第二十六話 冷たい声【アリシア】
『お前を世界で一番強い男にしてやろう』
ニルスは本当に強くなったと思う。
私が見ていたのはそれだけ・・・。
『ニルスと一緒に戦えれば楽しいだろうな。そうなってくれたら母さんは嬉しい』
だから言った。
『え・・・あの・・・わかった・・・そうする』
そして、ニルスの口から聞けて本当に嬉しかった。
たしかに一緒に戦いたいという思いはあったけど、理由はそれだけじゃない。
『名前は・・・栄光の剣ニルス』
それはずっと頭の中にあった。
ケルトも私も願っていたこと、あの子の幸福に繋がるはずのもの・・・。
それは戦士になれば手にできる。
功労者に選ばれれば・・・実際にその通りになった。
でも・・・でも・・・ニルスが望んでいたことは・・・。
◆
「アリシア様、ルルさんは落ち着きましたか?」
「酔って・・・いたのですか?」
事務所を飛び出すと、ティララとスコットが心配そうな顔で私に駆け寄ってきた。
酒場は異様なほど静かだ。
みんなさっきの真相が知りたいという顔で私を見ている。
「なにを話したんですか?」
「原因は・・・」
この二人は私たちを近くで見ていた。
どう思っていたんだろう?
「・・・聞きたいことがある。私とニルス・・・親子としてどう見えていた?」
「・・・」
「・・・」
二人は都合の悪そうな顔をした。
ニルスと一緒で、私には言えないこともあるんだ・・・。
「・・・二人は息が合っていると思います。アリシア様の鍛え方が良かった」
スコットが苦い顔で答えた。
違う、そんなことを聞きたいんじゃない。
「はっきり・・・言ってほしい。私は・・・あの子を縛っているように見えたか?」
言葉にすると苦しい。
・・・そうか、私自身もそう思っているんだ。
「あの・・・アリシア様が戦場でニルス君に家族と呼ぶなと言った時、少し異常だと思いました。ニルス君は、それからより無口になったと記憶しています・・・」
ティララの言葉で、酒場の中がざわついた。
「・・・俺はアリシア様を尊敬しています。ただ・・・ニルスがかわいそうに見える時が何度もありました。あいつは戦場に立っているというより、立たされているように見えます・・・」
「かわいそう・・・」
聞きたくなかったが受け止めなければいけない。
あの子はもっと苦しんでいたんだろうから・・・。
「アリシア・・・さっきルルと揉めたのはニルスのことか?」
イライザさんが立ち合がり、一歩前に出た。
とても悲しそうな顔だ・・・。
「はい・・・行かなければいけません・・・」
「そうか・・・そうなったんなら、私もあの子のことで聞きたいことがあったんだ」
「・・・なんでしょう」
私は胸を押さえた。
「ニルスは、自分から戦場に出たいって言ったことあるのか?」
「え・・・」
急に呼吸ができなくなった。
記憶のどこにもないこと・・・。
そうだ・・・一度も自分から言ってない・・・。
◆
私は全力で家まで走った。
心臓が破裂しそうなほど暴れている・・・。
「母さん」と呼ばれなくなったこと、なんとも思わなかったわけじゃない。でも、戦場での癖が抜けないだけだろうと軽く考えていた。
今思うと異常だ・・・。
『あの、母さん・・・』
『ニルス・・・。ここは戦う場所だ。戦場で家族と呼ぶのはやめてくれ』
あれは、本当に「戦場だけ」でのつもりで言った。
戦いの前に昂った気持ちが、冷めるような気がして・・・。
『初めての戦場って・・・十三でしょ?あんたと違うんだよ・・・』
ジーナさんは「ありえない」という顔をしていた。
・・・その通りだ。
あんな言い方、しなくてもよかったじゃないか・・・。
『戦場で家族と呼ぶな。・・・あなたが言った』
あの時、ちょっとだけ辛いなって思った。
でも、自分で言ったことだからなにも返せなくて・・・そのままだ。
謝っていれば違ったのかな・・・。
『一緒に住んでてなんで気付かないのよ!!!』
今日まで、何度あの子の心を切り裂いたんだろう?
なぜ話そうとしなかった?
『あの子、本当は戦いに行きたくないんだよ。・・・食べないで力が付くはずないでしょ?嫌で嫌で体が食べ物を受け付けない。だからすぐに吐いてしまうの・・・知らなかったでしょ?』
どうして、詳しく聞かなかった?
『アリシア、あなたがこれからも戦場に出るならニルスの面倒はあたしが見ようか?・・・戦場とニルス、どっちもは難しいと思う。この子が寂しい思いをするかも』
『じゃあ約束して。ニルスのことは一番に考えること』
『寂しい思いさせたらダメだよ?』
ルルはニルスが赤ん坊の頃から教えてくれていた。
『ニルスが不幸にならないように・・・約束してください』
セス院長も・・・。
私は・・・そうしている「つもり」だっただけ・・・。
『ただ、ニルス君の話も聞いてあげてね』
『なんかかなり熱が入ってるみたいだけど、無理はさせないようにね』
ケルトにも言われていた。
私は・・・大丈夫だと・・・心配するなと・・・。
みんな・・・こうなるかもしれないってわかっていたのか?
だからあんなに言ってくれていた・・・。
『ニルス・・・お前は母さんとルルのどっちが好きなんだ?』
『え・・・どっちもだよ』
『どっちが上だ?』
『・・・母さん』
ニルス・・・今は違うのかな・・・。
◆
静かに家に入り、あの子の部屋に向かった。
・・・まだ明かりがついている。
「今は殖の月だから、水の月まではあと少しなんだよ」
扉越しから声が聞こえた。
いつも通り、ルージュに話しかけているんだろう。
『あの子の悩みはたくさんある。・・・ルージュがお喋りできないこと、あんたどう考えてんの?』
どうも考えていなかった。
ニルスも遅かったから、大丈夫だろうとしか・・・。
『ニルスから相談されなかった?ちゃんと寄り添ってあげられたの?』
・・・できなかった。
『ルージュのこと、任せきりにしてない?』
『あんた、本を読んであげたことある?』
全部、ニルスがやってくれていた。
『ニルスはあんたが・・・お母さんがやりたいようにしてくれてたね。随分楽だったんじゃない?』
そう、楽だった。
子育て・・・特に赤ん坊の時は大変だ。
でも、それをすべてニルスがやってくれていた・・・。
「あの家は誰に言えば手に入るんだろうね・・・。ルージュ、君はオレのかわりにやりたいことをしないとダメだよ?」
ニルス・・・。
「君のやりたいことを邪魔する人からは兄さんが守ってあげる。だからなんでも話してね。それでさ・・・もし前のオレと同じ夢を持ったら・・・兄さんは戦士をやめる。そして一緒に旅をしようか」
心臓を掴まれた気がした。
『アリシア、ニルスは将来なにをしたいかって教えてくれたことはない?』
あの子が私に話してくれたこと。
あの子がやりたいこと・・・。
『オレは旅人になりたい。色んなところに行くんだ』
そう・・・戦士じゃない・・・。
『ニルスがよければだが、将来戦士になる気はないか?』
あそこでそれを知っていた人間は私だけ・・・。
だから・・・味方は私しかいなかったのに・・・。
「戦場なんて無くなればいいのに・・・。ルージュ、早くお兄ちゃんて呼んでほしいな・・・」
ニルスの苦しみが聞こえた。
まだ間に合うのか?
いや・・・できる限りやるしかない!
◆
「ニルス!」
私は息子の部屋へ飛び込んだ。
「アリシア・・・」
ニルスは妹を抱いていた手に力を入れた。
「・・・どうしたの?ルージュが驚く」
妹に話しかけていた時の優しい声がすぐに消えた。
慣れてはいたが、改めて「アリシア」と呼ばれるのはつらい・・・。
ニルスの中で、私はもう母ではないのだろうか・・・。
「・・・飲んできたの?早く休んだ方がいいよ」
我が子なのに距離を感じる。
でも、言わなければならない。
「・・・ニルス、もうすぐ成人・・・だな」
「・・・」
ニルスの雰囲気が変わった。
苦しいが・・・続ける・・・。
「・・・なにをしたいのか・・・聞きたい」
「・・・なにが言いたいの?オレは戦士だから・・・十五になっても、なにも変わらないはずだ」
怖さを感じるほど感情の無い話し方だ。
「お前にはなにも期待していない」と冷たい眼差しも語っている。
母親なのに、いつからこうなったのか。
まったく憶えていない自分に怒りが湧いてくる。
「ニルス、お前はもう大人になるんだ。やりたいこと・・・母さんに話してくれ」
「・・・」
ニルスの目が少し変わった。
「なにを言うかと思えば・・・今さら・・・」
ただその感情は・・・怒り。
だから私を鋭く睨んでいる。
「・・・オレにやりたいことなんてない。あなたの隊で死ぬまで戦うだけだ」
「ニルス・・・」
逃げ出したい・・・初めて思った。
戦場で恐怖を感じたことは一度も無いのに、この子と向き合うのは恐くて仕方がない・・・。
「戦場は・・・嫌いか?」
「・・・」
ニルスの目が、研ぎ澄まされた刃と同じくらい鋭くなった。
こんな顔で睨まれる親なんかいないんだろうな・・・。
「なるほど・・・そういうことか・・・」
ニルスは立ち上がり、ルージュをベッドにゆっくりと置いた。
「急にそんなこと言い出すのはおかしいと思った・・・」
そして立てかけていた剣を手に取った。
知らない殺気・・・ここまでになっていたのか。
「ルルさんが・・・なにか言ったの?」
真冬の夜よりも冷たい声だった。
私が「そうだ」と言えばルルを殺しに行く・・・この子は必ずやる・・・。
「違う、ルルはなにも話してくれなかった。言われたのは自分で聞けとだけ・・・」
「・・・」
「私は・・・お前が苦しんでいるのを今日知った。・・・話してほしいんだ。お願いだニルス」
「・・・ルージュが起きてしまう。部屋から出よう」
ニルスは溜め息を零した。
冷たくて寒いはずなのに、妙に汗が出る。
心臓はずっと震えたままだ・・・。
◆
ニルスはルージュを気遣うように優しく扉を閉めた。
「今さらやりたいこと・・・よく聞けるな。普通の親はアカデミーを出る頃にしっかり子どもと話すって聞いた。オレにその機会は・・・無かった」
ニルスの声が震えている。
怒り、悲しみ・・・色々な感情が絡まり、それをなんとか抑えているんだろう。
「・・・すまない。すべて私が悪い・・・」
「・・・別に恨んじゃいない、言えなかったオレが悪いと思ってる」
この子は、行き場のない思いを何とかするために自分を責めた。
今まで壊れなかったのは・・・ルージュがいたから。
私はなにをしてきた?
大声で叫びたくなってきた。
自覚は無かったが、壊そうとしていたんじゃないのか?
・・・違う、そうしたかったわけじゃない。
たしかに一緒に戦いたいのはあったけど、お前に栄光も与えたくて・・・。
「ニルス・・・遅くなったが、母さんは親として話している。気持ちを教えてほしい」
胸を握り潰すくらい強く握って、やっと言葉を出せた。
叫んではいけない。この子がしてきたように、今度は私が感情を抑えなければいけないんだ・・・。
「今さら・・・母さん?・・・心配しなくてもオレは戦場に出る。雷神の息子は、臆病者なんかじゃないから安心してればいい・・・」
ニルスは今にも泣き出しそうな声を出した。
『臆病者は必要ない。ニルスもそう思うだろ?』
『・・・そう・・・だね』
あれ・・・これも・・・私のせいなのか・・・。
どうしよう・・・なにも言えない・・・なにを言えばいいんだ・・・。
「オレから言うことは・・・もう無い」
わかっている。
これは私がこの子にしてきたことの結果、今までのすべてが自分に跳ね返ってきているだけ・・・。
『あたしは抱きしめてあげました・・・。あの子は、目に見える愛が欲しいんです』
私は泣き出しそうなニルスを抱いた。
言葉は見つからないが・・・体は勝手に動く・・・。
「・・・離れてくれ。言っただろ・・・オレは臆病者じゃない・・・」
「なら・・・なにがしたいのか恐がらずに話せるはずだ。・・・旅人になりたいと・・・教えてくれた・・・」
触れ合ったことで言葉が生まれた。
心のままに、伝えたいことだけ・・・。
「憶えて・・・」
「教えてくれ・・・どう・・・したいんだ?」
「・・・十五になったら・・・ここを出て行く」
「わかった・・・あ・・・」
ニルスは私の腕を力ずくで引き離し、自分の部屋へ戻った。
前は・・・笑って言ってくれたのに・・・。
そういえば、あの子が私に笑顔を向けなくなったのはいつからだろう・・・。
どうして・・・思い出せないんだろう・・・。
◆
私はニルスの部屋の前で動けなかった。
これから・・・どうしたら・・・。
「ルージュ・・・ごめんね・・・」
ニルスの泣き声が聞こえる。
「君が・・・なにも心配ないようにはしていく。・・・許してね」
なのに・・・動けない・・・。
今さら・・・今さら・・・。
何度も頭の中で繰り返される言葉・・・。
旅立ち・・・あの子がいなくなる。
取り返しのつかないことをしてしまった。
そんなつもりじゃなかったのに・・・。
でも・・・もう手遅れだ。
戦士から解放し、あの子のやりたいことをさせる。
今の私にできるのはそれだけ・・・。
そのために、私はもっと悩まなければいけない。
あの子の言葉通り、心配がないように・・・。
せめてそれだけは・・・。




