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Our Story  作者: NeRix
風の章 第一部
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第百四十一話 気の迷い【アリシア】

 ふふふ・・・やっと水の月、あの子の誕生日だ。

一年ぶりだが、待っていてくれただろうか?


 毎回だが、火山が見えてくると胸が高鳴り出す。

たくさん話したり、一緒に寝たり・・・楽しみだな。



 「じゃあ、親子で仲良くね」

私の乗った馬車がケルトの家の前で停まった。

テーゼとは違う澄んだ空気、夏草の香りを運んでくる風、鳥や虫の鳴き声、それらすべてが「よく来たね」と言ってくれているようだ。


 「今回も帰りは大丈夫なのね?」

「イナズマがいるからな。それに、精霊の城にも何日か泊まる」

「ニコルにもよろしく言っておいて」

「ああ、ありがとうセイラ」

話しながら荷物を降ろし終わった。

ああ、ニルス・・・早く顔が見たい。


 「セイラも寄っていくか?」

「んーん、邪魔はしない。あっちの人が出てきたら一緒に行こうかなって思って」

家の前には行商の馬車が停まっていた。

出迎えが無かったのはこれのせいだ。

 「仲がいいのか?」

「そうでもないけど、最近どうなの?みたいな話で情報交換しといた方がいいんだ」

「そういうものなのか。じゃあ、私は入らせてもらうよ」

「うん、またねー」

ふふふ・・・ルージュのことはたくさん話してやらないとな。

 そうなると時間を無駄にしない方がいい。

一緒に風呂に入って、一緒のベッドで眠る・・・。



 「月はどうですか?」

「下弦です」

そっと中に入ると、ニルスが行商人と話していた。

まったく・・・馬車の音に気付いてくれてもいいのに・・・。


 「そうですか」

「でも来月からは新月ですね」

「ニルス!」

「え・・・」「あ・・・」

扉も叩かずに入ったせいで、二人は驚いた顔で固まってしまった。

今日来るのは知っていたはずなんだが・・・。


 「アリシアさん、久しぶりですね」

「ああ、いつもすまない。父親は元気か?」

「元気ですね。雷神が心配してくれたって伝えますよ。・・・ではニルスさん、また来ますね」

「よろしくお願いします」

行商はもう帰る所みたいだ。

 ケルトの時に来ていた人の息子・・・。

随分時間が経ってしまったんだな。

 


 「桃でも食べます?」

「ありがとー。ねえねえ、宿場まで一緒に行こうよ」

セイラたちの声が遠ざかっていった。

これで・・・二人きりだ。


 「よく・・・来たね。座ったら?」

「ありがとうニルス、昼はもう済ませたのか?」

「・・・うん」

息子の雰囲気が少し暗い気がする。

なにかあったのだろうか?

 「どうしたニルス、具合が悪いのか?それなら休むといい、母さんが添い寝をしてあげよう」

「・・・元気だよ」

「母さんをからかったな」

「くっつかないでよ・・・」

すぐに抱きしめた。

どうせ誰もいないし、年に一度だから構わないだろう。


 「アリシ・・・母さんさ、今年は何日くらいいるの?メピルの所にも行くんだよね?」

「来てすぐにそんなことを言わないでくれ」

「・・・ルージュは?」

「ミランダが面倒を見てくれているから心配無い。それに、寂しそうにしていたら来なかったよ」

「ふーん・・・」

ふふふ、気になっているな。

 だがルージュの話は夕食の時にしてやろう。

それよりも先に教えたいことがある。


 「ニルス、闘技大会がようやく開かれるんだ」

これを早く伝えたかった。

ああ・・・体が熱い・・・。

 「ああ・・・そうなんだ」

「詳しいことが決まって発表された。・・・知りたいか?」

「いや、別に・・・」

わかるぞニルス、わざと素っ気なくして母さんの気を引いているんだな。

・・・ちゃんと教えてあげるよ。


 「年に二回、祭りに合わせてだ」

「へえ、人が集まりそうだね」

「殖の月は個人、凪の月は三人一組でやると決まった。場所は訓練場・・・あそこ以外できる所がないからな」

「じゃあふた月後か・・・」

「いや、来年の殖の月からだ」

話しているだけで拳に力が入る。

・・・早く戦いたい。


 「頑張ってね」

「え・・・」

「出るんだよね?」

「そうだが・・・」

ニルスは私と違って冷めていた。

 興味が無いのか・・・いや、私に誘われるのを待っていたんだ。

そうに違いない・・・。


 「ニルスも出よう。凪の月の方は三人一組だが、補欠枠でもう一人出られるんだ。なにかあれば交代できるらしい」

「・・・オレはいいよ」

「遠慮をするな。母さんが申し込みをしておいてやる。そうだ・・・ティムだって待っている。もうお前の知っている頃とは全然違うぞ」

「それ去年も言ってたよ。でも、今はまだ・・・出る気は無い」

ニルスの態度は変わらなかった。

 あ・・・これは本気だ。

私にかまってほしくてではない。


 「母さんは・・・お前にも出てほしい・・・」

「目を潤ませるなよ。・・・あんまり興味が無いんだ」

「しかし・・・ニルスが出ないとつまらない」

「きっと強い人がいるよ」

ニルスが肩を叩いてくれた。

慰めてくれたのか・・・やっぱり優しいな。


 「気が変わったらハリスにでも伝えてくれ。あと・・・私がいる間は一緒に鍛錬をしよう」

「いいけど・・・ティララさんがいない」

「加減するさ。骨を折ったり刺したりはしない。さっそく明日からやろう」

「なら・・・いいけど」

共に鍛えるのは久しぶりだ。

・・・たくさん触れ合おう。


 だがまずは、ケルトに話しかけてからだな。

そのあとは夕食においしいものを作ってやろう。


 

 「さあニルス、誕生日祝いだ」

テーブルに食べきれないほどの料理を並べた。

残ってもニルスの鞄にしまえばいい。


 「ありがとう・・・来月はルージュにも同じことしてあげてね」

「あの子にもするよ。そうだ、あとで一緒に風呂に入ろう。母さんが全部洗ってやる」

「ふざけるなよ・・・いくつだと思ってるんだ」

「母さんは三十六、お前は今日で二十二だ。忘れたらいつでも教えてやる」

今回も一緒に風呂に入ると決めてきた。

だからこれだけは絶対に引かない。


 「家族だから歳は関係無いだろう。それに・・・昔は体を洗い合っていたじゃないか。お前は母さんの尻が好きだったから念入りに洗ってくれた。・・・あれは気持ちよかったぞ」

「バカ親が・・・」

「せっかく大きい風呂なんだから一緒に入りたい・・・。ニルスは・・・母さんのことが嫌いなのか?」

「・・・オレは湯浴みを着る」

ニルスが折れた。

本当はなにも着ないでほしかったが・・・まあいいだろう。



 「ルージュはどう?」

食事が落ち着くと、ニルスが妹の名前を出した。

もっと早く聞きたかったのだろうが、食べ終わるまで我慢していたんだな。


 「とても女の子らしくなっているよ。まだ胸は出ていないが・・・」

「まだ九歳なんだから当たり前だろ・・・。アカデミーは?」

「毎日楽しそうに行っているよ。同じ一期生だけではなく、後輩たちにも好かれているみたいだ。前に一度、シロに頼んでこっそり見に行ってもらったが、ルージュとセレシュの周りには友達がたくさんいたらしい」

「ふーん・・・いいことだ」

ニルスはとても優しい顔で聞いている。

ルージュの成長を喜んでいるんだな。


 「あ・・・ミランダから聞いたけど、知らない男とは話せないらしいね」

「そうだな、隠れてしまう」

「問題は無いの?」

「大丈夫だろう。ルージュも話したくなったら頑張ると言っている」

あの子は悩みなどもちゃんと話してくれる。

本当に困ったらしっかり言ってくれるはずだ。


 「知り合いとは大丈夫って聞いたけど、それは変わってない?」

「そうだな・・・ウォルターさんにスコット、テッドさんにティム、グレン・・・まあ、昔から知っている者は平気だ。それと、商会のノアもだな」

「歳の近い男の子はいないの?」

「いないな、シリウスがいればよかったが・・・」

みんな年上だ。

ティムやノアは若いが、それでも十以上離れている。


 「たぶんアカデミーを出るまでは困らないと思うけど、相談されたらどうする気?」

「心配するな。ルルが言ってくれたんだが、酒場の手伝いでもすれば治るだろうと」

「・・・ステラが起きたら、オレが旅に連れ出してもいいよ。色んな出逢いが、あの子を成長させてくれると思う」

ニルスが今日一番の笑顔を見せてくれた。

 たしかにいい考えだ。

なによりもお兄ちゃんと一緒なら安心できる。


 「そうだな、あの子が困ったらニルスに任せよう」

「ステラが起きる前にそうなったら・・・なんとかしてあげてね」

ん・・・そうか、ステラが目覚めたらニルスを取られてしまうな・・・。


 息子が愛する人を見つけた。

喜ぶべきことなのだろうが、誰にも渡したくない気持ちもある。

 もちろん、この子を縛ることはしたくない。

だけど、ステラが起きるまでは・・・。


 

 「ニルス、もっと近くに来てくれ」

「やだよ」

今年も二人で風呂に入ることができた。

なんだかんだ言われてもこうなると思っていたが、くっついてはくれない。


 「なにが恥ずかしいんだ?母さんはお前になら全部見せられるぞ」

「いい加減にしろよ。それに・・・少しは老けろ」

「・・・ルルにも言われた。私と並んで歩きたくないと・・・友達なのにひどい話だ」

女神から作られた体、戦える時期が長くなるようにと一番いい状態が続くらしい。

そのおかげで衰えは一切感じない。


 「息子にまでそんなこと言われたくないんだ」

「・・・そこまでは言ってない」

「なら来い。・・・誰もいないから吸ってもいいんだぞ。少しだけ赤ん坊に戻ってみてくれ」

「・・・先に出る」

ニルスが出て行ってしまった。


 仕方のない子だな。

まあ・・・一緒に寝れば甘えてくれるだろう。



 「じゃあおやすみ・・・シーツはきのうの内に洗ってある」

「また母さんを試しているのか?」

「何の話?母さんの部屋はこっちだろ・・・」

ニルスは、私をケルトの部屋に押し込もうとしてきた。

・・・許すわけないだろう。


 「一緒に寝よう」

「・・・オレになにかする気?」

ニルスが目を細めた。

なにか・・・。

 「だ、抱いて寝たいだけだ」

「本当だよね?」

「お前の言うなにかとはなんだ?」

「・・・なんでもない。好きにしていいよ」

やった・・・。

これでいい、せっかく来たんだから離れたくない。



 ニルスは、部屋に入るとすぐベッドに潜り込んでしまった。

ルージュとシロは「早く」と呼んでくれるのにな・・・。

まあ・・・お兄ちゃんは違うんだろう。


 「ニルス・・・」

私もベッドに入り、息子の背中に抱きついた。

 こうしているとなんだか安心する。

あなたを・・・ケルトを感じるからなんだろう。


 「うわっ・・・なにすんだよ」

「ニルス・・・愛しているよ」

「え・・・待て、なんで服脱いでんだよ」

「真夏だからだ。ニルスも脱ぐといい」

本当は地肌で触れ合いたい。

そして、できればこっちを向いてほしい・・・。


 ここにいる間になんとかそうしてくれるといいな。

そうなったら・・・。



 「おはようケルト、愛しているよ。・・・ニルスはまだ寝ているんだ。これから朝食を作って、そのあとは一緒に鍛錬をする」

目が覚めて、まずケルトの墓の前に来た。

答えてくれないのはわかっているが、それでも生きている時と同じように話かけてあげたい。


 「墓には見えないな・・・ケルトもそう思っているんじゃないか?」

周りにはたくさんの花、イナズマがいつも咲かせてくれているらしい。

その中には、ルージュの好きな夕凪の花もある。

ニルスがおまじないで貰った花から取れた種はここで育っていた。


 『ここよりも北に行くにつれて青、藍色なってくんだって。ずっと北だと黒って書いてあった。空と同じだね』

ここで咲いているのは藍色・・・教えてもらった通りだな。

 ケルト・・・私はあなたの分まで子どもたちを愛していくよ。

だから安心していてほしい。


 「アリシア・・・しばらくだな」

気付くと、イナズマが私の真横にいた。

 「ああ、一年ぶりだ」

ここに来るたび姿を見せてくれる。

 ケルトが生きている頃は現れなかったが、ニルスとはたまに話をしていると聞いた。

ケルトには、情が移らないように関わることをしなかったらしい。


 「いつも美しい花をありがとう」

「今の俺にできるのはこれくらいだからな・・・」

「それが嬉しいんだ。ニルスの話し相手になってくれていることも感謝する」

「・・・気まぐれで集めた鉄を渡しているだけだ」

イナズマは表情を変えないが、私の顔を見ると「申し訳ない」といった雰囲気を出す。

気にしていないと何度も伝えたが、どうしても払えないらしい。


 精霊鉱が無ければ、私はケルトと出逢えなかった。

だから感謝しかしていない。

ケルトがこうなったのは、私のせいだからな・・・。



 「きゅう」

「ん?なんだお前は?」

いつの間にかイナズマはどこかに行ってしまっていた。

 「きゅっ」

かわりなのかタヌキが足元にいる。

いや、角がある・・・森渡りか。


 たしかニルスの友達だと昨晩聞いたな。

名前は・・・カク。

いじめるなとも言われた。


 「お前はカクだな?私はアリシア、あの子の母親だ。いつも息子と仲良くしてくれてありがとう」

「きゅう」

カクの頭を撫でると、かわいく腕に擦り付いてきた。

わかってもらえたようだ。


 「ふーん、ミランダには懐かなかったんだけどな」

ニルスが外に出てきてくれた。

お腹が減って起きたのかな?

 「きゅっ」

「うん、おはようカク」

「きゅう」

カクはニルスの脛にもひとしきり体を擦り付けると森の奥に帰っていった。

あの子もニルスの寂しさを薄れさせてくれているんだろう。

さて・・・。


 「おはようニルス、愛しているよ」

「もうわかったよ。いちいち言わなくていい」

「そうはいかない。さあ、早く顔を洗え。母さんは朝の支度をするから、ニルスは座って待っていろ」

「ふふ、勝手に食べ物が出てくるのは楽でいいね」

ニルスが子どもっぽく笑った。


 私の・・・母さんの料理が楽しみなんだな。

この顔でルージュと一緒に待っている姿を早く見たい。


 「あ・・・そういえばさ」

ニルスが険しい顔で振り返った。

 「父さんのパンって、風呂の残り湯使ってたって本当?」

パン・・・残り湯・・・。


 『アリシアの残り湯はおいしいね・・・』

『何をバカなことを・・・』

『ねえ・・・これでパンを捏ねてよ・・・』

『腹を壊しても知らないからな・・・』

二人だけの記憶が蘇ってきた。

なぜ・・・この子が知っている・・・。


 「父さんが言ってたこと・・・なんか急に思い出したんだ・・・」

「し、知らん・・・」

「まさか・・・オレとルージュのパンにも・・・」

「母さんは・・・一度もそんなことをした記憶が無い・・・」

そう・・・していない・・・。

 「嘘をつくなよ?・・・信じていいんだな?」

「大丈夫だ・・・ケルトはお前をからかっただけだろう・・・」

「やっぱり・・・支度はオレも手伝う」

ケルト・・・なぜ話した・・・。



 「まずは走ろう、火山を三周くらいか」

朝食と洗濯を二人で済ませた。

あとは仲良く鍛錬だ。


 「いいよ、なまってないよね?」

ニルスが体を伸ばしながら煽ってきた。

ふふ・・・かわいい子だ。

 「当然だ。賭けてもいいぞ」

「なに賭けんの?」

「そうだな・・・勝った方は、負けた方に抱きしめてもらうようにしよう」

「どっちも嫌だな・・・」

私はどちらかというと抱きしめたいから・・・負ければいいのか。



 「バカか、躱せよ。真剣だったら腕が落ちてる」

昼を取ってからは打ち合いを始めた。

だが・・・。

 「仕方無いだろう。木剣では緊張感が無い」

「次に来るときはティララさんを連れてくるといい」

「騎士団はこんなに長い休みは取れないと言っていた」

治癒の素質がある者がいないと難しい。

 私もニルスもルージュも、その素質は無いようだ。

テーゼであれば、元治癒隊がたくさんいるから困らないんだけどな・・・。


 「でも・・・体力は落ちてないんだね」

「当たり前だ。テーゼでも毎日走っている」

「ふーん」

ニルスが急に私の顔を覗き込んできた。

近い・・・。


 「・・・疲れた?顔が赤いけど」

「・・・動いたからだ」

私はすぐに離れた。

なんだろう・・・体が熱い。

 ニルスに見つめられたら余計に・・・。

これを冷ますには・・・。


 「そ、そうだ。シロから聞いたが、盗賊団を捕まえているらしいな」

「・・・まあね」

「母さんも手伝おう。鍛錬にもなるし、探しに行こうか」

「この辺にはもう出ない」

そうだったのか・・・。

それができれば体の熱も冷めると思ったんだが・・・。


 「森に凶暴な魔物は出ないか?」

「半年に一度来るかどうかだね」

・・・困ったな。



 ぬるい鍛錬をしていると夕方になってしまった。

ああ・・・夜になってしまう・・・。


 「今日は・・・風呂を別にしようか」

私からニルスに言った。

 自分の身体なんだからよくわかっている。

きのうまでの触れ合いたいという思いが、別な形に変わったせいだ。


 「オレはその方がいいけど、きのう突き放したの気にしてるとか?」

「そうじゃない・・・嫌われたくないだけだ」

「ふーん・・・じゃあ先に入るね」

ニルスは少しだけ寂しそうな顔をした。

恥ずかしくはあるのだろうが、きのうのようなやり取りはしたかったんだろう。


 すまないニルス・・・今日は難しそうだ。



 夕食を済ませて、あとは寝るだけになった。

でも今日は・・・。


 「・・・おやすみニルス」

「・・・いいんだ?」

「まあ・・・そうだな」

私はケルトの部屋に入った。

去年はこんなこと無かったんだけどな・・・。


 今の状態はまずい。

一緒に寝たらあの子を求めてしまうかもしれない。

それだけは避けなければ・・・。


 「それってさ・・・やっぱりオレが突き放すから当てつけ?」

「違う・・・」

「そう見える」

「証拠を見せよう・・・」

私はニルスを抱きしめた。

これで証明になればいいが・・・長くは無理だ。

  

 「・・・愛しているよニルス」

「わかった・・・じゃあ、おやすみ」

口にした言葉は本心だが、突き放しているのと同じに感じた。

だが、この熱が冷めないことには・・・。



 ・・・ダメだ眠れない。

暗闇の中、どうしても体の火照りが治まらなかった。


 熱い・・・ニルスはまだ起きてるかな・・・。 

ケルトのベッドに忍び込んだ時と同じ気持ちになっていた。


 ニルスなら・・・冷ましてくれるのかな・・・。


 

 「はあ・・・はあ・・・」

私の体は理性を抑えつけ、息子の眠る部屋へ向かっていた。


 『いいのか?』『よくないのではないか?』

一歩進むごとに、頭の中で冷静な自分が囁く。


 『誰も見ていない』

扉の前に立った。


 『暗闇ではすべて許される』

今囁いた自分は「行ってしまえ」と背中を押してくれている・・・。



 そっと扉を開けて耳を澄ますと、静かな寝息が聞こえてきた。

それとは逆に、私の鼓動は戦いの時と同じくらい大きく高鳴っている。


 「ニルス・・・」

「・・・」

小声で呼びかけても返事は無かった。

入ってしまおう・・・。


 明かりは淡く光る二つの輝石だけ・・・。

ぼんやりと見えるニルスの寝顔はあなたにそっくりだ。

・・・そのせいで私はこうなってしまった。



 「・・・何をしに来たの?」

息子の背中に体を寄せた時だった。

起こしてしまったようだ・・・。


 「ニルス・・・その・・・」

「動かずに・・・落ち着いてほしい」

「体が・・・熱いんだ。冷ましてほしい・・・」

私は勢いに任せてニルスの上に乗った。

もっと顔を近付けなければ・・・。


 『ねえ、ケルトさんとニルスは似ているの?』

『・・・髪と目元以外はとても似ているよ。後ろ姿を見て、なぜここにケルトがいるんだと思ったこともある』

いつかのルルとした会話を思い出した。

そう、似ているんだ・・・だから構わない・・・。


 「母さん・・・オレは父さんじゃないよ・・・」

怯えた息子の声で、私の体が固まった。

 「離れて・・・」

熱が一気に引いていき、頭も冷静になってきた。

私は・・・この子になにをしようとしていたんだ・・・。



 「・・・落ち着いた?」

ニルスが水を汲んできてくれた。

熱はどこかに行ったが・・・気まずい。


 「すまないニルス・・・どうかしていたよ・・・」

でもまずは謝らなければならない。

親子の関係が壊れるのだけは絶対に嫌だ。


 「・・・去年から考えてたの?」

「どうだろう・・・そうしようと思ったのは今夜が初めてだ」

聞かれたことには嘘をつかず、正直に答えていこう・・・。

 「・・・オレが起きなかったら?」

「押さえ付けて・・・そのまま・・・」

私を思ってか、明かりはつけられなかった。

正直に言えるのは、暗いからでもある。


 「こうなるんじゃないかって怖かったんだ。・・・抱き方、触れ方がおかしいんだよ。・・・きのうも眠りは浅かったしね」

「・・・許してほしい。ケルトのおもかげが、ニルスと重なったんだと思う。お前たちは似ているんだ・・・」

「オレは・・・息子として見てほしい」

ニルスは溜め息と一緒に思いを吐き出した。

怒ってはいない、悲しんでいる。

 ・・・当然だ、気の迷いでは済まされないだろう。

せっかく「母さん」と呼んでもらえるようになったのに、全部壊してしまうところだった・・・。


 「もう・・・落ち着いたよ。・・・このまま一緒にいてもいいか?裸だが・・・」

「母さんなら・・・いいよ」

「ありがとう・・・」

ニルスが私を抱いてくれた。

柔らかく、愛のある抱擁・・・。


 『母さんの腕は硬いかもしれないがお前を抱いていたいんだ。しばらく我慢するんだぞ』

ああ・・・そうだったな。

 同じ自分の子なのに、ルージュとニルスの抱き方がいつの間にか違っていた。

戻さなくては・・・。


 「ふーん、もう安心していいみたいだね」

ニルスの声から不安が消えた。

これで合っているみたいだ。

 「お前の抱き方を思い出したからな。・・・もう怖がらなくていい。・・・すまなかった」

自分の子を抱く時は求めるようにではない、与えるようにだ。


 私は母親なのだから・・・。



 夜が明けて、私たちはケルトの墓の前に出てきた。

涼しい・・・夏の朝はいいな・・・。


 「雰囲気変わったね。もう寝込みを襲うとかやめてよ?」

ニルスは昨夜のことを笑って許してくれた。

まあ、なにも無かったからではあるが・・・。


 「父さん以外を見つけるつもりは無いの?・・・きっと許してくれると思うよ」

「無い・・・男は、ケルトだけを愛して生きる」

「そう・・・じゃあ、ちゃんと父さんに謝りなよ」

ニルスは家の中に戻っていった。

・・・そうだな、夫婦のことだ。


 「すまなかったケルト、ニルスにあなたを求めてしまった。母親ではなくなるところだったよ。・・・あなたの妻でもいられなくなっただろうな」

私はそうなりたいわけではない。

ニルスの母親、ケルトの妻・・・このままでいたいんだ。


 「ケルト・・・ニルスはもう二十二なんだ。ルージュも来月には十歳になるよ。私は三十六・・・次の誕生日で、あなたに追いついてしまう」

なんだか思いが溢れてくる。

答えてほしいからなんだろう。


 「ステラが目覚めたら・・・ニルスがルージュを連れて旅に出てくれるらしい。きっと楽しいんだろうな・・・私は一人になってしまうが・・・」

風が私の髪と花たちを揺らした。


 一人になったら・・・そう思った時に浮かぶのはあなたとの思い出・・・。


 「今決めたんだが、そうなったら・・・私はここで暮らそうと思う。ああ、もちろん闘技大会には毎年出るから、少しだけ空けることもある。だけど、それ以外はあなたの思い出と共に生きるよ」

目の前がぼやけてきた。

・・・顔を洗わなければいけないな。

 

 「ケルト・・・愛しているよ」

聖戦の剣を腰から外して抱いた。

・・・ケルトがくれた愛だ。


 今のは、気の迷いではなく本心だよ。

・・・さて、幸福な朝食をあの子に作ってやらなければ。


 『アリシア、僕も愛しているよ』

朝の涼しい風音はあなたの声に似ていた。

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