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33話 「図らずも挨拶できたじゃん」「やったね」

 颯太の家に着くと、岬は車を停めた。颯太の家の前にピタリと寄せる。


「ソータ。ご家族、誰かお家にいる?」

「はい――え?」

「挨拶に行く」

 助手席から紙袋を取った岬が、エンジンを止めてドアを開ける。先ほどコンビニで買ってきていた紙袋だ。それは、地元の銘菓の名前が書かれた紙袋だった。


「えっ……」

 予想外の展開に、颯太は固まった。のほほんと颯太を見ている篠の様子からすると、彼女は知っていたのかもしれない。


「さっきの話聞いた後じゃ、ポイッって下ろせないからね」

 苦笑する岬がドアを閉めた。


(やべえ。めっちゃ大事になってる)


 颯太は観念して車から降りる。篠もいそいそと続いて降りた。


 颯太が家の門扉を開けると、篠と岬が続いた。颯太はインターフォンを鳴らす。


「はーい。え? 颯太? どうしたの。鍵忘れた?」

「母さん、ちょっと出て来て」

「え、何よ怖い。なんかしでかしたの?」


 失礼な母だ。息子が呼んだだけで、犯罪を心配している。


 ガチャリ、と音が鳴って玄関の扉が開く。


「何よちょっと、もー……?!」

 部屋着姿で出て来た母が、颯太の後ろにいる篠と岬を見て、目を丸くした。一瞬で顔が蒼白する。本気で息子が、何か事件を起こしたとでも思った顔である。失礼の極みだ。


「夜分に突然押しかけてすみません」

「私は颯太君と同じ高校に通う、二年の花茨篠と言います」

「姉の岬です」


(二人ともすっげえ余所行きの顔……)


 もの凄く礼儀正しく、きりりとした顔で姉妹が挨拶をする。


(女って怖え……)

 先ほどまでのざっくばらんな表情を見ていた颯太は、若干引いた。


「まぁ……どうも。颯太の母です」

「以前、妹が颯太くんに危ないところを助けていただいたようで……お礼が遅れてしまい、申し訳ございません」

「まあまぁ……ご丁寧に……。颯太。何したの?」

「階段から落ちそうだったから、助けただけ」

「まー! そう! いいことしたわね。花茨さんも、こんなところまでわざわざすみません」

「家族共々、颯太くんに感謝してます。本当にありがとう」


 最後は颯太に向かって岬が言う。颯太は「いえ」と頭を一つ下げた。


「体ばっかり大きく育って、どうしようかと思ってましたけど、人様を助けられるような子に育ってたなんて」

「颯太君は、とても頼りになります。いつも助けられてます」


 母の謙遜に、篠が真面目な顔で言う。ぎょっとして篠を見ると、篠は颯太に笑いかけた。


「まー、あらあら。まー!」


 母がキラキラとした目で、篠を見る。

 そして颯太と篠を、五回ぐらい交互に見た。


「母さん、やめろよ」


「まあ、ほほ。おほほ。そうよねえ。ええっと……」

「篠です」

「篠ちゃん。今度は是非うちにも遊びにいらっしゃいね」

「ちょ、母さん――」

「ありがとうございます」


 慌てて止めようとする颯太に被さるように、篠が言った。篠はにこにことしている。この顔をされると、颯太は何も言えなくなる。


「何よ。駄目だったの?」

「駄目じゃねーけど……」


 赤い顔を片手で隠すと、篠は更ににこにことして颯太を見続けた。




***




「じゃあね、颯太。今日楽しかった」

「俺もです」

「最後、なんかバタバタしちゃってごめん」

「いえ、俺こそ……なんか大事になってしまって……」


 颯太は篠と玄関ポーチで別れの挨拶を交わしていた。岬は暑いと言って、先に車に戻っている。


「あのね颯太、これ」

 篠はリュックの中から本を一冊取り出すと、颯太に渡した。買ったばかりのブックカバーがついている。ブックカバーには、颯太と行った書店名が印字されていた。


「……これ」

 今日の本屋で買ってきた本は、まだ読まれた形跡が無い。颯太が受け取るべきか躊躇していると、篠が控えめに微笑んだ。


「何年かかってもいいから、暇な時に読んでほしい」


 意味がわからず、篠を見る。


「私の、好きな本なの」


(……ああ、これもか)


 篠は、篠を形作る物を、今日一日かけて颯太に見せようとしてくれしていた。颯太は本を受け取る。


「お借りします」

「あげる。うち、一冊あるから」

「えっ」

「買い物、付き合ってもらったお礼……困る?」


 しょんぼりとして聞く篠に、颯太も同じような表情を返した。


「……これ、礼じゃないと駄目っすか」

「?」

「買い物楽しかったし、礼なんて貰うようなことじゃないし……この本は普通に貰いたいんすけど」


 篠の顔が、ぱぁと華やいだ。何度もこくりこくりと頷く。


「あげる。普通にあげる」

「じゃあ、普通にもらいます。ちゃんと読みますね」

「うん」

 にこにこ、にこにこと篠が笑う。


「じゃあまたね」

「はい、また」


 いつか、「また」と言い返していいのか迷った言葉が、今では当然のようにすんなりと出る。


「おやすみ」

「……おやすみなさい」


 手を振ると、篠は大きく手を振って、岬の待つ車に戻った。

 発車する前に、プッと小さなクラクションが鳴る。


 夏のじめっとした空気の中、走り出す車を、颯太は見えなくなるまで見送った。






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恋になるまで、あと1センチ(旧題:触れた指先、とまった心)
書籍情報はこちらから(イラスト:UZNo先生)
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