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Our Story  作者: NeRix
水の章 第三部
115/481

第百十話 違い【ミランダ】

 「お前は・・・私よりもずっと強い・・・頑張ったじゃないか」

アリシア様がニルスを抱きしめた。

うまくいった、これで仲直り・・・。

 「離してくれ!!もう子どもじゃないんだ!!」

とはいかなかった。

え・・・バカ、なにやってんのよ・・・。


 「今さらそんなことするな!!」

「あ・・・すまない・・・ニルス」

アリシア様は突然のことに抱く力を緩めた。

 まったく予想していなかったことだと思う。

だけど、今のは絶対にしてはいけないことだ。


 ニルスはまた母親を試しただけ。

離さずに抱きしめれば全部うまくいったのに・・・。



 ニルスは剣も拾わずに訓練場を出て行った。


 「・・・」

アリシア様は俯き、肩を落としている。


 「あいつ・・・泣いてたな」

ティムが寂しそうな声を出した。

自分より圧倒的に強い存在の涙に、なにか感じたんだろうな。


 「・・・幻滅した?」

「・・・別に。そういう日もあんだろ」

「そう・・・」

「アリシア・・・追いかけねーんだな」

それは見ていたみんなが思ってる。

 「走んの速すぎだろ・・・。もう追いつけねーだろーけど」

「そうだね・・・。すぐ追いかければ間に合った」

「俺も走ってくる・・・。どうせ今日は戻ってこねーだろ」

ティムはなんとも言えない顔で離れていった。


 あたしは・・・そっちに行かないと。



 「・・・少し休んで落ち着きましょう」

「・・・ニルスは・・・私をどうして拒む?・・・繋がったと思った・・・受け入れてくれると思った・・・」

アリシア様は子どもみたいに泣いていた。


 これでうまくいくって母親も思っていたはずだ。

そうならなかったのは、足りないものがあったから・・・。


 「どうして・・・追いかけなかったんですか?」

「突き放されるのが・・・恐い・・・あの子に嫌われるのが・・・恐い・・・」

目の前にいるのは憧れた雷神ではなかった。

息子を想ってはいても踏み込めない母親・・・そんな女性だ。


 ルルさんには「何を言われても全部受け止める」って言ってたらしい。

あたしが見ていた限りは実際そうだった。

ニルスに何を言われても、顔には出さないですべて受け止められていたと思う。

 だって、必ずうまくいくって信じていたから。

これでニルスも自分への信頼を取り戻してくれる。

抱きしめれば全部解決・・・そう思ってきたから、最後の最後でこうなるとは一切考えていなかった。


 「剣を拾ってください。まだ・・・全部終わったわけじゃない」

「これ以上どうしろと言うんだ・・・もうあの子は行ってしまった・・・」

「もう少しだったんですよ・・・」

足りなかったのは、あそこでもう一歩踏み込む勇気・・・それがニルスの欲しかった愛だ。

追いかけてもう一度抱きしめることができれば変わったかもしれない。


 「ニルスを離してはいけなかったんです。ああなっても追いかけないと・・・」

どうしたらいいんだろう?

これじゃ前と一緒になっちゃう・・・。

 「追いかけ・・・」

「え・・・アリシア様!!」

アリシア様が倒れた。

・・・もう。



 アリシア様を医務室まで運んだ。

ニルスはもう戻って、自分の部屋に閉じこもってるんだろうな・・・。


 「ニルス君の攻撃・・・かなり我慢してたみたいね。私なら死んでるんじゃないかな・・・」

ティララさんがアリシア様に治癒をかけている。


 「そうじゃな、躱せるものも受け流せるものもあったはず。・・・女とは思えんくらい頑丈な体じゃ」

「訓練場来た時からそうだったよ」

「戦場で、腹に穴開けられた時もありましたけど生きてましたね」

おじいちゃんにウォルターさん、スコットさんも付いてきてくれていた。

 ほとんど受け止めてたけど、思いの力だけで耐えてたのか。

でも、それがさっき途絶えた・・・。


 「ニルス・・・行かないでくれ・・・一緒に・・・」

アリシア様が苦しそうな声を上げた。

まだ目は覚めないけど、ニルスみたいにうなされてる・・・。

 「アリシア!起きろ!」

ウォルターさんが体を揺すった。

まあ・・・抱きしめたりはしないか。


 「ん・・・ここは・・・」

アリシア様はすぐに気が付いた。

きっと苦しい夢だったからだ。


 「医務室だよ」

「ああ・・・たしか・・・ウォルターさんの攻撃を受けて・・・でしたね・・・」

アリシア様は虚ろな目をしていた。

なに・・・言ってるの・・・。

 「お前は何年前の話をしてんだ?

「・・・」

「・・・ニルスに負けたんだろ?」

「・・・そう・・・でしたね・・・」

ああそうか・・・。

受け入れたくないんだ。


 「・・・今日は帰れ。一旦全部忘れて、何日かルージュと遊んでやるといい」

「・・・はい」

「あたしが送ります・・・」

この状態のアリシア様は放っておけない。

 「頼むぞミランダ・・・。アリシア、落ち着くまで出てこなくていい」

「・・・はい」

けど、ニルスも心配なのよね・・・。

たぶん今は一人ぼっち・・・。


 ステラがいないのは大きい。

いればなんとかニルスを戻してくれたかもしれない。

 シロも今日に限って遊びに行ってる。

あれを見てれば、ニルスを追いかけて慰めてくれたはずだ。


 ・・・いや、いないのを当てにしちゃダメだ。

あたしがなんとかするしかない。



 二人で訓練場を出た。

アリシア様はずっと下を見て歩いている。


 「ミランダ・・・すまないな。一緒にいてくれて・・・ありがとう」

「これから・・・どうするんですか?」

「・・・」

アリシア様はまた泣き出した。

今からニルスの所に連れて行くのは・・・ダメだよね・・・。


 「・・・ルージュは、今日どこで遊んでるんですか?」

「シロたちと・・・下町に行った・・・水路を辿ると・・・」

ちっ・・・動き回ってるのか。

ルージュを見れば少しは気持ちを立て直せそうなのに。


 あたしが付いててもかけてあげる言葉が見つからない。

誰か・・・ルルさんがいるじゃん。



 ルルさんは早めにお店に出ていた。

化粧に気合が入ってるから、グレンが来る日だったんだろうな。


 「・・・バカじゃないの。なんで追いかけなかったのよ?」

ルルさんはさっきの出来事を聞いて、あたしと同じことを言った。

とても低く静かな声・・・。


 「お母さんなんでしょ?」

「・・・」

「なんでもできるんじゃなかったの?・・・なんとか言いなさいよ」

ルルさんはとても怒っている。


 気まずい、ここにいたくない・・・。

動くのも許されないような張り詰めた空気、数少ない雷神が敵わない人・・・。


 「あんたさ・・・信頼が欲しかったんじゃないの?」

「でも・・・拒まれた・・・。今さらそんなことするなと・・・」

「それで怖気づいたってわけ?・・・ニルスはあんたを試してるだけなんだよ?」

「・・・試す?」

アリシア様は気付いてなかったみたいだ。

ていうかルルさんも教えてなかったのか・・・。


 ニルスは、母親なら追いかけてきてくれるはず・・・認めないだろうけど、そういう期待を持っている。

 たまに皮肉とか冷たいことを言ったりするのも、自分に関心があるなら注意したり、叱ったりしてくれることを願っていたからだ。


 ・・・あたしでさえ気付いてたのに。


 

 「・・・だから、あなたは追いかけなければいけなかったの。捕まえたらまた抱きしめて、愛してるよニルス・・・こんな簡単なことだったのよ?」

ルルさんはニルスの心理を踏まえて説明してあげた。

 「それができてたら、今頃はニルスと一緒にルージュを迎えに行っていたかもしれない」

わかっていたら違った今があったことも・・・。


 「そうか・・・私は・・・あの子がしてほしいことを・・・」

アリシア様もやっと気付いたみたいだ。

旅に出る前に解決もできたよね・・・。

 「ニルスは意識してやってるわけじゃないだろうけどね」

「そうだと思う・・・」

「ずっと一緒に鍛錬してたなら気付くと思ってたけど・・・教えておけばよかった・・・」

「いや・・・気付かなかった私が悪い・・・」

でも、ルルさんはここからどう持っていくつもりなんだろう?


 「そして、もう遅いのかもしれない・・・。あの子は、追いかけなかった私に愛想を尽かしたんじゃないだろうか・・・」

アリシア様の心は折れかけている。

このままじゃ、明日ニルスが来たとしても同じことはできなさそうだ。


 「仕方ないお母さんね。・・・助けてあげるよ」

ルルさんは涼しい顔をしていた。

 「え・・・ちょ・・・どうにかできるんですか?」

「できるよ」

この状況からでも和解できる方法があるみたいだ・・・。。


 「ルル・・・教えてほしい・・・」

アリシア様も希望を早く聞きたいって顔だ。

 「あたしね、ニルスと約束したの。アリシアに勝てたら朝食をごちそうしてあげるって」

ああ、そういやきのう言ってたな。

でも・・・それがなんだ?


 「あの子はルルの料理が好きだったからな・・・」

「は?まったく・・・あなたが作るの。大丈夫、わかってくれるはずよ」

なるほど、お母さんの料理か。


 『あの家で出されるものはみんなおいしいよ』

うん、それならニルスも喜びそう。

そして、また和解に持っていけるかもしれない。


 「私が・・・」

「当たり前じゃない。ニルスはあたしの料理をおいしいって言ってくれてるけど、一番好きなのはあなたが作ってくれたものなのよ」

「そう・・・なのか?」

「忘れたの?旅立ちの朝に、あの家で出てくるものは全部好きだって」

そうだよね。

あたしもメルダが蒸かしてくれたパンとか好きだったな・・・。


 「・・・思い出した?」

「うん・・・ありがとうルル。次は離さない」

アリシア様に元気が戻ってきた。

絶対成功させないとね。

 

 「あれ・・・待て、あの子はうちに来てくれるだろうか」

「来るわけないでしょ。ここに呼ぶの。今日はうちに泊まって、明日の朝にしましょ」

言われてみればそうよね。

 「朝食を食べさせたいから来てほしい」って言って、それで来るならこんなことになってない。

だからルルさんとの約束・・・きっと警戒しないで来てくれる。

 ・・・すごいな、二の手を考えてたのか。

それくらいこの家族が好きなんだろうな。


 「というわけで・・・ミランダ、ニルスに伝えてちょうだい」

「わかりました。必ず来るようにします!」

「ありがとうミランダ・・・」

「アリシア様は食材を用意しておいてください」

あたしは酒場を出て走った。

この機会を逃せば次は無いかもしれない・・・。



 「ニルス・・・戻ってる?」

「・・・」

ニルスは自分の部屋にいた。

でも・・・。

 「返事してよ」

「・・・」

雨戸も閉め切った真っ暗な中、ベッドに潜り込んで顔も出してくれない。


 「あのさ・・・勝ったんだからもっと喜びなよ」

「・・・あの時・・・本当は嬉しかった・・・」

こもった声が聞こえた。

あたしだから喋ってくれたのかな?


 「嬉しかったんならなんで突き放したの?」

「わからない・・・ありがとうって言いたかったんだけど・・・」

泣いてる・・・。

 「・・・アリシア様も泣いてたよ」

「・・・あの人は・・・今なにしてるの?」

「帰ったよ。あんたもいなくなったし・・・」

本当は違うけど・・・とりあえず早く明日のことを伝えよう。


 「さっきね、ルルさんに会ったんだ。ニルスが勝ったことを教えてあげたの」

「ルルさん・・・」

「朝食作ってもらう約束してたでしょ?・・・明日の朝に来てほしいって」

「・・・わかった・・・そうする」

毛布が動いた。

母親が作るって教えたら断られたんだろうな・・・。


 「父さん・・・剣を忘れてきた・・・」

「アリシア様が預かってくれてる。明日訓練場で渡してくれると思うよ」

「・・・来るわけないだろ」

「そんなことないって。大丈夫だよ、きっと全部うまくいく」

「・・・」

ニルスは返事をしなかった。

明日の朝までなんとか耐えてくれればいいんだけど・・・。


 「オレ・・・何を間違ったんだろう。全部・・・自分で決めてきたんだ・・・」

一人にするのは、なんか心配だな。

 「今日は・・・一緒にいようか?」

「・・・大丈夫」

「夜は?」

「・・・平気だよ。・・・ありがとうミランダ」

ニルスの声から震えが無くなった。

あれ・・・なんか大丈夫そうだ。


 「平気ならさ、なんか甘いものでも食べに行かない?」

「一人がいい・・・考え事をしたいんだ・・・」

「わかった・・・下にいるからね」

ニルスの部屋を出た。


 明日の朝までどうしようかな。

せっかく早く帰ってきたのに、ニルスがこんな状態じゃ一緒に出かけたりも無理そうだ。

・・・紅茶でも淹れるか。

 


 お昼が過ぎた。

なにもすることが無い・・・。


 「大丈夫だよ、ちゃんと僕が見てるんだから・・・」

「みんなで作ったんだから気になるよ」

「うんうん、それにシロのおうちあったかいんだもん」

まったりしてるとかわいい声が聞こえてきた。


 ・・・シロとルージュたち・・・まずい。

ニルスがいないと思って連れてきたのか。

せめて気配がどこにあるか確かめてからにしてよ・・・。


 「なにしてんのー?」

すぐに窓から顔を出した。

絶対に中に入れちゃダメだ。

ていうか水路辿ってんじゃなかったの?


 「あ、ミランダだ。今日は早いね」

「こんにちは・・・」

「あはは・・・いらっしゃい。・・・シロ、ちょっとだけ来て」

ニルスが出てくることは無いだろうけど、万が一もある。

早く帰さないと・・・。



 「え・・・そうなんだ・・・ごめんなさい」

「とりあえず、今日は他で遊んであげて」

「わかった・・・」

シロに今日のことを簡単に話した。

ちびっ子たちを早くなんとかしないといけない。


 「心配はいらないからね。明日にはきっとうまくいくはずなの。でも今はそっとさせてあげたいんだ」

「・・・本当に大丈夫なの?」

シロが大人びた声を出した。

二人の和解は、今回の戦いの鍵なんだから不安はわかる。


 「アリシア様は諦めてない。だから信じてあげようよ」

「わかった。今日は早めにみんなを帰して、ニルスと一緒にいることにする」

「どうかな・・・」

「何も聞いてないふりをするよ。それに、明日の朝は必ずルルさんの所に連れて行かないとなんでしょ?」

冷静に見えるけど、気が気じゃないんだろうな。

 けど、ニルスもその方がいいかもしれない。

嘘だけど、事情を知らないシロみたいな存在が一番一緒にいて楽だよね。


 「それならさ、あの三人は今からあたしが送るよ。シロは頼まれてた用事あるってことにして、ニルスといてあげて」

「え・・・いいの?」

「平気平気、任せてよ」

「シリウスは一番最後だからね」

言われなくてもわかってるよ。

とりあえずルージュとセレシュをウォルターさんちに置いてからだな。



 「すみませんミランダさん・・・」

シリウスと一緒にお城の近くまで歩いてきた。


 「気にしなくていいよ。なんとかバレずに済んだしね」

「あはは・・・」

この子を送るってことは、家もお父さんも知ってるってことになる。

だからシリウスが機転を利かせた。


 『え・・・じゃあミランダもシリウスのおうち知ってるの?』

『ミランダさんはボクのおうちを知らないよ。えっと・・・今日は北区の料理店で父上と夕食なので・・・そこで大丈夫です』

『えー、それがわかると思ったから送ろうと思ったのに』

『すみません・・・父上が心配性でして・・・』

ルージュとセレシュは、特になんにも思わなかったみたいで助かった。


 「なんとなくですけど・・・ニルスさんがいたんですか?」

「え・・・わかったの?」

「ミランダさんが二階を気にしている感じだったので・・・」

子どものくせに察しがいいわね・・・。

 「なにかあったんですか?」

「もうすぐ丸く収まる。そしたらシロが教えてくれるよ」

「ルージュのことも・・・大丈夫ですか?」

「きっとね」

いい子だな、シロとおんなじで友達思いだ。

本当は隠し事なんてしたくないよね。

あれ?でも・・・。


 「ねえねえ、自分のことは二人に話さないで行っちゃうの?」

気になったから聞いてみた。

「絶対秘密ね」って言えば、あの子たちは黙っててくれそうだ。


 「・・・話さずに行きます。でも、ボクは必ずこっちに戻ってくるつもりです。その時に・・・」

「先延ばしにするんだ?」

「父上が心配性なのは本当なので・・・。なにかのきっかけでボクのことが知られてしまったら、母上にも迷惑がかかるかもしれません。王子として育てられてはいませんが、身分は間違いなく王族なので・・・」

「あんたも大変だね・・・」

シリウスが王子だってバレたらかなり危ないよね・・・。

この子はこんなちっちゃいのに、自分の立場とか状況をちゃんと理解してるんだな。

 これは仕方のないこと。

ルージュとセレシュは決して悪い子ではないけど、まだ分別が付く感じじゃない。

 シリウスの秘密を外に漏らさないように頑張ってはくれるだろうけど、そのことをどこかで話す時に誰かの耳に入る可能性がある。

聞いてしまったのが、良くないことを考える奴だったら・・・そういうのがあるんだろうな。


 

 「え・・・ここでいいの?」

「はい、さすがに正面から戻ると丸わかりなので・・・」

シリウスに案内されたのは、お城のすぐ近くにあるお屋敷だった。

たしかにそうだ。番兵に「じゃあ、あとよろしくねー」とかできるはずないよね・・・。


 「では・・・ありがとうございましたミランダさん」

「うん、またね」

「お送りいただき感謝します」

中にいた執事っぽい人にもお礼を言われた。

この子のことを知ってるから立場はけっこう上なんだろうけど・・・胸見やがって。


 さて・・・ニルスにはシロがいるし、あたしは酒場に行こ。

 


 「なんか・・・お客さん来ないですね」

酒場はとっても静かだった。

いつもは騒がしい戦士たちがいないせいだ。

 まあ・・・ニルスたちの様子は見られてたから、気分が乗らないって感じかな。


 「アリシア様は・・・」

「ウォルターさんのとこよ。ルージュをお泊まりさせて、こっちに来るってことになったの」

「急にお泊まりって変に思われないですかね?」

「大丈夫よ、アリシアも泊まるってことにするんだって。だから、ルージュたちが寝たら来てくれるわ」

面倒なことしてるな・・・。

でも、それも明日まで・・・そうなるといいな。



 「待たせた・・・」

誰もいなくなったお店にアリシア様が入ってきた。

ルージュが寝付くまで時間がかかったみたいだ。


 「あたしも一緒にいていいですか?」

全部見届けたいと思った。

ダメって言われても居座るけどね。


 「かまわないよ。・・・ニルスにはシロが付いてくれているんだろう?」

「え・・・知ってたんですか?」

「ああ、呼びかけというもので教えてくれた。女神から直接作られた私とステラとは、離れていても会話ができるらしい」

精霊以外でもできるのか・・・。

 「お泊まりもシロから言われたんだ」

「そうだったんですね・・・」

じゃあシリウスもそうしてあげればよかったんじゃ・・・。


 「ヴィクターもシロに頼まれたようで来てくれたんだ。ルージュたちに昔話をたくさんしてくれた。そのせいで寝かしつけるのが遅くなってしまったんだ」

そっか、おじいちゃんも動いてくれてるんだね。

・・・たまにはおもいっきり触らせてやってもいいな。


 「ニルスがちゃんと来てくれそうかは言ってました?」

「朝の鐘が鳴ったら家を出るから心配するなと・・・」

シロが言うなら大丈夫だ。

明日の朝は確実に連れてきてくれるはず。



 三人で調理場に入った。

まあ、あたしは見てるだけにするけどね。


 「で、なにを作るの?」

ルルさんがよく磨かれた調理器具たちを取り出した。

たしかに献立は重要だ。

 「旅立ちの日に・・・作ったものを」

「ふーん・・・いいかも。パンとシチューね」

最後の朝に食べたものか。


 ニルスは引き留められるのを期待していた。

同じものを食べれば、その日の気持ちに近くなりそうだ。


 「じゃあ、あたしも見てるだけにするから頑張ってね」

ルルさんがあたしの隣に座った。

そっか、ただ付いててあげるだけにするんだね。


 「ニルスが作るシチューはおいしいですよ。アリシア様から習ったって聞きました」

「そうか・・・教えたわけではないが一緒に作ったこともあったな」

アリシア様が食材を取り出しながら笑った。

なんか・・・お母さんって感じ。



 調理場にいい香りが生まれてきた。

・・・お腹減ってきたな。


 「あれ、それニルス食べないですよ。嫌いだって言ってました」

見過ごせない食材が目に入った。

 「そうよ、忘れちゃったの?」

ルルさんも気付いた。


 『・・・昔から考えてたんだ。あれを作り出した奴は絶対に許さないって・・・』

それくらい無理なもの・・・。


 「忘れていないよ。・・・無理矢理食べさせたら吐いたからな」

アリシア様が手に持っていたのは、ニルスが食べないニンジンだ。

・・・どうする気だろ?


 「だからいつも、こうやってすりおろして・・・焼き色が付くまで炒めてからこっそり入れていた。そうすれば・・・食べてくれるんだ。・・・パンに練り込んだこともあったな」

「炒め過ぎたらニンジンの味が無くなっちゃうんじゃないの?」

「何度もやって、味が変わらない焼き加減を見つけた。ニルスが手伝ってくれる時は入れられなかったが・・・」

「へー・・・そんな手間かけてたんだ」

たぶん「手間」なんて思ってなかったんだろうな。


 「これくらいだな・・・」

「わあ・・・本当にわかんないですね。北部の白いシチューだったら絶対バレてますよ・・・」

ニンジンは南部の茶色いシチューに混ざり、入れられたこともわからなくなった。

すごいな・・・。


 「そういえば、自分が作ったものはなんか違うってニルスが言ってましたよ。ニンジンが入ってるかどうかだったんですね」

「ミランダ、ちょっと違うわ。入っていたのは愛よ、ニルスのお母さんにしか作れない。ね、アリシア?」

「色んなものにいれていたからな・・・。あの子は、ニンジンを食べられるんだ」

アリシア様は幸せそうに笑った。

愛か、そういう気持ちが一緒に入ってる・・・。


 『味は・・・なんか違うんだけどね』

ニルスは違いに気付いていたから、きっと伝わっていたんだ。



 朝の鐘が鳴ってしばらく経った。

窯に入れたパンはもうすぐ焼ける。

ニルスたちもそろそろかな。


 「あの子は私の姿を見たら出て行くかもしれない。・・・少し隠れている」

アリシア様はカウンターの裏側、あたしたちの足元で小さくなった。

事務所の方に行かなかったのは、声を聞きたかったからかな。


 「ルルさん、ニルスを連れてきたよ。僕も食べていい?」

ちょうど二人が入ってきた。

 「・・・」

あたしたちの足元にいるアリシア様は体を強張らせている。

 「おはようニルス。シロもこっちに座って、ミランダも手伝ってくれたのよ」

「そうか・・・ありがとう」

ニルスは優しい目をしながらカウンターの椅子に座った。

シロのおかげか少しは元気になったみたいね。


 

 「アリシアに勝ったんだってね」

「うん・・・まあ」

「嬉しくないの?」

「そういうわけじゃないけど・・・」

「もうちょっと待っててね」

ルルさんは気にしない素振りで話をしている。

・・・早く窯のパンが焼けないかな。



 「どうぞ、今日一日元気になれるわ」

焼き上がったパンと愛の入ったシチューがニルスの前に並べられた。

旅立ちの朝を思い出せれば・・・。


 「わあ、おいしそう。いただきます」

シロにも同じものが出された。

・・・あたしもあとでもらおう。


 「いただきます・・・」

ニルスがシチューを口に入れた。

 「・・・」

たったひと口でニルスの動きが止まって、間を置かずに涙がこぼれた。

やばい・・・あたしも泣きそうだ。


 「どうしたのニルス、そんなにおいしかった?」

「作ったのは・・・アリシア・・・」

「・・・」

母親の体が一度だけ震えた。

・・・たぶんここにいるのはバレてない。


 「なんでそう思うの?」

ルルさんは動じてない。

こうなることがわかってたってくらい余裕だ。


 「あの人の作ったものは全部好きだった・・・だから憶えてる。・・・また食べたいって・・・ずっと思っていた」

「なら、ひと口でやめるのはもったいないわ。それにおかわりもあるのよ」

足元では、母親が鼻と口を押さえて、息子と同じように涙を流していた。

食べ終わったら出てきてもらおう。



 「アリシアは・・・近くにいるの?」

食べ終わったニルスが顔を上げずに呟いた。

よし、この感じなら姿を見せても帰ったりしなそうだ。


 「会いたいの?」

「そこに・・・聖戦の剣と胎動の剣がある・・・」

近くのテーブルの上にはそれが置かれていた。

 ・・・隠してなかったのか。

でも、もうバレてても関係ないよね。


 「あら、たしかにそこにあるわね・・・」

「そうですね・・・」

あたしとルルさんは、足元に目線を向けた。

 「・・・」

アリシア様は、泣き顔でずっと首を横に振っていた。

え・・・ダメなの?どうすんのよ・・・。

 

 「残念なんだけど・・・一度家に戻ったのよ。ルージュにも朝を食べさせないといけないでしょ?」

ルルさんがなんとかしてくれた。

ごまかせはするだろうけど・・・。


 「・・・たしかにそうだね」

「もうすぐ戻ってくると思うよ。・・・待ってたら?」

ルルさんは足元を一瞬だけ睨んだ。

・・・かなり怒ってるな。

 

 「いや・・・今はいい」

ニルスは立ち上がって、剣のあるテーブルに近付いた。

 「オレのは・・・返してもらう。シロ、ミランダ・・・先に帰るね。今日は家にいることにする」

「ニルス・・・僕も一緒にいようか?」

「大丈夫だよシロ、みんなの鍛錬を手伝ってあげて」

顔を上げたニルスは、すごく清々しい顔をしていた。

でも、これじゃなんにも前に進まない・・・。


 「アリシアは・・・待たないの?」

ルルさんがカウンターから出た。

 「オレから・・・会いに行く・・・」

「え・・・」

「今夜・・・ルージュが寝た頃、家に行くって伝えてほしい・・・。アリシアじゃなくて・・・母親と話がしたい」

ニルスは酒場を出て行った。


 いい・・・これでもいい。

あとは二人でしっかり話す。

その場をニルスから出してくれた。



 「・・・アリシア、もう逃げられないわよ?今夜は絶対家にいなさい」

「ルージュはあたしが預かりますよ」

「え、うちに泊めていいの?じゃあシリウスとセレシュも一緒がいいな」

「・・・」

母親は泣きじゃくりながら何度も頷いていた。


 今夜、二人だけでとことん話せる。

誤解もすれ違いも全部無くして、明日の朝は仲良く訓練場に来てくれることを祈ろう。


 ・・・で、あとはもう一人のお母さんもそろそろ幸せにならないとね。

自分を後回しにして助けてくれたわけだし、こっちも動いてやるか。

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