AR37 劇薬
「彼には彼の譲れぬ目的があった。だから、君の置かれた状況に配慮して行動を変えるなんてことはあり得ない。当然のことだよね。……まあ、今この瞬間から全体像を見渡すと、もう少し冴えたやり方があったんじゃないかとは思うけれど。きっと当時の彼にはそうする以外なかったのだろう。何故なら――」
***
「ユニコーンの少女化魔物は俺達の目論見通り、ホウゲツ学園の手に渡った。……が、そこから先が遅々として進んでいない。甚だ遺憾な状況だ」
「そうは言っても、あの少女化魔物は逸話のせいで、性格に難がある可能性が高いですからね。すんなりとパートナーが決まるということはないでしょう」
苛立ちと共に告げた俺に、かつて救世の転生者を探らせるためにヨスキ村に潜入させていた亜人(エルフ)の少女化魔物インシェが宥めるように告げる。
まあ、議論の対象は女性としか真性少女契約を結ばぬ特異な存在だ。
彼女の言いたいことは理解できなくもないが……。
治癒という特別な力を持つが故の代償だとしても、さすがに難があり過ぎる。
昔の人間は、一体何を思ってそんな性質をかの魔物に付加してしまったのか。
もはやこの世にいるはずもない過去の観測者達の空想に文句を言っても詮のない話ではあるが、八つ当たりの一つもしたくなろうというものだ。
「治癒の祈念魔法が確立されるまではー、ユニコーンは特異思念集積体だったとも言われてますからねー。特異思念集積体に至るような存在はー、色々な意味でユニークなのですー」
インシェの言葉を受け、正にその特異思念集積体、その中でも飛び切りの存在であるベヒモスの少女化魔物ムートが間延びした口調で告げる。
祈念魔法で治癒ができるようになったのは、人体の構造などに理解が進んでからのことだ。それまでは、確かにユニコーンは神の如き存在だったことだろう。
実際に特異思念集積体だったかは不明だし、今となっては女好きとして悪名高く何とも微妙な評価を含む魔物に成り果てているが。
「そんなことよりもー、これからどうするのですー?」
自分も話に乗っかっていただろうに脱線を咎めるように、全体的にふくよかな見た目と眠くなるような話し方に反した強い視線を俺達に向けて問うムート。
対して俺は、そこから感じる強烈な圧力を真正面から受けとめながら、決意を固めるように一つ深く呼吸をしてから口を開いた。
「知れたこと。目的の成就のため、時計の針を進めるのみだ」
「ですよねー。聖女候補者が呑気に遊びに出かけているような状況ではー、今日明日での変化は期待できませんしねー」
俺の言葉を受け、我が意を得たりとムートは大きく頷く。
一応は真性少女契約を結んでいる相手ではあるが、俺と彼女との関係はあくまでも対等なものだ。間違っても主従関係ではないし、恋愛関係でもない。
さすがに組織の他の人間に見られては計画に支障が出るから、他人がいる状況では彼女自身の判断で大人しくしてくれているが……。
それは決して俺のことを慮ったり、俺が懇願したりしたからではない。
三大特異思念集積体という存在は、そう容易く御せる存在ではないのだ。
認められるに足る何かを示すことができなければ。
凡愚たる俺には不可能な話だ。
「で、ですが、ムート様。既に条件は満たしています。わざわざ私達がここで危険を冒さなくとも、いずれ聖女は生まれるのでは?」
と、インシェが俺に心配の視線を寄越しながらムートに問いかける。
インシェの慇懃な態度は、彼女が大地に属する存在を由来としているからだ。
それでも意見したのは、堅実な選択を優先すべきだと考えているからだろう。
実際、無理をしなくとも後は待っていれば次の段階に移行することはできる。
彼女が言っていることは間違いではない。
安全を優先するなら、そうするべきなのは火を見るよりも明らかだ。
しかし――。
「既に一ヶ月以上待ちましたー。私はー、これ以上待つつもりはないのですー」
ムートはそう言いながら普段の穏やかな表情からは想像できないような、睨めつけるような視線をインシェへと向ける。
彼女は、俺達と共通の目的を持つが故にこうして協力してくれている。否、俺達を利用していると言った方が正しいかもしれない。
真性少女契約こそ結んでいるが、それは俺達の目的が彼女にとって命を懸けてでも解決すべき問題だったからに過ぎない。
それこそユニコーンの少女化魔物が女好きとされたのと同様に、この世界の観測者によって付加された、地を司るという特性に従っているだけなのだ。
故にムートは、この件については若干冷静ではない部分が多いのだが……。
「俺も、そのつもりは毛頭ない」
先程の俺の発言は何も彼女の圧力に屈してのものではない。
自分自身の確固たる意思だ。
「いずれ。それは明日か明後日か、一週間後か一ヶ月後か一年後か、はたまた十年後か分からない。何の行動もせず、他者の手に委ねたままではいられない」
待っていれば自然と計画が進むことも事実だろうが、彼女らに明確な危機感がなければ、徒に時間だけが過ぎ去っていきかねないこともまた確かだ。
何より、餌を待つ雛鳥のように口を開けて待っているだけなど我慢ならない。
時間的な猶予はあれど、俺はそれに甘んじるつもりなど更々ない。
時間が経てば経つ程に彼らの、時代との乖離が大きくなってしまうのだから。
「状況が停滞しかねないのなら、劇薬が必要だ。俺達の計画を一気に推し進めるためにもな。インシェ、分かってくれるな?」
「…………はい。テネシス様の仰せのままに」
俺の問いかけに、インシェは最後には理解の意を示してくれた。
彼女は、早く俺がこの計画から解放されて欲しいと願っている。だからだろう。
そのことを含め、これまでの多くの気遣いに内心で感謝を抱く。
だが、それを表に出すのは目的が成就してからだ。
俺は喉まで出かかった言葉を飲み込み、残る面々に視線を向けて口を開いた。
「セレス。大丈夫か?」
「……はい。問題ありません」
「トラレ」
「うん。大丈夫。分かってるから」
「ファルン。……行けるな?」
「は、はい。やります。やれますっ!」
他の者達も否やはない様子だ。
ここは俺だけが知る隠れ家である故に、誰も暴走状態にはない。
そのため、返ってきた答えは各々の性格が出たものだった。
特に、比較的卑屈なファルンが無駄に気負っているのがよく分かる。
「もし失敗したら、救世の転生者に負わせればいい。気は楽に持て」
そんな彼女の緊張を解くために口にした言葉とは裏腹に。
俺は自らの手で最後のピースをはめ込むつもりでいる。ムートも同様だ。
とは言え、ファルンを無駄に緊張させる必要はない。
「は、はい」
何にせよ、彼女は幾分か力が抜けたようで、強張った表情が少しだけ和らいだ。
その様子に問題なさそうだと頷き、改めて一同を見回す。
この干渉により、うまく転べば計画は最終段階に至ることができるはずだ。
そう意識するとファルンではないが、少し気が逸る。
そんな己の心を落ち着けようと、俺は一つ深く息を吐き――。
「……よし。行くぞ」
そうして俺達は、あの日の地獄を再現することで先に進むために、学園都市トコハへと向かったのだった。
***
「彼は十年もの月日を全てそのためだけに費やしてきた。たとえ汚泥に塗れても成し遂げると誓ったからだ。そして間もなく。彼の目的は成就することとなり、一つのピリオドがつけられる。それがどういったものであり、この凶行がどんな意味を持っていたかは、今の君も知るところだろう」






