第百六十三話 異変【ルージュ】
ニルス様は体をよじらせて苦しんでいる。
・・・これは演技とかじゃない。
早く・・・早く運ばなければ・・・。
本当に危ない時に助けてくれた人・・・。
今度はわたしが・・・。
◆
「うう・・・ああ・・・」
「大丈夫ですよ。・・・んん!はあ・・・」
鍛えてきたおかげで、なんとかベッドまで運ぶことができた。
本当になんとかだったけど・・・。
「どうしよう・・・やっぱり病気なのかな・・・」
「はあ・・・はあ・・・」
すごい汗・・・。
今回も前回も魔法を使ったらこうなった。
ニルス様の体はいったいどうなってるの・・・。
「ん・・・うう・・・」
病気だとしたら治癒では治らない。
・・・お医者さんに連れてって薬を貰わないとダメだ。
でも、近くに診療所なんてないよ・・・。
「え・・・」
「・・・」
急にうめき声が消えた。
「ニルス様!どうしたんですか!」
「・・・」
静かだ・・・嘘・・・。
わたしはニルス様の胸に耳を当てた。
・・・大丈夫だ、鼓動は聞こえる。
「・・・はあ、落ち着いたんだ・・・」
「・・・」
ニルス様は静かに眠っている。
ほんとによかった・・・。
「お兄ちゃん・・・」
安心したと同時に、勝手に口から出てきた。
もう名前も知ってるのに変だな・・・。
あ・・・そうだ、すごい汗をかいてた。
体を拭いて下着とかも取り換えてあげよう。
「・・・ニルス様、ちょっと待っててくださいね」
わたしは静かに部屋を出た。
水・・・よりはお湯の方がいいよね。
◆
でも、またああなった時にどうしたらいいんだろう・・・。
お湯が沸くのを待っていると、不安が浮かんできた。
ミランダさんもハリスさんも、このことは何も言っていなかった。
二人も知らない?どうなんだろう・・・。
「・・・そうだ、聞いてみればいいんだ」
ハリスさんならベルを鳴らせばすぐに来てくれるはず。
物知りみたいだし、きっといい知恵をくれる。
というか、さっきも焦ってないでそうすればよかった・・・。
◆
わたしはベルを探した。
けど・・・。
「どこにあるんだろう・・・」
見つからない。
炊事場、お母さんとお父さんの寝室、物置き部屋・・・。
どこにも無い・・・。
「うーん・・・困ったな・・・あれ?」
疑問が浮かんだ。
よく考えたら、あれをしまったり隠したりってしないよね?
つまり、ニルス様の部屋か自分で持っている?
・・・うん、それしか考えられない。
それに探すのに夢中で体を拭いてあげるのも忘れていた。
一度、ニルス様の部屋に戻ろう。
◆
「あれ・・・」
部屋に入ると、ニルス様の姿が無かった。
ついさっきまで眠ってたはずなのに・・・。
「・・・どういうこと?」
さっきは膨らんでいた毛布が潰れている。
それに、起きたならわたしに声をかけてくれるはず・・・。
「やっぱり・・・いないよね」
一応毛布を捲ってみた。
中には、ニルス様がさっき着ていた服だけが残されている。
「・・・気持ち悪くて体を流しに行った?」
いや・・・おかしい、だって下着まである。
それにオーゼという精霊さんから授かった青く光る輝石・・・これも外すのは変だ。
ミランダさんならともかく、ニルス様はたとえ家の中であっても丸裸で動いたりしない。
着替えたとしても、ベッドの上でする人じゃないし・・・。
「なにが・・・」
わたしは、なんとなくそこにある服を調べた。
「あ・・・ベルはポケットに入れてたのか・・・」
探し物が見つかった。
だけど、ニルス様はどこに行ったんだろう?
「え・・・」
上着を持ち上げた時、人形のようなものが落ちた。
「ニルス様が・・・服の中に人形?」
ベッドに落ちた人形はうつ伏せだ。
丸裸・・・わたしのじゃない・・・。
でも・・・見覚えがある。
「まさか・・・」
ゆっくりと人形に顔を近付けた。
髪の毛・・・綺麗なプラチナ。
右腕の傷痕・・・ミランダさんに治してもらったものだって・・・。
「ニルス様・・・」
心臓の音が勝手に大きくなっていく。
「うそ・・・そんなこと・・・」
わたしは人形らしきものをひっくり返した。
本の物語では、こういうことがあったりする。
悪い魔法使いの呪い、神様からの罰、怪しい薬・・・でもそれはあくまで作り話で、これは現実・・・。
「なんで・・・縮んでるの・・・」
人形じゃない・・・ニルス様が小さくなってしまっていた。
わたしの手の平と同じくらいの大きさ、目は閉じているけどほんのりと温かい・・・。
「え、え、え・・・」
わたしの手は自然と頭を抱えていた。
髪の毛がぐしゃぐしゃになりそうだ・・・。
「うう・・・」
「は・・・」
ニルス様が、ベッドの上で寝返りをうっていた。
間違いない・・・。
「と、とりあえず起こさないと・・・きゃっ」
縮んだのは体だけで、服はそのままだ。
今のニルス様は裸・・・。
だ、大丈夫・・・。
シロのだってお風呂で見てたし・・・触らせてもらったこともあるし・・・。
でも・・・ちょっと違う気がする・・・。
「あ・・・す、すみません・・・見ちゃいました・・・」
そうだ・・・薬箱に包帯があった。
あれを巻きつけよう・・・。
◆
「ニルス様・・・ニルス様・・・」
包帯をひと巻きして、指で揺らしてみた。
感触は・・・人間って感じだ。
でも起きたとして、なんて説明したらいいんだろう?
わたしだってわかんないし、見たまんま言えばいいかな?
「ん・・・大丈夫だ・・・楽になってきた」
あ・・・口が動いた。
まさかね・・・なんて気持ちが少しはあったけど、もう目の前で起こっていることを受け入れるしかない。
「あの・・・大変です。体が・・・」
「ああ・・・悪かった。ケガを治してなかったな・・・」
ニルス様は、目を開けて起き上がった。
うん、動いてるから間違いないんだな・・・。
「ここは・・・どこだ?ルージュが大きい・・・」
ニルス様が部屋の中を見渡した。
・・・わかってない?
そうか・・・ニルス様もこうなるなんて知るはずないもんね・・・。
「あの、ここはニルス様の部屋です」
「オレの・・・なんか変なんだ。ルージュが・・・部屋もとても大きく見える」
「違います、ニルス様が小さくなっちゃったんです」
「・・・」
ニルス様は自分の体と、わたしと、部屋の中を何度も繰り返し見ている。
・・・とりあえず待ってよう。
◆
「・・・夢か」
ニルス様は倒れ込んで目を閉じた。
・・・受け入れられなかったのか。
「あの・・・夢じゃないです・・・。わたし、どうしたらいいか・・・」
「・・・現実感の強い夢はたまに見るんだ」
うつ伏せになって顔まで隠された。
「そんなはずはない・・・絶対に違う・・・こんなバカなことが・・・」
「あの・・・ニルス様・・・」
「嘘だ・・・嘘だ・・・」
困り果ててる姿を初めて見た。
あれ・・・これって、わたしが冷静にならないとダメだよね?
そうだよ、師匠を支えなきゃ!
「ニルス様!」
わたしはニルス様をつまみ上げて手の上に乗せた。
まずは落ち着いてもらおう。
「わたしにもよくわかりませんけど、気持ちを強く持ってください」
「ルージュ・・・オレに何をした?」
「なにもしてません。気付いたらこうなってたんです」
「ベッドに戻せ。早く起きなければ・・・こんな体じゃ守れない・・・」
いつもあんなに余裕なのに、こんなに取り乱すのか・・・。
「落ち着いてください。痛むところとか、変なところはありますか?」
「・・・」
「答えてください!」
「・・・無い」
泣きそうになってる・・・かわいい。
いや・・・違う。いつもみたいに冷静になってもらわないと。
「えっと、ベッドまでわたしが運んだことは憶えていますか?」
「ああ・・・憶えてるよ。ありがとうルージュ・・・」
「見たものを全部話します」
まずは状況を整理しないといけない。
話してるうちに落ち着いてくれるはずだ。
◆
「現実か・・・」
「そうです・・・なにもわかりません」
「冗談だろ・・・」
ニルス様は落ち着いてくれなかった。
「あの、わたしはどうしたら・・・」
「え・・・ああ・・・」
絶望・・・そんな顔だ。
なにかできることはないかな・・・。
「ニルスさーん」
外から馬車の音と行商さんの声が聞こえた。
ああ・・・女神様が助けを出してくれたんだ・・・。
「あの・・・わたし出てきます」
「待て・・・オレも連れていってくれ・・・」
「え・・・は、はい」
わたしはニルス様を肩に乗せて、襟の内側に隠した。
まず話をしてから見てもらおうと思ったけど、先でもいいのかな?
「んあ・・・ちょっとニルス様・・・」
小さな手に首筋を撫でられた。
「変な声を出すな・・・」
「そんな勝手なことを・・・」
首筋なんて普段誰にも触られない場所なんだから、しがみつかれたらこうなるよ・・・。
◆
「ルージュさんこんにちは」
行商さんはいつも通りの笑顔で待っていた。
どう切り出そう?
「こ、こんにちは」
「ニルスさんは?工房?」
「あの・・・えっと・・・」
ここで説明していいのかな?
「・・・中に入ってもらえ」
「ひゃっ」
耳元で声・・・変な感じだ。
「あの、中で話します。・・・どうぞ」
「え・・・そう・・・」
「座ってください」
「長居するつもりはないんだけどな・・・」
行商さんは、怪しんでいたけど中に入ってくれた。
悪いことをしてるわけじゃないのに緊張する・・・。
「ニルス様・・・話していいんですよね?」
「オレが説明するからテーブルに乗せてくれ」
「はい・・・」
あとは・・・知らない・・・。
◆
「え・・・」
行商さんはニルス様を見て固まった。
「こんにちは・・・」
「・・・」
自分で説明するって言ったんだから任せよう。
◆
「・・・」
「・・・」
沈黙が続いていた。
「・・・」
「・・・」
耐えきれない時間だ。
早くどっちか話してよ・・・。
いや・・・もうわたしが・・・。
◆
「こういうのは聞いたことないですね・・・」
わたしはさっき起こったことを説明した。
冷静に話したことと、証拠があるわけだから信じてくれたみたいだ。
「病気なのか呪いなのか、それもわからないんです」
「原因は本当にわからないんですか?」
「そうだ・・・。あ・・・精霊に聞けばわかるかも・・・」
ニルス様が窓の外を見た。
そうか、イナズマさんが来てくれれば・・・。
「とりあえず・・・これ、ルージュさんのです」
行商さんが手袋を取り出した。
「わたしの・・・」
フラニーさんに頼んでくれたって言っていたものだ。
今渡されても・・・。
「今日は・・・特にお伝えすることは無いんです。・・・食材は見ますか?」
行商さんは、顔を引きつらせて立ち上がった。
早くこの場を去りたいって感じだ。
「待て・・・オレからはある。耳元で話すから肩に乗せてくれ」
「ニルスさん・・・」
溜め息つかれてる。
そりゃそうだよね・・・。
「・・・わかりました」
ニルス様が何か言うと行商さんの顔が変わった。
「えっと・・・あれですね?」
行商さんが入り口の横にあった籠から何かを取り出した。
なんでわたしに聞こえないようにするんだろ・・・。
◆
「食材は置いていきますね」
行商さんは急いで荷物を降ろすと、すぐに出発した。
一気に変わったな・・・。
「・・・何を話したんですか?」
「あの人は情報屋に知り合いがいる。きのう森にいた男のことを調べてもらうように頼んだ。囚われの人がいるかもしれないんだろ?」
「あ・・・そういうことでしたか」
じゃあ、さっき籠から取ったのは納税証明か。
・・・ん?それならわたしに聞こえても別にいいんじゃ・・・いや、気を遣ってくれたんだね。
「それよりもハリスを呼んでくれ」
「あ、はい」
そうだ、なんにしてもこの状況を伝えないといけない。
やらないといけないことが重なると忘れちゃうな・・・。
◆
ベルを鳴らして、しばらく経った。
でも・・・。
「遅いですね・・・」
ハリスさんはまだ来ない。
この状況でただ待つのはしんどいな・・・。
「・・・ミランダを拾ってくるのかもしれない」
ニルス様がいつも通りの感じで答えてくれた。
すごいな、ちっちゃいのにもう冷静になってる。
「じゃあ、もうすぐ来ますね」
「・・・この恰好は落ち着かないな」
ニルス様が、体に巻き付いた包帯を伸ばしている。
そっちを気にする余裕も出てきたみたいだ。
「すみません・・・それしか思い浮かばな・・・あっ!」
「なんだ?」
「ちょっと待ってくださいね」
わたしは裁縫箱を取り出した。
今の大きさなら・・・。
◆
「・・・ちゃんと着れる。でもこれは女物だ・・・」
「我慢してくださいよ・・・まだニルス様の服は途中だったんですから。でも・・・お城のメイドさん似合ってますよ?」
人形のために作ったものが、そのままニルス様の服になった。
嬉しいな、着せ替えできるならたくさん作ろう。
「あの、こっちも着てみてくださいよ」
わたしは、ルルさんのお店の女給さんの服を取り出して見せた。
たぶん着れるはずだ。
「・・・ふざけているのか?」
「いえ・・・ふざけては・・・」
着れるなら・・・見たい・・・。
「ちゃんとしたのは無いのか?たくさん入ってたし・・・一着くらい男物があるだろ・・・」
「ああ・・・女の子の衣装はたくさんあるんですけど、男の子のは全部置いてきたんです。シロの服もあったんですけどね・・・」
捕まえた・・・。
「なんだ・・・やめろ・・・」
「お着替えしてみましょうね。あ・・・そうだ、下着もいくつか作らないと・・・それに、ちゃんと寸法を測りましょうねー」
楽しい・・・。
◆
「バカ者が・・・」
ニルス様がふてくされてしまった。
でも、着替えてはくれたんだよね。
「すみません、調子に乗りました」
「・・・」
怒ってるけど全然恐くない。
治まった頃にまた着替えさせてもらおう。
「非常事態なんだぞ」
「う・・・そうでした」
でも、女給さんの恰好・・・。
「なにを見てる・・・はあ、もう好きにすればいい」
「すみません・・・」
・・・切り替えないと。
ニルス様がすぐ冷静になってくれたから薄れていたけど、この状態は危ない。
もし、今敵が来たらわたしだけじゃ対応できないもんね・・・。
あ・・・だからニルス様は、焦りを押し込んで冷静になるしかなかったんだ。
「・・・気を引き締めます」
「そうだ、今のオレは戦えない。ハリスが来るまでは緊張感を持っていろ」
その通りだよね。ニルス様が約束させたと言ってたけど、きのうの男が仲間を連れてまた来るかもしれない。
次は・・・最初から戦う。
「剣はどっちも持っておけ」
「はい!」
胎動の剣は腰に、聖戦の剣は背負った。
準備はできたけど・・・早くハリスさんに来てほしい・・・。
・・・でも気になる。
ニルス様は、女給さんのままでいいのかな?




