318 仇敵の居場所
「……それは、どこじゃ?」
低く低く感情を抑え込むように問いかける声に振り返ると、険しい表情を浮かべた母さんがトリリス様達を鋭く睨みつけていた。
今にも飛びかかって無理矢理にでも聞き出そうとしかねない雰囲気だ。
父さんも似たようなもので、自制を促して貰うことはできなさそうだ。
しかし、それも仕方のないことだろう。
【ガラテア】の居場所が判明したということは即ち、かの存在に拉致されて行方不明となっている者達の居場所も分かったということに他ならない。
そして、その中にはアロン兄さんもいる。
十年以上も探し続けてきた息子をようやく取り戻すことができるかもしれないとなれば、親として気持ちが逸るのも当然だ。とは言え……。
「ファイムとジャスターだけでは、アロンを助けることはできないのです……」
もし情報を聞き出したら即座に学園長室を飛び出していきそうな形相の二人に対し、そうディームさんが諭すように告げる。
「そんなもの、やってみなければ――」
「分かるのだゾ。ワタシ達が戦わなければならないのは【ガラテア】一体だけではないのだからナ。多勢に無勢にも程があるのだゾ」
次いで反論しようとした母さんの言葉を遮り、トリリス様がピシャリと断じた。
ドールの人形化魔物たる【ガラテア】は人間を操る力を持つと言われている。
つまり俺達が相対することになるのは凶悪な力を持つ【ガラテア】自身と、これまでに拉致された被害者全てということになる。
そこにはアロン兄さんは勿論、他の人間や少女化魔物達も含まれる。
数としては数千、数万の規模だ。加えて――。
「【ガラテア】は自らが拉致してきた人間と少女化魔物に強制的に真正少女契約を結ばせることで、単独での直接的な攻撃力の不足を補っているのです……」
その相乗効果は、単純な数の暴力に留まらない質の向上をも生むだろう。
滅尽・複合発露の影響を受けているとなれば、真・暴走・複合発露と同等以上の力を個々が有している可能性もある。
さすがの俺も一人で突破しようとするのはリスクが大き過ぎる。
宿敵【ガラテア】に至るより早く息切れしてしまうに違いない。
「そんなことは改めて言われずとも分かっておる!」
とは言え、相手のそうした性質は周知の事実。
母さんはものを知らぬかの如く扱われたと感じたのか、不愉快げに声を荒げた。
しかし、感情を昂らせても意味がないことは母さんも理解しているのだろう。
我に返ったように一つ深く呼吸し、心を落ち着かせてから言葉を続ける。
「それでも……主様ならば〈擬光転移〉のスピードを以って操られた者達を回避し、直接首魁の下に辿り着くことができるはずじゃ」
「それで済むのなら救世の転生者は必要としないのです……」
「奴は拠点を作り、その最奥に潜んでいるのだゾ。まあ、それだけなら速さで突破できるかもしれないが、過去には幾重にも張り巡らせた結界で守っていたりもしたしナ。転移や超スピードへの対策は万全と見るべきなのだゾ」
ディームさんとトリリス様の窘めるような返答に対し、母さんは露骨に顔をしかめて忌々しげに舌打ちしてから口を噤む。
その視線がほんの一瞬だけこちらに向けられたことからして、一連の言動は傍から見ている程には考えなしのものではなかったようだ。
可能なら救世の転生者に先んじて自分達の手で【ガラテア】を打ち倒すことができないものか、と咄嗟に考えた部分もあったのかもしれない。しかし――。
「そもそも【ガラテア】に辿り着くことができたとして、かの存在を討って破滅欲求を消し去ることは救世の転生者にしかできないのだゾ」
「それが、この世界の観測者が定めた法則なのです……」
「……法則などと、そんな馬鹿な話があってなるものか」
今度は完全に俺を見ながら母さんが眉をひそめて言う。
それはこの世界の常識。
恐らくは母さんも当たり前に認識していた知識のはずだ。
実の子が救世の転生者だと確定したりしなければ、その不条理さを正面から考えるようなことなどなかったに違いない。
「そんな馬鹿な話を、過去何度も繰り返してきたのだゾ」
「それでもファイムのように、功を焦ったのか、救世の転生者を慮ったのか、先走った行動を取って命を落とした者達が数多くいるのです……」
「犠牲者を増やさないためにも、余計なことは考えない方が身のためなのだゾ」
それは間違いなく、母さんにだけ向けられた言葉ではないだろう。
俺の影の中にいるレンリに対しての忠告でもあるに違いない。
為政者側と当事者個人。
それぞれ背負うものが異なる以上、時に平行線になるのは是非もないことだ。
とは言え、ここで話が堂々巡りになるのは建設的ではない。
「トリリス様、それで結局【ガラテア】はどこに?」
睨み合う両者の横から問いかける。
トリリス様は俺に視線を戻して答えようとしてから、母さんを一瞥して躊躇う。
「大丈夫ですよ。母さんも分かってます。無茶はしません。アロン兄さんを無事に助け出すのにも、多くの人の手が必要になるでしょうから」
一応釘を刺すように兄の名も出すと、母さんはブスッとした顔で目を逸らした。
その様子にトリリス様も二人が【ガラテア】の居場所を知っても先走ったりはしないと判断したようで、ディームさんに目で合図をしてから口を開く。
「【ガラテア】はとある島にるのだゾ」
彼女がそう答える間に、ディームさんが地図を持ってきて机に広げた。
地形は元の世界と変わらないので、見慣れた世界地図だ。
ホウゲツで作られたものらしく、図の中心には日本列島がある。
俺達が見易いように南がこちら側に来るように机の手前に置かれているため、椅子に座ったままでは手が届かないトリリス様は立ち上がって身を乗り出し――。
「ここだゾ」
机に片手を突きながら、地図上のとある地点を指差した。
アフリカ大陸の南東。日本の六割増しぐらいの面積がある島。
そこは元の世界ではマダガスカルと呼ばれていた場所で、独立性が保たれていたが故に特殊な生態系が形成された地の一つとして有名だ。
こちらの世界ではどの国も属しておらず、人の手が全く入っていないため、一層自然に溢れた島になっていることだろう。
ある意味、そうした部分を含めて【ガラテア】の居場所として納得できる。
地を司るとされ、陸続きであれば大地に立つ存在全てを感知可能なムートが情報を掴めていなかった時点で、主だった大陸にいるはずがないと想像できていた。
実際、世界で初めて出現した【ガラテア】こそ西ヨーロッパにかつて存在していた国のど真ん中に現れたらしいけど、以後の【ガラテア】はアイスランドやニュージーランドなど国に属していない島を拠点としていたそうだからな。
この先も救世が続くとしたら、いつか北極や南極が決戦の地になりそうだ。
「討伐の決行は明日の昼。現地の時間で日の出前に、集められる限りの少女征服者で奇襲を仕かけるのだゾ。そして彼ら陽動部隊として、本命の救世の転生者が【ガラテア】の下へと向かう訳だナ」
作戦としては余りにも単純なものだが、実際それ以外にないのだろう。
どれだけ犠牲者を出そうとも破滅欲求を消し去ることができれば勝ちだし、どれだけ犠牲を防いでも破滅欲求を消し去ることができなければ負けなのだ。
そして【ガラテア】は救世の転生者以外では倒せない以上、如何にして万全の状態の俺をそこまで辿り着かせるかという戦いから始まることになる。
しかし――。
「明日の昼なんて急ですね。ちゃんと集まるんですか?」
あちらが何か行動を起こす前に仕かけたいのは俺としても理解できるが、数が集まらずに作戦が機能しなければ何の意味もない。
今回ばかりは失敗しましたでは済まないのだ。
この一戦に世界の興亡がかかっているのだから。
とは言え、この世界に生きる者ならば、そんなことは百も承知だろう。
「問題ないのです。【ガラテア】は世界共通の敵。かの存在への対処は全てにおいて優先されるのです。言わば、この社会に生きる者の義務なのです……」
「この時ばかりは、海外への転移も例外的に許される程だからナ」
「今正に世界中で緊急招集の通達が行われ、準備が進められているのです。もしそれに従わない者がいたら余程の事情がない限り、厳しく罰せられるのです……」
周期的に出現する【ガラテア】は予期できる災害のようなもの。
それへの対処は当然、社会の中の各部に仕組みとして組み込まれているようだ。
トリリス様達の五百年の積み重ね。俺が心配する必要はないのだろう。
「後は、救世の転生者次第、か……」
「その通りだゾ」
「泣いても笑ってもこれが最後なのです。ゆっくり体を休めて、万全の状態で臨んで欲しいのです……」
「……はい。分かりました」
俺がそう応じると二人は各々頷き、それから隣で母さんとのやり取りに当てられて直立不動になっていたルトアさんへと視線を向けた。
「ルトア。お前には全てが終わるまでイサクと共に行動して欲しいのだゾ」
「補導員事務局の仕事はルーフと、臨時に増員した職員にやって貰うのです……」
「は、はいっ! えっと、それは私からお願いしようと思っていたことでもあるのですが……いいんですか?」
「最後だからナ。イサクを助けてやって欲しいのだゾ」
「最後…………はい。頑張ります!」
ルトアさんもトリリス様が告げたその言葉に含まれる別の意味に気づいているのだろうが、複雑な気持ちを押し殺すようにグッと気合を入れる素振りで応じる。
母さん達のように反感を向けるよりも、かえって彼女のような反応の方がトリリス様達にとっては堪えるかもしれない。
ディームさん共々、表情が歪む。
「……時間が来たらワタシの力で呼ぶのだゾ。後、緊急の要件がある時もナ」
「分かりました。失礼します」
絞り出すような声で話を切り上げたトリリス様の意をくんで頭を下げ、俺はそれからルトアさんと母さん達と視線を交わして学園長室を後にしようとした。
「イサク」
が、少し歩いて扉に近づいたところで背中に声をかけられる。
「はい? どうかしましたか?」
呼ばれて振り返った俺が目にしたのは、罪悪感に滲んだトリリス様の何か言いたげな顔。隣に立つディームさんも同じように悲痛な面持ちだ。
彼女達が何を思っているのかは、おおよそ予想できる。
しかし……それを口にすることは誰のためにもならない。
二人もそれは重々承知しているだろう。
だから彼女達はそれ以上、脳裏を駆け巡っているだろう言葉を告げられず――。
「……いや、何でもないのだゾ」
そうとだけ言ってトリリス様は俯いてしまった。
それを目にした母さんは眉をひそめて彼女達を咎めるように睨むが、二人はその視線にも気づかない。
苦しんでいる者を更に責め立てるのは酷というものだろう。
だから俺は、母さんに対して首を横に振って宥め……。
「…………そうですか。では、また」
トリリス様の嘘をそのまま受け入れて、皆と共に学園長室を後にしたのだった。






