第百六十二話 虫唾【ニルス】
雨が降ってきたな・・・。
風は・・・少し強い。
濡れてたらかわいそうだし、迎えに行ってやるか。
体も冷えてるかな?
・・・戻ったら風呂を沸かしてあげないと。
◆
「・・・カク?」
久しぶりにマントを被り、森に入った所で遠吠えが聞こえた。
・・・なにかあったのか?
「急ぐか・・・」
足を滑らせた?
それとも強い魔物が出たのか・・・。
『ニルス君・・・もっと速く・・・』
聖戦の剣から声を感じた。
・・・父さん?
・・・胸騒ぎがする。
オレの足は少しずつ速くなっていった。
◆
「させるかあああああ!!!!!!」
突然体が固まった。
・・・ルージュ?
近くで雨宿りをしていた鳥たちが一斉に飛び立ち、離れた木へと移り出した。
森中に響く声・・・ずっと奥の方だ。
今のは叫びの力・・・。
なにか起こっているのは間違いない。
なにが「守る」だよ・・・。
ここは安全だと気を緩め過ぎた・・・。
◆
「はあ・・・はあ・・・あのガキ、絶対に許さねえ」
向かう道から、男が悪態をつきながら走ってきた。
誰だ?それに・・・「ガキ」?
カクが呼んだのは・・・あいつのせいか。
「許さないってのは誰のことだ?」
オレはマントの帽子を深く被り、走ってくる男に声をかけた。
腕から血が出て・・・いや、切り落とされている・・・。
「なんだ・・・ああ・・・もう一人ってお前か・・・」
男は治癒をかけながら止まった。
・・・もう一人?
「合流できるのは二日後って聞いてたぞ・・・」
・・・二日後?
何言ってんだこいつ・・・。
「けど・・・ちょうどいい。今来た方に小娘がいる。俺の腕をこんなにしやがった!」
男は手首から先が無くなった腕を見せてきた。
ルージュ・・・戦ったのか・・・。
「なにがあった?その小娘はどうした?」
「油断してただけだ。・・・なあ、一緒に戻ってやっちまおうぜ。まだガキだが具合はよさそうだ」
「具合・・・」
拳に力が入った。
こいつ、あの子になにをしようとしてるんだ・・・。
「・・・どうする気だ?」
「壊れるまで奴隷に決まってんだろ。お前にも使わせてやるよ」
「使う・・・」
「森渡りもいたんだけどよ、襲ってきたからやっちまった。・・・黙っててくれよ?」
カクを・・・。
ああ・・・憶えがある。
ミランダの傷痕を見た時も、同じような気持ちになった。
「その腕はなんだ?やられて逃げてきたのか?」
その辺の男ならなんとか勝てるくらいにはなっている。
ただ、実戦経験が無いだけ・・・。
「関係ねーだろ・・・二度と姿を見せるなだってよ。けど、今戻ったらいい顔しそうだな。そうだ・・・この腕突っ込んでやる」
男は不気味に笑った。
もう、冷静でいられそうにない・・・。
二度と姿を見せるなか・・・。
ああ、ならそうしてやらないとな・・・。
オレは聖戦の剣を抜いた。
「な、なんだお前・・・仲間じゃ・・・」
「誰がそんなこと言った?・・・妹を辱めること、お前の想像だとしても虫唾が走る」
あの子が汚れないように・・・。
「待て・・・」
男の顔が恐怖に染まっている。
命乞いか・・・。
『・・・許すな』
聖戦の剣・・・父さんも同じ気持ちか・・・。
「もう二度とあの子に顔を見せることがないようにしないとな・・・そう言われたんだろ?」
わかってるよ。
許すわけないだろ・・・。
◆
息絶えた男は、火の魔法で燃やした。
ルージュの前に顔を出すことは、もう二度と無い。
手がかりになるかはわからないけど、服を漁った時に納税証明を見つけた。
カゲウソさんに渡して調べてもらおう。
でもまずは・・・。
◆
「カク・・・ごめんね・・・頑張って・・・」
男の走ってきた方向に進むと、すぐにルージュは見つかった。
強い雨の中、自分の体でカクを水滴から守っている。
「ルージュ!」
「あ・・・ああ・・・ニルス様・・・。お願いです・・・カクに治癒を・・・わたしじゃ血も止められない・・・」
「生きているか?」
「はい・・・はい・・・」
ルージュはずっと泣いていたみたいだ。
それでもカクをしっかりと抱きしめ、治癒をかけ続けていた。
よかった・・・早く泣き止ませてやらないとな。
オレはルージュにマントをかけて、カクの前に膝を付いた。
「そんなに強く抱いたら苦しいと思うよ。もう大丈夫だから・・・」
できるだけ優しい声を出して、カクに触れた。
戦ってくれたんだな・・・ありがとう。
◆
「きゅう・・・」
カクの傷は瞬く間に塞がった。
すぐ意識が戻ったみたいで、泣いているルージュの手を舐めている。
「あ、ああ・・・よかった。ごめんね・・・わたしがもっと強かったら・・・ごめんね・・・恐かったよね」
「きゅう・・・」
カクは、よりルージュにすり寄った。
このままじゃよくないな・・・。
「カクは君を恨んでいない、気持ちが伝わっているからそうしてくれるんだ。・・・泣き止まないと、いつまでも心配させてしまうよ」
「はい・・・はい・・・わかってるんですけど・・・」
ルージュはずっと顔を隠して泣いている。
よっぽど恐い思いをしたんだろう・・・。
「カク、ありがとう。ルージュは大丈夫、でも・・・今日はもう休ませるよ」
「きゅ・・・」
カクはルージュから離れて、オレの右手の袖を噛んで引っ張った。
見ると手首にあいつの返り血が付いている。
「・・・ありがとう」
「きゅう」
カクはそれを綺麗に舐め取ると、森の奥へと帰っていった。
そうだな、見せる必要のないものだ。
「ルージュ、今日はここまでだ。体も冷えているみたいだし、戻って休もう。風呂も沸かす、食べられるならなにか作ろう」
「ニルス様・・・わたし・・・恐くて・・・せっかく鍛えてもらったのに・・・すぐに動けなくて・・・」
ルージュはオレの胸に顔を押し付けて、より大きな声で泣いた。
泣き方・・・本当に変わらないな・・・。
やっぱりこの子に戦いを教えるべきではないのかもしれない。
それにもう恐い思いはしたくないだろう。
落ち着いたらもう一度気持ちを確かめてみるか。
それに・・・あの男は何だったのかも。
「さあ、おぶってあげ・・・殴られたのか」
顔を上げさせると、頬が腫れていた。
唇が裂けて血も出ている。
「カクに比べたら・・・全然平気です・・・」
すでに報いは受けてもらった。
それでも新たな怒りが湧いてくる・・・。
「・・・すぐに治す」
「すみません・・・」
「・・・一人にして悪かった」
「わたしが悪いんです・・・」
とりあえず帰ろう。
オレはルージュを背負い、戦場の時と同じ速さで走った。
◆
「オレが見張ってる。安心して入ってきていいよ」
「・・・」
戻ってすぐに風呂を沸かした。
どうやら服を脱がされたりまではされなかったらしい。
「ニルス様も・・・濡れたので冷えているのでは・・・」
「オレはあとでいい・・・」
「雨で薄暗いです・・・明かり取りを閉めれば平気です・・・」
ルージュがオレの腕を引いた。
一人になるのは不安みたいだ・・・。
◆
「少しは楽になった?」
「はい・・・申し訳ありませんでした」
ルージュをベッドに寝かせた。
よく洗ったみたいで、血の匂いは消えている。
でも・・・鼻は覚えてしまっただろう。
「食欲はどう?」
「今は・・・なにもいりません」
「少し眠るといい、ずっとそばにいるから安心して」
「はい・・・ぎゅっとしてください・・・」
そうだな・・・。
「離れないから・・・」
「・・・」
抱きしめると、ルージュの瞼が閉じた。
「大丈夫だよ・・・」
「・・・」
頭を撫でていると、すぐに寝息が聞こえてきた。
雨音は続いている。
今日は止まないだろうな・・・。
『ルージュのことだ。・・・うまくは言えないが、嫌なものを感じた』
『大丈夫だよ、オレがずっとそばにいるんだから』
約束をしていた。
これからは確実に見える所にいなければならない。
一緒にいれば、捕まえてどこの誰かを直接聞き出すこともできたな・・・。
・・・何もわからなかった。
そういや「仲間」って言ってたっけ。
合流できるのは「二日後」っても・・・。
ルージュは思い出したくもないかもな。
話してくれるだろうか・・・。
◆
「ん・・・ニルス様・・・ああ、よかった・・・」
ルージュが目を覚ました。
まだ暗い顔だな・・・。
「ご迷惑を・・・」
「謝るのはオレの方だ。君から目を離してしまった・・・油断していたんだ」
この子が自分を責める必要は無い。
なんなら、母さんがああなったのもオレが離れていたせいだ。
「男の人がいたんです・・・ニルス様に報せるために離れようとしたら・・・腕を掴まれて・・・」
「・・・無理に話すことはないよ」
オレはルージュを抱き寄せた。
見ていられない、声も体も震えている。
「こうしてもらっていれば、話せます・・・」
「辛かったら途中でやめてもいいからね?」
「・・・はい」
教えてくれるのはありがたいけど、詳しく聞くのはやめておこう・・・。
◆
「住むところと魔物の保護・・・」
「はい・・・そう言っていました」
ルージュの話から男の正体がわかってきた。
おそらく神の言霊・・・。
あいつらは土地を探しているって、ハリスが調べた情報としてカゲウソさんが教えてくれていた。
たしかにこの辺りは開拓も進んでいないし、オレしか住んでいない。
・・・偶然か?
「わたしが聞いたのはこれだけです・・・」
「ありがとう・・・もう思い出さなくていいからね」
「・・・」
ルージュの震えは治まっている。
修行の話も今しておいた方がいいな。
「ルージュ、もう恐い思いはしたくないだろ?」
「・・・あの男の人は、カクを平気で斬りました。・・・わたしのことも・・・恐い目で・・・」
オレの胸に顔が押し付けられた。
だから・・・。
「もうそんな思いをさせたくない。・・・鍛えるのはここまでにしよう」
「・・・」
ルージュが胸から顔を離し、オレを見上げた。
「でも・・・あの人はまた来ると思います。・・・恨み言を叫んで逃げました。わたしは、次こそカクを守らないと・・・」
「もう二度と来ない、そうさせた」
「・・・会ったんですか?」
「少し痛めつけて、ここには近づかないことを約束させた」
これでいい・・・この子はもう戦いから離さなければ・・・。
「じゃあ・・・」
「もう会うことは無いよ」
「・・・あの人・・・わたしを飼うと言っていました。今もそうなっている人がいるような言い方も・・・壊れそうだからって・・・」
ルージュの声が震え出した。
見せたくなかった世界だ・・・。
「それも心配いらない。逃げる時に納税証明を落としていった」
「そうなんですね・・・」
「調べてもらうことにする。囚われている人がいるなら、必ず助かるよ」
明日はカゲウソさんが来る。
すぐに動いてもらおう。
「だからもう大丈夫だ。そして君は、戦いから手を引いた方がいい」
「わたしは・・・」
「まあ、たまに一緒に体を動かすくらいはしようか」
完全に取り上げることはしない。
だけど、剣はもう必要無いだろう。
「少し・・・考えたいです」
「わかった。・・・今日は、北部の白いシチューを作ってあげよう」
オレは立ち上がった。
考えるってことは迷いが生まれているんだな。
無理に止めなくても、自分で身を引くだろう。
「あの・・・離れたくないです。手伝います・・・」
ルージュがオレの腕を「逃がさない」って感じで抱いた。
「・・・そうだね。作り方を教えよう、一緒にやろうか」
「はい・・・」
これからは、普通の女の子に・・・。
◆
「無理そうなら残していい。戻すとよけい元気がなくなるよ」
「すみません・・・」
ルージュの食事は、シチューを二回だけ口に運んで終わった。
まったく食べないよりはいい。
それに、夜にお腹が空いたら温めればいいからな。
「雨・・・止みませんね。暗いです」
「今日はゆっくり過ごそう。・・・そうだ、裁縫を見せてもらいたいな」
「あ・・・はい・・・」
ルージュは裁縫箱を取り出して、約束していたオレの服の続きに取り掛かった。
そうやっている姿の方がいい。
憂鬱なことはすべて忘れさせてあげたいな・・・。
◆
「ニルス様・・・明日からも鍛錬をお願いします」
ルージュが針を止めた。
・・・は?
「ルージュ?なにを言ってるんだ・・・」
「わたしは・・・もっと強くなりたいです。カクはあんなに小さいのに・・・わたしが傷付かないように戦ってくれました」
なんで戦う方向に考えがいくんだよ・・・。
「体を触られた時も恐くて動けませんでした。・・・そうならないように鍛えてほしいです」
「・・・それは君の意思か?責任を感じる必要は無い。カクは友達を助けただけだ」
「わたしの意思です。カクを守りたい気持ちもあります。変に思われるかもしれませんが、腕を落とした時・・・なんて言うか・・・快感のようなものが全身に走りました。わたしの体は・・・それを求めています」
「あんな目に遭って・・・まだ戦いたいのか?」
「・・・」
ルージュは真っ直ぐにオレを見て頷いた。
理解できないわけじゃない。認めたくない時期もあったけど、オレも闘争の時は昂る。
母さんもそうだ。
あの人は快感を隠さず・・・身を任せてたな。
たぶんそういう身体なんだろう。
そして、叫びの力も目覚めた。
恐怖はもちろんあるだろうけど、乗り越えて闘争に身を置きたいという気持ちの方が強いんだ。
・・・女神め、そういうのは母さんだけにしとけよ。
「お願いします・・・わたしはニルス様に教わりたいです」
「・・・できれば、オレはそうしたくない」
「知っています・・・でもやらせてください。お母さんもやりたいことは色々やってみろと言ってくれました」
その色々に戦いは入ってない。
街で暮らす普通の女の子としてって意味だろ・・・。
「お願いします・・・」
「わかった・・・」
返事をしてしまった。
ルージュはこれから目の届くところに置く・・・。
「ありがとうございます」
「辛かったら言ってほしい」
そして、なにかあれば戦うのはオレ・・・。
受け入れはするけど、それは変わらない。
なにより、この子が「やりたい」っていうことを否定するのは・・・オレにはできない。
◆
「ニルス様、起きてください」
ルージュの元気な声が耳の奥を揺らした。
「お着替えは準備してありますからね」
いつも通りだ。
ひと晩でここまで・・・。
吹っ切れたのかな・・・。
◆
「さあ、外へ行きましょう」
ルージュが扉を開いた。
朝食もしっかり食べて、きのうみたいな暗い顔はもうしていない。
クライン家の女はどうなってんだよ・・・。
「きゅう」
外にはカクが待っていた。
自分は「元気だ」って言いに来たんだろう。
「あ、おはようカク。わたしはもっと強くなろうと思うの」
「きゅっ!」
「次は・・・わたしが守るからね」
空元気じゃなきゃいいけど・・・。
◆
「まずは敵に睨まれても平気なようにしよう。体力は後回しだ」
「はい」
ルージュと向かい合った。
ここまでやる気は無かったんだけど・・・。
「じゃあ・・・いつでもかかってこい」
「はい・・・う・・・」
ルージュの体が震え出した。
「はあ・・・はあ・・・」
動けないか・・・剣を握る手から力が抜けてきてるな。
「どうした?」
「何・・・したんですか?」
「気を当てているだけだ。その状態を治したいんだろ?」
ルージュは、相手の悪意や殺意に慣れていない。
たぶん、明確に向けられたのは五歳の時ときのうくらいだろう。
だから動けなくなるのは当たり前だ。
「この状態でやる・・・」
「・・・はい」
乗り越えたいなら力になろう。
◆
「はあ・・・はあ・・・変です。いつもはまだ動けるのに・・・」
ルージュが地面に膝を付いた。
そこまで動いてないのに、たくさんの汗をかいている。
「緊張感が違うからだ。殺気の中でいつも通り動けるようになればずっと強くなれる」
「・・・はい」
休憩を多く取らないといけないな。
ミランダも慣れるまでけっこうかかったし、時間が必要だ。
「・・・腕を擦りむいてる。治してやる」
「ありがとうございます」
戦いをしていても傷一つ残すわけにはいかない。
綺麗なままで・・・そして、純粋なままで・・・。
「う・・・ああ・・・」
治癒をかけた瞬間、激痛が襲ってきた。
「ニルス様?」
また・・・脇腹に痛み・・・今まで以上の・・・。
「はあ・・・はあ・・・うう・・・」
「ニルス様!」
体を動かせない・・・なんで急に・・・。
体が崩れる・・・。
「すぐ・・・ベッドに運びます」
ルージュが倒れそうなオレを支えてくれた。
まずい・・・どうしようもない痛みだ・・・。
「ニ・・・様!・・・ルス・・・」
声が遠のいていく・・・。
なんだよ・・・オレの体・・・どうしたんだ・・・。
これじゃルージュを・・・守れないじゃないか・・・。




