201 両親とレンリ
「イサクうううぅっ!!」
繰り返し名前を呼びながら全力で俺を抱き締め、摩擦によって熱でも発生しそうな勢いで頬擦りしてくる母さん。対する俺は、諦めの境地でされるがまま。
半ば醜態と言ってもいいその有様に、さすがのレンリもポカンとしている。
しかし、下手に回避すると傍にいる他の誰かに被害が及んでしまう可能性もある。
以前、補導員事務局でルトアさんが犠牲になってしまった時にそう学んでいるので、気が済むまで母さんの好きにさせるしかないのだ。
当然ながら、拒むという選択肢もない。
母さんは精神状態が体調を左右する少女化魔物であるだけに、下手をするとショックを受けて命に関わる事態になるかもしれないし。
いや、勿論、最初からそんな真似をする気など更々ないけれども。
とは言え、その辺の事情を知らないレンリの手前、何もせずにいる訳にもいかない。
さすがに体面が悪過ぎる。
なので――。
「母さん、母さん。お客さんがいるからさ」
祈念魔法の身体強化込みの力によってギシギシと骨が軋みそうな程に締めつけてくる母さんを前に、同じく身体強化で耐えながら背中をポンポンと叩いて宥める。
が、結局のところ効果はなく、ポーズ以上の意味にはならない。
母さんが満足して俺を解放してくれたのは、更に少し時間が経ってからのことだった。
「ファイム。気持ちは分からないでもないけど、もう少し抑えた方がいい。部屋の外にまで声が聞こえてきていたぞ」
と、丁度タイミングを見計らっていたかの如く、そこへ窘めるように言いながら玄関の扉を開けて部屋に入ってくる影が一つ。
姿を見ずとも声だけで、それが誰かはすぐに分かる。
俺の父親、ジャスター・ライン・ヨスキその人だ。
「他の入居者にも迷惑だし、それでイサクが住み辛くなったら困るだろう?」
続けて、母さんに対して常識的な苦言を呈する父さん。
全くな話だが、そう思うのなら、もっと早い段階で母さんをとめて欲しかった。
……多分、とめる間もなく母さんが暴走して先行してきてしまったのだろうけど。
「それは、そうじゃな。イサク、済まぬな」
十二分に堪能した後だからか、母さんは素直に父さんの注意を受け入れて謝る。
「いや、まあ……うん」
家族への愛が途轍もなく深い人だと俺も重々承知しているので、ちょっと過剰かもしれないけれども親子としてのスキンシップ自体は別に構わない。
しかし、さすがに他人に迷惑がかかるのはよろしくないので――。
「謝るのは、俺じゃなくてお隣さん達にお願い」
母さん相手でも下手な擁護はせず、ちゃんと駄目出しはしておく。
けじめは大事だ。
「わ、分かったのじゃ……」
息子に注意されて少なからずショックを受けたのか、母さんは深く落ち込んでしまったように何とも弱々しい顔で頷いた。
そんな顔をされると、ちょっと胸が痛んでしまう。
ウチの母さんは割と小柄な上に凹凸も乏しくて、外見はかなり幼く見えるからな。
「まあ、近くの部屋の人達には先回りして挨拶して謝っておいたから、そこまで心配しなくてもいいけどな」
その姿に母さんも十分反省したと判断してか、父さんが種明かしをするように言う。
遅れて部屋に入ってきたのは、母さんの行動のフォローをしていたからだったようだ。
暴走をとめるのは無理だからせめて、というところか。
さすがは父さん。母さんと長年連れ添っているだけのことはある。
とりあえず、御近所さんに関しては心配いらなさそうだ。
とは言え、顔を合わせたら俺からも謝っておくとしよう。
「あ、あの……」
と、母さんの勢いに一瞬で蚊帳の外へと押し出されてしまっていたレンリが、ようやく我を取り戻したように、しかし、まだ気圧され気味に口を開く。
「こちらの御二方は、もしかして……」
「うん? なんじゃ、お前は。初めて見る顔じゃな」
対して、今になって初めて気づいたかのように、訝しげな顔でじろじろとレンリを見る母さん。家族以外の他人への態度としては割と平常運転だが、不躾にも程がある。
「お客さんが来てるって言ったでしょ」
「む。そうじゃったか?」
若干呆れ気味に言うと、知らなかったというような反応が返ってくる。
やっぱり聞こえていなかったのか。
全く。困った母さんだ。
そう思って軽く溜息をついていると――。
「イサク様の御両親とお見受けしますが……」
レンリが意を決したように居住まいを正し、母さんへと丁寧に言葉を投げかける。
「うむ。妾はイサクの母。火竜の少女化魔物であるファイム・ロリータ・ヨスキじゃ」
「同じくイサクの父親のジャスター・ライン・ヨスキだ。よろしく」
「その御名前、やはり魔炎竜、勇者と謳われたあの……」
「その通りじゃ。よく知っておるな」
レンリの小さな呟きに、平たい胸を張って得意気な顔をする母さん。
割と敬うような気配がレンリの声に含まれていただけに、何となく機嫌がよさそうだ。
「と、それはいいとして、お前は誰じゃ?」
「あ、失礼致しました。私はレンリ。レンリ・アクエリアルと申します」
「む……アクエリアル、じゃと?」
己の名前をサラリと口にしたレンリに、母さんは一転して厳しい視線を向ける。
「はい。ガート・アクエリアルの末の娘です」
それにレンリは、今度は動じることなく。
彼女が皇帝の証たるアガートラムをその右腕から引き千切って奪い取った父親の名と共に、あっけらかんと出自を明らかにした。
それを受け、母さんは一層警戒したように表情を険しくして黙り込んでしまう。
「何故、皇帝の御息女がここに?」
代わりに、不審そうに父さんが尋ねる。
当然の疑問だ。
「私は皇族として取るに足らぬ者でしたので、見識を広めるためにホウゲツ学園への留学を許されまして……四週間程前からセトさん達のクラスにお世話になっているのです」
しれっと嘘を多分に織り交ぜてくるレンリだが、そこを突っつくと話が拗れること間違いない。なので、一先ず黙って推移を見守っておく。
「セトのクラスメイト……」
レンリの言葉を受け、反応に困ったように微妙な顔をする母さん。
俺達との関係性があやふや過ぎて、どう対応すべきか迷っているのだろう。
「その君が、どうしてイサクの部屋に来ているんだ? セト達はいないのに」
「それは、イサク様が私の旦那様だからです」
「ちょ――」
そこそこ言葉を選んで話してくれているかと思えば、いきなり爆弾を放り込んだレンリを慌てて見ると彼女はニッコリ完璧な愛想笑い。
いや、まあ、直前の父さんの疑問には中々スマートな言い訳は思いつきにくいかもしれないけれども、だからって即座に諦めて剛速球を投げ込むのはどうかと思う。
「だ、旦那様、じゃと?」
当然の帰結で混乱してしまった母さんが、俺とレンリを交互に見比べる。
「……どういうことだ?」
対照的に父さんは表面上落ち着いているように見えるが、そう問うた声には誤魔化しは許さないというような威圧感が滲み出ていた。
が、レンリは軽く受け流し、笑顔を保ったまま口を開く。
「留学初日にセトさん達から旦那様が嘱託補導員だと伺い、紹介して頂いたのですが……一目惚れしてしまいまして、気持ちをお伝えしたところ受け入れて下さったのです」
以前、セト達の前で口にした説明を踏襲したような答え。
だが、あの時のように即座に否定はしにくい。
当時は急過ぎることを言い訳にしたが、もう三週間以上経ってしまっているし。
更には、指輪を貰ったり、お礼の短刀をプレゼントしたり、甘味を一緒に堪能したり。
割と既成事実が積み重なっている感もある。
何より、トリリス様への敵意を窘められるぐらい親密になろうという方針を脇に置いても、自然と彼女に好感を抱いている部分もある。だから――。
「イサク、本当か?」
「……まあ、大まかには。即断即決じゃなく、間に結構紆余曲折あったけど」
状況的、心情的に誤魔化す方法が思いつかず、微妙な言い回しながら半ば肯定する。
それを傍で耳にしたレンリは一瞬驚いた顔をしてから、いつもの愛想笑いではない本当に嬉しそうな愛らしい笑顔を見せた。
頬が赤くなり、少し正座が崩れてモジモジ、口元もモニョモニョしている。
そんな様子の彼女を一瞥し、父さんは小さく息を吐いてから俺へと視線を戻す。
「イサクがそう言うのなら、俺はとやかく言うつもりはない。お前は賢いし、面倒なことに巻き込まれかねないことは理解した上でそう判断しているはずだからな。何か問題が起きた時、ちゃんと俺達を頼ってくれればいい」
「い、いや、じゃが……他の者、特にサユキは認めておるのか? アクエリアルにはよい感情があるまい。一緒にいて精神的に負荷があるのはよろしくないぞ」
と、一定の理解を示した父さんを制止するように、若干慌て気味に母さんが言う。
しかし多分、アクエリアルにいい感情を持っていないのは母さん自身の方だろう。
あの地でサユキが暴走し、その結果として、父さんは後一歩で己を犠牲にして彼女を討つ寸前まで行き、俺もサユキを救うために危険に飛び込む事態にまでなった訳だから。
とは言え……。
「サユキは何ともないよ、お母さん。レンリちゃんはレンリちゃんだし。イサクのことが好きな子はお友達だから。お友達が増えるのは嬉しいことだよ」
当のサユキはキョトンとしたような顔をしながら、いつもの調子で答えるばかり。
自分に話が振られるとは思っていなかった、という感じだ。
「む、むぅ。サユキがそう言うのであれば……是非もないか」
そんな彼女の自分理論に微妙な顔をしながらも、当人の言葉ならと受け入れる母さん。
お母さん呼びをさせた初めての娘だから、殊更心配した面もあったのかもしれない。
いずれにしても、サユキの態度でレンリの好意が本物だと理解できたに違いない。
その母さんは、それから一つ大きく息を吸って吐くと――。
「じゃが、そう言うことならば、お前も妾の娘じゃ! レンリよ、妾のことはこれから母と呼ぶのじゃ! さもなくば、イサクとのことは認めぬ!」
そう言いながら、ビシッとレンリに人差し指を向ける。
これで三度目。このやり取りも恒例となりつつある。
対してレンリは、一瞬だけ驚いたような顔をしてから。
「勿論、喜んでそう致します。御義母様、御義父様。今後ともよろしくお願い致します」
本心から喜びを表しているような純粋な笑みと共に応じ、一つ綺麗な礼をした。
異質な家庭事情となり易い少女化魔物ではないが、彼女は彼女で母親という存在に色々と思うところがあるようなので、真実嬉しく思っているのかもしれない。
ともあれ、丸く収まったようでよかった。
そろそろ本題に戻……いや、そもそも本題に入ってすらいなかったな。
とりあえず、この急な来訪の目的を尋ねるとしよう。
「ところで、父さん、母さん。今日はどうしたの?」






