一番あるのが刺突だ。人間と同じ形だし、大きな痛手を与えられるかもしれない・・・。
「見せろと言ったんだ」
「ぐ・・・」
胎動の剣が、心臓の位置を貫く直前で止まった。
なんだ・・・体が重い・・・。
指先すら動かない・・・。
『・・・心強いわ。なにかされる前に斬り込めれば・・・』
オーゼが言ってたのはこれのことか・・・。
「ニルス・・・は、早く下がって!」
後ろからミランダの震えて裏返った声が聞こえた。
・・・下がれたらとっくにやってる。足が動かないんだ。
声も・・・出ない、今できることは目の前のこいつを睨みつけることだけ・・・。
「・・・精霊鉱だな。なるほど・・・魂の魔法か、結界を切り裂くほど・・・」
ジナスが胎動の剣に触れた。
知られたか・・・。
「ジナス、ニルスを離せ!」
シロ・・・ダメだ。今は精霊の力を封じられているんだぞ。
「シロにもそこの女にも用は無い。黙っていろ」
「・・・黙ってられるか!」
ミランダの叫びと地面を擦る音が響いた。
なにを・・・。
「当たったところで通じないが・・・雑音を入れないでくれ」
ジナスのそばで何かが止まった。
短剣・・・あれを投げたのか。こいつの気に当てられてるのに、軌道はしっかり首元・・・大した度胸だ。
「ふ・・・そのまま静かにしていろ」
「く・・・」
ミランダは座り込んでしまったみたいだ。
体・・・動けば・・・。
◆
「・・・なあシロ、イナズマと何を企んでいる?」
黙っていたジナスが口を開いた。
・・・当然の疑問だな。
「イナズマは関係ない!」
「精霊鉱は奴にしか作れない。それを使った剣を持った人間とお前が共にいる。・・・繋がりは明らかだ」
「三百年以上話したことはない!」
「偽りは無いか・・・まあいい、この男の記憶を読めばわかることだ」
ジナスの手がオレの頭に触れた。
記憶・・・オレの記憶?
「・・・たしかにイナズマとお前は結託したわけではないようだな」
ジナスが、たぶんシロに目線を向けた。
この一瞬で、どこまで探られた?
「そうだ、僕だけの意志だ!!」
「だが・・・オーゼは協力していたな。それに分身まで作っていたのか・・・」
「違う!オーゼもメピルも関係ない!」
オレの記憶に、イナズマとシロが組んでいるというものはない。だけどオーゼとメピルのはある・・・。
「まあ何もしないからそんなに構えるなよ。オーゼとお前の分身ごときではなにもできないだろう。お前たちは、私に怯えながら自分の役目だけをしていればいい。だから存在までは奪わなかっただろ?」
「お前に消された精霊たちの無念はどうなる!王である僕が晴らさなければならない!」
「・・・無念?そう思うなら立ち向かえばよかったじゃないか。王が聞いて呆れる」
「・・・」
シロは黙ってしまった。
シロ・・・君の苦しみはオレも一緒に背負った。
だから心配するな。体が動けば、斬り崩してやる。
「ああ・・・悪かったなニルス、放っておいたことは謝る。・・・そろそろ睨むのをやめてくれないか。話すことだけは許してやる・・・」
ジナスが薄気味悪い顔で笑った。
「気安く呼ぶなよ。・・・邪神が」
・・・声だけか、体はまだ重いままだ。つまり・・・オレの体が動くことをこいつは恐れている・・・。
「ふふふ、強気だな。シロを連れ出してここまで来たのはいいが、この状況では何もできないだろ?いや・・・最初から無理だったのだ。仇討ちなどくだらん・・・」
「オレとシロの心・・・お前にはわからない!!」
「おかしなことを言う。わかるわけがないだろう、自分以外の心など・・・」
ジナスの手には、いつの間にかミランダの短剣が握られていた。
「ぐ・・・」
右脚を刺された。
こいつ・・・。
「本当はお前の剣でやろうと思ったが、私を拒んでいた。触れることもできなかったぞ」
「・・・この程度でオレは死なない」
「言っただろ?殺しはしない、また戦場に出ろ」
「絶対に嫌だね・・・いっ!!!」
左腕・・・急所は避けて刺してる。
「安心しろニルス、まだ罰は終わっていない。それに、お前とそこの女は治癒が使えるだろ?私が去ったら治せばいい」
「信用できるか・・・」
「戦場でも治癒と支援の魔法を許しているだろ?まあお前への罰はもっと別なものにしようと思っただけだ。さあ・・・解放してやろう」
体・・・動く。
オレは解放されたと認識した直後にジナスへ斬りかかった。
「治さずに来るのか。それでもさっきと変わらない速さだな。・・・この刃では足らなかったようだ」
躱された・・・痛みで踏み込みが甘くなったか。
「その剣は正直恐いんだ」
「なら解放した自分を恨め」
「いや、今回は遠慮しよう。・・・かわりにこいつと戦ってくれ。それがお前への罰だ」
ジナスが指をさした場所に黒い影ができた。
なんだ・・・人間の形ができていく・・・。
「・・・お前たちは黙って見ていろ」
ミランダとシロが結界に包まれた。
「・・・」「・・・」
二人の声が消えた。
まあいい、何を出そうとたかが人形・・・それにこいつの罰を受ける気も無い・・・。
◆
「・・・アリシア」
目の前に現れたのは、さっき別れた人だった。
「どうだ似ているだろ?お前の記憶から作ったんだ。強さも・・・お前が想像している通りだ」
ジナスはオレを見て笑った。
・・・だからなんだって言うんだよ。
「オレが斬れないとでも思ってるのか?」
「さあな・・・」
本人と同じ容姿・・・でも人形だ。できあがる所から見せられて惑わされるわけがない。
「お前の親はこの女だったんだな。なぜさっきは隠していた?」
「黙れ・・・」
わかってて聞きやがって・・・。
「まあ、そうだろうとは思っていた。その髪、そして同じ隊で戦っていたからな。だが疑問だ・・・なぜこの女の元を離れたんだ?」
「話す必要は無い・・・」
揺さぶりは通用しない。
「大事に思っている妹もいたようだが、どうして置いてきた?」
・・・心を殺せばいい、何度もやってきた。
「・・・答えろよニルス」
「お前を消す・・・」
「私の前にその女だ。いい戦いを見せてくれよ?」
ジナスが言い終わると同時に、人形が剣の持ち手を狙って斬り上げを繰り出してきた。
・・・憶えてるよ、何度もやられたからな。
オレは後ろへ一歩下がり、足に力を込めて、人形の剣が空を斬った所へ跳びかかった。
右脚・・・痛いな。
・・・でも動く、一撃で終わらせる!
『臆病者は必要ない』
人形の口が、アリシアと同じ声を出した。
「な・・・」
体がほんの少しだけ強張った。
「どうしたニルス?自分から隙を作るのはあまりよくないぞ」
無防備になった腹に人形の蹴りが打ち込まれ、仰向けに倒れてしまった。
く・・・こんなことで・・・。
「ぐ・・・」
起き上がろうとしたオレをアリシア・・・人形が容赦なく踏みつけてきた。
こいつは違う・・・だから、何を言われても・・・。
『臆病者のニルスはいらない』
また・・・体が固まる。本物じゃないのに・・・。
「口を開くな!そんな言葉をアリシアは言ってない!!」
剣を払い、すぐに立ち上がった。
大丈夫・・・平気だ・・・。
「すべてお前の記憶からの言葉だぞ?言われていないのなら、お前がそう思っているんだ」
「黙れーーー!!!」
怒り任せに胎動の剣を振り、人形の首を落とした。
「やるじゃないか。だが・・・いくらでも作れるんだ」
すぐに新しい人形が現れた。
何度でも・・・。
「結果は同じだ・・・」
「本当にそうか?こいつからお前にぶつける言葉はまだまだあるぞ」
「オレの記憶・・・勝手に触れるな!!」
冷静ではいられなかった。
悲しみ、後悔、憤り・・・見せたくなかったものだ。
「ふふふ、揺らいでいるなニルス。母親が恋しいのか?」
「誰が揺らぐものか!」
「強がるなよ。戦場で再会できて嬉しかったようだな。本当は、帰ってきてほしい・・・そう言ってもらいたかった。だがこの女からその言葉は無かった」
事実だ・・・オレは、そう言ってほしかった。
『ニルス、少しの間でいいんだ。ルージュにも会ってほしいから帰ろう』『三人で市場に買い物へ行きたいんだ』『夜は、母さんとルージュに旅の話を聞かせてくれ』
そんな言葉が欲しかった。
でも・・・。
「無かったからなんだ!オレはもう大人だ。母親が恋しいとは思わない!」
もう取り戻せない時間だ。そんなもの・・・どうでもいい。
今のオレには仲間がいる。だからこうやって立つことができる。
「はあ・・・はあ・・・」
・・・なのに、なんでこんなに心が揺らぐんだ?なぜ頭の中がざわついているんだ?
考えるほど体の熱が上がっていった。
・・・熱?ダメだ・・・この状態はよくない。
心を殺し冷まさなくては・・・そうしてきたからオレは強くなれた。
「ふふふ・・・ああ言っているが、母親としてはどうなんだ?」
ジナスが人形へ語りかけた。
『ルージュがいるからお前はもういらないんだ。帰ってきてほしいとも思っていない』
手から力が抜けて、胎動の剣が地面に落ちた。
・・・やめてくれ。その声で・・・その顔で話さないでくれ・・・。
『ルージュにお前の存在など教えるわけがないだろう。クライン家の恥だ』
人形の拳に殴られ、オレの体は倒れた。
普段なら軽く躱せるのに。
・・・脚、刺されてたな。こっちにも力が入らない。
『お前が出て行った日は、今までで一番嬉しかった』
「でたらめを・・・あの人は、旅立ちの朝にオレを抱きしめてくれた・・・忘れないでくれと言ってくれた・・・」
少しだけ・・・ほんの少しだけ救われたんだ。
だからさっき「帰ってきてほしい」って言葉があれば、意地を張るのをやめてそうしてもいいと思っていた。
それなのに・・・。
『ルルは大切な友達だからな。目の前でお前に冷たくできるわけがないだろう。それにお前は、私よりもルルと話していたな』
「それが・・・なんだっていうんだ・・・」
『ルルにあげようと何度も思ったよ』
なんとか・・・なんとか立ち上がりたいのに・・・。
◆
『お前をちゃんと捨てられてよかった』
人形は言葉を発するたびに、倒れたオレを斬り、踏みつけてきた。
『戦士にするために育てたのに・・・時間を返してほしいくらいだ』
ジナスの力は働いていないはずなのに、体が全然動いてくれない・・・。
『・・・そうだ、お前の望み通りに部屋のものはすべて捨てた』
そして、また悲しい言葉をぶつけられた。
『ちょうどいいから教えてやる。ルージュは戦士にすることにしたんだ』
それはしないって・・・言ってくれたじゃないか・・・。
『アリシアは最後に、もう話すことはないって言ってたでしょ?あれは偽りだった。きっともっとお喋りしたかったんだよ』
シロが教えてくれたこと・・・。
それって、こういうことを言いたかったんじゃないのか?
だって・・・「顔を見せてほしい」っても言われなかった・・・。
『母だと思われるだけで虫唾が走る。逃げ出した臆病者が・・・』
人形の剣が目の前に突き付けられた。
立たなきゃ・・・戦わなきゃいけないのに・・・。




