第百七十九話 恋【ルージュ】
『お前知らなかったのか?ニルスさんとステラ様は恋人だ』
どうして・・・ちょっと嫌だなって思ったんだろう?
『・・・ルージュ、神鳥の果実と着替えを出してくれ』
『え・・・いいん・・・ですか?数に限りが・・・』
『・・・出してくれ』
渡したくないって思ってしまった・・・。
『あの・・・ニルス様が果実を食べて・・・』
『無理に決まってるだろ。こんなことで使っていられない』
たぶん、きのうのことがあったからかな。
・・・嫉妬?
たしかにわたしは、少し冗談交じりで言ってみただけ。
でもニルス様は本気で断った。
それなのに、ステラさんのためなら迷わずに果実を使うって言ったこと・・・なんか嫌だった。
『・・・起きたらさ、君からも抱いてほしいな』
ニルス様はステラさんを抱きしめて涙を流していた。
『やっと・・・会えたんだから・・・』
わたしの恋心に似たものも・・・そこですべて流れてしまった。
『おはよう・・・ステラ・・・』
愛する人を抱きしめるニルス様・・・。
『ふふ・・・あなたはそんなに泣き虫だったかな?・・・しょっぱい』
ステラさんも泣いていた。
『違うよ・・・忘れないためだ。涙で色付けたものはずっと残るんだよ・・・』
『うん・・・じゃあ・・・もっと濃くしよう・・・』
自分では絶対に勝てないことを目の前で見せつけられて、わたしの初恋のようなものは完全に終わった。
悔しいのかな・・・。
でもあの光景を見た時、心から祝福の感情もあった。
嬉しいのに悔しい?なんでだろう?
元に戻ったニルス様に修業を付けてもらったら少しすっとしたけど、また変な気持ちになってきてしまった。
わたしは恋がしたいのかな?
アカデミーでは、素敵な女性でいれば、そんな自分に見合った素敵な人といつかは出逢えるって教わった。
それが正しいなら、ニルス様はステラさんの素敵な人だ。
わたしにもあれくらい想ってくれる人が現れたりするのかな・・・。
◆
「ありがとうルージュ」
ステラさんがわたしに微笑んでくれた。
「ニルスたちと一緒に外へ行ってもよかったのよ?」
外からは剣のぶつかる音が聞こえる。
一緒に行きたいっては思ったけど・・・。
「いえ・・・泊めてもらいますし・・・夕食の後片付けくらいは・・・」
「ふふ、いい子だね」
夕食はステラさんが作ってくれた。
とってもおいしかったけど、それでも気持ちは晴れない・・・。
「それにしても・・・綺麗になったね。男の子に人気があったんじゃない?」
「・・・わかりません。アカデミーは女の子しか通えないところでしたから・・・」
「え・・・そんなのできてたんだ・・・」
「それに・・・よく知らない男の人は・・・怖いんです」
これはまだ治っていないと思う。
やっぱりいい人だってわかるまではダメだ。
でも、変なことじゃないよね?
だって、本当にいい人としか繋がらない。
『まだ修行は続けるんだろ?これからは隠れてじゃなくて、一緒にやろうぜ』
例えば・・・ヴィクターさんとか・・・。
◆
「ルージュ・・・あなたに謝らなければいけないことがあるの」
洗い物が終わると、ステラさんは真面目な顔で話しかけてきた。
「え・・・なんですか?」
謝られるようなことをされた憶えは無い・・・。
「ニルスのこと・・・前は知らないって言ってごめんなさい」
ああ・・・そのことか・・・。
「いえ・・・いいんです。事情はニルス様からもう聞きましたし・・・気にしていません」
「そう?でも夕食の時、ずっとあなたを見ていたけど・・・なにか私に言いたいことがあるような顔をしていたから・・・」
「え・・・」
顔に出てたのかな?
うーん・・・。
「ステラさんが・・・怒らないなら話します・・・」
「怒らないよ、私ルージュのこと大好きだから」
子どもの時から思っていた。
聖女様なだけあって、とても優しくていい人・・・。
「嫌な思いをさせたらごめんなさい・・・」
「謝らなくていいよ」
考えていたこと、すべて打ち明けてみよう。
ステラさんに話すのは違うかもしれないけど、おんなじ女性だからわかってくれるかも・・・。
◆
「どう・・・思いますか?」
「どう・・・うーん・・・」
ステラさんは最後まで優しい相槌で聞いてくれた。
吐き出して少し楽にはなったけど、このあとはどうしたらいいんだろう・・・。
「そうねえ・・・ルージュの気持ちは、恋とは違うんじゃないかな」
「そうなんですか?」
「私のこと、憎くて許せない?」
「いえ・・・そうは思いません」
もしそう思ってたら、わたしは宿に戻っていたかもしれない。
あ・・・そしたら夜はどうやって寝るんだろ・・・。
「でも、嫉妬っていうのは合ってると思う」
「ですが・・・わたしはステラさんの幸せな顔を見たらちょっと違うのかなって・・・」
「ルージュは、ニルスをお兄ちゃんだと思ってるのよ。たぶんニルスも、あなたにそういう感じで接していたんじゃない?」
「あ・・・」
なんだかしっくりする答えだ。
ニルス様の接し方って、わたしと他の女性で違う・・・。
「ん・・・たしかにお風呂に勝手に入ってきたり、わたしの下着をなんとも思ってない感じで洗っておくって言ったり・・・ありました」
「え・・・まあ・・・それはちょっと嫌よね。でも、ルージュも好きな男の人って言うよりは、大好きなお兄ちゃんって感じで見てたんじゃないかな?」
「・・・お兄ちゃん」
「自分にはとっても甘いお兄ちゃんだと思ってたけど、私っていう恋人がいたことだけはなぜか秘密にしていた。そして自分には見せない顔を私にしている。なんか遠く感じて寂しくなっちゃった・・・どう?」
合ってる・・・気がする。
わたしがニルス様に求めていたのは・・・お兄ちゃん?
「じゃあ、わたしの気持ちは・・・恋ですらなかった?」
「それは私にはわからない。あとは自分で考えてみたほうがいいと思うよ。私の考えで納得しようとは思わずに、もう一度あなたの中で整理してみなさい」
すごいな・・・恋敵かもしれないわたしにここまで言ってくれるんだ・・・。
「それに、もし恋だとしてもいいと思う」
「え・・・どうしてですか?」
「私がいいって思ってるからだよ。まあ人にもよるけど、例えば・・・ミランダがニルスに迫っても私は許す」
「え・・・」
理解できない・・・。
もしそれでいいなら、大好きな人を誰かに奪われちゃうかもしれないのに・・・。
「ステラさんに嫉妬とかはないんですか?」
「他の女の子を呪う時間があるなら、自分を見てもらうためにはどうするかを考えた方がいいってこと」
「大人・・・ですね・・・」
「そうかな・・・嫉妬って見苦しいのよ。自分が見てもらえないのを人のせいにするってことだからね」
わたしのほっぺが優しく撫でられた。
やっぱりわたしはこんな女性になりたいな。
とっても素敵だもん・・・。
「ありがとうございます。・・・今日は眠れそうにないかもしれないので考えてみます」
お風呂に入ったら答えが出るまで・・・。
「じゃあ庭園がいいかもね。あそこ静かで夜風が気持ちよさそうだし、考えもまとまると思う」
「ありがとうございます」
「そのかわり・・・今夜はニルスを借りるね」
「・・・はい」
まあいい・・・どうせ眠れなそうだ。
あれ・・・なんか嫌な気持ちがない。
ニルス様とステラさんが二人きりになるっていうのに・・・。
「ステラさんはわたしのお姉ちゃんみたいですね。ミランダさんはやんちゃなお姉ちゃんです」
「そうだね、ルージュが妹なら嬉しいよ。アリシアは・・・あんなんだしね」
「お母さんも優しいですよ」
「・・・そうね」
ステラさんの声が低くなった。
お母さんとなにかあったのかな?
でもこれ以上は踏み込めない。
「ステラさんには聞いちゃダメ」って心が言っていたから・・・。
◆
「ステラ様、儂は帰ります。ニルス殿は風呂焚き場にいますので」
おじいちゃんたちが外から戻ってきた。
話が全部終わったあとでよかった・・・。
「うん、また明日ね。それと、屋敷に守護は張らなくていいよ」
「そういうわけには・・・」
「ニルスがいるもの」
「侵入者がわかる仕掛けと・・・ヴィクターを置いていきます。なにかあれば叫んでください」
おじいちゃんも泊まれば・・・ダメだ、ナツメさんがいるもんね。
「私もいるから心配無いんだけどな・・・ヴィクター、ゆっくり休んでいいからね」
「いや・・・気は張っているようにします」
「じゃあ・・・ルージュがお風呂に行くから、浴室の前に立っててあげなさい」
なんですと・・・。
「だ、大丈夫ですよ!ヴィクターさん、本気にしないでくださいね」
「当たり前だろ・・・」
「じゃあ・・・先にいただきます・・・」
早く入っちゃお・・・。
◆
「うーん、たしかに風が気持ちいいな・・・」
お風呂を出て、すぐ庭園に来てみた。
宿の窓から吹き込んでくるのも気持ちいいけど、今日は全身で感じるから違うんだろうな。
・・・半月で少しだけ明るい。
ヴィクターさんと一緒に話した東屋・・・。
夜の虫とカエルの鳴き声が、心に空いた穴を埋めていく・・・。
◆
涼みながら風を浴びていた。
髪の毛も乾いてきたし、そろそろ・・・。
「あ・・・」
見上げると、ニルス様とステラさんのいる部屋の明かりが消えていた。
もう休んだのかな?
まあいい、ちゃんと考えてみよう・・・。
「お兄ちゃん・・・か」
わたしがニルス様のお嫁さんになりたいって思ったのはどうしてなんだろう・・・。
かっこいいから?
助けてくれたから?
・・・どっちも?
『かっこよくって、背も高くて、そんなお兄ちゃんと手を繋いで歩きたいの。そうなったら、わたし幸せだと思う』
夜風の中、幼い頃の記憶が顔を出した。
あ・・・そうだ。わたしは最初、お兄ちゃんが欲しかったんだ・・・。
『きっとルージュのことを世界で一番大切にしてくれるだろうな』
『一番・・・うん、嬉しい。お兄ちゃんはお母さんみたいに強い?』
『ああ、世界で一番強い男だ』
『髪の毛は?』
『もちろん私たちと同じ色だな』
たしか・・・お母さんと話した。
無理なのがわかって、お母さんも寂しい顔をするから口には出さなくなっていったんだっけ・・・。
今考えると、お母さんはニルス様のことをあの時知ってたんだよね?
不思議な気持ち・・・。
『言ってなかったけど、この子はオレの妹なんだ。普通は家族を信じる』
思い描いていたお兄ちゃんが現れた時、とっても嬉しかった。
だけど、本当のお兄ちゃんじゃないこともちゃんとわかってた・・・。
『あのね・・・わたしね・・・そのお兄ちゃんのお嫁さんになりたい・・・』
・・・そっか、だからお嫁さんだったのかな。
そしたら、大好きなお兄ちゃんと一緒にいられるもんね・・・。
「なんだ・・・そっか・・・あはは」
引っかかりが全部取れて、すごくいい気持ちになってきた。
だって今は一緒にいてくれてるもんね。
あれ?そしたら・・・恋ってどんな気持ちなんだろう・・・。
「あ・・・なんだお前か」
「ひゃあ!!」
突然話しかけられて大声を出してしまった。
でも・・・聞いたことある声だ。
「なんだよ・・・夜中に一人で何やってんだ?」
「あ・・・ヴィクターさん」
恥ずかしい・・・。
ひとり言、聞かれてたかな?
「あの・・・考え事です。・・・ヴィクターさんこそ何してたんですか?」
「鍛錬だ・・・なんか急に目が覚めたんだよ」
「そうだったんですね・・・」
夜中に起きたから鍛錬・・・すごいなあ。わたしならもう一度眠ろうとする。強くなるための真剣さは、わたしよりもヴィクターさんの方がずっと上だ。
「・・・そういやお前、シロとは友達なんだろ?前に話した時・・・ふふ、変な反応だったな」
ヴィクターさんは優しく微笑んだ。
そうだった・・・。
「家族でもあるんです。すみません・・・それも隠してました」
「気にしなくていいよ。別に怒ってないしさ」
「あ・・・はい・・・」
なんだろう・・・この人といると安らぐ気がする。
だから・・・聞いてほしいな・・・。
「あの・・・まだ起きてますよね?」
「え・・・まあ、まだなんにもしてないからな」
「一緒にお話ししませんか?」
「え・・・」
どうだろう・・・無理にとは言わないけど・・・。
「考えたこと、聞いてほしいんです。あの・・・どうぞ」
「・・・」
ヴィクターさんは隣に座ってくれた。
・・・嬉しいな。
◆
「ニルスさんはお兄ちゃんか・・・」
ヴィクターさんは静かに聞いてくれた。
「はい、それで気持ちが晴れたんです」
嬉しかったけど、迷惑じゃなかったかな・・・。
「なにか・・・思ったりしました?」
「別に・・・それでいいんじゃないかな」
「そうですか・・・」
「・・・」
ヴィクターさんは星空を見上げた。
・・・わたしも一緒がいいな。
◆
「・・・お前、男が苦手なんだってな。・・・シロから聞いてた」
「ヴィクターさんこそ、女の子が苦手だっておじいちゃんが言ってましたよ」
二人で星を見ながら話した。
ふふ、なのにわたしたちはこうやって近くでお喋りできるようになってる。
「まあ・・・ふた月も顔を合わせてたし、それに・・・ルージュは特別だよ」
「わたしもヴィクターさんは特別です」
「あはは」
「ふふ」
二人で笑い合った。
なんだか素敵な気持ちだ。
そして気になる・・・どんな顔で笑っているんだろう?
「あ・・・それと一緒のわたしも持ってますよ」
わたしは首から輝石を取り出した。
顔を見ようと思ったけど、そっちも気になる。
「赤・・・どの精霊のだ?」
「イナズマさんです。ヴィクターさんのは、光ってはいますけど色がありませんね」
「別にいいんだよ。これは騎士のしるし・・・父上が女神様から授かったもので、ヴィクターを受け継いだ時に一緒に貰ったんだ」
精霊じゃないから色が無いのかな?
でもそれを付けてるなら・・・。
「わたしたちは仲良しってことですね」
「え・・・」
「シロと仲良しの子はこれと同じのを付けてますから」
「ああ・・・そういや言ってたな」
ヴィクターさんは鼻で笑った。
うーん・・・子どもっぽいって思われたかな?
「あのさ・・・これから一緒にいることになるだろ?」
ヴィクターさんが騎士のしるしを服の中にしまった。
・・・わたしの話は流されてしまったみたいだ。
「そうですね」
「なら・・・さんは付けなくていい。それに敬語もいらない」
「え・・・」
それ、仲良しってことだよね?
流されてなかったんだ・・・。
「ヴィクター・・・そう呼んでくれ」
「じゃあ、わたしのこともお前じゃなくてルージュって呼んで・・・ヴィクター」
「ありがとう・・・ルージュ」
ん・・・なんだろ、ドキドキする。
ただ名前を呼ばれただけなのに・・・。
「鍛錬しようかと思ったけど、気分じゃなくなったな。ルージュ・・・少し散歩に行かないか?」
「行きます・・・今日は眠れなさそうなので」
お話も聞いてもらって仲良しにもなれたし、なによりわたしもそうしたい。
「あはは、また敬語に戻ったな」
「む・・・すぐに直しますよ。あ・・・ふふ」
また二人で笑い合った。
何気ない会話なのに近付いている気がする・・・。
◆
「あ・・・ステラ様から離れて大丈夫だったかな・・・」
「ニルス様がそばにいるから大丈夫だよ」
「・・・そうだな」
わたしたちは庭園を出て歩き始めた。
夜道と星空が遠く続いている。
少しだけ潮風が香る中、歩いているのはわたしとヴィクターだけ・・・。
「テーゼより静かだろ?」
「うん、わたしはこっちの方が好きかも」
「こんな田舎道が?」
「うん、なんだか夜に溶けていく感じがするんだ」
わたしの中で、よくわからない感情が生まれた気がした。
友達なのに・・・ちょっと違う気がする。
また答えを探さないといけないのかな・・・。
「ルージュが溶けたら・・・やだな」
「じゃあ・・・手を繋いで歩こうよ」
「・・・」
ヴィクターはわたしの出した手を少し震えながら繫いでくれた。
ここまでやってもこの人は平気だ。
男の人か・・・。
『男はそんなに恐くないのよ』
そうだ・・・オーゼさんから教えてもらったことを色々試してみよう。
「おい・・・なにしてんだ?」
わたしはヴィクターの腕を抱いてくっついてみた。
まだ大きくはないけど、胸を当てればいいんだよね・・・。
「こうすると男の人は喜ぶって・・・ねえ、そうなの?」
「・・・」
なんか震えてる?
「寒いの?」
「別に・・・そんなにくっつかないでくれ」
「やだ、もっと試す」
わたしたちの声が夜空に吸い込まれていくみたい。
この夜のことはずっと憶えていたいな・・・。
わたしに生まれたよくわからない感情・・・。
気になるけど、これは悩むようなことじゃないと思う。
だって、なんだか幸せだから・・・。




