218 ヒュリエウスの宝物庫
「我が国の国宝アスクレピオスはこの更に下、地下三階に保管されております。が、こちらは基本的に公開しておりません。精巧な複製品を地下二階に展示しているのみです。特別な事由があれば、厳重な警護の下で使用されることはありますが」
誰かの質問を受け、モリスさんがやや硬い口調で答える。
さすがに国宝ともなれば、そういった対応となるのは当然のことだろう。
加えて、アスクレピオスが持つのは癒しの力。
あくまでも乗り物、移動手段としての要素が強いメルカバやヴィマナとは、祈望之器が持つ効果という点でも一線を画しているものがある。
歴史的な価値よりも何よりも、それそのものの価値が桁違いに高いと言っていい。
万が一にでもアスクレピオスが破壊されるようなことがあれば、第六位階の病毒や呪いのような類の力がそれだけで致命的なものとなりかねないのだから。
ランブリク共和国の石の島の例を見るに、少女残怨の影響まで解除することはできないようだが、本来アスクレピオスだけで治療できるものすら聖女の出現を待たなければならない状況となるのは危険極まりない。
ちょっと暴走しただけの少女化魔物も複合発露次第で脅威度が大きく跳ね上がるし、何より人形化魔物の行動が活発化してきている今となっては死活問題にもなり得る。
そう考えると――。
「我々が拝見することは可能ですか?」
「申し訳ありませんが、できかねます」
これもまた至極当然の対応だ。
そんなものを軽々しく人目に晒せるはずもない。
たとえ、正にそのアスクレピオスを警備するために来た者達とは言っても。
明後日の夜に怪盗が奪いに来るかもしれないという状況では尚更だ。
本物が見られないなら、後で精巧なレプリカとやらを目に焼きつけておくとしよう。
「地下三階には警備員も立ち入ることができません。と言うのも、この階層は館長以外が中に入ると罠が作動してしまうからです。その罠は任意に停止させることはできません」
続けて、地下三階への階段があるであろう方向に視線を向けて言うモリスさん。
……罠、か。
さすがにそれぐらいの対策はしているか。
「それは、少女征服者や少女化魔物にも通用するものなのですか?」
彼の返答の内容を受け、先程と同じ声の誰かが後ろの方から問う。
学園祭のくじ引きなどもそうだったが、前世の常識を適用しようとすると複合発露や祈念魔法といった力の存在によって通用しないものもある。
防犯設備もまたその一つと言えなくもない。
機械的な技術に関しては前世程には発展していない現状では一層のこと。
正直なところ、人力以外は信用性が乏しいように思うが……。
「通用しなければ罠とは呼べません」
その程度のことは、この世界で各々の分野に従事する者には言うまでもないことだ。
皆、そういった力と共に歴史を積み重ねてきているのだから。
「地下三階の部屋はヒュリエウスの宝物庫と呼ばれる第六位階の祈望之器でして、決して破壊されない頑強さ、形状を保つ修復力、そして侵入者に対して自動で発動する罠を持ち合わせている……という概念を有しております」
モリスさんが更に続けて口にした根拠に、成程と思う。
確かに、祈望之器が持つ力ならばセキュリティとして十分に機能しそうだ。
「この罠は常に無作為に自動生成され、実態は誰にも分かりません。もし侵入しようとするのであれば、その場その場で対処する以外にはないでしょう」
それが本当なら、むしろ前世の如何なる防犯設備よりも上等かもしれない。
少なくとも、その優劣はともあれ、元の世界の技術力でも再現は不可能だろう。
……しかし、思念の蓄積によって生じる現象というものは、イメージすることさえできれば本当に何でもありだな。
蓄積の量と思念の強度次第で、仕組みや課程を飛ばして結果を生むことすらできる。
「地下二階より上は、このヒュリエウスの宝物庫を複製改良して積み上げていった施設です。複製時の機能の改良によって安全に見学することのできる通路を作ると共に、展示品に対するセキュリティと火災などへの備えが各所に施されています」
この建物全てが祈望之器、とはつまりそういうことだったらしい。
地下三階をコアに増築していった訳だ。
しかし、こんな罠があるのなら、ホウゲツに応援を要請する必要はあったのだろうか。
そんな疑問を抱き、軽く首を傾げていると――。
「アスクレピオスの複製品を見せて下さいますか?」
「承知しました。こちらです」
後ろの方からの言葉にモリスさんが頷き、通路を再び歩いていく。
一先ずその後に続く。
しばらくすると、一際荘厳な装飾がなされた展示ケースが見えてきて……。
「これが、我が国の国宝アスクレピオス……の最も精巧な複製品です。これでも第五位階ですので、その位階以下の傷や病であれば治癒することが可能です」
透明な箱の中にある正に伝説に謳われたそのままの杖を前に、どことなく声色に誇らしさを滲ませながらモリスさんはそう告げた。
シンプルな木製の杖に一匹の蛇が絡みついたような形状。
元の世界では医療、医術の象徴であり、シンボルマークとしても使われていたものだ。
だからなのか、他の第六位階の祈望之器を見た時よりも少し感慨深く感じる。
より強く、人間の集合的無意識や元型というものの存在を意識して。
前世に同名のものが存在する祈望之器はこれまでにいくつか見たが、ゲームや漫画などで多種多様好き勝手にアレンジされていたせいでイメージが一定に固まらず、この世界で目にしたものも同じ効果を持つ別ものという印象を拭えなかった。
しかし、アスクレピオスの杖は世界保健機関の旗にも描かれていて目につく機会が多いからか、ゲームや漫画に登場してもそこから大きく逸脱することもなかったように思う。
だから、そんな感覚を抱いたのだろう。
「ウインテート連邦共和国のアスクレピオス、ホウゲツにあるヒュギエイアの杯。これらは現存する最後の癒しの祈望之器です。邪な者に奪われる訳にはいきません」
その間にも、モリスさんは真剣な表情と声色で続ける。
ヒュギエイアの杯はあくまでも飲み薬を作るもので内科的治療に特化しており、対象的にアスクレピオスは外科的治療に特化していると聞く。
なので、まだヒュギエイアの杯が残っているから大丈夫、と考えることはできない。
ちなみにかつてはこの二つ以外にもエリクシル、アムリタなどが癒しの霊薬という形で祈望之器として存在していたらしいが、奪い合いの末、破壊されて失われたとのことだ。
ただ行方不明になっているだけならば再生成される可能性があるそうだが、破壊による喪失という事実が共通認識として確立してしまうと二度と回帰することはない。
だから、モリスさんの言う通り、癒しの祈望之器をどこの馬の骨とも知れない者に奪われて管理できないような状況には決してしてはならないのだ。
「しかし、そのヒュリエウスの宝物庫、ですか? その機能があれば、私達は必要なかったのではないですか?」
と、地下三階について聞いた時に俺の頭にも過ぎっていた疑問を、誰かがそのままモリスさんに尋ねる。
そもそも、ウインテート連邦共和国のみでは対処できないから応援を、という話だったはずだが……。
「それは明日、皆様が全員揃ったところでご説明致します」
まあ、そうか。
こちらも全員が全員、顔見知りという訳でもないしな。
情報を共有するには、その方が効率がいいのは確かだ。
彼の呆れ気味の視線がこちらを睨む警備員がいる方に向いているところを見るに、それだけが理由ではなさそうだけれども。
「……何か他に、ご質問はありますでしょうか」
今回の依頼に関することは明日に後回しするということであれば、特にはない。
口を閉ざした俺達にモリスさんは一つ頷き、それから今日のところは一先ず解散となる。
「では、また明日。よろしくお願い致します」
そして俺とライムさん達は他の面々と別れ、自分達のペースで大博物館を一通りもう一度見て回り、その後で宿泊先のホテルへと徒歩で戻ったのだった。






