224 現時点での最大出力
未だに異常な変化を続けるベヒモスキメラ、怪盗ルエットだったもの。
それを前にしながら、俺は彼女を元に戻す策の内容と、そのために皆に手伝って貰いたいことの説明を終えた。
「――手を貸してくれるか?」
「うん。勿論! イサクのお願いなら、サユキは何でもするよ!」
対して、特に負担が大きい二人の内の一人であるはずのサユキは僅かな逡巡もなく、むしろ頼られたことが心底嬉しいと言うように答えた。
どんな無理難題でも、彼女なら即座に受け入れてくれることは分かっている。
だからこそ心苦しい部分があるが、サユキが望むのは謝罪よりも感謝だろう。
「ありがとな、サユキ」
「うん!」
案の定と言うべきか、サユキは喜びの滲んだ朗らかな声を出す。
影の中にいるから直接表情を見ることはできないが、花が咲いたような愛らしい笑顔を浮かべているだろうことは容易に想像できる。
少し心配なのはもう一人。比較的常識人なフェリトの方だが……。
「フェリトちゃんも大丈夫だって」
彼女はサユキを介して答えを寄越してきた。
自身の真・複合発露〈共鳴調律・想歌〉に意識を集中させているのだろう。
循環共鳴中の彼女は、救世の転生者という強大なバフを常時付加されているようなものである俺とは違って余裕がほとんどない。
そこに更なる負担をかけるのは、正直なところ申し訳ない。
「フェリトも、ありがとう」
しかし、彼女のことだから、俺が口にしたその感謝の言葉には「私達は仲間なんだから気にしないで」と心の中で返してくれていることだろう。
彼女とももう長いつき合いだ。
サユキと同等に彼女のことは俺も理解し、信頼している。
その二人が同意してくれたのなら、もはやベヒモスキメラ自体は脅威ではない。
後は……。
「その方法を実行に移す前に、アスカ」
「はっ」
新参者ながら忠誠心が極めて高い彼女にも、別にやって貰うことがある。
サユキとフェリトに関しては相手を行動不能にするため。
ここからはルエットを元に戻すための布石だ。
「イリュファと一緒に連絡役を頼む」
「承知致しましてございまする、主様」
それを担うアスカは俺の要請に即答し、イリュファと共に影から飛び出した。
まだ人間社会に慣れてはいないだろうが、彼女と一緒であれば大丈夫だろう。
ここにいる中では俺に次ぐその速さで、速やかに役目を果たしてくれるはずだ。
「では、イサク様。行って参ります」
「ああ。頼んだ」
対照的に、イリュファは言葉短なやり取りのみでアスカの影に入っていく。
この世界に転生してきた時から傍にいる彼女に、それ以上の言葉は必要ない。
「主様、ご武運を」
そしてアスカは真・複合発露〈支天神鳥・煌翼〉を使用して怪獣大戦争染みたこの場では比較的小さい人間大の鳥の姿となり、二人は指示通りに戦場を離れた。
これでいつでも作戦を開始できる。
が、そうこうしている間に、あちらはあちらで準備が整ったらしい。
変化を終えたベヒモスキメラ、ルエットの成れの果てを改めて意識する。
その姿はもはや原形を留めていない。
胴体から無数の生物の部位が生えた様は、まるでコズミックホラー系の世界の中から飛び出してきたかのようだ。
かわいそうだが、生理的嫌悪感で眉をひそめてしまう。
「今、元に戻してやるから」
数多の目を敵意と共に一斉にこちらへと向け、今にも再び襲いかかってこようとしている彼女へと憐憫と共に静かに告げる。
そして俺は、そのために〈支天神鳥・煌翼〉を解除した。
「サユキ、フェリト!」
同時にそう二人に合図を出した直後、ベヒモスキメラが転移によって一瞬の内に姿を消し、人間の大きさへと戻った俺の背後に出現する。
そこから伸びてくる無数の手にせよ、振り撒かれた炎と毒液にせよ。
こちらに届いた時点で俺は塵芥となって命を失うだろう。
しかし――。
「残念だけど、もう、お前の思うようにはならない」
あくまでもそれは届けばの話。
彼女の如何なる攻撃も、もはやこちらに届くことはない。
何故ならば。
奇怪な肉塊と成り果てているその本体も、無数の頭から吐き出された炎や毒液も含め、その全てが完全に凍結してしまっているからだ。
一瞬遅れて重力に引かれ、数百メートル以上の氷の塊となったベヒモスキメラが地に落ちていく。その重さによって地面を砕き、砂埃を舞い上げる。
それでも氷はひび一つ入ることなく、歪な姿の彼女を内部に封じ続けていた。
「暴走し、そんな姿になってまで望みを果たそうとする強い意思。その一欠片分でもリスクを背負う覚悟がこちらにあれば、もっと早くこうできたんだ」
時間がとまったようなルエットにそう告げ、続けて「すまない」と謝る。
勿論、彼女の力がここまで驚異的であることを想定しろというのは困難だ。
加えて賊が彼女一人とは限らない以上は、使用後一定時間出すことのできない最大出力を初手から使うのはリスク管理上問題がある。
それでも、彼女の苦しみが長引いたであろうことには申し訳なさしかない。
「ご主人様は、減点法でものごとを考え過ぎなのです」
そんな俺をリクルが窘めるように、同時にどこか自虐的にそう告げる。
……度々無力感に苛まれている様子である彼女の前で、減点法的な思考の仕方をするのは少しばかり嫌味っぽく感じられてしまうかもしれない。
「そう、だな」
リクルの主張に同意を示しつつ、しかし、そこで謝罪するのは尚のこと彼女を傷つけるのみだろうと考えて話を本筋に戻すことにする。
「それより、サユキとフェリトは大丈夫か?」
「苦しそうではありますけど、まだ問題なさそうです」
「……そうか」
今現在。彼女達二人は狂化隷属の矢を自らに突き刺し、暴走状態にあるはずだ。
そして、それこそが気の進まない解決策だった。
救世の転生者の真・暴走・複合発露。
その状態における循環共鳴からの〈万有凍結・封緘〉。
この状態での凍結ならば、たとえ暴走・複合発露の全部乗せのような状態にあったベヒモスキメラであろうとも、さすがに内側から打ち破ることはできないはず。
その予測通り、ルエットは氷を破壊できないまま完全に動きを封じられていた。
だが、この状態を維持するためには二人が暴走状態でい続けなければならない。
一応、一度暴走状態を経験しているだけに耐性はあるだろうけれども……。
それでも負担は大き過ぎるし、何より暴走したままの相手をただ単に身動きできなくするだけでは全く以って意味がない。
可能な限り早く、彼女の暴走を鎮静化して元の姿に戻さなければならない。
そう考えていると――。
「主様、戻りましてございまする」
「すぐさま準備を開始するとのことです」
少しして、首都リベランジェへと行って貰っていた二人が帰ってきた。
それから彼女達は自身に託された役目を果たしたことを俺に知らせると、イリュファ、アスカの順番で再び俺の影の中に戻った。
ならば、後は二人に連絡を取って貰った彼女達との合流地点に向かうだけだ。
「二人共、もうしばらく耐えてくれ」
だから俺は、サユキとフェリトに罪悪感を強く抱きながらも重ねて頼み……。
「ルエットも、もう少しだけ待ってくれ」
続けて、聞こえてはいないだろうが、彼女にもそう声をかける。
それから俺は〈万有凍結・封緘〉を用いて氷を操ってベヒモスキメラを内包した数百メートルの塊を浮かせると、この氷塊と共に移動を開始した。






