241 人魚の少女化魔物
ベヒモスの少女化魔物ムートからの依頼を遂行した翌日。
俺はログハウスの二階にあるベランダから、今日も今日とて水かけ合戦を全力で楽しんでいる子供達の姿を眺めていた。
昨日は後から参戦して幾度も勝ちをかっさらっておいたので、今日は彼らが俺との再戦に向けて色々と試行錯誤するための日としている。
「イサク様。セト様達なら、あちらからでも表情を見ることができますよ」
「……分かってる」
そんな中、そうイリュファに指摘され、俺は意識的に顔の筋肉を弛緩させた。
身体強化状態で目を凝らせば、こちらからあちらの顔もハッキリと見て取ることができるし、当然その逆もまた然りというところ。
考え込むような顔に気づかれれば、セト達を不安にさせてしまいかねない。
「ですが、旦那様が難しい顔をするのも分かります」
と、俺と同じく水かけ合戦には参加せず、隣に控えているレンリが呟く。
これぐらいの小さな声もまた耳を凝らせば鋭敏な聴覚で拾うことも不可能ではないが、祈念魔法でログハウスの外には音が漏れないようにしているの問題ない。
さすがに夜の闇の中にいる訳でもなし、あちらからこちらを見えなくしたりするのは余りにも不自然過ぎるのでやらないけれども。
何にせよ、普通に声に出す分には特に気にする必要はない。
なので、レンリはそのまま言葉を続ける。
「無差別な石化それ自体に即応することができずとも、石化されても問題ない治療体制を整えておく。それは現状最善の対策と言っていいと思います」
「とは言え、果報を待つだけっていう感じの作戦はちょっとな」
まず治癒の少女化魔物が生まれることが前提の話だ。
諸々の要素から近々にそうなる可能性が高いとは言っても、自ら積極的に行動できるようなものではないため、何と言うか妙な焦りを抱いてしまう。
なので今は、人間至上主義組織スプレマシーの長たるテネシス・コンヴェルトによるある種の脅迫に対し、他に立てられる方策がないものかと考えていた訳だ。
「旦那様のお力でホウゲツ全土を凍結させるとか、如何でしょうか」
「……実際、一瞬でそれができるのなら悪くない案なんだけどな」
全国民を凍結した上で一人一人選別していく。
ついでにホウゲツ国内の反社会的勢力も全て壊滅させることもできるだろう。
しかし、突然凍結させられては如何に後々回復させると言っても一般市民は不満に思うだろうし、周知しては目的の相手に逃げられるのみ。
それに、いくら救世の転生者と言っても限度というものがある。
フェリトの真・複合発露〈共鳴調律・想歌〉を利用して循環共鳴状態を限界まで高めれば、広範囲でも破ることのできない凍結を放つことはできるかもしれない。
だが、人間の認識力の限界と言うべきか。
救世の転生者たる俺でも、精々目に映る範囲の凍結が関の山だ。
氷塊の射出であれば、地平線の先まで撃ち込むことはできるかもしれないが。
これは空中にあるものの感知も同じで、元々空を司るジズの少女化魔物であるアスカならばいざ知らず、俺の感知範囲は世界中とまではいかない。
まあ、これについては彼女に頼ればいいだけの話ではあるけれども……。
なら、同じ少女化魔物のサユキにやって貰えば、とはならない。
真・複合発露〈万有凍結・封緘〉の本来の持ち主であれ、特異思念集積体ではない以上、さすがにそこまで広範囲への干渉は不可能だ。
そもそも、彼女では循環共鳴状態を作れないので威力も足りないし。
あちらにムートがいる以上、最大限に範囲を広げながら威力も最低でも三大特異思念集積体の身体強化は上回らなければならないのだ。
「いくら〈裂雲雷鳥・不羈〉で日本全土を短時間で巡ることができるとは言っても、最初の一撃が本命に当たらなければ転移で海外に逃げられかねないからな」
地上にある存在に大きな影響が出れば、地を司るベヒモスの少女化魔物たる彼女が即座に感知し、それを受けて逃亡を図ること間違いない。
そうなれば、無駄に一般市民に迷惑をかけるだけだ。
「……まあ、ジッとして考え込んでいさえすれば妙案が浮かぶというものではありません。少し気分転換をしてもよろしいのではないですか?」
「気分転換、ね」
「折角ですから、海辺の散策など如何でしょう。道具で遊んだり、泳いだりするだけが海の楽しみ方ではありませんし」
言いながら、上着を脱いで水着になるレンリ。
その透き通るような柔肌を、無防備に惜しげもなく俺の目に晒す。
他の皆もそうだが、炎天下に長時間いても日焼けの兆候はない。
こういった部分にも身体強化は作用しているので、実力が高ければ高い程、日差しの影響を受けることがなくなるのだ。
なので、夏の風物詩とも言える光景は、少なくともこの場では生じ得ない。
まあ、日焼け止めを塗り忘れて、あるいは突き抜けて肌が真っ赤っか、皮がベロンベロンといったことがない方が嬉しい者も多いかもしれないが。
「少し遠くに岩礁や岸壁もありました。入り江には洞窟もあるかもしれません」
「……そうだな。そういうところを探検してみるのも悪くない」
レンリの言葉に少年心をくすぐられ、頷きながら彼女の提案を受け入れる。
前世では足場が悪かったり、岩肌が荒れていたりして水着で気軽に赴くには危険極まりなくい場所でも、今の俺達にとっては砂浜と大して変わらない。
ここは一つ童心に返り、一先ず頭を切り替えるとしよう。
「では、行きましょう!」
俺が乗り気になったのが嬉しいのか、弾んだ声と共に腕を組んでくるレンリ。
しかし、丁度そのタイミングで――。
「あ、イサク君。何か連絡が来たみたいです!」
ログハウスの隅に設置されていたムニさんの端末に反応があったらしく、その番をしていたルトアさんが報告してくる。
それを前にレンリがピシッと固まるのが、触れ合った素肌から伝わってくる。
「丁度今アコ様から連絡があって、あの子が目を覚ましたそうです!」
「……レンリ」
「…………はい。そちらを優先して下さい、旦那様」
俺の呼びかけに彼女は残念そうな表情を浮かべながら、しかし、すぐに手を離して一歩引き下がった。
元の世界なら前時代的とも言える殊勝さには、何かしら報いたくなる。
影の中にいるテアに配慮してか、同行したいと強く主張することもないし。
……また今度、甘味処にでも誘うとしよう。
「じゃあ、レンリ。少し行ってくるから、セト達をよろしく頼む」
「はい。お任せ下さい。旦那様、お気をつけて」
「ああ」
見送るレンリに背を向けて、俺はログハウスのベランダからそのまま空へ。
そして一定の高度まで浮かび上がったところで、俺は学園都市トコハの特別収容施設ハスノハを目指して翔け出した。
「やあ、来たね。じゃあ、行こうか」
数分で施設の入り口に至り、そこで今日も待ち構えていたアコさんに連れられて昨日と同じ待合室的な小さな部屋に向かう。
「あ……」
すると、扉のガラス越しに俺の姿を認めてか、その中にいた少女、人魚の少女化魔物は花が咲いたような笑顔を浮かべた。
「来てくれたんだ!」
彼女はそう快活な声で言うと、扉の前まで勢いよく近寄ってきた。
「助けてくれて、ありがとう!」
満面の笑みと共に頭を下げて感謝を口にする少女。
とりあえず悪い子ではないようだ。
「ねえ。お礼をさせて?」
それから顔を上げた彼女は、そんなことを言い出す。
別に対価が欲しくてやっている訳ではないし、下世話な話だと国から報酬が支払われるだろう。人外ロリコン的には笑顔の感謝だけで十分な対価だ。
なので、断ろうと口を開くがそれより早く――。
「僕と真性少女契約を結んで、一緒に不老になろう?」
彼女はどこかサユキを思わせるような表情と共に、そんなことを言い出した。






