220 気づいた時には
「もし館長の予想通りなら、むしろ扇の要と言うことができなくもない配置ではあるな」
大博物館一階の端の方で待機しながら、ルシネさんが真面目な顔と共に告げる。
随分と暇を持て余している様子だ。
一応は公の場なので表情は取り繕っているものの、声色から何となく察せられる。
二人の真・複合発露は探知には適性がないので、それも仕方がないことだろう。
言っては何だけども、彼女とライムさんに関してはウインテート連邦共和国の国宝アスクレピオスの警備などよりも、救世の転生者の隠蔽こそが優先すべき仕事な訳だし。
「しかし、本来の警備員達が余り不満を抱いていないところを見るに、少なくとも彼らは私達が中枢から遠ざけられていると認識しているのだろう」
「でしょうね」
そんなルシネさんが続けた言葉に同意を示す。
二人とは違って俺の方は一応、かの第六位階の祈望之器を怪盗ルエットから守る依頼を正式に受けていて、正にその只中にある訳だが……。
目に見えないレベルの細かい氷の粒子を散布したり、周囲の空気を利用したりで視覚に依らずに探知をしているので、彼女達と話をするぐらいの余裕はある。
と言うか、正直なところ割と俺も暇だった。
怠惰に思われるかもしれないが、血眼になっても逆に賊に警戒されるだけだし、探知していることを隠すためと考えれば呑気な雑談も十分依頼に合致した対応と言えるだろう。
体面が悪いことに変わりはないので、周りの目さえ気にしなければ、の話だが。
まあ、大博物館に所属している警備員からの評価は、元々あってないようなもの。
ミュゼさんが独断で呼び寄せた俺達のことなど最初から快く思っていないのだから、今更多少のマイナス要素が加わったところで関係のない話だ。
怪盗ルエットさえ捕らえれば、二度と同じ立場で彼らと関わることはないはずだし。
それ以前に現状、大博物館の出入り口付近にいる警備員達は、時間の経過と共に徐々に緊張感が高まってきているからか、こちらに意識を割く余裕もない様子。
彼らのことは気にしなくても問題はなさそうだ。
目に見える範囲には、余り警備員の姿も多くないし。
「常識的に考えれば、俺達は重要度が低い位置に据えられているからな」
その理由をライムさんが口にする。
俺達が配置されたのは一階の割と入口に近い一角。
ホウゲツから応援に来た人員はそのほとんどがこの一階か、大博物館の外、この大きな構造物の周辺一帯の警備を任されていた。
単純に考えるなら、怪盗の標的たる物品に近ければ近い程に警備の重要性は増す。
しかし、ミュゼさんの言う通り対象が容易く奪われてしまうことを前提とするのであれば、大博物館の出入口に近い程、即ちヒュリエウスの宝物庫から遠い程に重要性が増す。
一種の絶対防衛ラインだ。
俺達に好意的ではない元々の警備員達は、ルエットがアスクレピオスまで辿り着くこと自体に懐疑的である以上、内側を自分達が固める配置に文句を言うことはないだろう。
ホウゲツ側もまた、ミュゼさんに重要視されていることが彼女からの説明で分かっているので、警備員達への感情はともかくとして外側を固める配置に関する不満は少ない。
本当なら連携が取れれば最良だろうが、この状況ではベターな形だ。
ミュゼさんは館長として怪盗対策に最善を尽くしていると言える。
「けど、暇ね」
そんなことを考えていると、影からフェリトの詰まらなそうな声が聞こえてくる。
皆は影の中にいる訳で、傍からその姿を見ることはできない。
だから、別にトランプとか花札とかで遊んでいても全く構わないのだが……。
さすがに俺が仕事中だから、と律義に控えてくれているようだ。
まあ、それで愚痴っていては世話ないが、話し相手になってくれるのはとても助かる。
「一晩中こんな感じなのかな。外に出ちゃ駄目なんだよね?」
フェリトに続いたサユキは、実際のところは今回の依頼になど別段興味もないのだろうが、俺達との会話に形だけでも参加するために確認するような問いを口にする。
彼女の本心は声の調子で丸分かりだ。
その相変わらずな様子に苦笑しつつも、俺は頷いて肯定しながら答えを返す。
「そうだな。内から外も、外から内も。一晩中、誰であれ出入り禁止だ」
今回の敵は、ドッペルゲンガーの少女化魔物たる怪盗ルエット。
その複合発露〈写躯真影〉は任意の対象の姿と能力をコピーするというものであり、彼女の真の姿は誰も知らないと聞く。
当然、見慣れない人物が入ってこようとすれば即座に分かってしまうので、彼女が大博物館に出入りする時には間違いなく関係者の誰かに化けているはずだ。
故に、それこそたとえ館長であっても出入りできないようにしているとのことだ。
ちなみに。大博物館には、正面玄関と大型の展示物搬送用の裏口の二ヶ所しか人間大の大きさのものが出入りできる通路、もとい隙間はないらしい。
「外よりはマシと思うしかないでしょう」
嘆息気味に告げたイリュファに内心同意する。
外の警備にならなくて本当によかったと思う。
いや、勿論偶然に頼った訳ではなく、ライムさん達の真・複合発露〈千年五色錯誤〉による精神干渉でそうなるように促して貰ったのだけど。
ヒュリエウスの宝物庫の効果を聞く限り、大博物館内部ならともかく外にまで辿り着かれてしまうと転移で逃げられる可能性がなきしもあらず、というところ。
つまり、中で捕縛を試みることが絶対条件と言っても過言ではない。
アスクレピオスが現在保管されている位置から外に出るまでの間が勝負である以上、曲がりなりにも救世の転生者である俺は外にいるよりもここにいた方がいいだろう。
あくまでも客観的な事実として。
「館長の人も大分大変なのです」
と、リクルが同情するように言う。
大博物館において最も責任ある立場である館長のミュゼさんは、地下三階即ちヒュリエウスの宝物庫に一晩中こもるコースらしい。
もし他の場所で館長の姿を見かけたら、即座に捕まえるようにとのお達しがあった。
ウインテート連邦共和国が誇る大博物館の館長として全力でことに当たっているのだろうが、一晩中一人きりでいるのは中々にハードだ。
ヒュリエウスの宝物庫が持つ特性故に仕方がないとは言え。
そんなことを考えていると――。
「アスクレピオスが盗み出された!! ルエットが既に侵入している!!」
突如として、下の階から焦燥にかられた正にその彼女の悲鳴のような声を、身体強化によって大幅に鋭敏になった聴覚が拾う。
「なっ!?」
「いつの間に、一体どうやって入り込んだんだ?」
「……恐らく、出入り禁止になるより早く内部に入って身を潜めてたんでしょう」
遠くから聞こえてきた内容に驚愕を抱きながら、そうライムさんの問いに応じる。
と同時に、意識的に気持ちを切り替えて緊張感と警戒心を最大限に高めつつも、俺は周囲の様子に注意を払いながら慎重に状況を頭の中で整理した。
いわゆる怪盗、それも変装の達人という設定を持ったそれが登場する作品群では、そう叫んだ者こそが犯人の場合が往々にしてある。
そして物品を確認するために厳重なセキュリティを解除させて横から掠め取ったり、偽りの情報に警備が混乱している間に改めて目的のブツを狙ったりするのだ。
特に前世の変装などよりも遥かに上等な変身能力を持つルエットならば、尚のことそうした創作によく見られる手法は取り易いに違いない。
そう思ったのだが……。
「主様」
「ああ、分かってる」
真剣な口調で俺に注意を促したアスカに頷く。
その予測が正解ではないことは即座に分かった。
ジズの少女化魔物たる彼女との真・複合発露〈支天神鳥・煌翼〉。
風を操ることもできるその力を用いた探知によって。
氷の粒子にはほとんど反応がないところを見るに、またぞろ特殊な複合発露か何かが利用されているのだろうが……。
いずれにしていも、先程のミュゼさんの声は本人のものであり事実。
方法はともかく、怪盗ルエットが現れてアスクレピオスを奪ったことは間違いない。
だから俺は、それを証明するような微かな気配、この大博物館一階の出入口へと静かに向かっていく不可視の違和感へと――。






