243 終わりへの備えを
「まあ、薄々予想はしていました」
森林都市モクハのホウゲツ学園所有の海水浴場。
その傍にあるログハウスに戻った俺は、帰りを待っていてくれたレンリに特別収容施設ハスノハでの顛末を語り……。
それに対して彼女から返ってきたのが、最初の言葉だった。
報告に際して、浮気とまではいかずとも他の女性に言い寄られたのを恋人に説明する時のような微妙に気まずい思いを抱いていたが、とりあえず彼女は気にすることなく全く当たり前のこととして捉えているようだった。
「私の旦那様ともあれば、少女化魔物が寄ってくるのも必然というものです。むしろ現状、この程度で済んでいることが驚きです」
その証明のように、そう更に言葉を続けるレンリ。
影の中の彼女達もこの世界全体もそうだが、未だに本当に受け入れていいものかちょっと不安になるような、前世の日本の常識とは全く異なる価値観だ。
勿論、もう十五年以上もこの世界で生きているし、事例もいくつか目の当たりにして慣れもあるので、あくまでもちょっとだけだけれども。
「それにしても、ターナさん、でしたか。真性少女契約をすると契約相手も不老になるとはまた、素晴らしい真・複合発露ですね」
「言っても、別にレンリに恩恵がある訳じゃないぞ?」
「いえ、十二分に恩恵があります。何故なら、旦那様と末永く共にあることができますから。このアガートラムもまた所有者を不老にしますので」
レンリは俺の言葉を否定し、右手を軽く上げて示しながら告げる。
それを受けて俺は、成程と思った。
そう言えば、その義手はそういうものだった。
アクエリアル帝国の国宝。
本来、皇帝の証としてある第六位階の祈望之器アガートラム。
位階相応の身体強化や治癒力の大幅な促進と共に、それは所有者の老いを完全にとめる効果をも有している。
故に、何ごともなければ俺の方が先に逝くことは確定的ではあった。
いくら常時身体強化をしている影響で、第二次性徴がまだ来ないぐらいに成長が抑制されているとは言っても将来的には間違いなく。
もっとも、レンリがアガートラムを失えばその限りではないが……その場合は彼女自身の意思で捨て去る形になることだろう。
三大特異思念集積体の内の一体、リヴァイアサンの少女化魔物たるラハさんと真性少女契約を結んでいる以上、力づくで奪われるとは考え辛い。
誰かに譲る形になるのは確実だ。
不老を失ってまで、限りある命を俺と共にする。
それはある意味、俺と真性少女契約を結んだ彼女達と同じではあるが、意に添わず捨てるような事態とならずに済む道があるのなら、それに越したことはない。
アクエリアル帝国的には困るかもしれないが、それは国宝をいいように占有されかねない欠陥制度を作った方が悪いとしか言いようがないだろう。
……まあ、何にしても。
レンリの大真面目な顔を見るに、その言葉は本心なのは間違いないようだ。
「皆様も、同じようなことを思ったのではありませんか?」
その彼女は続けて影の外に出ているイリュファとリクル、ルトアさん。それから俺の足元へと視線を順に移しながら問うた。
対して――。
「サユキは生きるも死ぬもイサクと一緒だから。でも、イサクが生きててくれた方がずっと嬉しいよ」
「まあ、そうね。真性少女契約を結ぶ時の覚悟は何だったのかって気にも少しはなるけど、長く一緒にいられるに越したことはないわ」
「イサクと一緒。ずっとずっと」
「永く主様に空を統べていただくのは、ワタシの望みでもありまする」
先に答えが返ってきたのは影の中から。
テアも苦手なレンリからの質問に応じている辺り、強い同意があるのだろう。
その返答にレンリは満足したようで一つ深く頷き、それから再び影から出たままのイリュファとリクル、ルトアさんに再び問うような目を向けた。
「私は当然、同じ意見です!! イサク君がいなくなった後に残されることの方が怖いだけで、死にたい訳ではありませんから!」
「わ、私は、まずは真性少女契約を結ぶのを目指さないとですけど、ご主人様が長生きしてくれた方が問題が解決する可能性が高くなると思いますです!」
ハキハキと告げるルトアさんと、真性少女契約を結ぶことができない問題を深刻に考え過ぎて百年スパンの命題のように捉えているらしいリクル。
そんな二人を前に、レンリは前者の返答には表情を柔らかくして応じるも、後者の言葉を耳にすると少し気まずげに若干視線をそらした。
以前、その事例に関して、どこかで聞いたことがあるとリクルに告げて希望を持たせたにもかかわらず、確認するのを後回しにしていたからだろう。
まあ、レンリも割と忙しそうなので頭から抜けていても仕方がない。
どうにもレンリは、俺にも秘密の何かを調査しているようだしな。
加えて、セト達を守るという指切りによる重い約束もある。
色々と事情がありそうなので、レンリが一先ずリクルの問題に触れずに話を続けようとしているのを責めるつもりはない。
「イリュファさんはどうです?」
そのレンリは微妙に誤魔化すように小さく咳払いしてから表情を引き締め、一人答えを口にしなかったイリュファを見据えるようにしながら彼女に尋ねた。
これまでとは違い、何やら挑むような気配が色濃い。
「……私も、当然イサク様にはずっと生きていて欲しい。その傍で常に仕えていたいと思っています。心から」
対して、時折見られる罪悪感の滲んだ顔と共に答えるイリュファ。
しかし、その言葉には願いに似た真摯さもまた同時に滲んでいた。
そして、しばらくの沈黙。
見詰め合う二人。
「…………ええ。貴方のその言葉に行動が伴うことを願います」
やがてレンリはそんなイリュファに、半ば責めるようだった声色と打って変わって心の底から懇願するように告げた。
それから彼女は、ひりつくような空気を霧散させて俺に笑顔を向けてくる。
「旦那様。救世の使命を果たしたら、皆で不老になって共にアクエリアル帝国を統べましょう。ホウゲツよりも素晴らしい、旦那様のための国にするのです」
わざと過激なことを言う類の冗談を口にしているような雰囲気をも纏っているものの、その目だけは変わることなく本気も本気だ。
しかし今は、未だイリュファの辺りに漂う重苦しい空気を払拭するために、あくまでも冗談として受け取って軽く応じておくことにする。
「おいおい。いいのか、それ。レンリは曲がりなりにも皇族だろうに」
「皇帝の証は私が持っていますから。それに、我が国では強さが絶対ですから。勿論、その強さでホウゲツのような国にしてしまっても構いません!」
「まあ……考えとく。けど、救世の転生者って使命を果たすと行方知れずになるって聞くぞ。元の世界に戻る方法を得て帰っていったとか、権力から離れて隠遁生活を送ったとか、諸説あるみたいだけど」
「たかだか数回の事例です。過去に囚われず、旦那様は旦那様のやりたいようになさればいいと思います。……必ず、私がそうなる未来を手繰り寄せて見せます」
同じく軽い口調で続けながらも、しかし、最後に小さくつけ加えられたレンリの一言には、彼女自身の命を乗せたような重々しさがあった。
強化された聴覚が、聞き逃すようなことはない。
……あるいは、それがレンリが裏で行っていることか。
さすがにイリュファや彼女の様子を見ていれば、救世の転生者の末路がいいものではなさそうであることは薄々感じている。
たとえ使命をつつがなく果たすことができたとしても。
だが、その詳細を彼女らが語ることはないだろう。
他ならぬ救世という使命に支障をきたさないために。
結局のところ、俺は俺で何が起きてもいいように備えておくしかなさそうだ。
「……旦那様?」
少し考え込んだ俺に、どこか不安そうな視線を向けてくるレンリ。
隣ではイリュファも、恐れに近い感情を抱いているような目で俺を見ている。
俺には感づいていて欲しくない、というところだろうか。
互いに言葉にすれば変な拗れ方をしてしまうだけならば、この場は彼女達の望むようにしておくとしよう。
「いや、何でもない。将来のことは将来だ。その時に決めればいいさ。それよりも一段落したし、折角皆で海にいるんだから、もっと楽しもう。取り返さないと」
だから俺は、意識的に笑顔を浮かべながら立ち上がった。
三大特異思念集積体の内の一体、ジズの少女化魔物たるアスカの力を得た今、おおよそ戦闘面では完成したと言っても過言ではない。
そうである以上、いくら将来に備えると言っても、闇雲に新たな少女化魔物を求めればいいというものではないだろう。
そもそも、有用な複合発露を持っているからという理由で真性少女契約を結ぼうとするのは、不義理にも程があるし。
であるならば今、俺の身近にある存在。
イリュファやリクルと真性少女契約を結べるようになることや、セト達の成長を促していくこと、あるいは、いざと言うときに頼ることのできるシニッドさんやライムさんのような仲間を増やしていくことを目指すべきなのかもしれない。
そんなことを思いながら。
俺は彼女達と共に弟達のいる浜辺へと向かったのだった。






