330 五百年前の苦肉の策
人は死の間際に走馬灯を見ると言う。本当かどうかは知らないが、それは目の前の死を回避するために自身の経験を参照している状態であるとも聞く。
だが、俺は。矢に心臓を射抜かれたあの瞬間も、前世の最期においても、そんなものを見た覚えは一切なかった。
あるいは、既に死が確定した後では無意味だから見なかったのかもしれない。
そういう意味では、ついさっきまでアコさんの複合発露〈命歌残響〉で振り返っていたものが、一種の走馬灯代わりということになるだろうか。
ところどころ、意図的に省略されている場面がいくつかあったが。
「悪趣味だな。こんなもので罪滅ぼしをしているつもりか? 自己満足甚だしい」
と、俺と同じものを見ていたらしい【ガラテア】が不愉快そうに吐き捨てる。
その隣にいるテアも、幼げな表情ながら怒りを顕にしていた。
逆に、リーメアは俺の状況を悲しんでくれているのか辛そうに顔を伏せている。
……この状況。アコさんは四面楚歌だな。
それもまた、彼女の望みなのかもしれないけれども。
「しかし、このくだらない生贄の仕組み。一体誰が考えたというのだ?」
視線で暗に「お前達か?」と問うように、【ガラテア】は相手を射殺せるのではないかという程に眼光厳しくアコさんを睨みつけながら尋ねる。
彼女自身もその仕組みの一部であるだけに、色々思うところがあるに違いない。
「……責任逃れをするつもりじゃないけれど、私達じゃないよ。多分、この世界に生きていた人間には、どう足掻いてもこの方法は思いつかなかったと思う」
対してアコさんは、視線を下げて表情を歪めながら応じた。
自分達で思いつけなったこともまた、自らの罪の一つだとでも言うかの如く。
彼女はそれから顔を上げ、改めて【ガラテア】の問いへの答えを口にし始めた。
「五百年前。破滅欲求が具現化した歴史上最初の存在が世を乱しつつあった時、そのカウンターとして万民に渇望されて異世界から呼び出された存在がいたんだ」
「……英雄、ショウジ・ヨスキ」
この世界に生きていた人間には無理だというのなら、一人しかいない。
俺の呟きにアコさんは一つ深く頷いて続ける。
「彼はかの存在との戦いの中でその本質に気づいた。気づいて理解した。ただ倒すのでは破滅欲求は消えず蓄積され、近い未来に必ず世界は滅ぶと。だから破滅欲求を消す方法を探し、探し続け……ようやく作り上げた苦肉の策がこれという訳さ」
その内容自体は十分頭に入った。
だが、彼女がわざわざ人類の脅威について個体名を呼ばず迂遠な言い回しをしたことに引っかかり、俺は首を傾げながら口を開いた。
「その最初の存在は、【ガラテア】じゃないんですか?」
「……【ガラテア】であって【ガラテア】でない、ってところかな。不安定で不完全で無秩序だったその存在を、私達が世界的な情報操作を行ったことによって共通認識を形成して【ガラテア】という型に押し込めた訳だからね」
アコさんの答えに【ガラテア】が「ふん」と不機嫌そうに鼻を鳴らす。
ついさっきまで激しく敵対していた彼女のそんな随分と人間味のある姿に、俺は思わず微かに苦笑してからアコさんへの問いを再開した。
「じゃあ、最初の救世の転生者は?」
「ああ。それも架空の存在だ。救世の転生者という共通認識を作り上げるために生み出した、ね。だから、実際の救世の転生者としては君が五人目に当たる」
言い換えれば、この形での救世は今回で五回目、という訳か。
そう考えている間にアコさんは補足するように更に話を続ける。
「……原初の破滅欲求は、まだ人口が少なかった時代だったから今に比べると随分と弱くて破壊も容易かった。けれど、何度も何度も復活してきたからね。とりあえず祈望之器を用いて封印することにしたんだ。それが五百年前の救世、その真実だよ。当然ながら、当時の蓄積された破滅欲求はそのままだ」
あくまでも封印しただけ。
と言うことは、つまり――。
「観測者の醜い性根が消えない限り、封印なぞしたところでいずれは破られよう」
俺達を悪し様に言う【ガラテア】はともかくとして、破滅欲求は時間と共に更に蓄積されていく。人口が増えれば増える程、それは加速度的に高まっていく。
俺が【ガラテア】を氷の中に封印しようとしたのを彼女が無意味だと言い放ったように、あくまでも対処療法にしかならない。
「そうだね。だからこそ以後百年。私達は各地に国を作り、歴史を作り、逸話を作り上げた。そうして、封印を破ったそれは真に【ガラテア】となり、救世の転生者の死を以って【ガラテア】に紐づけた破滅欲求を消し去る手法が確立した訳だ」
対してアコさんは一つ頷いてから、そう悲痛な表情と共に答えた。
改めて、これ以外の方法はあり得ないと告げるように。
「だから、私達はどうあってもイサク。君に死んで貰わなければならない。過去多くの犠牲を払ってまで保ってきた、この社会を維持するために」
再び俺を見て続ける彼女。
その声は苦痛に塗れている。
「これでも彼によると、随分配慮はしているらしいんだ。転移ではなく転生。志半ばで命を落とした者に、もう一度新たな人生を歩む機会を与える。それも生前の性癖からすると夢のような状況で。報酬は十分先払いした、と」
そのまま絞り出すように告げるアコさんだが……。
どう見ても、そう思っているようには見えない。
「ふん。下らないな」
対して【ガラテア】が簡潔に切って捨てる。
その態度にアコさんは眉をひそめ、彼女を睨みつけた。
さすがに【ガラテア】にだけは言われたくないという感じか。
「今の君が何を言っても、負け犬の遠吠えだ」
「確かに今回の私はここまでだろう。しかし、次の【ガラテア】、あるいは、その次の【ガラテア】が必ずお前達の世界を滅ぼす。精々覚悟しておくことだ」
彼女の言い分は、アコさんの言う通り負け惜しみ以上でも以下でもないだろう。
しかし、実際のところ俺からしてもそうなる未来しか見えない。
「……アコさん。今回の救世で既にいくつも想定外の事態があったように見受けられましたけど、今後はどうするつもりなんですか?」
ここにいる【ガラテア】が動き出したのが十数年前。
その時、俺の体は今以上に幼かった。
次は間違いなく、もっと早く状況が動き始めるに違いない。
そうなれば、まともに準備が整えられるとは思えない。
それも全ては人口の急激な増加の影響。
もし今と同じ形の救世を継続しようと言うのなら、意図的に人口を激減させるぐらいの大それた真似をする以外ないだろう。
けれど、それをするには彼女達は普通の少女の感性を持ち過ぎている。
今以上の苦痛に苛まれるだけだ。
そんな未来の彼女達を想像すると、人外ロリコンとして心苦しい。
「……イサクは、考える必要はない。もう、君の役目は終わったんだから」
「いいえ。まだ、俺は生きています。俺はまだ、救世の転生者です」
目を逸らして告げるアコさんに、一歩前に出て真っ直ぐ顔を見据えながら返す。
彼女達は俺を生贄に捧げられる憐れな子羊のようにしか見ていないのかもしれないが、俺からすれば彼女達もまた救わなければならない存在だ。
どうにかして、その苦しみに満ちた状態から解放してあげたい。
そんな思いと共に真っ直ぐアコさんを見詰める。
「……君が助かる余地は、ない。君には、何もできない」
対して彼女は一層顔を背けて拳を固く握って震わせながら応じ、それから感情を殺したように表情の変化を抑えて再び口を開いた。
「現実を見せよう。今の君達の現状だ」
そうして。再び己の力を発動させたアコさんは、俺が心臓を穿たれた直後からの記録を様々な視点で呼び起こしたのだった。






