070 奉献の巫女ヒメ
「イサク様。ご挨拶を」
影の中からイリュファに言われ、俺はハッとして姿勢を正した。
「失礼致しました、奉献の巫女ヒメ様。私はイサク・ファイム・ヨスキと申します」
それから慌てて彼女に深く頭を下げ、謙りながらフルネームを口にする。
いくらトリリス様の戯言に惑わされてしまっていたとしても、丁寧に挨拶されているにもかかわらず呆けているなど失礼にも程がある。
どのような使命を帯びていようと恥知らずにはなりたくない。
「存じております。どうか頭を上げて下さいませ、イサク様」
「は、はい」
優しげな口調と共にヒメ様に求められ、俺は若干慌て気味に顔を上げた。
すると、視界に彼女の整った顔のアップが映って思わずドキリとする。
穏やかで綺麗な大人びた笑みを浮かべているから尚のこと。
少女化魔物の外見は、あくまでも少女の範疇にある。
しかし、五百年という月日を積み重ねているからなのか、はたまた比較的背が高くて胸も大きいからなのか、非常に成熟した雰囲気だ。
そんな彼女の様子。膝裏までと長く真っ直ぐな美しい金髪、同じ色の瞳。巫女装束。
どこにも幼い印象は微塵もない。
それでも、あくまでも少女な顔立ちであり、そのギャップにドギマギさせられる。
これまでの少女化魔物とは何となく趣が異なる感じがする。
「ヒメ。余りイサクを惑わせるものじゃないゾ」
「仲間の澄ました演技を見ているのは恥ずかしいのです……」
数瞬、沈黙と共に至近距離で見詰め合う形となってしまっていた俺達に対し、トリリス様とディームさんが呆れ果てたように言う。
いやいや、そんな。
抱いた印象について、つらつらと並べ立てたばかりなのに。
これが演技だなんて御冗談を。
「でも、普段の姿も見せとかないと公式の場で会った時、戸惑うでしょ?」
冗談ではなかったようだ。
ヒメ様はパッと俺から離れると、トリリス様達の証言を証明するように、神秘的とも感じられた気配を一瞬にして気安いものへと変化させながら言った。
少女を冠する存在に相応しい、どこか子供っぽい笑顔と共に。
「ね、イサク」
「は、はあ……」
外見相応なのはこちらの姿だが、雰囲気の変化が余りに大き過ぎて困惑する。
まるで別人だ。
同一人物だと言われるよりも、性格が違う双子が瞬時に入れ替わったとでも言われた方がまだ信じられる気がする。
しかし、それだけに留まらず――。
「ちなみに、これもまだ演技しているゾ」
「ええっ!?」
トリリス様の補足に、俺は思わず驚きの声を上げてしまった。
「本来のヒメは自堕落で面倒臭がりな少女化魔物なのです……」
「酷いなあ、もう。やる時はやるからいいでしょ?」
更につけ加えたディームさんに対し、ヒメ様は唇を尖らせながら言う。
ただ、口から出てきたのは文句だけで否定はない。
どうやら本当に、ディームさんの言う通りな性格らしい。
こんなにも簡単に、演技に騙されてしまうとは。
前世の記憶を持って尚、まだまだ人生経験が足りないのだろう。
そんな風に、ヒメ様の本質を見抜けなかったことに軽くショックを受けていると、彼女はこの秘密の部屋に設置されていた高級そうな椅子へとフラッと近寄った。
それから何やらブツブツと祈念詠唱を口にすると――。
「堅苦しい椅子より、やっぱりこれよねー」
ヒメ様は自ら発動した祈念魔法によってその椅子を好き勝手に変化させ、いい具合に体にフィットしそうな感じの柔らかいソファを作り出す。
人を駄目にしてしまいそうなクッション性だ。
「はあ……」
それから彼女はそこに倒れ込むように全身を埋め、酷く緩んだ表情を浮かべ始めた。
涎でも垂らしそうなぐらい、だらけ切っている。
金髪金眼巫女装束な美少女がそんなだらしない顔でソファに埋まっている様子は、シュールとしか言いようがない。
「ヒメ……」
その姿を前に、さしものトリリス様も頭を抱えてしまった。
正に彼女が言っていた通りの癖のある人物だ。いや、想像以上かもしれない。
五百年生きた存在。やはり一筋縄ではいかない。
「何のためにここに来たのか、思い出すのです……」
「分かってるよー。けど、一番多忙な立場なんだから少しぐらいいいでしょー。あれからまた百年。各地で問題が起きるようになって、日に日に忙しくなってるんだから」
「それは理解してるゾ。ただ――」
「休むなら、すべきことをした後にゆっくりした方がいいのです……」
三人の中では最も権力ある立場。
それならではの心労というものもあるに違いない。
印象が右往左往して混乱が未だ尾を引いているが、そこは少しだけ理解できる。
理解できるが、俺も遊びに来た訳ではないのだ。
「ええと、ヒメ様。俺からもお願いします。救世の転生者としての使命について。大まかにしか聞いていませんので」
無意識に口調から敬意が薄まってしまったが、それでも乞いながら頭は深々と下げる。
父さん達が最上位の敬意を表す特別な存在であることに間違いはないのだ。
公の場でボロを出さないように、常に形だけでも態度を整えておくべきだろう。
「救世の転生者であるイサクのお願いなら、仕方ない」
対してヒメ様はそう言いながらソファからの脱出を試み、しかし失敗して、そのままの体勢で言葉を続けようと口を開いた。
まあ、そのソファなら仕方があるまい。
ちゃんと目的は果たそうとしているのだから偉いものだ。……なんて、評価の揺れ動きが激し過ぎて、彼女の行動に対するハードルが下がりまくっている気がする。
「イサクはどこまで把握してるの?」
「確か破滅欲求を由来とする人形化魔物。その中でも最悪と名高い人形化魔物ガラテアを倒さなければならないと聞いています」
「うん、その通り。ガラテアを倒せば、人形化魔物の発生頻度は大きく下がるからね。ガラテアは、世界に蓄積された人間の破滅衝動の根源と最も深く繋がってる存在だから」
「つまり、ガラテアを倒すことは、破滅衝動の蓄積をリセットすることに繋がる、と?」
「そ。察しがいいね」
そして、再び破滅衝動が世界に蓄積されて人形化魔物が生まれ出すまでの期間がおおよそ百年、ということになるようだ。
「救世の転生者の使命は人形化魔物から人々を救うこと。そして、そのためにはガラテアを倒さなければならない。けど、肝心のガラテアがどこにいるかイサクは知ってる?」
「い、いえ、それは……」
知っているはずがない。
知っていたら、真っ先にアロン兄さんを助けに行っている。
実力が不足しているなら父さんや母さん、今ならシニッドさんにも協力を求めて。
それができないのは相手が神出鬼没で、まだ拠点を特定できないからだ。
「まあ、今のガラテアは戦力を集めている段階だからね。ある意味、仕方がないよ」
ヒメ様の言う通り、相手も準備段階だから人目につかないようにしているに違いない。
「でも、準備が完全に整ってしまったら討伐するのは容易じゃなくなる」
「…………でしょうね」
人間を操る複合発露。
少女化魔物と真性少女契約を結んだ人間を操れば、必然死を共有する少女化魔物をも操ることができると言っても過言ではない。
後先考えずに反抗したり、例外もあるだろうが、そうやって多種多様な複合発露を収集していけば、最終的には手をつけられなくなるのは想像に容易い。
その前に何とかしなくてはならない。
「だから、わたし達は救世の転生者たるイサクに、不完全な状態のガラテアと必ず対峙することができる方法を授けるために、今日という時間を作ったの」
「地道に情報収集する以外に、そんな方法があるんですか?」
つい疑うように尋ねてしまうが、ヒメ様は気を悪くした様子もなく頷く。
本当にあるのか。
さすがは、百年毎に出現するガラテアを退けるため、既に何度も救世の転生者に協力してきた少女化魔物達と言うべきか。実に手慣れている。
……ヒメ様は相変わらずソファに埋まっているけれども。
「その方法って一体……」
続けた俺の問いにヒメ様はそれを待ってましたとばかりに不敵に笑い、部屋の奥の方に控えていた少女を振り返った。
「テレサ」
「はい。ヒメ様」
するとテレサと呼ばれた彼女、恐らく転移の複合発露でヒメ様を連れてきた少女化魔物が返事をし、もう一人の終始ぼんやりと佇んでいた少女を連れて俺の前に出てくる。
「えっと……」
その子を見て、俺は奇妙な感覚に襲われた。
紫色の髪と瞳は悠属性の少女化魔物を思わせる。
が、拭い切れない違和感があり、彼女に視線を釘づけにされてしまう。
何だろう。この子、一体何者だ?
少女化魔物のような気もするし、そうでないような感じもある。
髪と瞳の色的に人間でないことだけは確かで、そうなってくると少女化魔物である可能性が最も高いはずだが……。
まるで騙し絵を見せられているような気分だ。
「この子は?」
その感じが余りに気持ち悪く、つい短絡的に答えを求めてしまう。
そんな俺に対し、ヒメ様は悪戯に成功した子供のようにニヤリと笑った。
そして、彼女は重大な秘密を打ち明けるようにその子の正体を口にする。
「これは……これこそがガラテア。さっき言った方法そのものよ」
「……………………は?」
しかし、余りにも想定外な言葉を受け止めることができず、理解できず、俺は思わずポカンと口を開けて思考を完全に停止させてしまった。






