第三十一話 ここまで【ケルト】
ニルス君はアリシアと同じでわかりやすい。
嬉しい、楽しい、悲しい、寂しい・・・顔を見ればわかるしね。
アリシアは見なくなってたのかな?・・・どうして?
たぶん・・・言葉があったからなんだと思う。
嘘とか強がりとか、それで見えにくくなるから・・・。
◆
「ちょ・・・なに・・・その体・・・」
「・・・は?」
ニルス君がお風呂から出てきた。
・・・上半身は裸だ。
「・・・決まりを作ろう」
これはまずい・・・。
「・・・なんの?」
「これから言い合いになることがあるかもしれないけど、その時に力ずくは禁止ね」
「・・・なんで?」
勝てないから・・・言えないけど。
アリシアに鍛えられてただけはある。
触ったら・・・絶対硬い・・・。
「なんで黙ってるの?」
「あのさ・・・その格好やめてほしいな」
「夏だから別にいいだろ・・・。それに父さんしかいない」
ニルス君は大きく伸びをした。
見せつけてくれる・・・。
けど・・・綺麗だな。
・・・いや、僕が情けない気持ちになるからやめさせないと。
「わかった。じゃあ・・・ずっと見てることにする」
「・・・は?」
「ニルス君の裸ってすごく綺麗だよね・・・」
「・・・」
ニルス君は急いで服を着てくれた。
これでいい、父親は・・・負けちゃいられないんだ。
今後も、勝てそうにないところはこうやって潰していこう。
◆
ニルス君がここに来てふた月が過ぎた。
「あの時のアリシアは十三歳だった。今もだけど、とても美しい女性だと思ったよ。でもアカデミー出たての女の子に手を出したのはちょっとまずかったかな?」
「・・・知るかよ。お互いに納得してたんなら別にいいだろ。ていうか・・・親のそういう話は聞きたくない」
堅い話し方はすっかり抜けて、柔らかくなっていった。
今では年相応というか、少し幼さも見えるくらいだ。
「じゃあニルス君は?そういう経験なかったの?」
「・・・あるわけないだろ」
「その顔で無いわけないでしょ」
「・・・」
息子と話している時間、こんなにいいものなのか。
こうしているだけで、毎日が幸福って感じだ。
「あれれ・・・黙っちゃったね。まあかわいそうだからアリシアの話に戻そうか」
「・・・もうアリシアの話はいいよ」
「父さんたちが愛し合わなければ君は生まれてないんだよ?」
僕から見たアリシアの話は、嫌がりながらも聞いてくれる。
少しでも母親の印象を変えてあげたいって思った。
二人じゃ解決できなくて、離れるっていう選択しかできなかったみたいだけど、なんとか思い直してほしい。
アリシアはニルス君を大切に想ってはいた。でも、それをうまく伝えられなかったみたいだ。
『ニルスの夢を忘れていたこと、あなたとの約束を破ってしまったこと、全部私のせいです。本当にごめんなさい』
アリシアの手紙に書かれていた内容は、ほぼ僕の想像した通りだった。
『栄光を早く与えることが、ニルスの幸せに繋がると勝手に思っていました。あなたの言っていたように、もっと話を聞いてあげなければいけなかったのです』
ニルス君に栄光を・・・それは僕の願いでもあった。
だから剣の名前にしたしね。
でも・・・それがアリシアを焦らせて、ニルス君が追い込まれた今を作ってしまった。
だから君だけが悪いわけじゃない。
『拒まれるのと、言い返されるのが恐くなっていました。本当は行かないでほしかったのに、それも伝えられないままニルスの出発の日になってしまったのです』
時間はかなりあったみたいだけど、わだかまりを残したままにしてきた理由もわかった。
アリシアはニルス君を深く傷つけてしまった負い目から、歩み寄ることができなくなってしまったみたいだ。
『だからあなたに頼るしかなくなりました。ニルスの冷えてしまった心を温めてあげてください』
割と簡単だったんだけど・・・彼女にとってはとても難しくなっていたんだろうな。
ていうか、この手紙をニルス君に読ませればよかったと思う。
『ニルス君、アリシアからの手紙見たい?』
『・・・見たくない。内容も話さなくていい』
『わかった。ごめんね』
僕からじゃダメだったから・・・。
だから、ニルス君が自分から「一度帰ってもいいかな」ってなるようにしようと思った。
それで彼女の話を聞かせているんだけど・・・。
「彼女に剣を作るって言った晩だった。アリシアは僕のベッドに裸で潜り込んでいたんだ。ふふ、体が熱いって・・・」
「ふざけんな・・・オレは部屋に戻るぞ」
この反応が見たくて話しているのもある。
もっと、色んな顔を見せてほしいんだよね。
「逃げるの?」
「勝手にそう思ってればいいだろ・・・」
「待って!アリシアの残り湯はおいしい!それでパンを捏ねてもらったこともある!」
「・・・」
ニルス君は眉間に皺を寄せて出て行った。
ふふふ、おもしろい子だ。アリシアをからかうよりも楽しい。
◆
日々は緩く流れていく。
ニルス君にカッコいいとこ見せたくて、注文書の仕事は早く終わらせた。
鍛冶を教えないといけないしね。
「・・・弟子を取られたのですか?」
交流のあるたった一人の友人が、注文の品を取りに顔を出した。
やっと来たな・・・。ニルス君を紹介してあげよう。
「いや、この子は僕の息子だ」
「息子・・・」
ハリスはニルス君の髪の毛を見た。
・・・察したか、まあいい。
「ニルス君、この人はハリス。面倒な仕事を持ってくる悪魔」
「ご冗談を、仕事を与えている恩人です」
いつも通りか、もっと驚いてほしかったな。
「ニルス・・・クラインです」
「ハリス・ボイジャーです」
「・・・」
ニルス君はハリスを警戒している感じだ。
別に恐くはないんだけど・・・。
「なにか?」
「・・・間違っていたら悪いけど、あなたは本当に人間?」
「そう思った理由は何でしょう?」
「気配が違う・・・」
わかるのか、鋭い子だ。
「気配・・・まあ、隠すことでもありませんね」
「もしかして・・・魔族?」
「魔族・・・ふふ・・・違いますね。まあ・・・人間です。今もそう呼んでいいのかはわかりませんが」
ハリスは口元を押さえて笑った。
いじわるしないで教えてあげればいいのに。
「ニルス君、彼は不死者らしいんだ」
「・・・不死者?」
「ハリス、別にいいだろ?」
「そうですね。たしかに私は不死、もう五百年以上は生きています」
ハリスは人間とは少し違う。
いきさつは教えてくれないけどそういう体らしい。
「五百年・・・世界が沈む前?」
「そうですよ」
「なにが・・・」
「申し訳ありませんが、誰にも話すつもりはありません」
当然だけどニルス君にも話さないみたいだ。
「・・・不死の聖女と似たようなもの?」
「ああ・・・お会いしたことはありませんが、聖女とは違います。・・・そんなに構えることはありませんよ。お父様とは友人でもあります」
「そう、酒を酌み交わす仲だね」
「・・・」
ニルス君は警戒を解いた。
僕が仲良さそうに話すのを見て安心したんだろう。
「すみません。普通じゃない気配だったので・・・」
ニルス君は無礼な態度をすぐに謝った。
「いえ、私も気付かれたのは初めてだったので驚きました。ケルト様は、なにも感じなかったようですが」
「そうだね、僕はどっちでもいいから。ニルス君、少しハリスと話すけどいいかな?」
ふた月ぶりだし、ちょっとお酒も飲みたい。
でも、この子が「ダメだ」って言ったら、残念だけどハリスには帰ってもらおう。
「うん、大丈夫だよ」
「君も一緒にいる?」
「え・・・いいや。それなら先に工房行ってる」
ニルス君は笑顔で走っていった。
嫌な顔はしていなかったな。
「じゃあ入ろうか。このあとなにかあるの?北の小島は?」
「終わりました。今日は品物と・・・酒を飲むつもりです」
「朝からお酒・・・いいことだ」
まあ、ニルス君がいるから酔わない程度にね。
◆
「なぜ今になって共に生活を?たしか戦士として、テーゼでアリシア様と暮らしていると仰っていましたが・・・」
「色々あるのさ。武器を自分で作りたいって言うから今は修行中だ」
「色々・・・」
ハリスはグラスに注いだ酒を静かに空けた。
迷いなく飲んだから、今日は本当に予定がないんだろうな。
「社会的にもですが、家族の中でもあなたは死んだことになっていたのでは?」
「そうだったんだけど・・・僕がなんとかしないといけなくなったんだ」
「・・・まあ、私は口を挟むつもりはありません」
「ありがとう。・・・はいおかわり」
でも、その内教えてあげよう。
「そういえば・・・あなたの過去は明かしたのですか?」
「なにも教えてない。・・・なんていうか、残酷な世界って自分の子どもには見せたくないんだ。アリシアも話してないみたいだし」
僕との約束はずっと守ってくれていた。
できれば「ちゃんと話を聞いてあげて」って方も守ってほしかったけど・・・。
「そうですね、知らずにいた方が面倒に巻き込まれずに済むのでいいでしょう。クローチェの生き残りがいれば、話を聞きたいと言っている魔女もいますし・・・」
「情報屋・・・だっけ?」
「そうです。ああご安心を、一切話していませんので」
「うん、信じてたよ」
ハリスが魔女って呼ぶような女性・・・ちょっと気にはなるんだけど、今のところは誰にも故郷の話はしたくないな。
「武器ができたらまた戦場へ出るのでしょうか?アリシア様の元で戦っているなら相当お強いでしょう」
話がニルス君に戻った。
そうだ、ハリスは気に入るんじゃないかな。
「うん、強いと思う。アリシアを負かして出て来たって言ってたし。でも戦士じゃない。あの子は・・・旅人なんだ。剣ができたら色んなところを見に行くんだよ」
「・・・素晴らしい。では、少しお話をさせていただきましょう」
ハリスが嬉しそうな声を出した。
予想通り、ニルス君に興味を持ったみたいだ。
◆
二人で工房まで移動した。
「ニルス様、旅人だとお伺いしました」
ハリスがニルス君に話しかけた。
自分から関りに行く、つまりお客さんにしたいってことだ。それと、僕の息子だからって理由もあるのかな。
「まあ、そうだけど・・・まだ準備中」
そういえばそうだな。正確にはまだ旅人ではない。
「問題ありません。実は、私には探し物があるのです。旅の途中で見つけたら譲っていただきたい」
「宝物?そういうの好きだよ」
「ありがとうございます。探しているのは精霊銀、世界のどこかにあるということしかわかりません」
「精霊銀・・・」
ハリスがずっと探しているものだ。
女神が作った金属、今は知っている者もいないらしい・・・ってことは教えてもらった。
僕の所に来たのも、それを持っているかもって理由からだ。
まあ・・・持ってなかったけど、友達になれてよかった。
「うーん・・・でも、オレはそれを見たことがない」
「ニルス君、精霊銀には簡単な見分け方があるらしい。触れれば色が変わるんだって」
「はい、人間が触れれば緑になります」
ハリスは見込みがありそうな人にはこうやって話す。
けど、見つからない。五百年以上・・・。
「そして、ニルス様にはこれをお渡しします」
ハリスが服の内側からそれを取り出した。
「・・・ベル?」
「それを鳴らせば私が来ると覚えておいてください。影を伝って移動ができるので、大陸の端から端でもあまり時間はかかりません」
ハリスがニルス君に渡したベルは僕も貰っている。
まあ、僕の場合は予定よりも早く品物ができあがった時か、一緒に酒を飲みたい時くらいにしか鳴らさないけどね。
「初めてケルト様と繋がっていてよかったと思いました。ニルス様、期待していますよ。それと、私は商売人です。対価はいただきますが、主に情報を取り扱っています。まあ、物も面倒ですが必要であれば用意することもあります」
「そうなんだ。今欲しい情報は特にないよ」
「かしこまりました。いつでもお待ちしております」
「なにか必要な時はお願いするよ」
そういやニルス君ってかなりお金持ってるって言ってたな。
戦士の報酬と功労者の報奨金・・・少なくとも四億以上・・・。
稼ぎも僕より上か・・・。
「まあ・・・実はあまり期待はしておりません。ずっと東の情報屋にも探させてはいますが見つからない。・・・覚えていてくださればけっこうです」
「わかった。けど、見つけられたらすぐに知らせる」
あてもなく旅をするよりはその方がいいだろう。
見つけたら・・・ハリスの驚いた顔が見られるのかな?
◆
ハリスは新しい注文書を置いて影に沈んだ。
ニルス君にベルを渡してからはちょっと明るくなってたな。
『スウェード家から・・・いえ、私からの報酬です。しつこく聞かれましたが、あなたの名前は伝えていません・・・男か女かも。あの家は好かないですね』
『まあまあ、じゃあそれでお祝いをしよう。いい酒を買ってきてほしい』
『北部と南部の酒を飲み比べますか』
『いい考えだ。気を失うまで飲もう』
あの時以来か。
ニルス君は・・・まだ一歳だったかな?
あの日は楽しかった・・・。
『家長の剣か・・・。あはは、面白くない名前だ』
『伝えるなと仰ったのはあなたですよ。初めから本当の名前で渡してもよかったのでは?』
『そうだな・・・。どうにかして僕のことを知って、頭でも下げてきたら考えようか』
『意地の悪い方だ。あの家の者が、男性に頭を下げるはずがないと知っているでしょう』
なんてことない話で昼間から盛り上がったっけ・・・。
『思いはこめたのですか?』
『・・・子どもがいるっていいよね。そういう思いで打ったよ。でも・・・僕を信じてくれた君のために、魂の魔法は使わなかった。純粋に技術だけで勝ち取りたかったんだ』
『ふふ・・・ありがとうございます。・・・ああそうだ、次期家長は二人目を宿しているようです。紬の月に生まれる予定だと伺いました』
『・・・いいことだね。あれ?グラスが空いてるよ』
ハリス・・・ずっと友達でいよう。
◆
月日は流れるけど、毎日が新鮮な気分だ。
時間の流れも優しい、幸福だからなんだろう。
本当はアリシアとルージュちゃんも一緒にいればな・・・。
「父さん、どう?」
ニルス君は飲み込みが早い、腕のいい鍛冶屋になれるだろうな。
でも・・・。
「ニルス君は・・・装飾に関してはちょっと・・・」
「え・・・」
息子の顔色が曇った。
まずい、傷付けないようにしないと。
「いや、悪くはないんだよ。ただ・・・いいと思う人が少ないというか・・・」
絶望的に美的感覚が無い。僕の作ったものを綺麗だとは思うみたいだけど、自分でやると趣味の悪いものができる。
「わかる人にはわかるってやつだよね?その方がかっこいいな」
本人は前向きだ。鉄の打ち方は問題無いのに・・・。
「まあまあ・・・今日はこれくらいにして、釣りにでも行こうか」
「またおぶって帰らないといけないの?」
「いいだろ、僕より体力があるんだからさ」
遊びにもよく行っている。
「疲れた」って言えば運んでもくれる優しい子だ。
「・・・仕方ないな。ていうか父さんじゃないの?自分からそう呼べって言ったくせにたまに忘れてる」
「ああ・・・まあいいじゃん。でも、君は僕のことを父さんって呼ばないとダメだよ」
「そうしてるだろ・・・」
こういうところもすぐに気付いてくれる。
でも・・・無意識で言った時は許してほしいな。
◆
息子と過ごして半年が過ぎた。
「・・・だから家を出たんだ」
ニルス君はテーゼであったことを全部教えてくれた。
星空の下、顔が見えない暗闇の中で・・・。
アリシアの手紙、僕の予想、君の思い・・・全部繋がった。
『戦場が恐い』
まあ言い方は悪いけど、楽しいと思ってるアリシアが異常だしな。
『臆病者は必要ない』
これは自分に言われているような気がしたってニルス君は話してくれた。
そのせいで本当の気持ちを話すことができなくなって、感情を殺すことにしたらしい。
心が壊れずに済んだのは、そうしたからとルージュちゃんがいたから・・・。
『戦場で家族と呼ぶな』
アリシアは、そのまま戦場でだけのつもりだったはずだ。でもその時のニルス君を理解していれば口にすることはなかったと思う。
だからこの子は「恐い」と言ったら見捨てられると思った。
だから強い自分になるしかなかったんだ。
『教えた夢も忘れられているかもしれないって思ってた』
気付いたらアリシアとの間に亀裂ができていた。
それは大きな溝、埋めるのは僕にできそうにない。
アリシアがやらなければいけないけど、ニルス君は帰るつもりは無い・・・。
「ねえニルス君、忘れてないよね?って直接は聞けなかったの?」
「・・・信じたかった。それに・・・本当に忘れられてたらやだなって・・・」
少しずつ、少しずつ息子の心を知っていった。
僕にできることは・・・なんだろう?
◆
冷えてきたから中に入った。
ニルス君は温めたミルク、僕はお酒・・・。
「アカデミーはあんまり楽しくなかったんだ・・・。雷神の息子って見られるのも嫌いだった。・・・でも、アリシアが強いことは誇らしいと思ってたよ」
ニルス君が母親への印象を話してくれた。
まあ人としてはどうかとは思うけど、尊敬されてる部分があるのは救いだな。だからここにいる間も鍛錬は一日も欠かしていない。
力で言ったら、僕はニルス君とアリシアには勝てない。
一緒に暮らしていたら腕ずくで意見を通されたかもな・・・。
「ねえねえ、アカデミーの女の子はどうだったの?ニルス君は人気ありそうだけど、本当に恋はしてこなかった?」
ちょっと酔ってきたから話を変えてみた。
この子が苦手な話題だ。
「別に・・・」
「じゃあセイラちゃんは?一緒に来たんでしょ?ここまで二人きりでって言ってたけどドキドキしたりした?」
「うーん・・・あったかも」
ニルス君が恥ずかしそうな声を出した。
よかった、そういう気持ちはあるんだ。
背も高いし、顔立ちも整ってる。明るくしてれば、女の子の友達がたくさんできたのにもったいないな。
「あの親子・・・アリシアを置いたら、すぐ行っちゃうんだよ。たまにはゆっくり話してもいいかなって思ってたんだけどね」
「うーん・・・運び屋って忙しいから」
「まあそうだよね。嫌われてるのかもって思ってたんだ」
「そんな人たちじゃないよ。オレに夢をくれたんだから」
ニルス君の表情が明るくなった。
たぶん、しばらくアリシアに見せていない顔・・・。
「もしかして、セイラちゃんに憧れてたりしてた?」
雰囲気も緩くなったし、少しずつ踏み込んでみよう。
「憧れてた・・・。旅のこととか、色んな土地の話をたくさん知ってるんだ」
「えっと・・・そういう意味じゃなくて、女性としてはどう?ドキドキしたんでしょ?」
「胸元・・・見せられたから・・・」
おお、初めてこういうことに答えてくれた。
内緒でミルクにお酒足したせいか?
「それに・・・今でも頭を撫でてくれる。ああ・・・ルルさんもだ。なんだか安心するんだよね・・・」
なるほど、そういう趣味か。
アリシアはこの子を愛してあげていたんだろうけど不器用だからな。
理解するのは幼かったニルス君には難しかったんだ。
だから目に見える形で愛してくれるような・・・たぶん年上、お姉さんみたいな人が好みなんだろうな。
「じゃあえっと・・・ティララちゃんだっけ?アリシアと一緒に戦ってる人」
「・・・あの人も優しかったよ」
「女性としては?」
「え・・・そう見たことはない・・・かな」
あれ、ちょっと違うのか?
「そろそろ・・・こういう話やめたいんだけど・・・」
「楽しいんだけどな」
まあいい、じゃあ別な事を・・・。
「ティララちゃんとスコット君に武器を作ろうと思ったことがあったんだ。アリシアが頼んできてさ」
「思った?作らなかったの?」
「うん、テーゼでいつも頼んでるところがあるからって。信頼できる鍛冶屋がいるなら仕方ないよ」
あれは残念だった。
『それならしっかりと魂の魔法をこめたい。仲良くなってからの方がいいから連れてきてほしい』
『な・・・わかった・・・』
それで楽しみにしてたんだけど・・・。
『二人はもう信頼できる鍛冶屋がいるから大丈夫だと言っていた』
『そうなんだ・・・』
『そんな顔しないでくれ。私が慰めてやる』
残念ではあったけど、いい思い出にもなったな。
「そうだ、どうしようか迷っていたことがあるんだ」
ニルス君に話してから決めようと思っていたことがあった。
アリシアに言われてここに来たみたいだけど、彼女はこの子が本当に僕に会えたのか気にしているはずだ。
「なに?」
「君がここにいて一緒に生活していること・・・アリシアに手紙で伝えてもいい?」
「・・・」
ニルス君はとても悲しい顔をした。
なるほど・・・してほしくないってことか。
赤ん坊の時と変わらない、その気持ちは言葉が無くてもわかる。
たぶん、自分だけを想ってほしいんだ。
僕が彼女を愛していることを知っている上で、それでも自分だけを気にかけていてほしい・・・。
「わかった。彼女にはなにも伝えないことにしよう」
「・・・いいの?」
「ニルス君が一番大切だからね」
ごめんねアリシア、僕はこの子を裏切れない。
君を想いながら手紙を書く時間があるのなら、それは全部ニルス君のために使うよ。
でも、必ず君と再会できるように頑張ってみるから・・・。
「今日はもう寝るよ。おやすみ父さん」
「ああ、おやすみニルス君。明日は何する?そうだ・・・一緒に棚を作ろう」
「・・・あさってが期限の仕事あるだろ」
「・・・冗談だよ」
君と過ごしている時間はとても幸せだ。
アリシアと愛し合っている時間よりも大切な気がする。
親だから・・・なのかな。
我が子だから・・・自分よりも・・・。
◆
「あー・・・やっとできた」
「かなり神経使ってたね」
「注文が細かかったからね・・・まったく・・・」
急遽入った仕事を終わらせた。
空はもう夕方だ。
「あとは箱にしまって注文書張りつけといて。明日ハリスにぶん投げて渡してやろう」
「壊れるだろ・・・え?は?」
ニルス君が注文書を見て青ざめた。
・・・嫌な予感。
「帰ろうよ」
「・・・」
「よし、帰ろう」
「・・・」
ニルス君の額から汗が流れている。
「父さん・・・散りばめる宝石は・・・青でって書いてある」
「・・・ふーん」
「これ・・・赤・・・」
「そう・・・」
手が震えてきた。
間違えたのか・・・全然気付かなかったな。
「そのまま渡そう・・・」
「は?」
「作るのに半日かかった。もうやだよ」
「そ、そんなの通るの?」
通す・・・。
「ニルス君・・・炉の煤を指に付けて」
「なに言ってんだ・・・」
「それで注文書に触って・・・色のところを・・・」
「待てよ・・・」
これで誤魔化すしかない。
青が赤に見えた・・・やるしかない。
「このあと・・・お酒を飲むつもりだった。予定は変えられない・・・」
「いや・・・無理があるだろ・・・」
「大丈夫だよ・・・だから君がやるんだ。ニルス君が手を汚したまま注文書に触ったせいで色を間違えた・・・」
「オレが・・・ふざけんなよ!」
ニルス君が拳を握った。
「な・・・力ずくはダメだって言っただろ!」
「バカかよ!手伝うから作れ!」
「嫌だ!今日は帰って鶏肉焼いて飲むんだ!!」
「なるほど・・・私も舐められたものですね・・・」
悪魔の声が聞こえた。
ああ・・・逃げられないのか・・・。
「近くだったので寄ってみれば・・・それは精霊信仰の方たちが儀式で使うものです。千人規模で行うらしいので、注文通りでお願いします」
ハリスは目を細めた。
ちっ・・・。
「なんですかその顔は・・・いい加減な仕事を我が子に教えるのはやめなさい」
「・・・わかったよ」
「ニルス様、こういった所は見習う必要はありませんからね」
「そのつもりだったよ」
二人して・・・。
「今日は工房に泊まりなさい。明日の朝に取りに来ます・・・」
ハリスが消えた。
「まあ・・・頑張ろうよ。こっちに泊まるの初めてだし、楽しいかもよ」
「・・・ニルス君」
「あっちから食材持ってくる。夜は外で食べよう」
「・・・わかった」
息子の励ましを聞いたら、ちょっとだけ元気が出てきた。
こういうのが「いい思い出」になるのかな?
そういえば、あんな言い合いは初めてだった。
仕方ないな・・・やってやろう。
◆
息子と過ごして一年ともうすぐ五ヵ月・・・。
「ねえニルス君・・・一度テーゼに戻ってみたらどう?」
ニルス君にはっきりと伝えた。
「・・・しない。オレはもう旅人だから」
「たとえば・・・アリシアじゃなくてもいい。ルージュちゃんに・・・」
「振り返らないこと・・・旅人の心得だ」
ニルス君はとても悲しい顔をした。
もう戻らない・・・テーゼを出た時の強い決意は揺らがないみたいだ。
ニルス君はすでに剣を打てるようになっている。
正直、鍛冶の方は僕が嫉妬するほどの上達だ。
・・・そろそろ僕も覚悟を決めないといけない。
君は寂しがりだから一人で旅立たせるのは心配なんだ・・・。
でも・・・安心してね。
◆
僕は、すでに眠っているかもしれない息子の部屋の前に立った。
・・・自分の命よりも大切な存在。
「君のために剣を作りたい」って言おうと思った。
でも・・・もう眠ってしまったみたいだ。
明日の朝にするか・・・。
「見捨てないで・・・母さん・・・」
振り返った時、部屋の中からニルス君の声が聞こえた。
久しぶりに聞く寝言・・・。
まだ悲しみは残っているらしい。ここに来て間もない頃は毎晩うなされてたっけ。
そのたびに寄り添って、声をかければ落ち着いて眠ってくれる。
僕を信用してくれたのか、少し経ってからは聞かなくなったんだけどな・・・。
『ねえニルス君、アリシアは君を待ってるんじゃないかな・・・』
『オレも待ってたけどなにも無かった。・・・そういうことだと思う』
『・・・ここに来てもらうとか。みんなで話そう』
『・・・いらない。何度も言っただろ』
そう、何度も話したけどダメだった。
僕が手紙を出して呼ぶ・・・ニルス君はこれが嫌なんだ。
言われたから動いたって思ってしまうから・・・。
アリシア、君が自分から歩み寄らないとダメだよ・・・。そうしないとニルス君の悲しみはずっと残る・・・。
他に方法が無いわけじゃない。
例えば、僕にとってのアリシア。この子にそういう大切な人、悲しみを分かち合ってくれる人ができれば変わると思う。
だから・・・僕にできるのはここまでみたいだ。
きっと、旅に出れば色々見つかる・・・。
◆
「おはようニルス君」
「・・・おはよう。一緒に寝てたんだ・・・」
「久しぶりにうなされてたからさ・・・」
「・・・ありがとう」
夜が明けた。
起きてすぐだけど・・・。
「ねえニルス君、そろそろ自分の剣を作ってみない?」
話を切り出した。
もう鍛冶で教えられることもないからな。
「剣・・・え、認めてくれたってこと?」
ニルス君が勢いよく体を起こした。
眠気はすぐ飛んだみたいだ。
「その通り、君はとても美しい刃を作れる」
「師匠がいいからだよ」
ふふ、喜んでくれてるな。
・・・ここに来た時の顔と比べるとかなり明るくなった。
「それでお願いがあるんだ。父さんにも君の剣を一緒に作らせてほしい」
「お願いって・・・。オレも一緒に作りたい」
「ありがとう・・・。最高の剣を二人で作ろう」
ごめんねアリシア・・・。
ルージュちゃんができてから来なくなったのは、こうなるかもしれないって思ったからだよね?
僕も・・・最後の一つは使わないって気持ちでいたんだけどさ・・・。
◆
「これを使うんだ」
「これ・・・鉄じゃ・・・ない?・・・かなり重い」
ニルス君に精霊鉱を見せた。
最後の・・・最後の一つ・・・。
「精霊鉱っていうんだ。聖戦の剣と栄光の剣はこれで作ったんだよ」
「これが・・・あんなに軽くなるのか・・・」
アリシアはニルス君に精霊鉱のすべては伝えていない。
手紙にも「ニルスが何を話しても精霊鉱だけは使うな」とも書いてあった。
たぶんルージュちゃんのことだろうけど・・・。
「たしか・・・精霊と契約して貰ったんだっけ?」
「そうだよ。あの工房もね」
今すべては話せない。
今説明したらこの子は絶対に「ダメだ」って言うだろう。
わがままだけど、話すのは完成直前にしよう。
ニルス君、僕は君と旅立ちたい。これができたら一緒に行けるんだよ。
僕が消えてしまっても・・・そうすれば君をずっと見守っていられるような気がするんだ。
もう覚悟はできている。
最後の一つは君のために・・・全然惜しくないよ。
『ケルト・・・愛しているよ』
でも僕は、自分の両親と同じことはしない。
いなくなるんじゃなくて、共にいるためにそうするんだ。




