第百九十話 ジェイス【ハリス】
バニラ様の考えはわからなくもない。
しかし、生半可な気持ちではダメだ。
得るものと失うものをよく考えて決断をしなければならない。
「リラさんは・・・そうではなかったですね」
「・・・」
「ですが、あなたがまた会いに来てくれた時は幸せでしたよ」
「・・・」
そしてそれ以上を望んだ結果が今・・・。
「いいお話があります。シロ様が精霊銀の記憶を見つけてくれたのですよ。・・・希望が近付いてきましたね」
「・・・」
「それと・・・明日は帰りが遅くなります。ちゃんと戻りますので心配はしないでくださいね」
「・・・」
まずはジェイス、隙があるなら捕らえてすぐにシロ様の所へ連れて行く。
それで問題の一つは解決だ。
◆
今日は神の言霊の設立記念日。
そして、探し人に近付ける日・・・。
「風の月だってのに涼しくなんないね・・・今夜だろ?」
メルダ様は爪を削りながら呟いた。
「はい、なので呼び出しはお控えください」
「わかってるよ。・・・あんたからの報告を待つ」
「私から来るまではベルを鳴らさないでいただきたい」
「・・・しつけーな」
これでいい、煩わしいのは嫌いだ。
「それと・・・今まで言いにくかったんだけどさ・・・」
「なんですか?」
「ジェイス・・・捕らえたら一度ツキヨに回してほしい」
ついに言われたか。
遠慮していたのですね。
「・・・シロ様が気を揉む時間を伸ばせということですか?」
「嫌な言い方すんなよ。・・・繰り返さないために必要なんだ。ただ・・・シロが辛いなら諦める・・・」
「以前から伝えてはきましたが・・・感情を優先するあなたはツキヨに向いていない」
まあ・・・だから愉快で気に入っている。
「・・・あんた以外にも言われたことあるよ」
「ふふ、ご安心ください。一度あなたに預けましょう。ただ・・・あまり時間をかけないでいただきたい。友の家族・・・早く救いたいのです」
「・・・急ぐさ。移動も頼むよ?」
魔女は意地悪く笑った。
・・・少しからかうか。
「そういえば、しばらく旦那様を見ませんね」
「・・・テーゼだよ。あんた知ってんだろ」
わかっていて聞いた。
最近魔女が気怠そうな時があるのはこのせいだろう。
「ああそうだ・・・ルージュが闘技大会に出るらしいね」
「私も聞きましたが、メルダ様はどなたからですか?」
「カケラワシが鳥を飛ばしてきた。ニルスとも直接話したらしい・・・目立つだろうに止めなかったのはなぜだ?」
「変装しているので問題ありません。そして、危険な戦いから遠ざけるためです」
こちら側には踏み込んでほしくないのだ。
『でも・・・今日で怖くなくなりました。とても優しい人です』
そして守らなければならない・・・。
『わたしを襲ってきた人と・・・囚われているかもしれない女性がどうなったのか知りたいです』
だから・・・話したくはなかった・・・。
◆
「遅かったかもしれないが、ジェイスの照会がすべて終わった。・・・それらしいのはいないね。過去百年・・・まったくだ」
メルダ様が溜め息を零した。
たしかに遅すぎますね・・・。
「つまり、ジェイスという名前で出生の記録がある者は全員裏が取れたということですね?」
「そうだ。まあ・・・記録が無い人間なんて珍しくないけどな」
ありえないわけではない。
例えば盗賊団などはそうだ。
税など払うはずがありませんからね。
「・・・ちなみに、ミランダ様の出生届はいつ出されたのですか?」
「あたしはしっかりやってるよ。あの子は・・・」
メルダ様は言葉を止めた。
・・・惜しかったか。
「はあ・・・拾ってすぐだよ。なんでそんなことを聞く?」
「いえ、口を滑らせるかと思っただけです」
「滑らせるもなにも真実だ。あんたは深読みしすぎなのさ」
深読み、勘繰り、揶揄・・・趣味だから仕方がない。
「ただ・・・その話は酔ってる時は聞くんじゃねーぞ」
メルダ様は整った爪で艶めかしく唇を撫でた。
だからからかいたくなることをわかって言っているのだろうか・・・。
「では・・・そろそろ失礼いたします」
「ああ、気を付けて」
魔女がいつになく優しい言葉をくれた。
「・・・私にわざわざ言うことですか?」
「あーん?」
メルダ様は引き出しから手紙を取り出した。
あれはシロ様からの・・・。
「・・・ハリスはとても疲れているから優しくしてあげてね。・・・友達からの頼みだ」
「みなさんがもっと利口なら疲れませんよ」
「ふん・・・少しは愛想よくしないと誰も助けてくれないよ」
「必要が無いので一人で動いています・・・」
私は返事を待たずに影に潜った。
今はまだ・・・そんな気分ではない。
◆
・・・さすがに探知と封印を張っているようですね。
それも・・・大人数で幾重にも。
そして、こんなにもテーゼに近い場所でやるとは・・・。
デンバー・・・テーゼからは馬車で半日も揺られていれば着く小さな町。
私が入り込んだのは外れにある屋敷だった。
「和睦は必要ない、我々に賛同できるものだけを集めればいい。・・・悠長なことを言っている間抜け共が」
屋敷の二階、私は影から少しだけ体を出し、話を聞かせてもらっている。
部屋の明かりは燭台の蝋燭のみ。
薄暗いおかげで、私の存在を知られることは無いだろう。
「無礼な!暴言はやめろ!」
大きめの円卓に椅子は五つ・・・だが、今は四人。
設立の記念日ということで、強硬派と和睦派の両方が来ている。
この部屋にいる四人が教団の核というわけだ。
そしてあの空席に座る者が・・・探し人。
「落ち着きなさいよ・・・。今日は不毛な話をするために集まったわけではないでしょ?」
女性のようだ。
・・・冷静な者もいるのですね。
「我々もそうだ。だが、お前たちがいるせいで危険な団体だと思われている」
「お前たちは悔しくないのか?邪教とまで呼ぶ者もいるのだ。受け流せるわけがないだろう」
あとどのくらい下らない話を聞けばいいのか・・・。
早くジェイスを出していただきたい。
「・・・たしか四年前だ。領主を殺し、権力を奪うと言っていた愚か者がいたな。お前たちが唆したのだろう?」
「熱心なことじゃないか。だが、口の軽い者がいたようだ。王家かはわからないが殺し屋が動いた」
「他人事のような言い方はやめろ。新聞にも載り、多くの信者が抜けたのだ」
「選ばれた者ではなかったのでしょうね」
四年前・・・記憶にある。
私も新聞を見たが、おそらくツキヨが動いた件だ。
三本目は基本的に証拠を残さないがその件は別だった。
反逆を起こされて黙っているわけにはいかなかったのだろう。
その後から神の言霊は「危険な教団なのでは?」という話が広まり、糾弾されることも増えた。
・・・王も甘いですね。
そこで解体し、潰しておけば今回の事態にはならなかったかもしれない。
せめて和睦派だけでも取り込めばいいものを・・・。
「今日はジェイス様にお前たちのことをどうするか伺おうと思っている」
「勝手にすればいい、あの方は我々に任せると仰ってくれたぞ」
「全員の方向性を合わせなければならない」
「静かに・・・口を閉じて」
扉の外から足音が聞こえた。
・・・いよいよか。
ここから集中を切らすわけにはいかない。
◆
「・・・」
男は部屋に入ると、なにも言わずに空いていた席へ座った。
室内の空気が変わり、先ほどまでの下らない言い争いは途絶えている。
「世界に導きの灯を・・・」
暗く、まだ顔ははっきりしないが異様な雰囲気の人間だ。
しかし、頂いた記憶にある声と同じ・・・あの男だ。
早くその顔を見せていただきたい。
人相がわかれば、私が絵に起こしメルダ様に渡す。そうなれば、どこにいようとすぐにツキヨが見つけるはずだ。
そして、ニルス様を連れて行くだけ・・・。
「世界に導きの灯を・・・」
四人が復唱した。
この男の前では誰もが従順なようですね。
「この部屋には敵意がある。・・・仲間割れは良くないですね」
「・・・」「・・・」「・・・」「・・・」
誰も答えない。
敵意・・・私も入っているのだろうか?
◆
沈黙が続いていた。
静かに揺れる蝋燭の炎は、まだ男の顔を照らしてはくれない。
「今まで・・・どちらにいらっしゃったのですか?」
一人が静寂を破った。
それでいい、早く休みたいのだ・・・。
「・・・殖の月からしばらく眠っていました。大きな力を使ってしまったのです」
大きな力・・・眠っていた?
「神の力を・・・ジェイス様が動くようなことがあったのですか?」
「あなたたちには任せられないことだったのです」
ジェイスと呼ばれた男が顔を上げた。
「雷神に考えを伺いました。協力は無理そうだったので・・・殺したのです」
全身に緊張が走った。
・・・間違いない。
この場で絵に起こすのは厳しそうだ。
残りの四人と共に、しっかりと目に焼き付けなければ・・・。
「雷神を・・・」
「求心力がある方だと思ったので引き入れようとしましたが・・・残念でしたよ。まあ、敵になる前に消せたので良しとしましょう」
ジェイスは殺し損ねたことを知らないようだ。
「それで今まで・・・」
「はい、目が覚めたのは十日ほど前ですね」
それに力を使うと、ステラ様のように眠るのか・・・。
「ジェイス様、我々は今日まで雷神が死んだという話は聞いておりません・・・」
「そうでしたか、身体ごと消滅するので行方不明扱いかもしれません。・・・子どもに見られましたが、言いふらすことも無かったようですね」
勝手に消えただけなら、教団に疑いがかかることはないと踏んでいたのか。
しかしその子どもを甘く見ていたようだ。
あそこまでの冷気を見ておいて、始末せずに去ったこと・・・のちほど後悔するだろう。
「次は聖女にもお話を聞こうと思っています。可能性は薄いかもしれませんが・・・」
「しかし、まだ眠っているはずです」
「それは仕方のないことです。早く起きていただきたいものですね。・・・目覚めたことがわかれば報せてください」
すでにステラ様は目覚めてテーゼにいる。
これも我々にとっては有利な状況だ。
「・・・魔物から力を取り込める者は見つかりましたか?」
「いえ・・・申し訳ありません」
「やはり私だけですか。・・・一人でやるしかないようだ。さらに取り込み、絶対量を増やさなければならない・・・」
力を使った分眠るのであれば、負担は分散したいと考えるのが普通ですからね。
そして、食べるほど力が増すのも間違いないらしい。
絶対量とは力?
器を大きくすれば入る量も変わる。
眠る時間も少なくなるということか?
一番の謎は・・・ジェイスはどこでその力を手に入れたのか。
これがわからなければ、この男を消してもまた同じことが起こる可能性がある。
「ジェイス様は・・・特別ですから」
「魔物の肉は・・・どう調理しても不味いのですよ・・・」
出回らないのがその証拠だ。
私も食べようとは思わない・・・。
「それと、強硬派と和睦派・・・私はそんなものを作った憶えはありませんよ」
ジェイスの雰囲気が変わった。
暗く圧力のある話し方・・・気に食わないようだ。
「・・・」「・・・」「・・・」「・・・」
四人からは緊張が滲み出ている。
ジェイスが来るまでの勢いはどうしたのでしょうね。
「独立・・・領土・・・。教団の目的はなんですか?」
「戦場と神を・・・復活させることです」
「しばらく目を瞑っていましたが、分裂させるつもりならば消えてもらいます・・・」
独立はあくまで活動をやりやすくするための手段として必要なことであり、目的ではないようだ。
ジェイス以外はそれをいつの間にか見失っていた・・・そんなところか。
「それに数の少ない我々が土地を勝ち取るなどできるはずがないでしょう。味方で争ってどうするつもりですか?」
「・・・」「・・・」「・・・」「・・・」
「まさか・・・権力などという得体の知れないものを欲しているのですか?・・・先に我々の正しさを証明しなさい」
「・・・世界に導きの灯を」
「そうです。エリック、ジラルド、オルタ、サマンサ・・・すべてあなたたちに任せたはずです。・・・信じていますよ」
ジェイスは四人の顔を見回した。
釘を刺したようだが、それでも姿が無くなれば調子に乗るのが人間だ。
また・・・やるでしょう。
「・・・今日は設立の日ですね。下には地方の幹部も来ているのでしょう?」
ジェイスが立ち上がった。
もう去るのか・・・。
「はい・・・」
「顔は出しておきましょう。皆、神の側近になる者です。導きの灯・・・」
私はジェイスを追った。
◆
「彼らに私の言葉を伝えました。・・・彼らを信じなさい。世界に導きの灯を・・・」
ジェイスは集まった者たちにありきたりな言葉を贈った。
「私は役目があります。あなたたちは祈り続けなさい」
これで終わりか・・・。
・・・心が消耗している。
ジェイスの気配、近くにいるだけで精神を刻まれているような感覚だった。
・・・住処の場所を突き止めて今日は終わりだ。
◆
「カゲロウ・・・もうすぐだ」
ジェイスは屋敷を出ると呟いた。
なるほど、カゲロウと面識があったのもこの男か。
ならば・・・魔物を取り込めるという知識は彼女から?
ミランダ様の家にいると知ったらどう思うのだろう・・・。
◆
ジェイスは暗闇の中、なるべく静かな道を進んで行く。
この町に住んでいるのか・・・まあ付いて行けばわかるでしょう。
◆
「・・・」
ジェイスは、これから何かが作られるであろう広場に入った。
・・・待ち合わせか?
「さて・・・あなたは何者ですか?」
ジェイスが夜空を見上げた。
いつの間にか、黒い煙のようなものを纏っている。
「・・・出てこないつもりですか?」
私の存在に気付いている?
だが、ここで出て行くほど無駄なことはない。
「やむを得ませんね・・・」
ジェイスはその場に膝を付き、大地に触れた。
なにをする気だ・・・。
◆
「む・・・」
ジェイスを観察していると、腕に違和感を覚えた。
「これは・・・」
黒煙がまとわりついている・・・。
探知?影の中まで・・・。
「・・・捕まえましたよ。出てきてください」
見たことのない力だ。
そして、これは輝石では防げない。
・・・出るしかないか。
「・・・失礼いたしました。まさか気付かれるとは思わなかったもので」
私自身を知られることは避けたかった。
しかし黒煙は引きはがせそうにない。
隙を見て逃げるしかありませんね・・・。
「見覚えのない方ですね・・・」
「・・・あなたに興味を持った者です」
「・・・尾行はどこからしていたのですか?」
「ふふ・・・ご想像にお任せします。それと・・・この黒いのはもう必要ありません」
絡みつく黒煙を影に飲み込ませてみた。
・・・できる。
女神の力であれば切り離せるようだ。
「その力・・・気になりますが・・・」
ジェイスが視界から消えた。
「人では・・・ないのですか?」
背後から声が聞こえ、肩に触れられた。
後ろ・・・速すぎる・・・。
「・・・精霊でもありませんね。あなたのような存在、彼女は教えてくれなかった」
「彼女・・・どなたでしょうか?」
焦りは見せない、冷静に振舞わなければ。
「・・・あなたからは敵意を感じます。ここで消しておくのが良さそうです」
「簡単に言われるのは心外ですね」
「できますよ・・・」
「ぐ・・・」
背中から激痛が広がった。
躊躇いなく刺せるのか・・・。
「恐ろしい方だ・・・」
「・・・心臓の位置ですよ?」
「そうですよ・・・とても痛いです」
「気に入らない・・・」
私たちの周りに黒煙が現れた。
・・・戦うしかないようだ。
疲れているというのに・・・。
「確認だけはしておきますが・・・話す気は無いのですね?」
「ええ、ただ一つ言えるとすれば、私は単独で動いています」
「・・・なら、死んでも問題は無いと」
「殺せるものならやってみてください」
上着の内側から短剣を取り出し、影を伝って距離を取った。
『・・・美しい刃ですね』
『気に入ったなら君にあげるよ。これで・・・友達だね』
一度も使ったことは無かった。
汚したくはなかったが、あなたの家族のためなら仕方ない。
・・・ここで捕らえる。
あとは教団を解体し、影に飲み込ませすべて消す。
アリシア様の解放後であれば、ニルス様の身体は女神に言えば元に戻せるだろう。
「その笑顔・・・不気味ですね」
「あなたの気配よりはいいでしょう・・・ジェイス様」
より濃くなった黒煙が体に絡みついてきた。
『ねえハリス・・・やっぱり子どもが欲しいな』
心がざわついている。
その中で、なぜかリラさんの姿が揺らいでいた。




