236 凡庸な救出劇(当社比)
ベヒモスの少女化魔物ムートの先導で自然林の領域に入ってしばらくして。
何やら異質な外観の非常に背の低い建物らしきものが見えてきた。
施設と言うには面積も非常に狭く、たとえ空から探索しようとしても、雑多に生えている周囲の木々に隠れてしまって視認することはできないだろう。
それはそれとして。一体、何が異質なのかと言うと……。
「布?」
比較的小さい建物全体が、一枚の大きな布でスッポリと覆われている。
そのせいで、実際にどういった建物なのか今一つ分からない。
布の感じからして直方体状の平屋のようではあるが……。
当然ながら窓も(これもあるのかどうかすら分からないが)完全に隠れてしまっているため、中の様子は視覚的に全く見て取れない。
しかも、そうした光景を認識する中に何やら妙な違和感がある。
「……何だこれ」
「これはですねー。祈望之器タルンカッペの複製改良品ですー」
「タルンカッペ?」
「はいー。纏ったものの姿を隠蔽できると言われているマントですー。それを一枚の大きな布に複製改良してー、建物全体を覆い隠している訳ですねー」
ムートは相変わらずの呑気な声でそう言うと、俺の方を一度チラッと見た。
「もっともー、オリジナルの祈望之器でもなければー、今の私達のように一定以上の身体強化を行っている者には全く効果がありませんけどねー」
そう告げたムートは既に真・複合発露を発動させ、この世界のベヒモス……元の世界で言えばサイに近い特徴をその身に現出させた姿へと変じている。
勿論、俺もまた〈裂雲雷鳥・不羈〉と〈支天神鳥・煌翼〉とを同時使用中だ。
故に。ムートが口にした通り、それの力は俺達には及ばない。
この布があくまでも複製改良品である以上、普通の使い方では第五位階以下の認識阻害効果しか持たないのだから。
とは言え、こうして最初から当たりをつけて探索にでも来ない限りは、第六位階の身体強化系複合発露を発動した状態でこれを前にする可能性は低い。
たとえこの近辺に迷い込んだ者がいたとしても、祈望之器の効果によって欺瞞され、施設の存在が明るみに出ることはまずないだろう。
人工林がこちらまで広がってくるようなら、移転すればいいだけの話だし。
とにもかくにも、施設の異質な外観については理解した。
後は突入するだけだが……。
「ところで、昼の襲撃でよかったのか?」
「問題ありませんー。夜の方が出入りが激しいのでー」
まあ、後ろ暗いことをしている者が活発になるのは基本的に暗くなってからか。
いくら祈望之器で認識欺瞞を常に行っているにしても、真っ昼間から大っぴらに行動していては、夜に動くよりも遥かに綻びが生じ易い。
であれば、昼の方が比較的警備は手薄なのかもしれない。
……俺達としてはむしろ人数が多い方を襲撃して、違法な真似をしている人間至上主義者共を一人でも多く捕えたいところだったけれども。
組織側の存在として、ムートも被害が最小限になるように考えているのだろう。
ならば、と夜まで待とうとすれば、あるいは彼女は敵襲を知らせようとするかもしれない。人魚の少女化魔物を移動させられては困る。
この場は、第一に少女化魔物の救助に専念すべきだ。
一石二鳥、三鳥を狙って本命が疎かになってはいけない。
「人魚の少女化魔物はー、この施設の最下層にいるはずですー。ちなみにー、最下層からの脱出経路があちらにありますー。直通ですー」
「お、おう」
サクッと近道を伝えてくるムートに、若干戸惑い気味に応じる。
隠し通路の存在を事前に知っていたとしても初めて訪れた場所なら正確な位置は分からないはずだが、彼女は迷うことなくある方向を指差している。
これもまた、ベヒモスの少女化魔物としての力の応用か。
いずれにしても、それを利用すれば、正面から突っ込むよりは対象を連れて逃げられてしまう可能性が遥かに低くなることだろう。
助かるには助かる。
「ではー、私は正面から陽動しますねー」
そう宣言するとムートは地面を音もなく隆起させ、土の人形を多数作り出した。
そして、四方から建物に被さった布を捲って施設に突入させていく。
「分かった。派手にやってもいいんだな?」
「よくはないですがー、構いませんー」
俺の問いに微妙な言い回しをするムート。
まあ、組織側の存在としては当然の反応か。
何にせよ、了承を得たと判断し、彼女が示した脱出経路とやらの場所に向かう。
そこで若干違和感のある地面から土と葉を取り払うと、迷彩柄の布が出てきた。
こちらもまたタルンカッペの複製改良品と見て間違いない。
それを一気にはぎ取ると、頑強そうな金属製の扉が出てくる。
しかし、こんなものは障害にはならない。
俺は力任せに抉じ開け、即座に侵入を開始した。
直通と言うのは本当らしく、中は梯子のついた竪穴構造で地下深くに繋がっているようだ。前世の身近なところで考えると、マンホールの中に入る感じか。
そこを落下するよりも速く突き進んでいくと、降り切ったところに新たな扉。
こちらは木製のものだ。
それを蹴破ると、牢屋のような小さな部屋に出た。
「なっ!? お前は一体――」
中にはいくつかの人影。
突然の侵入者に対し、そのほとんどがこちらに驚愕の視線を向けてくる。
が、その内の一人は微動だにしない。
正にその少女化魔物であろう少女は、命属性を示す灰色の長い髪を乱れさせ、虚ろな同色の瞳を何もない天井の隅の辺りへと向けている。
俺はその肩に、隷属の矢が刺さっているのを目にし……。
「問答無用!」
ムートの話が一定の真実を含むと確認できたため、即座に〈万有凍結・封緘〉を使用し、人魚の少女化魔物と思しき彼女以外を一瞬にして氷漬けにした。
ムートの言葉が正しければ外道にも程がある者達だが、命までは取らない。
それは万が一冤罪だった場合の備えでもあるし、何より罰を与えるのは国の、司法の役目だからだ。法治国家において私刑は罪だ。
「ふぅ……」
小さく息を吐いてから周囲を確認するように見回す。
勝負は一瞬にして決し、部屋に冷たい沈黙が降りている。
正に鎧袖一触の如き決着だが、それも当然のことだ。
少女化魔物と真性少女契約を結ぶような組織の異端者であるテネシスのような存在でもなければ、人間至上主義者など敵ではない。
どう足掻いても、少女化魔物を蔑ろにする彼らが使用することができる力は、本来なら暴走・複合発露止まりなのだから。
「これは、酷いわね……」
思わずという感じに影の中から呟いたフェリトに、意識を眼前の少女に戻す。
人格を封じられた彼女は、椅子に縛りつけられるように拘束されていた。
袖のない貫頭衣のような粗末な服を着せられた状態で。
「相も変わらず、こいつらは」
かつて人間至上主義組織に捉えられ、強制的に暴走させられたことを思い返しているのか、声に怒りを滲ませながら忌々しげに続けるフェリト。
俺も内心彼女の抱いた感情に同意しつつ、だらんと投げ出されている少女の小さな手を、両手でガラス細工を扱うように慎重に取って労わるように包み込んだ。
「少女化魔物は精神に肉体が引きずられ易い存在です。逆に言えば、精神が健常であれば、多少肉体が損壊しても元に戻るということでもあります。……まあ、この場合は健常ではなく、一定に固定されていると言った方が正しいでしょうが」
肉を抉り取られた状態から少しだけ再生した、へこんだ二の腕。
皮膚の再生がまだで痛々しい赤裸になっている部分の多い手足。
複合発露により、その肉が人の老化を抑制すると共に病を治す力を有しているが故に、人間至上主義者たちはこうして薬を生産していたのだろう。
余りにも惨い。心底腹立たしい。
この場にいる全員、徹底的にぶちのめしたくなる。
だが、繰り返しになるが、法治国家において私刑は罪だ。
拳を固く握り、唇を噛み締めて心を鎮め、眼前の少女を優先する。
「もう。大丈夫だから」
拘束を外し、抱き締めながら耳元で彼女に告げる。
本当なら隷属の矢も即座に外してあげたいところだが、今の状態では逆に精神に変調をきたしてしまう可能性もある。
一旦、特別収容施設に連れていって安静にするべきだろう。
あそこなら、その辺りのノウハウも十分あるはずだ。
だから彼女には一先ず影の中に入って貰い……。
そして俺は、最下層にあるらしいこの部屋から施設内部に向かって歩き出したのだった。この施設にいる人間至上主義者全員を捕らえるために。






