第百二十話 信じることは【アリシア】
最後の戦場まであと十日だ。
今の私に恐れるものは何もない。
大切な子どもたちのために、必ず勝とう。
そう、子どもたちのため・・・幸福な未来を。
◆
ルージュをエイミィさんに預けに来た。
ルルの所は、グレンがいる可能性があるから行きづらい・・・。
「なんかね、シロが元気ないんだ」
「変だよ・・・。寂しそうにしたり、恐い顔したり・・・悩んでる」
ルージュとセレシュが、シロの異変を教えてくれた。
最近話していなかったが、なにかあったのだろうか。
「ケンカでもしたのか?」
「そんなんじゃないよ。とにかくいつもと違うの」
「種の月になってから・・・戦いのこと考えてるって・・・言ってた」
「お母さん、なんかシロ・・・かわいそうだよ」
友達を想う娘の顔はとても切なく、その中に必死さも見えた。
「・・・最近なぜかうちにも来なくなったからな。・・・わかった、母さんもシロを気にして見てみることにするよ」
あの子のおかげで、ルージュは楽しい話をよく聞かせてくれるようになった。
そしてニルスをとても心配してくれていた優しい子だ。
泊まりに来て、ルージュと三人でベッドに入ると幸せな気持ちになる。
なにか力になってあげられればいいのだが・・・。
◆
「あ?シロとは最近話してねーな」
まずティムに聞いてみた。
仲はいいらしいが・・・。
「ただ、なんか避けられてる気はする。悩みでもあんじゃねーの」
「そうか・・・」
「俺が聞いてやろーか?」
「いや、これは私がやるよ」
避けられているか・・・。
ならティムの質問には答えてくれないかもしれない。
「ティム、暇か?少し付き合え」
イライザさんが現れた。
また腕が太くなっている気がする・・・。
「やってやるよ、手抜くなよ?」
「勝てないくせに何言ってるんだか・・・」
「お前・・・ウォルターのおっさんより強くねーか?」
「どうだろうね。あいつ私とは組みたがらないからさ。ほら行くよ」
ティムが連れて行かれた。
まあ、昼には返してくれるだろう。
さて・・・もっと近い人間に聞けばはっきりしそうだな。
◆
「ニルス、最近シロの様子がおかしいらしい。気付いているか?」
息子に聞いてみた。
共に生活をしているから、変化を察知しているかもしれない。
「・・・当たり前だろ。今日にでも声をかけようと思ってた・・・どう話すか考えてたんだ」
「どんな様子なんだ?」
「少し見ればわかるよ。・・・シロとは最近話してないの?」
「ああ、うちにも来てない。・・・お前とティムしか見ていなかったよ」
ニルスのことが解決して、シロの不安も消えたと思っていた。
まだなにか抱えているものがあるのだろうか。
「見ればわかるんだな?」
「うん。アリ・・・母さんなら・・・わかるはずだ」
ニルスは目を逸らした。
私に自分で確かめてほしいということなのだろう。
私ならわかるか・・・。
試されているようだが、受けてやろう。
◆
「ニルス―、食堂行こ―」
昼になり、ミランダが駆け寄ってきた。
シロは・・・どこにいるんだろう?
「あれ・・・配膳係がいない。ニルス、あいつどこよ」
「あっちでイライザさんとやってる」
ティムはまだ打ち合っていた。
ずいぶん腕を上げたな。
「あ・・・ほんとだ。まあ・・・ほっとくか」
「ミランダってイライザさんに弱い?」
「強い女は尊敬してるからね」
男は別なのだろうか・・・。
「あ・・・みんなまだいたの?スコットさんたちは食堂に行ったよ」
いつの間にかシロが来ていた。
・・・なんとなく暗い顔をしている。
「じゃあオレたちも昼にしよう。シロ、一緒に行こうか」
ニルスがシロの頭を撫でた。
「うん・・・いいよ」
あまり嬉しく無さそうだ。
ルージュが言っていた通り、様子がいつもと違う。
そしてこの感じは・・・知っている気がする。
◆
四人でテーブルに座った。
シロも料理を取ってはきたが、全然食べようとしない。
「シロ、最近一人でいることが多いけどなにかあった?」
ニルスが先に声をかけた。
何を考えているか、これで答えてくれればいいのだが。
「え・・・なんにもないよ・・・」
「ぜんぜん食べてないね。元気無いの?」
「・・・ミランダにあげる。・・・忘れてるみたいだけど、僕は元々食べるなんてしなくていい」
シロはミランダに「鬱陶しい」という言い方をした。
心に余裕が無いのを必死に隠そうとしてこうなったんだろう。
ニルス・・・わかったよ。
「なんか悩みでもあんの?」
「なんでもない!放っておいてよ!」
「・・・どうしたのよ?心配してんでしょ」
ミランダ、それではダメだ。
話してくれるはずがない。
「・・・ごめんなさい。・・・一人でいたい・・・今日はもう帰るよ」
シロは食堂を飛び出していった。
自分が情けない・・・。
もっと早く気付いてあげていれば、辛い日々をもっと短くしてやれたのに・・・。
「なによあの子・・・」
「ミランダ、シロを悪く思わないであげてね」
ニルスが私を見ながら言った。
目が「わかったか?」と言っている。
「悪くは思ってないよ。・・・でも最近一人でどっか行っちゃうし・・・一緒に寝てくれないし・・・大丈夫かなっては思ってたから」
ミランダも異変には気付いていたみたいだ。
ただ、接し方がある。
「まあ・・・もう心配しなくていい。オレが話してくるよ」
ニルスが立ち上がった。
この子ならシロの不安を取り除くことができる。
任せればなんの心配も無い。
だけど・・・。
「待ってくれ、私に行かせてほしい」
「え・・・二人ともわかるの?」
「まあ・・・ね。アリシア、どうすればいいかは・・・」
「わかるさ。経験したからな」
だからこそシロも救える。
あの状態を放っておくことは、もう・・・できない。
「アリシア、どんな決断をしてもオレはシロの味方だ。そう伝えてほしい」
「よくわかんないけど・・・あたしもそうだって伝えてください」
ニルスたちは、私を信じて託してくれた。
見憶えがあって当たり前だ。
ニルスの様子がおかしいと感じていた頃・・・同じ顔・・・。
あの子はニルスと同じで優しい、だから抱え込む。
今のシロは、あの頃のニルスだ。
◆
訓練場の門を過ぎた所でシロを見つけた。
寂しそうな背中と、不安を絡ませた足でとぼとぼと歩いている。
飛び出した時の勢いは、すぐに無くなったようだ。
「シロ、私も一緒に帰るよ」
「・・・」
後ろから声をかけると振り向いてくれた。
しかし眉間に皺を寄せ、恐い顔をしている。
「アリシア・・・今日は一人でいたいんだ」
暖かくなってきたのに、シロの声は氷のように冷たかった。
これもニルスと同じだな。
本当は寄り添ってほしいのも・・・。
「どこかに行くのか?」
「わからない・・・」
「私も一緒に歩きたいんだ。静かな方がいいならずっと黙っていよう」
「好きにすれば・・・」
だから拒まず受け入れてくれる。
・・・こんなに簡単なことだ。
◆
目的の場所も無く、ただ二人で歩いた。
なにかをしたいわけじゃない、ただ逃げ出したかっただけなんだろう。
「・・・」
シロは広場の椅子に座った。
「・・・隣に座ってもいいか?」
一言も話さなかったが、私が隣にいるかどうかは確認しながら歩いてくれていた。
だから・・・。
「・・・いいよ」
受け入れてくれる。
まだ、救える段階だ。
「そうだ、一緒に地図を見よう。私も少しは覚えたんだぞ」
「ふーん、なら問題出してあげる」
シロは口元を少しだけ緩めてくれた。
おそらく戦いから遠い話をしたいんだろう。
ニルスも、ルージュの話の時はこうだったからな。
◆
「僕の城がある場所もわかるようになったんだね」
「当然だ。ルージュにも教えてあげられるようになったんだぞ」
「最近お勉強をするようになったって教えてもらったよ」
シロはいつも通りの話し方に戻った。
憂鬱になることを少しだけ忘れられたようだ。
「シロ、どこか行こうか。お昼を食べずに出てきただろう?」
「アリシアは食べたんじゃないの?」
「シロと一緒にいたくてミランダにあげた」
「そう・・・怒ってた?」
シロはまた寂しい顔になってしまった。
仲間に当たったことを思い出し、悪いことをしたと感じたんだろう。
「怒ってはいなかったよ。ただ、話してほしい・・・そう言っていたな」
「・・・なんでもないよ」
「そうか・・・」
「・・・」
シロはまた黙り込んでしまった。
◆
無言のまま時間が過ぎていった。
シロは時たま頭を触ったり、自分の手を見つめたりと、動きはあるがそれだけだ。
・・・大丈夫だよシロ。
安心できるまでそばにいるから・・・。
◆
「風・・・」
シロが空を見上げた。
やっと声を聞かせてくれたな。
「強いね・・・」
持っていた地図の端が、風ではためき音を立てている。
「耳障りだったならすまない」
私は優しくたたんで服の内側に押し込んだ。
「・・・ねえ、アリシアはニルスとルージュを会わせてあげたいんだよね?」
「そうだな、だが私が頼まなくてもそうなるだろう。心配はしていないよ」
これはシロが背負うことはない問題だ。
気にすることは無い。
「誰も戦う必要が無くなれば・・・ごめんね、聞いてたんだ」
「かまわないさ」
「その日が楽しみ?」
「もちろんだ」
「そう・・・だよね・・・」
シロは俯いてしまった。
吐き出したくて仕方がないんだろう。
でもそれをすることでみんなからの扱いが変わるかもしれない・・・そんなところだな。
シロ、みんなはそんなにひどい者たちではないよ。
「ルージュはセレシュの所に預けてきたが、遊びには行かないのか?」
「気分じゃない・・・それに戦場まであと十日だよ。本当は・・・訓練場に戻って、みんなのお手伝いをしないといけない・・・」
「そんなことは気にしなくていい。そうだ、今から私の家に行こう。なにか作ってあげるよ」
「・・・」
シロは立ち上がらなかった。
・・・仕方のない子だ。
「わっ、なにするの?」
「シロと手を繋ぎたいと思ったんだ。今日は一緒に帰ろう」
「・・・うん」
「卵のスープを作ってあげよう」
冷たい手だな・・・。
早く温めてあげなければ。
◆
家に戻り、二人で向かい合って座った。
「どうだ?」
「うん・・・おいしい・・・」
シロは小さな口で少しずつだが食べてくれた。
「食べれば元気も出るだろう」
「僕は・・・元気だよ」
まるであの頃のニルスが戻ってきたように感じる。
食べ方・・・仕草・・・この子もとても愛おしい子だ。
だからこそ、話さないといけないな。
「シロ、なにか私たちに遠慮しているのか?」
「そんなこと・・・ないよ・・・」
この子の心は、もういっぱいいっぱいですでに溢れていた。
どうやら強がりもここまでのようだ。
「なら質問を変えよう。どうして涙が出ているのか教えてくれないか?私はシロの味方だ。必ず力になるよ」
「・・・」
シロは食べる手を止めて椅子から下りた。
自分には味方がいる・・・それだけで心は楽になる。
あの頃のニルスにとってのルルがそうだったように・・・。
「おいでシロ」
「・・・」
シロは私の膝に乗って抱きついてくれた。
泣き顔を見せたくないんだな。
男の子はみんなそういうものらしい。
それなら、もっと隠してあげよう。
私はシロの頭を両腕で包んであげた。
◆
「嫌なことって・・・やらなくてもいいのかな・・・」
胸の中からこもった声が聞こえた。
こういうところもニルスと同じだな。
「私はそれでもいいと思うよ」
「でも・・・たくさんの人が関わってたら・・・」
「そうだな・・・。まずはなにが嫌なのかをわからないといけない。それはシロが思っているよりも重要ではないかもしれないぞ」
なにも不安になることはない。
そうなっても、私はシロを悪く思わないよ。
◆
「恐い・・・ことがある」
シロは、私の胸の中でぽつんと言った。
深く顔を埋めているがはっきりと聞き取れる。
・・・わかっていたからだ。
「教えてくれないか?」
「ニルスたちに・・・知られたくない・・・」
「大丈夫だ。誰にも話したりしないよ」
ルルも同じだったはずだ。
ニルスは、シロが自分と重なったから気付いたんだろう。
「ジナスと繋がるのが恐い・・・でも僕しかできない。・・・消された精霊たちを見てきた。もう負けないって決めたのに・・・ずっと残ってて・・・」
なんだそんなことか・・・。
大きな問題ではないみたいだ。
「それなら次で戦場を終わらせるのはやめよう」
「え・・・」
シロは急に顔を上げて私を見つめてきた。
潤んだ目を見開き「ありえない」と言いたそうだ。
「ダメだよ・・・ニルスとルージュはどうなるの・・・」
「気にするな、次はただ戦えばいい。ニルスに不安があるなら待っていろと言ったんだろう?シロも同じだ」
「王様も・・・軍団長さんも・・・みんな次で終わりだって思ってる。そんなのできないよ・・・僕がこんなんじゃダメなのに・・・みんなに嫌われるかもしれない・・・」
本当の気持ちを伝えたら、大好きな仲間たちから呆れられ、見放されるかもしれない。
だから・・・誰にも打ち明けられずにこうなってしまった。
これは仕方がない。
とても難しいことだから・・・。
「心配はいらない、もしシロを責める者がいるなら私が守ろう」
「アリシアが・・・」
「言っただろう。私はシロの味方だ。お前が嫌な思いをしないように守ろう」
「・・・」
シロの体が温かくなってきた。
少しずつでいい、凍らせた心を溶かしてやろう。
「無理をする必要はない。ルージュたちと帰りを待っていればいいんだ」
「できない・・・僕は戦場に行く・・・」
ニルスもこうだったな。
・・・同じようにはしないよ。
「それならば、その時にシロが無理だと思ったら私に言うんだ。そして帰ろう」
「・・・」
シロの涙はとても綺麗だ。
愛で凍らせた心、それが溶けだしているからなのだろう。
「帰ったら朝食の時間だな。急いでルージュを迎えに行って、前の晩に作っておいたシチューを温めようか」
「・・・」
「シロが好きだと言ってくれたパンも焼こう。そうだ、ミルクに入れる砂糖はいつも二杯だが、もう一杯入れてもいいぞ」
より強く抱きしめた。
私だけはシロを離さない、ずっとこうしていたい・・・。
「相手が軍団長だろうと、聖女だろうと、王だろうと・・・誰にもシロを責めさせない」
「なんで・・・」
「シロも私の子どもだと思っているからだ」
「・・・」
シロも私を離さないとばかりに抱きしめてくれた。
嬉しいのか嫌なのか・・・言ってほしかったな。
「僕がダメでも・・・怒らない?」
「嫌なことを黙っていたら叱るよ」
「あったかい・・・女神様と同じ。・・・そうだよ・・・助けなきゃいけない」
女神か・・・私やシロにとっての母のようなものだからな。
・・・どちらを選んでも、私はシロを守ろう。
「どうする?戦場に出るのも不安があるなら私からみんなに話そう。文句がある者は全員相手になるつもりだ」
「・・・ニルスでも?」
ふふ、あの子が文句を言うはずがない。
「ニルスはシロの心に気付いていたよ。本当は、私ではなくあの子が同じことをしてあげるつもりだったみたいだ」
「気付かれてた・・・でも・・・」
「どんな決断をしてもシロの味方だ。そう伝えてくれと言われた・・・ミランダもな」
「僕・・・話したら・・・嫌われるって・・・」
勝手な思い込みは誰にでもある。それが大きくなると真実が霞み、迷いが生じる。
この子の中に降り積もった不安は、仲間の気持ちも見えなくさせるほどになっていたらしい。
「私も最近やっとわかったんだが・・・信じることは難しいだろう?」
「うん・・・むずかしい・・・」
だから、もっと愛してあげなければいけない。
「シロ・・・ニルスやルージュと同じように、お前も愛しているよ」
「・・・ルージュが言った通りだ。アリシアにこうしてもらうとなんだか恐くない・・・」
甘えん坊だな・・・うちの子はみんなそうだ。
「そして、ジナスからも私が守ろう」
「ニルスとおんなじこと言ってる・・・親子だから?」
「シロの仲間はみんなそう言ってくれるよ」
「・・・うん」
シロの顔から不安が消えている。
恐れずに踏み込むことで心を開いてくれた。
以前の私は、こんなに簡単なことができずにいたのか・・・。
「・・・アリシアが守ってくれるなら僕は大丈夫。でも、ジナスを探す時は手を繋いでいてほしい」
「わかった、約束しよう。だが無理だと思ったらすぐに言うんだぞ?」
「僕にしかできない・・・替わりがいない。それにみんなと早く旅に出たいんだ」
夢を話す顔もやはり似ているな・・・。
きっと叶えてあげよう。
◆
「ニルスはもっと長い間戦ってたんだよね・・・。まだ僕はそんなに強くない・・・」
シロの涙が完全に止まった。
心はすべて溶けたようだ。
「私のせいでもある。だが・・・今の私なら戦うなんてさせなかったよ」
「うん・・・でも、だからあんなに強くなれたんだと思う。僕は・・・まだまだだから・・・」
シロはとても遠い目をしている。
『でも旅をしていくうちに、僕も強くなりたいって思ったんだ・・・ニルスみたいに』
シロが憧れた男・・・この子はまだずっと遠くに感じているらしい。
「シロはもう・・・ニルスのようになれているよ」
しっかりと目を合わせて教えてあげた。
「恐くても立ち向かう強さを持っている。それはあの子と同じだ」
「えへへ・・・ジナスを倒せたらもっと褒めてほしいな」
「当たり前だ。母さんは、ちゃんと自分の息子を褒めるよ」
「・・・うん」
頭を撫でると、また無邪気な笑顔を見せてくれた。
ふふ・・・これで私の子になったな・・・。
「じゃあ、一緒にルージュを迎えに行こう。帰りに市場で買い物もしようか」
「荷物は僕が持ってあげる」
ルージュもきっと喜んでくれるだろう。
少し小さいが兄ができたんだからな。
・・・もう一人は戦いが終わったあとになってしまうのは寂しいが、今日は親子三人で過ごそう。
ニルス、食卓にお前がいる未来を必ず勝ち取るよ。
あと十日・・・血が滾るな。




