第16話 屋敷に戻って
城から戻ると、深夜にも関わらずケヴィンがノアを呼びつけた。
「舞踏会でカルドナ帝国の皇太子に会った」
「え!?」
ノアは声を出して驚くと、パッとフィルの顔を見る。
「まさか……」
「お前は……、エシレーン王国の王妃、なのか?」
ケヴィンが探るように問い掛けると、ノアは長い沈黙の後、静かに頷いた。
「そうです……」
「ヘインズ、お前も知っていたんだな?」
「はい、旦那様。黙っていて申し訳ございませんでした」
部屋の隅で控えていた執事のヘインズは、深く頭を下げる。
「お前が教えなかったせいで、私が恥をかいたんだぞ!?」
「……先代は生前、旦那様がお二人のことをしっかりと対応できるまでは、黙っているようにと強く私に伝えておりました」
「私はもう子供ではないんだぞ!?」
「分かっております……。お伝えしなかったのは、私の落ち度です。まさかこんなことになるとは思わず……」
ケヴィンが怒りにまかせて怒鳴ると、ヘインズはさらに深く頭を下げた。
「……旦那様、カルドナの皇太子はなんと?」
「フィル、お前から説明しろ」
「はい……」
フィルはノアにカルドナの言葉をそのまま伝えると、ノアは信じられないという表情で口元に手を当てた。
「そんな馬鹿な……。カルドナが領土を返すなど……、どんな意図があって……」
「詳しい話はまたということになった。俺にはどうしたらいいか……」
立ったまま話を聞いていたノアが、よろりとよろめく。慌ててエディーナはそばに寄ると、その体を支えた。
「座らせてあげていい?」
「使用人が座る場所などない」
「使用人? この方は王妃様でしょ?」
エディーナがそう言うと、ケヴィンはぎろりとエディーナを睨み付ける。けれど怒りを鎮めるように息を吐くと、「座れ」と促した。
「お義母様」
「ありがとう、エディーナ」
ゆっくりとソファに二人で座ると、正面に座っているミレイユがなぜかエディーナをじっと見つめていた。
(お姉様……?)
意味ありげな視線を不思議に思ったが、口を開く前にケヴィンがまた話し出した。
「フィルが王子で、ノアが王妃……。ハッ、どんな笑い話だ……。父上もとんだ厄介者を引き受けたもんだ」
「厄介者だなんて、そんなことないわ。ケヴィンは王子を保護していたんだもの。きっと国王陛下から何かあるはずよ」
「あ、そうか……」
ミレイユが得意げにそう言うと、ケヴィンはなるほどと首を振る。
「二人も、ケヴィンには感謝しているのでしょ?」
「もちろんです。こんなにも長い間、匿って頂いて、本当に感謝しております」
ノアが頭を下げると、ケヴィンは口を歪めて笑う。その顔にエディーナは眉を顰めた。
(先代の公爵夫妻はきっと二人に優しくしていたんだろうけど、ケヴィンは違うわ……)
「それで、これからどうするつもりだ?」
「……何か裏があるにしても、もう逃げられはしないでしょう」
「母さん、じゃあ……」
「その皇太子の話を聞きましょう」
ノアがそう言うと、フィルは渋々頷く。
「よし。では私の方から城に連絡を入れておく。あくまで私が話をするから、お前は勝手に動くなよ」
「……分かりました」
フィルが素直に頷くのを見て、ケヴィンは満足げに笑うと、立ち上がり部屋を出て行った。
ミレイユも自分で車いすを動かし部屋を出ていく。静かになった部屋で3人は顔を見合わせた。
「俺たちも家に戻ろう」
「ええ……」
エディーナは頷くと、ノアを労わりながら家へと戻った。
ノアを部屋まで送り届けると、エディーナはドレスをのろのろと脱ぐ。
(なんだかまだ夢みたい……)
この家で共に暮らす二人が、隣国の王子と王妃であるなんて、夢にも思わなかった。まるでおとぎ話みたいだ。
けれどこれは現実で、そしておとぎ話のように素敵な話ではない。
(敵国のカルドナ帝国の人にあんなこと言われても、信じられないよね……)
ずっとフィルはイザークに警戒を解かなかった。
(あの人が言ったことが全部嘘で、フィルとお義母様を殺すつもりだったらどうしよう……)
亡命した王族を敵国が放っておく訳ない。フィルはきっとそれを疑っていたのだろう。
エディーナはそんなことを考えながら着替えをしベッドに入ったのだが、目がさえてしまってまったく眠れなかった。
「だめだわ……、全然眠れない……」
むくりと起き上がると呟く。イスに掛けてあったショールを肩に掛けると、部屋を出た。なんとなくフィルも起きているのではないかと思って、下に降りてみると、キッチンのイスに座って窓の外を見ているフィルがいた。
「フィル」
「エディ……、眠れないのかい?」
「あなたこそ」
「眠る気になれなくて……」
フィルは沈んだ声でそう言うと、微かに笑った。
やっと柔らかい表情が見れてエディーナはホッとすると、隣のイスに座った。
「今日のこと、驚いたわね」
「ああ……、本当に……」
「……エシレーンって、どんな国?」
カルドナとか王子とか、たくさん聞きたいことはあったけれど、なんだかそれは違う気がして、エディーナは故郷のことを聞いてみることにした。
「……エシレーンは、美しい湖と雪の国だ」
「湖と雪……」
「ミランより北で山の中腹にあるから一年の半分以上は雪がある。町は大きな湖の畔にあって、町の対岸には花畑が広がっているんだ」
「なんだか素敵ね」
「うん。本当に綺麗な国なんだ……。そんな国を、カルドナは攻め滅ぼした……」
フィルはテーブルの上に置いた手を握り締める。辛そうな表情に、エディーナはそっと両手でフィルの手を包み込んだ。
「エディ、俺は……、カルドナを許すことなんてできない……」
「うん……うん……、そうだよね……」
あまりにも自分の住む世界とは掛け離れ過ぎていて、エディーナはただ頷くことしかできなかった。
それでもエディーナの心が伝わったのか、フィルはやるせなく笑ってみせると、エディーナの手を大きな手で包み込んだ。
◇◇◇
ほんの少しの仮眠を取って朝になっても、まだエディーナはふわふわとした妙な感覚だった。それでもミレイユの朝の世話はもちろんあって、部屋に顔を出した。
「おはよう、お姉様」
「おはよう、エディ」
まだ眠そうなミレイユはあくびをしながら着替えると、食事に向かう。ケヴィンはまだ寝ているらしく、ミレイユは一人で食事を済ませると、また部屋に戻った。
「ねぇ、エディ」
「なぁに?」
「私ね、フィルはどこか気品をがあるって思っていたの。ただの使用人とは思えなかったのよね」
ミレイユは鏡に向かい化粧を直しながら、そんなことを言ってくる。
だいぶ疑わしい発言だったが、エディーナは何も言わず視線だけを送る。
「何かあるとは思っていたけど、まさか滅んだエシレーンの王子とはねぇ」
「ケヴィンも知らなかったのには驚いたわ」
「そうね。ケヴィンはあの二人のこと、全然違う想像をしていたからね。笑っちゃうわ」
「違う想像?」
ケヴィンのことを鼻で笑ったミレイユは、エディーナに向き合うと車いすを動かした。
「庭を散歩でもしようかしらね」
「あ、うん」
朝から散歩なんてしたことのないミレイユが、突然そんなことを言い出して少し驚く。
どんな風の吹き回しかと、車いすを押そうとしたが、ミレイユに止められた。
「あなたじゃないわ」
「え?」
「フィルを呼んできて」
「え、でも……」
「いいから、呼びなさい!」
ミレイユの剣幕に押されて、エディーナは仕方なくフィルを呼んだ。ケヴィンがまだ寝ているのもあって、フィルはまだ時間があるらしく、ミレイユの散歩に付き合うことを了承した。
部屋を出て行く二人を見送るエディーナに、ミレイユが笑みを向ける。
「あなたは自由時間よ。良かったわね」
ミレイユはそう言うと、今までケヴィンに向けていたような笑みをフィルに向けた。
(お姉様……?)
扉が静かに閉まり、一人取り残されたエディーナは、嫌な予感が胸に広がるのを感じ顔を歪めた。




