第百二十九話 最後に【シロ】
ミランダはかなり狼狽している。
洗い場の川を流れる命で作られた水晶・・・あれを受け止めて相当削られたはずだ。
ここは命の洗い場。
記憶と魂と心が集まる場所、流れた命は必ずここに辿り着く。
水に、空気に、風に・・・そしてまた命は巡る。
いつまでもジナスの遊びに使っていいはずがないんだ。
ここを流れる命もきっとそう思っているはず・・・。
◆
「かなり消耗しているはずだ。一気にやってしまおう!」
ニルスが走り出した。
ミランダは・・・やっぱり出遅れてる。
悪いけど、この期は逃せない・・・。
「結界は追いついたらでいい!」
「すぐ追いつく!!」
距離が離れたせいで、守護の結界が解けた。
ミランダの限界が近いことをニルスもわかっている。
だから・・・捨て身で行くつもりだ。
◆
「終わりだ!!!」
ニルスはジナスの影に斬りかかり、一瞬で首を飛ばした。
風神の足は精霊よりも速い・・・。
「嘘・・・本当に落とした・・・」
僕も近寄った。
「・・・終わったのか?」
そんなバカな・・・こんな簡単にやられるはずはない。
「本物じゃない!人形だ!」
「・・・」
ニルスは一度だけ地面を強く蹴った。
悔しさはわかる。
どうして怠った・・・僕が気配を探っていれば・・・。
「・・・ミランダ!」
僕が自分を責めている間に、ニルスは周りを見ていた。
叫ぶと同時に、駆け出していく。
遅れていたミランダ・・・ほんの少し目を離しただけ・・・。
ミランダは、ジナスに首を掴まれ動けないでいた。
「やめろ・・・ジナス・・・」
僕も行かなければ!
恐怖は乗り越えた・・・以前なら動けなくなっていただろう。
僕より先・・・ニルスが間に合えば・・・。
「足手纏いだと思っていたが、一番目障りなのはお前だったな・・・」
ジナスの剣がミランダの胸を貫き、たくさんの血が流れ出した。
叫びたい・・・でも・・・それは違う。
ミランダの目はずっとジナスを睨んでいた。
治癒はあいつを消してからだ!
呼びかければステラが迎えに来る・・・すぐに治してもらえる・・・。
だから戦うんだ!
「守護だけか・・・つまらないな」
ジナスの手からミランダが落とされた。
動かない・・・でもまだ流れてはいない。
これ以上時間をかけることができなくなった。
早くジナスを終わらせなければ・・・。
◆
「ジナス!!!」
ニルスが怒りと共に剣を払った。
叫びとは違うけど、周りの空気が震えるほどの気迫だ。
「冷静になれよニルス・・・お前らしくないぞ」
「斬り崩す・・・」
「素晴らしい速さだ・・・だが、致命傷を与えるにはもう一歩足りないな・・・」
「・・・」
ジナスの体に小さな傷が増えていく。
強がってるけど、あいつもギリギリで躱せないくらい速いんだ。
なら・・・僕がもっと隙を作る!
「ニルス!!攻め続けて!!!」
「頼むぞシロ!!!」
つらら・・・氷塊・・・出せるだけ・・・。
百、二百・・・。
どうなるかわからないけど・・・。
洗い場の川を流れる命・・・僕も使わせてもらう。
◆
三百、四百・・・。
『勝利を・・・』
僕に集まってくる命が語り掛けてきた。
どういうこと・・・。
『あいつの弔い・・・』『未来の子どもたちへ・・・』『大地の奪還を・・・』『みんなが羨む栄光・・・』
流れた戦士たちの意志・・・僕に力を貸してくれるみたいだ。
『家族が待っている』『帰ったら子どもたちが驚くようなデカい家を建てるんだ』『勝って帰れば英雄だぜ?』
ここに辿り着いたばかりの命も・・・。
そうか・・・あいつに使われるのは、みんな気に食わないらしい。
『・・・暖かい』
戦士じゃない命もある。
『・・・ありがとう』
これは僕たちの家で迷っていた命・・・。
僕は君をここに導いただけだよ。
でも・・・ありがとう。
『バニラ・・・泣かないで・・・』
ここに来るのは人間の命だけじゃない。
『また・・・会えたらいいね・・・』
シー・・・バニラは笑ってくれたよ。
戦場が終わったら会いに行くって約束したんだ。
七百・・・八百・・・なんだこれ・・・。
体が重い・・・あの川の命だからか?
意識が遠くへ行ってしまいそうだ。
でも・・・もっと・・・。
◆
「ニルス!!下がって!!!」
信じているから返事を待たずにつららを飛ばした。
みんなの意志が、僕の心を支えてくれている。
だから負けられない!絶対にここで決めるんだ!
「成長したじゃないかシロ・・・」
ジナスが結界を張った。
予想通りだ、あいつもああするしかない。
全部ぶつけてやる・・・。
「僕がどうなっても・・・ここでお前を討つ!!!」
つららたちは、間を置かずにジナスの結界にぶつかっていく。
全部防いだとしても、心に壊滅的な痛手を与えることができるはず・・・。
「命を使ったな・・・最後まで保てるか?」
「お前が消えるまで倒れるわけにはいかない!!」
「やってみればいい」
「く・・・」
体がどんどん重くなっていき、膝を付いてしまった。
心が締め付けられていく、許されるならもうやめてしまいたいと思えるほど・・・。
だけど、どんなに心が弱っても僕はそれを許さない。
僕は精霊の王・・・みんなの無念を晴らし、女神様を解放するためにここに来たんだ!!
「どうしたシロ、もっと作れよ。それとも・・・先に倒れてしまうのか?」
「お前を消せば関係ないだろ!!」
ニルスが最後尾のつららに続いた。
決めてくれ・・・。
「結界だけに集中していると思うな!!」
胎動の剣があと一歩でジナスに届くその瞬間、地面から炎が噴き出してニルスを包み込んだ。
「く・・・」
ニルスは咄嗟にマント広げて身を包んだ。
太陽蜘蛛・・・どうなる・・・。
「準備がいいなニルス。だが、私の炎をその程度で防ぎきれるか?」
「ニルス!!」
ジナスの炎は、ステラの操るもの以上の熱気を持っていた。
「ぐ・・・ああ・・・」
太陽蜘蛛でも熱を断てないほどだ。
「シロ!自分の身を守れ!!」
ダメだ・・・その火は離れない。
僕が消すしか・・・。
「大気・・・水・・・炎を包め・・・」
生み出した水は、ジナスの炎ごとニルスを飲み込み、纏わりつく火を消してくれた。
「・・・」
だけどニルスが倒れてしまった。
あいつの力はあとどのくらいあるんだ・・・。
そこまでジナスの心を削れていないのか・・・。
僕の力も・・・そろそろ・・・。
「・・・やはり冷静では無かったな。それでは大事な仲間を守れないぞニルス」
「・・・」
ニルスは気を失っている。
・・・火傷は無い、呼吸ができなくてああなったみたいだ。
「こうなっても剣は離さないか・・・まあいい、目覚めた時に絶望が深くなるようにしてやろう」
ジナスが片手を払うと、ニルスの体が持ち上がった。
「最後だしな・・・そばにいるといい。神は慈悲深いだろう?」
「・・・」
ニルスは倒れたミランダの横に置かれた。
「痛みでも起きないか・・・終わりだな」
「・・・」
ニルスのお腹に一本だけ水晶の刃が突き刺さり、そして消えた。
念のためか・・・。
「ふ・・・ふふ・・・」
ジナスの姿が、また僕と同じくらいの少年に変わった。
本来の姿・・・。
なぜ・・・わざわざ力を使ってまで姿を変えるんだろう・・・。
「鬱陶しいな・・・」
ジナスの背が高くなっていく。
一瞬じゃない・・・。
そうか・・・僕の精霊封印、少しずつだけどあいつを蝕んでいたんだ・・・。
もう一度・・・さっきのを撃てれば・・・。
ダメだ・・・精霊封印が解けてしまう・・・。
◆
「さて・・・お前には聞きたいことがあるんだ」
ジナスがゆっくりと僕に近寄ってきた。
一人・・・ここから・・・どうする?
「受けたのは初めてだが、ここまで削られるとは思わなかったぞ・・・。たしかに、私はお前を甘く見ていた」
僕の体に水晶の塊がぶつかり、吹き飛ばされた。
「・・・洗い場の命、お前程度では無理だ。反動が大きいだろう?まあ・・・使うこと自体、女神が禁じていたからな」
「うう・・・」
「精霊封印・・・解く気は無いらしいな」
体が動かない・・・どうしよう・・・。
「ふふ・・・もう諦めろよ。残ったのはお前だけだ」
髪の毛を掴まれて持ち上げられた。
「・・・ニルス・・・ミランダ」
二人が遠い・・・。
僕は・・・誰も守れなかったの?
「お前が力を使えるのはなぜだ?あの女からも記憶を読めなかった。どういうことか説明しろ」
「話すもんか・・・女神様を解放しろ!」
「女神・・・ああ、女神か。・・・まだ力があったんだな。なにを授かった?」
「教えるわけ・・・ないだろ・・・」
ダメだ、可能性は潰せない。
「・・・あの二人はまだ流れていない。お前が話せば解放してやる。・・・テーゼに飛ばせばいいか?」
ジナスは僕を嘲笑うような言い方をした。
「ふざけるな!助ける気なんか無いくせに!!」
「・・・ふふ」
甘言に乗る気は無い、話したあとに僕たちは消される。
ステラがこの場所を知っている。
お母さんも戦えるし、イナズマの輝石を持っている。
だから・・・まだ希望はある・・・。
こいつにそれを潰されることだけは絶対にしない。
「・・・わかっているじゃないか。解放するわけが無いよな」
「許さないぞ・・・」
「なにもできないだろう?あの川の命を使った代償で、お前の意識はもうじき途切れる・・・目覚めた時、あの二人はもういない。・・・ニルスだけは残念だがな」
悔しい・・・どうしてこうなったんだ・・・。
水晶の雨を抜けたあと・・・ジナスの姿だけじゃなくて、気配も追っていれば・・・少しは変わったのかな・・・。
いや、もっと言えば・・・お母さんを連れてきていればなんとかなったのかもしれない。
万全で来た・・・そう思っていたのに・・・。
「だが、お前の存在は許すつもりだ。ああそうだ・・・イナズマだけは消さないとな。オーゼとチルも呼び、女神の前でやろう。お前たちは、また恐怖に怯えながら役目だけに集中していればいい」
「させるわけ・・・」
「ふ・・・仲間に別れを告げる時間くらいは与えてやる」
「く・・・放せ・・・」
体が動かなかった。
もう抵抗する力が無い・・・。
なにもできなかった。
たくさんの人たちが協力してくれたのに・・・。
僕は・・・やっぱり閉じこもっていた方がよかったんだ・・・。
「触るな・・・」
僕は首を掴まれた。
「運んでやる」
もっと僕が強ければ・・・。
「・・・涙か、くだらん」
お前になにがわかる・・・。
◆
「最後になにか声をかけてやれよ。気付いて答えてくれるかもしれないぞ」
僕は二人の頭の近くに落とされた。
「・・・」「・・・」
ニルスもミランダも、目を閉じたままだ・・・。
『・・・オレの選択は間違っていなかったんだ。ミランダ、シロ、ステラ・・・全部みんなに繋がっていた。だからこれでいい・・・』
違うよニルス・・・。
僕とは・・・僕とだけは繋がらない方がよかった・・・。
「ごめんなさい・・・ニルス、ミランダ・・・一緒にいてくれてありがとう・・・」
謝っても許してもらえないだろうな・・・。
「つまらないな・・・。お前たちが弱いからこうなったと本音を言えばいい」
「お前には・・・わからないよ・・・」
これから僕には残酷な出来事が待っている。
ニルスみたいに心を凍らせれば耐えられるかな・・・。
「お前の意識があるうちにこいつらの手足を奪っておこう。よく見ておくんだな」
ジナスは、ミランダに刺さっていた剣をわざとゆっくり抜いていった。
「う・・・あああ!!!」
ミランダが余りの痛みにうめき声を上げた。
なのに・・・指先すら動かない。
ただ見てるしかないんだろう・・・。
◆
「・・・シロ・・・大丈夫・・・だよ」
絶望の中、僕の耳に柔らかい風が当たった。
・・・ミランダ?
「なんだ・・・これは・・・」
なんとか首を動かすと、ジナスの体が結界に閉じ込められていた。
守護・・・ミランダが・・・。
「シロ・・・どうして謝るんだ?オレたちは・・・これからも一緒だろ?」
ニルスがゆっくりと立ち上がった。
さっき刺されたお腹から血が溢れている。
それでも力強く、真っ直ぐな瞳・・・。
ミランダの結界・・・。
守るためではなく、攻撃のため・・・。
「目覚めていたのか・・・」
「結界を壊せるんだったな・・・その前に終わらせる!!」
目が見えなくなってきている・・・僕はもう限界みたいだ。
キビナで経験した眠りと同じ、意識がもうすぐ途切れる・・・。
◆
「必ず帰る・・・約束したんだ・・・」
最後に僕が見たのは、真っ二つになったジナスの姿だった。
ありがとうニルス・・・。
これで・・・一緒に帰れるね・・・。




