第百七十七話 条件【ヴィクター】
ルージュ・・・ルージュ・・・。
ルーンは、ニルスさんの妹のルージュ・・・。
赤毛が外されてステラ様と同じ髪色になり、涼しい風が彼女の髪をなびかせた時、俺はまた胸を押さえていた。
なんか苦しい・・・。
戦っていた時よりも心臓が高鳴っていて、こうしていないとみんなに知られてしまうんじゃないかと思った。
そして、小さくなったニルスさんがルーン・・・いや、ルージュの首筋から顔を出すとまた別の衝撃が胸を打った。
目の前で何が起こっているのか・・・頭の中がどうにかなりそうだ。
ステラ様もきのう目覚めたばかりだってのに・・・。
◆
「実はな・・・ステラ様が目覚める準備ができたんじゃ」
父上がおかしなことを言いだした。
・・・何言ってんだ?もう目覚めてるじゃないか。俺は今朝も挨拶をしに行ったぞ・・・。
なんなんだよ・・・まず落ち着かなきゃいけないのに・・・。
「ステラさん・・・もう大丈夫ってことですか?」
ルージュが父上に近付いた。
そういや知ってるんだったな・・・。
「・・・一歩手前じゃな。目覚めには条件がある。それにはニルス殿の協力が必要じゃ」
「・・・」
ニルスさんは俯いて黙っていた。
俺と同じで、けっこう衝撃を受けたんだろうな。
こんな形じゃなければもっといい顔してたはずだ。
「ニルス様の協力ってなんですか?」
「ルージュ殿には・・・まだ早いかもしれんのう」
「そうなんですか?でも、ステラさんが起きたら嬉しいです。また会いたいってずっと思ってました」
ルージュは黙っている俺たちと違って明るい。
なんか・・・今の俺、情けなくねーか?
「父上・・・ちょっと来てください。二人は・・・待っていてください」
状況を知って冷静にならないといけない。
まずは、どういうことなのかを説明してもらう。
もうじき八十になる人だけど、物忘れは今まで無かったからな・・・。
◆
「何を言ってるんですか?ステラ様はもう・・・いや、他にもあります。あのニルスさんは何なんですか?そうだ・・・なぜルージュのことを黙っていたんですか?」
庭園の奥まで父上を引っ張ってきた。
全部答えてもらわないと・・・。
「お前に話すわけにはいかなかったんじゃ」
「意味がわかりません!あれがルージュだって知っていたら・・・」
「まあ落ち着け。ルージュ殿を認めたのならお前にも教えられる。きのう・・・」
父上が話し始めた。
認めるのと何が関係あるんだよ・・・。
◆
「すべてルージュ殿とステラ様のためじゃ」
事情を全部聞かせてもらった。
熱くなっていた気持ちが少しずつ冷めていく・・・。
「たしかに・・・今回以上に手を抜いたかもしれません」
「そうじゃろ?ルージュ殿の修行にならなくては困るからのう」
「でも、ふた月もここでのんびりしてることないじゃないですか。ニルスさんの身体は・・・」
「精霊たちも協力している。儂らが心配せずとも問題ないじゃろう」
なんでそんな軽いんだよ。
一緒に戦った仲間だろうが・・・。
「あの、今さらですけど・・・俺がルージュに風神の話をした時、雷神の息子で・・・とか言っちゃってたらどうする気だったんですか?たしか釘を刺しに来ましたよね?」
思い出して恐くなった。
もちろん喋るつもりは無かったけど、危なかったんじゃないのか?
「・・・だから近くにいたんじゃ。なにか理由を付けて、ぶん殴って止めるつもりでいた」
そう・・・毎回盗み聞きしてたのはそのためだったのか・・・。
「とりあえずわかりました・・・。ステラ様のことは父上に合わせればいいんですね?」
「そうじゃな。黙って見ていればいい」
今の騎士は俺なのに・・・。
仕方のないことだけど、ステラ様は俺よりも父上を信頼している。
・・・もっと強くならなければいけない。
さっきも予想外の出来事に思考が止まって動けなくなった。
自分が許せなくなる・・・。
「二人の所に戻るぞ。・・・ルージュ殿はお前に気を許しているようじゃな」
父上がからかうような顔をしてきた。
「な、何の話ですか・・・」
「苦手だと言っていたおなごに抱きつかれていたのう。温もりと感触はどうじゃった?」
「憶えていません・・・」
これは本当だ。
でも・・・体中に寒気があったことだけは憶えている。
◆
兄妹の所に戻ってきた。
「ニルス様・・・あんまり嬉しくないんですか?ずっと眠っていたステラさんがやっと起きるんですよ。大切な仲間だって・・・」
「・・・そういうわけじゃない」
ニルスさんの心の中は複雑そうだ。
俺は黙って見てるしかできないな・・・。
「ニルス殿、説明してもよろしいか?」
「・・・はい」
父上はなにをする気なんだろう?
このままステラ様の部屋に連れて行けばいいだけだと思うけど。
「女神様から伝えられていたことがある。目覚めが近付けば、儂だけがわかると・・・」
「そうなんですか・・・」
「本当じゃった。気付いたのはきのうの夜」
「わあ、さすが騎士ですね」
ルージュが父上に微笑んだ。
今の騎士は俺・・・。
「そして、その時が来たら・・・あることをすれば目覚めると」
「あること・・・なんでもします」
「愛する者からの口づけ・・・それでステラ様は目覚める」
なるほど・・・そういう話し合いをしてたわけね。
「愛する・・・ステラさんとニルス様が・・・」
ルージュは途端に寂しい顔になった。
え・・・まさか、二人の関係はなにも聞いてなかったのか?
「お前知らなかったのか?ニルスさんとステラ様は恋人だ」
「・・・そう・・・だったんですか・・・」
「・・・知ってるもんだと思ってたよ」
「いえ・・・そういう話は一度も・・・」
ルージュの目がまた潤んでいた。
なんでこんな顔するんだ・・・。
それに、どうして隠してたんだよ・・・。
「ニルス様・・・」
「・・・ヴィクターの言った通りだ。・・・ルージュ、神鳥の果実と着替えを出してくれ」
「え・・・いいん・・・ですか?数に限りが・・・」
「・・・出してくれ」
「・・・はい」
ルージュは少しだけ手を震わせながら小さな実を取り出した。
なんか見てられないやり取りだ。
ルージュは今どんな気持ちなんだろう・・・。
「ニルス殿、着替えはうちでやろう」
「・・・わかりました。ルージュ、ヴィクターと一緒に待っていてくれ」
二人は暗い顔のルージュと俺を残して門の外へ向かった。
何する気だよ・・・どうしろってんだよ・・・。
◆
父上たちの姿が見えなくなった。
「ヴィクターさんは・・・知ってたんですよね・・・」
ルージュは地面を見つめたまま胸を押さえていた。
・・・嘘はつけないな。
「・・・まあな、なにか思う所があるのか?」
「・・・よくわからないんです。・・・昔はニルス様のお嫁さんになりたいとは・・・思っていました」
そういうことか、だからみんな教えなかった。
それがなんで俺に回ってくんだよ・・・。
ていうか、まだ二人は兄妹だってことも言ってないんだろ?
・・・隠し事ばっかすんなよ。それで傷付いてるのは・・・ルージュじゃないか。
「・・・ニルス様と一緒にいるうちに自分の気持ちがわからなくなってきたんです」
ルージュはぽつんと言った。
なんだろう、わかってあげたい・・・。
「・・・わたし、ニルス様のこと大好きなんです。・・・でも、一緒にいるうちに、なんかお嫁さんっていうのとは違うなって・・・」
「・・・座るか。聞いててやる。考えをまとめるなら今のうちにやっておくといい」
俺は屋敷の壁にもたれかかって腰を下ろした。
「・・・」
ルージュは隣に座ってくれた。
・・・話してくれるんだな。
「・・・あの、今から話すことは誰にも言わないでください」
「心配するな。・・・あの人も隠してること多そうだ。だから、これからの話は俺とお前だけのものにする」
仕方のないこともある。
それに元凶はニルスさんじゃなくて、この事態を引き起こした奴だ。
「わたし・・・まだ一人で寝れないんです。安心できる人が一緒じゃないと怖くて・・・。ニルス様は憎まれ口を言いながら一緒に寝てくれるんです」
ルージュはずっと俯いている。
一人で寝れないか・・・そういう奴もいるんだな。
「二人でいた時は、急にお風呂に入ってきたこともあったんです」
「・・・覗きにか?」
「・・・石鹸が無かったからって、平気な顔で言うんです。そういうのが何度かあって・・・なんだかこの人と恋人とか・・・そういうのは違うなって思ってきてたんです」
間違ってはいない。ニルスさんはルージュを可愛い妹としてしか見てないわけだから普通だ。
別に着替えていようと、風呂に入っていようと、一緒のベッドで寝ていようと、家族だから変な気を起こすことは無いだろうしな。
あ・・・じゃあ宿はあのニルスさんと一緒だったのか。
それなら・・・なんもあるはずなかったか。
「だから・・・別にステラさんと恋人だったからって・・・気にしないのに・・・」
「じゃあ・・・なんで寂しそうな顔してんだ?」
「・・・勘違いかもしれないんですが、ニルス様はわたしを一番大切に思ってくれている・・・そんな気がしてたんです」
それも間違ってない。
ステラ様へのものとは種類が違うけどな。
「なのに・・・隠し事をされていたっていうのが・・・引っかかったんだと思います・・・」
「誰にだってあるだろ?お前も自分の正体を俺に隠してた」
「あ・・・やっぱり嫌でしたか?」
「・・・驚いたけど、嫌ではなかったよ」
後ろ向きな感情は湧かなかった。
父上にはイラついたけど、ルージュにはそんなこと思ってない。
「・・・しばらくはここにいるのか?」
「・・・わかりません。ニルス様が決めますから・・・」
「力になれるかはわかんないけどさ、なんかもやもやしたらここに来いよ。体を動かせば気も晴れるだろ?」
自分から女の子を誘った。
なんでこんなことを言ったのか・・・俺はどうしてしまったのか。
「嬉しいです・・・ヴィクターさんといるとなんだか安らぐ気がします」
「まだ修行は続けるんだろ?これからは隠れてじゃなくて、一緒にやろうぜ」
「え・・・はい、ありがとうございます」
ルージュの笑顔を見た瞬間、疑問が吹き飛んだ気がした。
・・・これって、そういうことなのかな。
◆
「待たせた」
ニルスさんと父上が戻ってきた。
記憶にある憧れた姿だ。
次から次に・・・わからないことだらけ、俺もルージュと同じだな。
「元に・・・戻ったんですか?」
「さっきの実で一時的にだけどな」
あれを食うと元に戻れるのか?
・・・なんの実だよ?
「やっぱりその姿の方がいいですね」
ルージュはさっきの暗い顔を隠し、笑って見せた。
本当の所は、たぶん俺しか知らない・・・。
「オレもそう思うよ。でも、ルージュも強くなったな。あそこまでできるとは思わなかったよ」
ニルスさんは手を伸ばし、妹の頭を優しく撫でた。
「えへへ・・・ありがとうございます」
ルージュは褒められて幸せそうな顔をしている。
まあ・・・兄妹だしな・・・。
「ヴィクター、黙っていてすまなかった。許してくれ」
「いえ・・・俺は・・・」
なにも言えなくなった。
ルージュのことで注意しようと思ってたのに・・・さっきまでと全然雰囲気が違う。
「ルージュ、クロガネを」
「あ・・・はい」
ルージュが自分の剣をニルスさんに渡した。
「ありがとうルージュ。・・・ヴィクター、持て」
ニルスさんは、受け取った剣を俺の前に出した。
・・・持て?
「え・・・あの・・・」
「これは君のために打ったものだ。ルージュの修行のために使わせていたけど・・・受け取ってほしい」
「俺の・・・」
妙だとは思っていた。
ルージュの体に合わない大きすぎる剣、そんなものを使わせる師匠・・・。
そういうことだったのか。
「名前は守護の剣クロガネ。君ならルージュよりもうまく扱えるはずだ」
「あ・・・ありがとうございます!!」
自分のためにあるような・・・あの感覚は間違っていなかった。
これは、俺のための剣・・・。
「あの・・・手袋はしてましたけど、持ち手とかにわたしの汗が染みてるかもしれないので・・・あとでちゃんと綺麗にします・・・」
ルージュが恥ずかしそうにクロガネを撫でた。
なんだと・・・。
「いや、手入れは自分でやるよ」
このままの方がいい。
このふた月、ずっとルージュが使ってた・・・。
「ん?君を・・・守る力・・・。これは?」
クロガネには言葉が刻まれていた。
前に見せてもらった時には気付かなかったな。
「師匠の影響だけど、オレも大切な作品には言葉を入れている。君はステラのこと、守る力はヴィクターのことだ」
「俺とステラ様・・・」
「・・・かっこいいだろ?」
「はい!」
嬉しい・・・舞い上がってしまいそうだ。
いいな・・・綺麗な刃、ずっと見てられる。
「ヴィクター、オレはこれから聖女に会う。当代の騎士に認めてもらう必要はあるか?」
ニルスさんが腰の剣に手をかけた。
あるわけがない、あったとしても後回しだ。
「いえ、少しでも早くステラ様の元へ」
「・・・ありがとう」
たぶん・・・いや、絶対に勝てない。
見ただけでわかる・・・。
「ですが、時間があれば・・・教えていただきたいです」
「約束は憶えてるよ。でも・・・このあとでだな」
「ニルス様、わたしも・・・」
「二人一緒に見てやろう」
よし・・・今のニルスさんに教えてもらえる。
俺の鼓動は、ルージュの笑顔を見た時と同じくらい高鳴っていた。
これは・・・押さえなくてもいいな。




