第百八十五話 忘れていた【ニルス】
テーゼに来るのも、この談話室に入るのも八年ぶりか。
まだ外には出ていないけど、この空間にいるだけであの頃に戻ったみたいだ。
でも・・・なんだかちょっと色が薄い気がする。
母さんとシロがいないからかな・・・。
◆
「へえー・・・へえー・・・」
久しぶりの談話室・・・。
「おおー・・・人間と同じ弾力・・・」
「そろそろ自由にさせてほしいんだけど・・・」
オレはエストの手に掴まっている。
「クラインさんとこのニルスくん・・・」
「そんな呼ばれ方されたことない・・・」
紹介されてから放してもらえていない。
なんなんだこの子は・・・。
「ミランダさん、大きくなってもこの顔なんですよね?」
「そうだよ、そのまんま」
「・・・ここまでかっこいいとは思いませんでした」
「ふふ、よかったねニルス」
ミランダとステラも助けてくれない。
まるで見世物・・・普通に接してくれよ・・・。
「これって服の下はやっぱり男性・・・ですよね?」
やっと解放された。
逃げるか・・・。
「そうだったよ」
「あら、ミランダも見たの?」
「うん、気になったんだもん」
「わたしも見たいなー」
もう無理だ・・・。
オレはテーブルの端に走った。
彼・・・ノアの所へ。
「あ、待ちなさいよ!」
「嫌だ!」
オレは伸びてきたミランダの手を縫い針で刺した。
悪いけどここにはもういたくない・・・。
「いった・・・悪い子はお仕置きでーす」
「く・・・」
結界に閉じ込められてしまった。
胎動の剣・・・無いんだった・・・。
「ふふ、囚われの小人ちゃんだね」
ステラがいやらしく笑った。
「・・・君はオレの味方じゃないのか?」
「んー・・・困ったニルスを見てたいかな」
そっち側なんだな・・・。
「もういい・・・好きにすればいい」
「おお、出たー!ノアー聞いたー?」
「なんだよ・・・」
「ミランダさんから教えてもらってました。今のは口癖ですよね?」
もう何も言えないじゃないか・・・。
◆
やっとみんながオレの身体に飽きてくれた。
でも・・・。
「でね、最後の戦いの時にニルスがちょっとだけ荒っぽい話し方したのよ」
オレの話題なのは変わらないらしい・・・。
「なになに、早く教えて」
「ジナスの奴がね、ニルスのこと愛してるって言ったのよ」
ミランダはあの戦いを面白おかしく話している。
あんな目にあったのに強いな・・・。
「ニルスはなんて答えたの?まさかオレも愛してる・・・とか?」
「ステラさんそれいいですね。愛し合ってるけど戦う運命の二人・・・決着が互いを分かつ・・・」
「あはは、ニルスはお断りしたのよねー?」
「当たり前だろ・・・」
ジナスのことまで話してたなんて・・・。
「ちょっと真似するから見てよ・・・。気持ちわりーこと言ってんじゃねーよ」
ミランダは箒を剣に見立てて、あの時の動きまでやってくれた。
・・・ふざけるなよ。
「おおー、まるでティムさんですね」
「・・・私も聞きたかったな」
「どうニルス、似てた?」
「うん、そっくりだよ・・・もういいだろ・・・」
シロがいれば庇ってくれたかな?
こんなに騒がしいのは久しぶりだ。
前はここまで疲れなかったんだけど・・・数が増えたからか?
◆
「ヴィクターがルージュを守るって目の前で言ってあげたのよ」
また話題が変わった。
女の子はこうらしい・・・。
「へー・・・ねえニルス、そしたら部屋も一緒の方がいいんじゃない?」
「いいわけないだろ・・・」
「アリシア様があんた作ったのいくつよ?」
「ルージュをあの人と一緒にするな!」
これいつまで続くんだ?
◆
「あー楽しい、もっと早く起きてればな・・・」
ステラが寂しそうに笑った。
お喋りが落ち着きそうだ。
「何言ってんのステラ、今回のこと全部片付いたら毎日もっと楽しいよ」
「そうだね・・・じゃあそろそろ真面目な話をしましょうか」
ステラの目が変わった。
楽しい時間は終わりらしい。
「・・・」
エストがノアの所に戻っていった。
こういう所は察せるみたいだ。
「じゃあ・・・寝室に行きましょう」
「え・・・もう見せちゃうの?」
「隠してたって仕方ないでしょ?どうせ見せないといけないなら今よ」
ステラとミランダが、オレにはわからない話を始めた。
寝室・・・なにがあるんだ?
「話が見えない、隠してるってのはなんのことだ?」
「連れていくわ。あなたが取り乱すかもしれないから、ルージュが出かけてからって決めてたの」
「え・・・」
オレは持ち上げられてステラの肩に乗せられた。
オレが取り乱すものが寝室にある?
これ以上揺れることなんてあるかな・・・。
◆
「・・・女?」
ステラと二人で使っていた寝室のベッドには、裸の誰かが横たわっていた。
縛られて・・・目も口も塞がれてるな。
部屋は雨戸が閉められて薄暗く、近付かなければよく見えない。
「・・・誰?なんで縛ってる・・・」
「そばでよく見てほしいの」
妙な胸騒ぎがした。
ステラの歩みが遅いせいもあるんだろう。
◆
「・・・どう?」
女の拘束が解かれた。
どうって・・・。
「嘘だろ・・・」
目の前の顔と銀髪には憶えがあった。
そして、もしそうだとしたら・・・考えると体がどんどん熱くなってくる。
『カゲロウ・・・そう呼ばれている』
『気の揺らぎ、風の声・・・聞こえれば充分だ』
あの時の感覚が一気に戻ってきた。
・・・やばい。
「これはどういうことだ!なんでこいつがここにいる!」
そりゃ取り乱すに決まってる。
世界がひっくり返るかもしれない・・・。
「やっぱ・・・そうなんだ」
「納得しないでくれ!・・・全部話せ!なにがあった!こんなことになっててよく楽しそうに話せたな!!」
「ニルス落ち着きなさい、熱くならないで」
「できるか!・・・わかってるのか?こいつがいるってことはジナスは・・・」
これ以上は言えない・・・。
急に胸が締め付けられて、声が音にならなかった。
・・・身体が拒んでいる。
「ハリスが連れてきたの・・・」
ミランダは落ち着いた声で呟いた。
動揺してるの・・・オレだけか?
「・・・ハリス?」
「隠し事はしない。全部話すから落ち着いて聞いてね・・・」
「早く・・・」
場合によってはハリスも呼ばなければいけない・・・。
◆
「・・・それで、ここに寝かしてたってわけ」
ミランダは真剣な顔のまま話してくれた。
ハリスが戦場の島でずっと眠っている者がいるという話を聞き、行ってみたらこの女・・・カゲロウがいたらしい。
鳥たちか・・・オレの身体のことよりは、目に見えるこっちの方が気になるもんな・・・。
「でも安心して、ステラが目覚めてここ来た時に調べてもらったの」
「そう、今は空っぽ。だから急に起きて暴れ出す心配は無いわ」
「問題はそこじゃないだろ・・・」
「これ以上はわかんないよ・・・。でもジナスがいるんなら、シロが気付いてるはずでしょ?」
たしかにそうだ。
『間違いないよ。・・・だから女神様も解放された。それでも・・・僕はまだ不安があるから日に三度はあいつの気配を探ってる』
シロが気付かないはずはない。
じゃあ・・・今目の前にいるこいつは何だ・・・。
アリシアの呪い、オレの身体、そしてこれ・・・。
なんで重なるんだよ・・・。
憤り、怒り・・・頭の中が絡まっていく・・・。
「シロは・・・知ってるのか?」
目も開けたくない。
カゲロウの姿、こんなオレを見る二人の姿・・・見たくない。
でも・・・シロのことは気になる。
「教えてない・・・でも、それで正解だよね。あんたがこんなになるんだもん。あの子だったらどうなるかわかんないよ・・・」
「・・・そうだな」
声が震える・・・泣き出しそうだよ。
・・・ルージュがいなくて本当によかった。
「大丈夫よニルス、不安なら私がいるじゃない」
「ステラ・・・」
「あたしもいるよ。あんただけが抱えてるわけじゃない、一緒なんだから頼ってよ。仲間でしょ?」
「ミランダ・・・」
二人とも前向きだな・・・。
「それに、全部吹き飛ばしてあげるって前に約束したでしょ?忘れちゃった?」
「あたしもそうしてあげるよ。逆にさ、誰も気付かなかったらもっと面倒だったかもよ?どうせ片付けなくちゃいけないなら前向きになろうよ」
八年・・・一人でいた時間が長かったせいかもしれない。
だからわからなくなっていたんだろう。
そう、一人じゃない。
・・・離れるべきじゃなかったのかもな。
「・・・頼りにしていいのか?」
零れそうな涙が引いた。
そのおかげで二人の顔が見れる。
「ニルスと一緒ならなんだってできるよ」
ステラが微笑んだ。
「うん、みんなで解決すんのよ」
ミランダも頷いた。
やっぱり・・・忘れてたのはオレだけみたいだ。
「ただ、あたしたちは的確な指示に自信が無いの。だからあんたに指揮権を渡す・・・うまく使ってね」
「承知しました・・・ミランダ隊長」
「よろしい」
また心に刻まないといけない。
この気持ちがどこにも行かないように・・・。
「ステラ、本当に今は大丈夫なんだな?」
ミランダの言う通り、前向きに考えよう。
この事実が今わかったのは、きっといいことなんだ。
「ええ、なにも無いの」
ステラがカゲロウの髪を撫でた。
こうなったらもう起きてくれた方がいい。
神鳥の果実があるから、あいつがいるんならまた消せばいいだけだ。
「もっとよく見たい」
「はい」
「ありがとう」
オレはベッドに飛び乗り、カゲロウに近付いた。
・・・足を取られる。
◆
「・・・記憶にある顔と同じだ」
近付いて光の魔法で照らした。
うん・・・間違いない。
「あたしちょっとおっぱい揉んじゃった。柔らかかったよ」
「だからなんだよ・・・」
「・・・本当だ」
ステラまで・・・少しは緊張感を持ってほしい。
「ほら、ニルスも触ってみてよ」
「待て・・・こら・・・」
抵抗する暇もなくオレの体はつままれ、カゲロウの胸に落とされた。
「うわっ!」「きゃっ!」「なに・・・」
落ちてカゲロウに触れた時、稲妻のような閃光が走った。
なんだ・・・今の・・・。
「ちょ・・・あんた何したのよ・・・」
「なにもしてない。勝手に光ったんだ」
自分の身体に異常は無い。
なにがなんだかさっぱりだ。
「ん・・・」
誰かが喉を鳴らした。
ステラでもミランダでも・・・もちろんオレのでもない音・・・。
「あら・・・」
「今のって・・・」
もう起きててくれた方がいい・・・たしかに思ったよ。
でもさ・・・本当にそうなることないだろ・・・。
「・・・」
カゲロウが目を開き、首を動かした。
バカな・・・。
「ミランダ結界だ!閉じ込めろ!」
「あ・・・うん!」
暴れ出されたら危険だ。
それに果実は・・・全部ルージュが持っている・・・。
◆
三人で動けずにいた。
できるのは、ただ様子を伺うことだけ・・・。
「あなたたちは・・・誰?これは・・・なに?」
目覚めてしまったカゲロウは、オレたちを不思議そうな目で見て、守護の結界を初めて触るもののように確かめている。
危ないって感じはしないけど・・・。
「ねえ・・・なんか変じゃない?」
「・・・そうね、様子がおかしいわ」
「油断するな、そう演じているだけかもしれない。ステラ、栄光の剣を抜いておいてくれ」
「ここは・・・どこ?」
オレの顔は知っているはずだ。
そういう素振りがあればステラに攻撃させるしかない。
「おいニルス、どこいんだー」
気の緩みが一切許されない中、ぶち壊しそうな奴の声が聞こえた。
ああ・・・久しぶりだな・・・ティム。




