第百三十一話 ツケ【ハリス】
「どうです?似合っていますか?」
買ったばかりの上着に袖を通した。
新しい服を着ると、少しだけ新鮮な気持ちになれる。
「・・・もう春ですね」
窓を開くと、風があなたを撫でるために吹き込んできた。
暖かい春風・・・もう何度目だろうか。
◆
「リラさん、今日も出かけてきます」
「・・・」
朝食を簡単に済ませた。
昨晩は酒を多く飲んだせいで、あまり食欲が無い。
「どこに行くかは決めていませんが、夜までには戻りますね」
「・・・」
毎朝、毎日・・・これも何度目だろうか。
・・・さて、出かけよう。
どこへ行こうか。
◆
「今回勝てば終わりって本当かな?」
「俺は報せがあるまで信じねー。鳥使って、早ければ昼過ぎくらいか?」
「本当ならこっちも祭りになる。女の股が緩くなりそうだ」
「お前それしか考えてねーな・・・」
家を出たところで話し声が聞こえてきた。
ああ、そういえば今日は戦場の日だ。
・・・テーゼにでも行ってみるか。
勝利すれば今回で戦いが終わる・・・そんなことがあるものか。
精霊と聖女も出てきているようだが、それが本当だとしても無理がある。
女神を封じることのできる存在・・・これを崩さなくてはならないからだ。
大陸中・・・ここまで大々的に宣伝していいのだろうか。
・・・王もどうかしていますね。
まあ、ちょうど戦士たちが帰ってきている頃だ。
真実かどうか確かめに行くのも悪くない。
◆
「・・・おや」
影に体が半分入ったところで、誰かに渡したベルの音が聞こえた。
情報か、頼み事か・・・どのお客様だろう?
ベルを渡した人間はそこまで多くない。
見込みがあり、信頼できる者のみだ。
「ふ・・・」
勝手に口元が持ち上がった。
この音は・・・ニルス様だ。
『・・・ハリスの考えは否定しない。それなら父さんの為じゃなくて、自分のために弔いをしたい』
ケルト様の弔いから一年以上経つ。
旅人になり、今はどこにいるのか・・・。
「いいお話の可能性が高いですね・・・」
テーゼは後だ。
先に友の息子に会いに行こう。
『あの子が旅に出たあと、困っていたら助けてあげてほしい。不幸にはさせたくないんだ』
友との記憶が顔を出した。
押し付けに近かったが・・・。
『無償で・・・というわけにはいきませんよ?』
『友達だろ?何かあればハリスを頼るように言っておくからね』
『・・・記憶の隅には置きましょう』
『ありがとうハリス、あの子は寂しがりなんだ。呼ばれたら最優先で頼むよ』
困り事かはわからないが・・・急ぎますか。
『ご心配であれば、少しだけ共に旅をしてもよろしいのですよ』
『ニルス君は強い子だから必要無いよ。呼ばれるまで放っておいていい』
『アリシア様への報告はどうしますか?指輪も・・・』
『いつか・・・巡り逢ったらでいいよ。君にも目的があるだろ?』
ケルト様は、私からは家族に関わらなくていいと言っていた。
『それに、きっと繋がる未来があると思うんだ。だから、それまでは放っておいてほしい』
『承知しました。・・・考えは変わらないのですね?』
『ごめんよ・・・。でも、君は一番の友達だ。死んだってそれは変わらない』
繋がる未来か・・・。
『ああでも・・・君から関わりたいならそうしてあげて。その時は無償ね』
『いえ、巡り逢う時まで待ちましょう』
『あ、そうだ。用意しておいてほしいものがあるんだけど』
『なんでしょうか?』
『棺、寝心地がよさそうなのを頼むよ』
弔いでの呼び出しは、早すぎたので数には含まなかった。
だから・・・今がその時なのでしょう。
◆
「どこから聞こえたか・・・行ったことの無い場所だ・・・」
今度は一気に影の中へ潜った。
大陸は大体見たはずだが、秘境があったようだ。
「まあ、音が聞こえるなら行ける場所か・・・」
影の世界を渡る・・・どういう原理なのかは私にもわからない。
わかるのは、目的地に影があれば行けるということだけ。
水の中に似て、限界はある。
その時は中継地点で一度顔を出せば問題無い。
影はどこにでもある。
私の行動範囲はこの世界のすべて。
・・・代償は大きかったが後悔はしていない。
◆
「・・・不気味ですね」
辿り着いたのは、なにもかもが美しすぎる場所だった。
・・・ここはあまり好きではない。
おそらく女神の作った場所なのだろう。
まあ・・・詳しいことは、あとで聞かせてもらおうか。
「お久ぶりですね。ご用件をお伺いしましょうか・・・ニルス様」
「・・・」「・・・」「・・・」
足元には三人が倒れている。
ニルス様と赤毛の女性、そして白い髪の少年・・・なにか愉快なことでもしていたのでしょう。
「申し付けがなければ・・・去りますよ?」
とりあえず、ニルス様の頭に話しかけてみた。
「・・・」
返事は無い。
話せないのか・・・それともこと切れたのか・・・。
見た所いくつか風穴が空いている。
出血が多すぎて、私の治癒では役に立ちそうもない。
「二人分か・・・」
大きな血だまりの源泉は、ニルス様だけではないようだ。
赤毛の女性のものと混ざって、どちらの血かはもうわからなくなっている。
この方もなにかと戦ったのだろうか・・・。
『お前・・・使えそうだな。あたしに協力しろ』
随分前の記憶が浮かび上がってきた。
しばらく呼び出しは無いが、人使いの荒い魔女と似ている気がする。
『拾ったのさ。あたしに似てたからね』
赤毛・・・。
『あ・・・お客さん?お菓子食べる?』
顔立ち・・・。
『やめな。そいつは客じゃない』
胸の大きさ・・・。
『あの子の前に顔出すな。普通の女の子に育ててんだからさ』
まさか・・・。
「ハ・・・リス?」
ニルス様の頭が少しだけ持ち上がり、絞り出すような声が零れた。
「・・・生きていらっしゃいましたか」
・・・驚異的な生命力だ。
何があったのか、興味ありますね。
「どうされたのですか?呼びつけておいて、女性の胸に顔を埋めたままは失礼だと思います」
「君が・・・思い浮かんだ・・・。頼む・・・戦場へ、オレたちを連れて行ってほしい・・・」
強敵と戦い、やっとのことで倒した・・・見た限りはそうなのだろう。
だが・・・難しいのではないか?
「・・・できなくはありませんが、あなたと胸の大きな女性は動かすと危険ですよ?いずれにしろ長くはなさそうですが」
「・・・構わない」
「承知しました。対価は・・・」
「・・・」
ニルス様の体から力が抜け、より深く女性の胸に沈んだ。
生きては・・・いるようだ。
「仕方ありませんね。ツケにしておきましょう」
三人・・・私が持てば共に移動できる。
しかし、せっかくの新しい服が血で染まる・・・割増ですね。
「力仕事はあまり好きではないのですが・・・」
全員に触れられるようにしなければならない。
・・・ニルス様は女性と密着している。
少年を少し移動させなければ・・・。
「む・・・」
少年は綿のように軽かった。
見た目と重さが違う。
人間ではない・・・精霊か?
まあいい、これなら運ぶのは楽だ。
私は三人を無理に抱えて影に潜った。
戦場まで・・・一度では無理か。
◆
「・・・少し遅かったようだ」
中継場所でひと息ついた所だった。
「・・・流れてしまう」
ニルス様と女性は・・・終わってしまった。
自分のせいではないが、罪悪感が湧いてくる・・・。
「ケルト様・・・私を恨むのは違いますからね」
ニルス様の剣に向けて話しかけた。
まあ・・・とりあえず運ぶだけはしよう。
「ん・・・あれ?」
少年、おそらく精霊が目覚めた。
なぜ今なのか・・・。
「・・・初めまして」
「え・・・誰?ここは・・・」
「ニルス様に呼ばれました。私はハリスと言います。戦場まで運んでほしいと頼まれたのです」
「そうなの・・・僕はシロ・・・二人は!!」
シロ様は気絶する前のことを一気に思い出したようだ。
・・・私が伝えるしかないですね。
「お二人はここにいますよ・・・ですが・・・」
「・・・」
シロ様は、寝かせている二人に恐る恐る触れた。
・・・伝える必要は無くなりそうだ。
「・・・嘘だよね?」
シロ様は二人を揺すった。
「・・・ニルス、ミランダ」
精霊にも涙はある。
私のは、もう枯れてしまったが・・・。
「悲しいのはわかりますが受け止めなければなりません。お二人はもう流れ始めています」
「・・・嫌だ!」
シロ様の体から凍てつくほどの冷気が溢れた。
足元の野草はすでに氷に包まれている。
「美しき体・・・澄んだ魂・・・愛おしい心・・・く・・・穢れなき記憶・・・流れをせき止める・・・氷の棺で眠れ・・・」
二人の体を冷気が包み込み、文字通り凍った。
「・・・シロ様、何をされたのですか?」
「君は・・・僕たちの敵じゃないよね?」
自分よりも小さな少年に恐怖を覚えた。
身震い、いつぶりだろうか・・・。
「ご安心ください。敵ではありません」
「どうやって命の洗い場に来たの?」
命の洗い場・・・なるほど、溶ける場所か。
「ニルス様は私のお客様です。呼び出しのベルが聞こえたので、ご用件を伺いに行っただけですよ」
「ベル?」
「はい、お客様には渡しています。そして私は影を移動できる。命の洗い場だろうと、影があれば行けます」
「影・・・ハリス・・・知ってる」
イナズマ様は私の存在を知っていた。
シロ様も私の正体がわかったようだ。
「ニルスと君はどういう関係なの?お客様ってなに?」
「どちらか言うと、ニルス様のお父様と関係があります。友人でしたので・・・息子から呼び出しがあれば頼むと」
「お父さん・・・わかった、信じる。僕たちを運んでくれるんだね?」
「はい、戦場までお連れ致します。それで二人には何を?」
こちらの情報だけ伝えるのは嫌いだ。
なのできちんと対価は貰う。
それに聞きたいことには答えた。
ここから会話の主導権は渡していただきましょう。
「氷の棺・・・流れをすべて止めることができる・・・死であっても・・・。二人は流さない・・・」
「間違っていたら申し訳ありませんが、シロ様は精霊なのでしょう?それは理に逆らうことです・・・女神が許しますか?」
「二人は女神様のために戦った。それに許されなくてもかまわない」
だいぶわかってきた。
戦場が終わるというのは本当だったのだ。
女神を封印した者が新たな神を名乗り戦場を始めた。
それを知ってしまったニルス様が戦った・・・そんなところか。
「しかし、この状態では死んでいるのと変わりません」
「戦場に蘇生できる人がいる」
「・・・どなたですか?」
「ステラ、不死の聖女だ」
・・・本当に出てきていたのか。
それであれば、新聞を見た段階でテーゼに行っていればよかった・・・。
「一つ確認したいのですが、聖女は精霊ですか?」
この確認だけでもできたかもしれない。
「え・・・あ・・・違う」
シロ様は目を逸らした。
この反応は・・・。
「人間・・・なのですね?」
「うん・・・」
「わかりました」
なるほど・・・作ったのか。
「君の言いたいことはわかる・・・。でも今はとにかく戦場に連れて行ってほしい」
「・・・承知しました。私から離れないでください。精霊だとしても影に飲まれるかもしれません」
女神にとっての功労者、私が助けたことを知れば恩赦があるかもしれない。
無くても構わないが、言いたいことはある・・・。
「あの・・・ハリス、来てくれてありがとう・・・」
「いえ、対価はいただきますよ」
生き返るのならば払っていただこう。
今回の詳しい事情も教えていただければ、割引くらいはするつもりだ。
待て、服が汚れてしまった・・・絶対に安くはしない。
◆
「ステラ!おじいちゃん!戻ったよ!」
戦場に出ると、シロ様は聖女らしき女性と老人に向かって走り出した。
あちらも気付き、こちらに向かってくる。
少し離れた所に出てしまったようだ。
◆
「シロ・・・どうやって戻ってきたの?呼びかけが無いから心配してたのよ・・・」
美しい女性がシロ様を抱きしめた。
ニルス様とアリシア様、二人と同じ髪色だ。
・・・興味深いですね。
「この人が連れてきてくれた。説明は後だ・・・ニルスとミランダを・・・生き返らせてほしい・・・」
「え・・・」
「なんと・・・」
「・・・」
ステラ様はすぐに二人の前に座り、顔を覗き込んだ。
「ミランダ?」
「・・・」
「ニルス?」
「・・・」
答えるはずがない、死とはそういうものだ。
・・・そういえば凍っていたか。
しかし問題は無いはず、できるのであれば早く蘇生を施せばいい。
「ごめん・・・ごめんよステラ・・・。僕のせいなんだ・・・僕がしっかりしていれば・・・」
シロ様が泣き崩れた。
これから蘇るのに妙ですね・・・。
「はあ・・・はあ・・・大丈夫よ、シロ・・・」
ステラ様の顔も焦りのようなものが見える。
呼吸も荒い・・・。
「ごめんね・・・ジナスは・・・倒したんだ。・・・僕が倒れる前に・・・すぐに呼びかければ・・・」
「・・・」
ステラ様は瞼を力強く閉じた。
「はあ・・・はあ・・・シロ、王様が泣いちゃダメだよ。それに、あなたがいたから二人は蘇る・・・」
再び開かれた瞳はとても強い決意の色が見えた。
蘇生はそこまで大変なものなのだろうか?
というか、聖女を洗い場に運べばよかったのでは・・・いや、どちらにしろ間に合いはしなかったか。
「なにかお手伝いできることはありますか?」
私はステラ様の背中に語り掛けた。
いい顔をしておいて、損をすることは無さそうだが・・・。
「大丈夫よ・・・三人を運んでくれてありがとう」
だとは思っていた。
さて、では見させていただきましょう。
・・・今日はこの数百年で、一番胸が躍る日だ。




