AR22 彼らの想定外
「必要不可欠なことだったとは言っても、技術革新……もとい技術開示の影響は小さくない。いや、勿論、世の出来事に影響がないものなんて存在しないけれどね。……まあ、そんな詭弁はともかくとして。当時の君ですら予想していなかったように、その決定を下した私達以外にとって、それは間違いなく想定外の事態だった訳だ。それだけに――」
***
「――と言う訳だ。君には、ウインテート連邦共和国大博物館のどこかに安置されている第六位階の祈望之器アスクレピオスを盗み出して貰いたい。勿論、報酬は弾む」
一通りの説明を終えた俺は、瞑目しながら耳を傾けていた眼前の少女化魔物に告げた。
ある程度、相手を立てつつも侮られないように気をつけながら。
もっとも、そのような試みは彼女に対しては余り意味をなさないのだが。
「どうだろう。受けて貰えるだろうか」
「…………面白い。いいだろう」
そんな俺の問いに対して彼女は、俺と全く同じ顔から発せられる同じ声と口調で、しかし、俺とは全く異なる気色の悪い笑みを浮かべながら了承の意を示した。
ドッペルゲンガーの少女化魔物ルエット。
その複合発露〈写躯真影〉の力は相手の姿形、表層の思考、記憶、身体能力に至るまで完全にコピーし、少女化魔物が対象ならば複合発露をも自由自在に扱えるというもの。
この能力によって彼女は今現在、俺の姿形を模倣している。
当然と言うべきか、本来ならば全く区別がつかないレベルで真似ることもできるそうだが、そんなものと対面するのは自分の顔で気色悪い笑顔をされるよりも更に気味が悪い。
どうやら、その辺りを彼女なりに一応は配慮して差異を作ってくれているらしい。
恐らく生理的な部分で余りいい印象を抱いてはいない俺の心をも丸っと読み取っているはずだが、そうした感情を向けられるのは常なのだろう。
ルエットは特に気分を害した様子もなく――。
「では、果報を待っているがいい。ロト・フェ…………いや、人間至上主義組織スプレマシー代表テネシス・コンヴェルト」
報酬面の話し合いを終えた後、彼女はそう告げると、俺と瓜二つな形状の肉体をまた別の誰かの姿へと変化させてからウインテート連邦共和国のとある路地裏を去っていった。
ルエットという名前と複合発露は(とある形で自ら明らかにしているため)多くの人々に知られているが、彼女の本当の顔を知る者はいない。
周知の情報に反して謎の少女化魔物と言うべき存在だ。
「本当に、信用してよろしかったのでしょうか」
と、何とも渋い顔をしながら問うてきたのは、俺と真性少女契約を結んでいる亜人(エルフ)の少女化魔物たるインシェ。
ルエットが最後にわざとらしく俺の本名を口にしかけてから訂正したのは、万一裏切るようなことがあれば知り得た情報を全てぶち撒けるという明確な脅しと見て間違いない。
それだけに、俺を案ずるインシェの気持ちは分からなくもない。
だが、少なくとも最も警備が厳重な場所の一つと言われる大博物館から目的のものを奪取するのに、ルエット以上の適役はいない。
何より……。
「こうした非合法の取引こそ信用が大事なものだ。互いにな。依頼人に不利になるような真似をして、これまで積み重ねてきた己が名声に疵をつけるはずがない」
もっとも。名声とは言っても、あくまでも盗みという悪行を土台にした名声。
たとえ一部から義賊と呼ばれることがあろうとも、社会からすれば悪名に過ぎないが。
いずれにしても、今日までの彼女の行動を鑑みるに、自らの名を高めて世に知らしめようとしていることだけは明々白々。
こちらが裏切らない限り、彼女が裏切ることもないはずだ。
「そうだろう?」
「それは、まあ、確かに。……ですが――」
俺が口にした理屈にインシェも一先ず納得してくれたようだったが、それはそれとして別の部分に不安を感じている様子だ。
彼女は、未だ微妙な表情を浮かべながら言葉を続ける。
「本当に成功しますでしょうか。彼女のやり口は、その、余りに非合理的ですし……」
盗みを専門に非合法の依頼を受ける特異な少女化魔物ルエット。
その名前は、義賊以前に怪盗などという戯けた二つ名とセットで各地に広まっている。
盗みの手口が余りにも不可解で特徴的だからだ。
と言うのも、これまで彼女は必ず予告状という形で目的の物品を盗み出すことを持ち主に通告し、その上で全ての盗みを完遂しているのだ。失敗は一度たりともない。
成功率の話はともかくとして、普通に考えれば確かに非合理的にも程がある。
並の盗人からすれば無駄に難易度が上がるだけで、百害あって一利ない。
今回依頼した目標たるウインテート連邦共和国の国宝アスクレピオスともなれば、尚のこと警備が厳重なものとなること間違いない。
あるいは、様々な罠が張り巡らされるかもしれない。
「当然、分かっているさ。だが、そこを差し引いてもルエット以上の適役はいない」
彼女の複合発露〈写躯真影〉の効果からして、警備の数や質が多少増した程度で影響を受けるはずがない。むしろ、変装して紛れ込み易くなるぐらいだろう。
罠に関しても人の手によるものならば、何なく突破することができるはずだ。
余程のことがなければ、確実に依頼を果たしてくれると考えていい。
そんな中で懸念すべきものがあるとすれば、唯一人。
「彼女の障害となり得る存在は、救世の転生者のようなトンデモだけだ。だが、奴は現状人形化魔物の対応にかかり切り。こちらに手を回すだけの余裕はない」
それは情勢を見て明らかなこと。
故に、目的のものを奪うには今この瞬間こそが最高にして最大のチャンスなのだ。
「万一それ以外の者と戦闘になろうとも、前払いにコピーさせたアレの姿を得たルエットに敵う者などいないだろうからな。心配は無用だ。言われた通り、果報を待つとしよう」
アスクレピオスが手に入りさえすれば、かの少女化魔物の出現を待たずとも俺の望みを果たすことができるかもしれないのだ。
たとえ、その実験がうまくいかずとも、第六位階の祈望之器が腐ることはない。
いずれにしても、俺は期待と共に諸々の準備を整えて朗報に備えていればいい。
「はい。テネシス様」
そうして俺達は、納得の色と共に頷いたインシェのすぐ傍にずっと黙って控えていたトラレの複合発露を用い、ウインテート連邦共和国の路地裏から転移したのだった。
***
「このように。何とも間が悪く、救世の転生者が動くことができないという前提で行動を起こしてしまった者もいた訳だね。よくも悪くも、お天道様は見ている、ということなのかもしれない。けれど、私は少しだけ彼らに感謝もしているんだ。何故なら、この事件は君がちょっとした長旅をする一つの理由にもなってくれたのだからね」






