第百二話 約束【アリシア】
「この石鹸いい匂いだね、ステラさんから貰ったんだよ。お母さんも知ってるんでしょ?」
ルージュが一生懸命泡を作っている。
「ああ・・・いい香りだな」
ステラ・・・ルージュと会ったのか・・・。
『アリシア、ちょっと・・・』
『どうしたんだシロ?』
『明日・・・ステラが来てって言ってた。まだ話してないでしょ?』
『・・・わかった。ありがとうシロ』
いつ行こうかと考えていたが、向こうから呼ばれるとはな。
「ステラはよくしてくれたのか?」
「うん、今度石鹸の作り方を教えてくれるんだ」
そうか・・・ニルスだけではなくルージュにも・・・。
「できた・・・。これでお母さんをもこもこの羊さんにしてあげる」
「・・・まずはルージュを羊にしてやろう」
「わあ・・・」
ルージュの体が泡で包まれた。
・・・かわいいな。
明日、私は何を言われるのだろう・・・。
いや、何を言われても受け止めなければならない。
自分だけ傷付かないようになど、都合が良すぎるからな。
◆
「はあ・・・」
ルージュをエイミィさんに預けてきた。
「よし、行くぞ・・・」
目の前にはあの子たちの家・・・。
「あ・・・いらっしゃいアリシア」
大きく息を吸い込んだところで、シロが外に出てきた。
これから遊びにでも行くのだろうか?
「出かけるのか?」
「違うよ。アリシアが来たのわかったから」
「見ていたのか?」
「僕、触ったことある命の場所はわかるから」
便利な力だな・・・。
私も子どもたちのいる場所がわかるようになりたい。
「僕も一緒に聞くことにしたんだ」
「そうなのか・・・」
「その方がいいと思って。・・・どうぞ」
シロは手を引いてくれた。
「その方がいい」とはどういう意味なのだろうか・・・。
◆
「いらっしゃいアリシア。天気がいいから庭で話しましょ」
ステラは笑顔で迎えてくれた。
前に感じた敵意は無いな。
・・・隠しているのか、それとも私が構えすぎなのか。
◆
「お話しましょうって言ってからずっと放っておいてごめんね」
三人で庭のテーブルに座った。
香りのいい紅茶まで用意してくれている。
「いや、私の方こそ・・・挨拶に来るのが遅れた」
「戦士なんだから鍛えるのを優先していいのよ。次は勝たないといけないでしょ?」
「そうだな・・・」
とても感じのいい女性だ。
ステラも私と仲良くしてくれるような気がしてきた。
「あの・・・ニルスと共にいてくれてありがとう。きのうはルージュにもよくしてもらった」
私もできるだけ感じよく・・・。
「ふふ、ルージュはかわいいわね。ニルスが大切に想っているのもわかるわ。それになにも悩みはなさそうね」
「なにかあれば私に話してくれる。一緒に悩んであげる夜もあるんだ」
「へえ、ならいいわね・・・ニルスには同じようにできなかったの?」
ステラの声色が変わった。
あ・・・やはりそうか・・・。
他の三人と同じように、穏やかな雰囲気でとはいかない・・・当たり前だ。
「ステラ・・・」
「シロはしばらく黙っていてほしい、あなたが心配するようなことにはならないわ」
「・・・」
「ごめんねシロ・・・答えなさいアリシア、ニルスにはルージュのようにできなかったの?」
目付きも変わっている。
彼女にとって私は敵・・・。
「ニルスにはできなかった・・・そして、このありさまだ・・・」
正直に答えた。
誤魔化したり、取り繕う気は無い。
私はもう過去を恐がらずに向き合わなければならないんだ。
「・・・ちゃんと自覚しててよかったわ。ここで自分を守ろうとしたらあなたを殺していた」
脅しではない、本当にそのつもり・・・それくらいまっすぐで真剣な目だ。
気付くと手には汗をかいている。
もうなってしまったが、敵にしてはいけない存在・・・。
「私を呼んだのは、ニルスのことでだな?」
「当たり前でしょ。色々言いたいことがあったの。でも・・・恐いならもう帰ってもいいわよ」
「私は何を言われても仕方がない。・・・ステラはニルスを愛しているんだろう?よく思われていないのはなんとなくわかる」
「それどころか嫌いよ。ニルスはあなたを信じていたのに・・・ひどい母親」
嫌いか・・・。
誰かから面と向かって言われたのは初めてかもしれない。
だが、ステラもシロたちと同じだ。あの子のため・・・。
「ここまで言う私に気を遣わなくていいから本音で話してね。今日はあなたを試そうと思って呼んだの」
試す・・・ステラは私の何を・・・。
いや、なにを言われてもいい。続きを聞こう。
「まず、ニルスがうなされているのは聞いた?」
「聞いた・・・あの子は私の言葉にずっと縛られている」
口にすると苦しい・・・。
「そうね・・・ニルスは、あなただけは味方でいてくれると思っていた。なのに突き放すようなことを言って・・・。このことはどう思ってるの?」
「後悔しなかった日は無い・・・」
「・・・」
ステラはずっと私の目を見ている。
・・・精神がすり減っていくようだ。
「後悔するのも遅かったんじゃない?ニルスが旅立つまで四ヶ月もあったって聞いた。・・・なにをしていたの?」
「なにも・・・できなかった」
苦しい質問・・・。
「自分が傷つくのが嫌だったんでしょ?あなたは我が子よりも自分の心を優先した」
「そうだ・・・突き放されるのが恐かった・・・」
「自分でそうしたくせに・・・。だから信用されてないのよ」
信用・・・。
「ニルスはね。たぶんシロたちにも話していないことも私には打ち明けてくれる」
ステラはシロに目を移した。
「・・・僕たちにも話してないこと?」
「ええ、でもあなたたちが聞けば教えてくれるはずよ。信頼されているから・・・」
視線が私に戻った。
あの子からの信頼、それが私には無い・・・。
「でも・・・特別に教えてあげる。・・・ニルスがあなたには絶対に話さないこと」
「・・・ありがとう」
「私の気持ちがわかる?あなたにこれを教える・・・ニルスを裏切ることになる。それをわかっていて伝えようとしているんだからね・・・」
「胸に刻むよ・・・すまない・・・」
生か死か、それくらいの覚悟で聞かなければならない。
◆
「ニルスはあなたが歩み寄ってくるのを待ってる。夢では・・・ずっとそうみたい・・・」
ステラは、ニルスがうなされる時に見ている夢の内容を教えてくれた。
長い坂道、あの子は私の所まで近付こうとしているが、どうしても辿り着けない。
私は・・・ただ見ているだけ。
それは以前の私、寄り添ってもらえなかったことをずっと引きずっているんだな・・・。
「気が付けば暗闇で一人ぼっちになっている・・・。そして、その晩に寄り添ってくれた人がニルスを救いに来る・・・」
ケルト、ミランダ、シロ、ステラ・・・私はどこかに消える。
「だからニルスは、私たちにとても優しいのよシロ。離れてほしくないから・・・」
「離れないよ。ニルスのこと大好きだもん」
私はなにも言えない。
辛い時、苦しい時に寄り添ってやることができなかった。
だから信頼がない・・・。
「でもね・・・そんな私たちがいてもニルスはあなたを待っている。気に入らないけど、あなたとの問題が解決しなければ私だけを見てくれることはなさそうなの。・・・あなたに解決できる?」
「・・・そうしてあげたい」
「まったく・・・必ずやるって言いなさいよ!!」
ステラはテーブルを殴った。
私が弱気に答えてしまったから・・・。
「本当に気に入らない!!私がとても長い時間をかけなければできないこと・・・あなたはそれを簡単にできるのに!!」
ステラの目には涙が浮かんでいた。
ニルスへの愛は本物なんだろう。
だからこそ、ここまで感情的になれる。
「もしかしてまだ自分も辛いとか考えてるの?だとしたらそれがもうダメ!」
「ステラ・・・落ち着いてよ」
「おかえりは、ニルスのただいまよりも前に言わないといけないでしょ!!」
シロの静止も聞こえないほど・・・。
「みんな優しいことしか言ってくれなかったみたいね。私ははっきり言わせてもらう!母親があなたでなければ息子は幸せに旅立って、父親も死なせずに済んだ!!」
燃え盛る炎のような言葉は私の胸を焦がした。
ステラの言ったことは正しい。
私が戦いをやめてケルトと共に暮らしていれば、あの子はなにも苦しむことはなかっただろう。
自分の都合で父親を離し、自分の都合で戦士にした・・・。
「ニルスが戻ってひと月も経った!あなたから何も無いからニルスの不安はどんどん大きくなっている!このままじゃジナスに勝てない!!」
温度はまだ上がる。
「やっと動き出したみたいだけど全部が遅すぎる!!もっと危機感を持ちなさいよ!!」
私の芯に火がつくほど・・・。
「今までみたいにどこかで生きているはもう無い!次負ければ二度と会えなくなる!!」
そんなの・・・ダメだ!!
「はあ・・・答えなさいアリシア、あなたはニルスのなに?アリシア隊長ならもう帰って」
私は・・・。
「私はニルスの母親だ!!それなのに大きな間違いをいくつもしてきた。でも・・・今さらだが・・・また家族に戻りたい!!」
「・・・嘘じゃないわね?」
「当然だ!ニルスは私の愛する息子だ!!」
追い込まれ、弱い所をすべて突かれた。
心の隙間で揺れていた迷いは、すべてステラに捕まって取り除かれたようだ。
「やっといけ好かない生娘顔をやめたわね。なら・・・ステラお姉さんからバカな妹に少しだけ知恵を貸してあげるわ」
ステラの顔はすでに落ち着いていた。
・・・今は、冷めた紅茶を何食わぬ顔で口に運んでいる。
「・・・ニルスとはきのうも引き分けだったそうね」
「その通りだ」
私は拳を作った。
ステラの知恵・・・どんな話なんだろう。
「あなた、手を抜いてる?」
「いや、手を抜いているのはニルスだ。あの子は・・・もっと強いはず」
ヴィクターの言った通り、ニルスは私に対しての迷いがあるんだろう。
私は触れ合えて嬉しいが、あの子は苦しそうだ。
「なるほどね。・・・信頼を取り戻しつつ、和解できる方法がある」
ステラが目を細めて私を見てきた。
今のだけでニルスの心がわかったらしい。
「まずはニルスを鍛えなさい。そして、あなたに勝つことができたら褒めて抱きしめてあげるの」
「褒めて・・・」
頭の中で何かが引っかかった。
『ねえ、約束だよ?』
記憶の底・・・あの子に関するものだ・・・。
なんとなくだけど、ステラの考えた方法が一番いい気がする・・・。
「聞いてる?・・・不器用なあなたならこういうやり方がいいと思う。それに、戦う力はあなたからしか渡せない」
「私にしか・・・」
ニルスは強くなりたくて私と戦っている。
なら・・・あの頃とは違う。
あの子が欲しいものを与えてやることができる。
「戦いに関することなら得意でしょ?それで少しずつ会話をしなさい」
なるほど、それならできそうだ。
「でもニルスからの反応を期待しちゃダメよ。信頼は少しずつ築くこと。あなたに勝てたら迷いも残りわずか、距離も近付いている。そうなったらちゃんと話しなさい」
そうしよう。だが・・・。
「あの子は落ち込むこともあるかもしれない。その時はお願いしてもいいだろうか?」
「やだ。あなたのお願いなんか聞かないわ。私の意思で支えてあげるだけ」
またステラに睨まれてしまった。
助けてはくれるが、嫌いなのは変わらないのか・・・。
「アリシア、きっと大丈夫だよ。戦いなら二人の心も繋がると思う」
シロが微笑んでくれた。
いてくれてよかった・・・。
「ああ、ありがとうシロ」
「ちゃんと繋がるまでは、冷たい言葉をぶつけられるかもしれない。耐えられる?」
「もう平気だ、私は傷つく覚悟がある」
私はシロの頭を撫でた。
この子も苦しみを抱えている。必ず消してあげよう。
「ステラ、ありがとう」
「別に・・・あなたじゃなくてニルスを助けるだけよ。だって私、あなたのこと大嫌いだもの」
「・・・ニルスの心か?」
「それもあるけど・・・あなたに話す気は無いわ」
私がステラからの信頼を得るには、ニルスのよりも長い時間が必要らしい。
「もう一つ伝えることがある。ニルスは、お父さんのことをとても愛のある人だと言っていたわ」
「そうだ、ケルトは愛のある人間だったよ」
「・・・あなたも貰ったんでしょ?お母さんもそうだって思われるように努力なさい」
「ああ、必ずそうなろう」
ケルトのようにか・・・。
わかるよ、自分の命さえ与えるほどの愛。
ニルスとルージュのためなら、私も惜しくはないと思える。
これを伝えたい・・・。
「わかったら早く訓練場に行きなさい。もうアリシアと話す気は無いの」
「そのつもりだ」
私は立ち上がった。
早くあの子と触れ合いたいな。
「ステラ・・・また来てもいいだろうか」
「・・・ニルスのお母さんとなら会ってあげてもいいわ」
「約束しよう。そうなったらまた来るよ」
「・・・」
苦い顔をされたがそれでいい。
私に足りなかったものを貰えた。
励ましや慰めの柔らかい言葉も必要だが、ステラやあの時のルルのような厳しく言ってくれる優しさも無くてはならなかったようだ。
◆
訓練場までシロと一緒に走っていた。
あの家、近くていいな・・・。
「シロ、見ていてくれ。ニルスを今の何倍も強くしてやろう」
「うん、でも困ったら言ってね」
「シロもなにかで困ったら私に話してくれ。ニルスにしてくれたように寄り添って共に悩もう」
「僕は大人だから平気だよ。アリシアよりもずっとずーっとお兄さんだからね」
それでもかわいらしいな。
やっぱりうちに欲しい・・・。
「急ぐからおぶってあげよう」
「あ・・・」
シロは素直に背負われてくれた。
軽い・・・。
「・・・イナズマがごめんねって言ってた。あ、イナズマは・・・」
シロが耳元で囁いた。
火山の精霊の名前・・・。
「ケルトとの契約のことか?」
「うん、名前知ってたんだね」
「ケルトの友人から聞いていた」
だから聞き覚えがあった。
そして、謝る必要は無い・・・。
「気にするなと伝えてくれ。精霊鉱が無ければケルトと出逢えなかった。ニルスとルージュも生まれていない。・・・悪いのは私だからな」
「・・・わかった」
「花畑は感謝している。戦いが終わったら会いに行くつもりだ」
「うん」
できれば、ニルスとルージュを連れて・・・。
「泣いてるの?」
「少しだけ・・・悲しくなっただけさ。ケルトがいれば・・・たまに考えるんだ。・・・すまない、精霊でもどうしようも無いんだろう?」
「・・・うん。死んじゃった命は流れてしまうんだ。行きつく先は新しい命、そうやってとわに巡る」
シロは本当に優しい声で教えてくれた。
私が傷付かないようにできるだけ柔らかくしてくれたんだろう。
そして、やはりあなたはもういない・・・。
「ありがとう・・・もっと急ごうか」
「うん・・・元気出してね」
「当然だ。そうしなければあの子を鍛えられない」
早く訓練場へ・・・。
◆
「アリシアは走るの速いね」
「あの子の方が速いよ」
訓練場の前に着いた。
あの子を待たせてしまっただろうか。
「ニルスはどのくらいでアリシアより強くなるかな?」
シロが笑顔で語り掛けてきた。
「・・・なんとも言えないな。だが迷いが無ければ、もう私よりもつよ・・・」
「アリシア?」
「すまないシロ・・・少し・・・」
記憶の中のニルスが顔を出した。
さっきステラとの会話で引っかかっていたものだ。
『ねえ、オレが母さんより強くなったらどう思う?』
ああそうだ・・・強くなりたい気持ちは、あの頃からあったんだ。
そして私はニルスの気持ちにちゃんと答えてあげた・・・。
『そうなったら嬉しいよ。ぎゅっとして褒めてやろう』
『そうなんだ・・・オレも嬉しいと思う。ねえ、約束だよ?』
記憶の彼方に置き忘れていた約束・・・。
重ねてきた想いのずいぶん下にあったみたいだ。
『オレの勝ちだ。アリシアは・・・死んだ』
そうだ・・・あの子に初めて負けた時もしてあげられなかった。
忘れていた・・・ニルス・・・。
「ねえ・・・大丈夫?」
「大丈夫だよ・・・。もう・・・大丈夫なんだ・・・」
木枯らしが私の顔を撫でていく。
迷いはもう無い。
なにを言われても、折れずに向かい合っていこう。




