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湯上がり幽霊奇譚~生命力あふれる幽霊のどたばたライフ、ってもう死んでるか~  作者: えんすうじん


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第16話 終わりなき業務命レイ

「やれやれ。良かったねえ、お前」

 おばあさんんはそう言って、鏡の中から腕をにゅっと出し

 先輩霊さんの腕に抱かれた猫の頭を撫でる。


 次に先輩霊さんへと顔を向け、笑いながら話し出す。

「あなたもね、本当に良かった。

 アタシはどうなることかと、

 ずっとここで気をもんでいたのよ」


 ……おばあさんの話はこうだった。


 数年前の真夜中。

 この交差点で、仕事帰りのサラリーマンが

 信号無視の車に勢いよく轢かれてしまった。


 おばあさんはその一部始終を、

 あの古いビルの鏡の中から見ていたそうだ。

「早く救急車を呼ぶのよ! ってアタシ、叫んだのよ?

 ……まあ、聞こえないでしょうけど。

 でも、ああいう人種ってそもそも、

 だーれの言葉も聞かないじゃない。

 ”自分がどうしたいか”が全てだから」


 事故の直後、車は急停車したけど、あの犯人の男は、

 車内から自分の轢いた相手の惨状をみるやいなや、

 ものすごい急発進で逃げていったそうだ。

 ……なんでなかなか捕まらなかったんだろう。

 悪運だけは強い奴だったのかな。


 おばあさんは続ける。

「可哀想に、なんてひどいことを……そう思っていたら。

 案の定、アナタは深い恨みの念を抱えたまま、

 この交差点に加害者を探して佇むようになってしまったわね

 それから、ずっと……」


 轢かれたままの無惨な姿で、

 ただただじっと立ち尽くす先輩霊さんに対し、

 おばあさんは古いビルから必死に呼び掛けたそうだ。


 ”そんなこと考えてはいけない、自分を失うよ”と。

 しかし先輩霊さんは応じなかった。

 その理由を、先輩霊さんは悲し気に説明する。

「何もかも失った今となっては、

 ”自分”を残す意味などないと思ったのです。

 むしろ”自分”を犠牲にしても、

 この怒りや恨みをぶつけてやりたいと思いました」


 しかし、いつの間にか、そんな先輩霊さんに、

 一匹の猫の霊がまとわりつくようになった、と。

 怒りと嘆きでいっぱいになった先輩霊さんには見えなかったが

 猫は必死に彼に呼び掛けていたそうだ。

 ニャア、ニャア、ニャア。


「アタシね、猫ちゃんを呼んだのよ。

 ちゃんと来てくれたわ。

 ”お前のご主人なのかい?”って聞いたら、

 ちゃんと返事もしてくれたのよ、ねえ?」

 そう言っておばあさんは、猫に向かって首をかしげる。

 猫は会話が通じているかのように、目を細めている。


「だから私たち、協力して頑張ることにしたの。

 少しずつでいいから、アナタをここから離す作戦を」


 猫は必死に話しかけ、足にすり寄りながら、

 その先輩霊さんの体をちょっとずつ動かす。


 おばあさんは先輩の視界を操作する。

 ぼやけて交差点がよく見えないようにしたり

 逆に興味の引きそうな何かを際立たせたり。


「すごい! そんなこと出来るんですね!」

 そう言いながらも、やっぱり、

 あの轢き逃げ犯が警官の姿を気付かなかったのは

 この人のおかげだったんだ、と思った。

 だからアイツは心の準備が全然できずに

 ”ものすごく挙動不審な男”になってしまったのだ。


 このおばあさん、実はかなりの上級霊様なのかな?

 尊敬のまなざしで見る私に、おばあさんは謙遜して笑う。

「そのくらいしか出来ないのよ、私」


 おばあさんと猫の尽力により、

 すこしずつ先輩霊さんは交差点から視線を外せるようになり

 元々働いていた会社の営業車が通った時には、

 すかさずおばあさんがそれを光り輝かせると、

 先輩はそれを認識し、付いていけるまでになったそうだ。


 おばあさんと猫は喜んだ。

「でもこの人、戻ってきちゃったのよ。ここに」

 苦笑いをしながらおばあさんは言う。

「……申し訳ございません」

 先輩霊さんが頭を下げる。


 営業車が客先に向かったことで、

 先輩霊さんの外見は一時的に生前の姿に戻った。

 しかし加害者に復讐したいという念が

 消え去ったわけではなかったのだ。


 だから、猫とおばあさんはさらに、

 先輩霊さんを交差点から引きはがす時間を

 どんどん伸ばそうと頑張ったそうだ。


 すこしずつ猫の声が届くようになり、

 ちょっとでも離れた場所へと先輩霊さんを導き、

 他の景色を見せたり、他の人との交流を持たせようとしたり。


 それは本当に大事なことだ。

 私だって参謀くんと会話ができなかったら

 外に出ていろいろ見聞き出来ないままだったら

 どうなっていたかわからない。

 新しい情報を得ること、

 他人の意見を聞く必要がどうしてもあったのだ。


「なんとか交差点から

 ちょっとだけ出歩くようにはなったんだけど。

 でもねえ、戻ってきたら、それこそ”元通り”なのよ」

「……誠に申し訳ございません」

 先輩霊さんはまたまた頭を下げる。


 だから弟について交差点を渡ったあの日、

 もう一度会ったおばあさんは私に

 「早くお行き。早く、ここを離れなさい」

 と私に言ったのだ。

 あの時点ではまだ、先輩の姿を見せたくなかったから。


 もし私があの姿を見て、先輩霊さんに対して、

 恐怖の念を持ってしまったら、

 せっかく出来た他霊との交流が

 途絶えてしまうかもしれない、と考えて。


「でも大丈夫だったわね。アナタ、すぐに来てくれた。

 そして全力で止めてくれたわね。嬉しかったわ」

「本当に、本当にありがとうございます」

 ニャア。


 三人にお礼を言われ、私は照れ臭くなってしまう。

「いや、この状況になってすぐ、

 先輩にはお世話になりましたし」

 私の死後が順調なのは、参謀くんと先輩のおかげだから。

「持ちつ持たれつ、ね」

 そう言っておばあさんも、先輩霊さんも笑う。


 そっか。


 いろいろ納得したところで、

 私は一番気になっていたことを尋ねる。

「あの、それで。おばあさんって、その」

「ん? アタシかい?」

「おばあさんも、あの……」

 そこまで私がいうと、おばあさんは豪快に笑った。


「あははは。

 アタシもこのビルの地縛霊か? ってことかい?」

 首を横に振りながら、おばあさんはビルを見上げた。

「確かにねえ、ここ以外には行けないけど、

 地縛霊ってわけではないのよ。

 私はね、土地の霊なの」


 土地霊ですと?! 浮遊霊とか地縛霊以外にも、

 そんなに霊ってバリエーションあるの?

 驚いている私に、おばあさんは説明してくれる。


「もうね、うーんと古くからここにいるわ。

 ずっとこの辺りを見守って来たんだけど、

 最近の人はこう、土地を区切りたがるじゃない?」

「区切る? へいを立てたがるってことですか?」

「いやねえ、物のことじゃないのよ。気持ちの問題。

 ”ここからここまでは道路”とか

 ”あっちは○○市、こっちは□□村”とかね」

 はあ。そのほうがいろいろ便利なんだけど。

 先輩霊さんも、不思議そうな顔をしている。


 おばあさんは切なそうに続ける。

「そうやって土地を細切れにしていくから、

 私の動ける範囲って、このビルの敷地くらいになってしまって」

「前は違ったんですか?」

 私がそう聞くと、おばあさんは頷き、遠くに目をやった。

「このあたりはずっと先まで、私が守っていたのよ」

「えええ! 氏神様だったんだ!」

 おばあさんは”違う違う”とあわてて手を振った。

「神様とは違うわよ。依り代もないし。

 あのねえ、この世の中は、神様だけじゃなくて

 いろんなものが守ってくれているのよ?」


 私と先輩霊さんは驚いてしまう。

「自分たちは守ってもらえなかったって思うかしら?

 でもね、私たちよりも、

 あなた方の意思がいつでも優先されるのよ」

 確かに、私は忠告を聞かなかった。


 自然や神の声を聞かなくなったのは人間だ。

 そうすることで人類は発展してきた。

 決してそれは悪い事ではない。神様もそう思ってくれている。

 

 独り暮らしを始めた我が子を完全に守るのが難しいのに

 自然から離れて自主自律する人類を

 彼らが守り抜くのはとても難しいことなのだ、と。


 私たちはちょっと感動した。

 よく”お天道様が見ている”なんていうけど、

 いろんなものが見ていてくれるのだ。


 私たちの頑張り、悪事、手抜き、喜び。

 そして出来るだけ手を貸そうとしてくれていたのだ。


 おばあさんは悲し気に、視線を落とす。

「でも、私がもう少しいろいろ動き回れたらねえ。

 昔はもう少しちゃんと、人を守ってあげられたんだけどねえ」


 先輩霊さんは首を横に振る。

「チコも私も、十分助けていただきました」

 それを聞いても、おばあさんはうつむきがちに答える。

「ここで誰かが辛い目に合うのを見ているだけ。

 本当に残念だし……寂しいものなのよ」


 確かにそうだ。誰とも話さず、ただ、見ているだけなんて。

 私はものすごく後悔する。

 このおばあさんに初めて会った日、つまり私が死んだ日。


「ちょっと、あなた。家に帰ってはダメよ」

 あの時おばあさんは、穏やかな笑顔で私にそう言って手招いたのだ。

 なんで、無視しちゃったんだろう。

 もちろん、私は家に帰っただろう。

 運命は変わらなかったかもしれない。

 それでも、おばあさんとお話するべきだったのだ。

 

「そうですね。動けないのはとにかく不自由ですね。

 なんとかして差し上げたい気持ちでいっぱいですが……」

 先輩霊さんは考え込み、猫はその顔を見上げている。


 そして。

 おばあさん、先輩霊、猫がいっせいにこちらを向いて言う。

「なにか良い方法ないかねえ?」

「あなたの行動力には目を見張るものがあります。

 ぜひとも解決に向けたご協力を期待しています」

 ニャア。


「は、はい。持ち帰り検討させていただきます!」

 思わず背筋を伸ばし、返事をしてしまう。


 私に新たな課題がもたらされたのだ。

 どの業界も、新人はこき使われてしまうのだろう。


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