200 テアとレンリ
「テアさん、こちらをどうぞ」
セト達と居酒屋ホウゲツに行った翌日。
授業は休みの日の朝。
一人職員寮にやってきたレンリは、微笑みと共にススッと菓子折りを差し出してきた。
対して、名指しされたテアは俺を盾に、背後から警戒するような視線を彼女に向ける。
レンリはいつになく完璧な愛想笑いを浮かべているが、この世界の人間なら一般的な感覚として抱く人形化魔物への敵意を消し切れずにいることをテアは察知しているようだ。
「くぬぬ」
そんなテアの反応を前に、色々と葛藤しているかのような複雑な感情を表情に滲ませながら唸るレンリ。それでも笑顔は何とか保ち続けているのは中々に器用だが……。
思考の根底にこびりついている人形化魔物という存在に対する敵愾心により、こちらが下手に出ているのに、という感覚がどうしても抜けない様子だ。
まあ、テアの体が人類の不倶戴天の敵たる最凶の人形化魔物【ガラテア】のものである事実を知って尚、何とか感情を抑えて接触を試みようとしているだけ大したものだろう。
「レンリ様。人間、どうしようもなく合わない相手というものもあります。無理をする必要はないのではないでしょうか」
「……いえ、そうはいきません」
同じく人形化魔物そのものに複雑な感情を抱いているイリュファがフォローをしようとするが、レンリは首を横に振って異を唱えた。
そして、怖いくらいに真剣な表情を覗かせながら更に続ける。
「中身はともあれ、彼女が【ガラテア】の肉体であることは確かです。その体を隅々まで調べれば、【ガラテア】を旦那様の手を煩わせずに倒す術が分かるかもしれませんから」
最初に見た時から衰えることのない、強烈な意思を感じさせる目。
しかし、余りにも率直に言い過ぎたと思ったのか、彼女はハッとしたように俺を見ると即座に笑顔を取り繕ってから再びテアに目を向けた。
「それに折角ですから、仲よくもなりたいですし」
残念ながら、自ら打算的な理由を口にしてしまった後で体裁のいいことを言っても、誰からも信用されない。ジトッとした視線がレンリに集まる。
対する彼女は、何も知らない人が見たら魅了されるような最大限の愛想笑いを維持するのみ。恐らく、そのまま誤魔化し切るつもりなのだろう。こちらが折れるまで。
持久戦の構えだ。しかし――。
「レンリ、こわい。笑顔がきもちわるい」
「き、気持ち悪い?」
俺の背後から顔を出したテアのストレートな感想に、レンリはショックを受けたようにアッサリと笑顔を崩して落ち込んでしまった。
まあ、さすがに笑顔が気持ち悪いと言われるのは少々可哀想な気もしなくもない。
普通に酷い評価だし……それの基となった、テアが読み取ったであろう消すことのできない人形化魔物への敵意は、生まれ育った環境が要因の大部分を占めるはずだから。
とは言え、目的はともかくとして、利用するために親しくなろうとするのはどうかと思うので、まだ精神的に幼いテアに嫌われるのは仕方のないこととしか言えないけれども。
「はあ…………まあ、仕方がありません。今日のところはここまでにしておきます。このモナカは皆さんで召し上がって下さい」
レンリは一つ深く息を吐いてから口を開くと気を取り直したように顔を上げ、テーブルの上の菓子折りに手を置いて少しだけ俺の方に寄せる。
モナカか。甘いものの中でも和菓子が特に好物の彼女らしいチョイスだ。
「レンリは食べなくていいのか?」
「自分の分はちゃんと買ってありますから」
そういうことなら、と菓子折りはしまっておく。
これは後でテアにも食べさせるとして、お茶請けはうちにあるものを出して貰うとしよう。と思う間に、イリュファとリクルが人数分の大福餅を並べ始めていた。
行動が早い。さすがは我が家の有能なメイドさん達だ。
「それにしても、やはりテアは人形化魔物なのですね」
グイグイとテアに近づこうとしていた先程とは打って変わって、一定の距離を保った位置に座り直しながらレンリが言う。
他意はなく、ただ事実を告げるように。
「表情を取り繕うのは得意なつもりでしたが、私が人間である限り、この本能的な敵意を完全に消せなければ同じ反応が返ってくるだけなのかもしれません」
「人形化魔物としての認識の仕方を踏襲しているから、か」
レンリの言う通り。人形化魔物【ガラテア】の肉体であるだけに、テアは人間の気配というか機微のようなものに対する感度が高いのかもしれない。
ある程度は割り切っていても胸の奥には人形化魔物への強烈な敵意を秘めているイリュファより、遥かにレンリの方に警戒心を顕にしていることからも分かる。
少女化魔物よりも人間の方が詳細に気配を、それに伴って感情まで察知できる訳だ。
そういった特性を持つからこそ、特定の人形化魔物は人間の感情を誘導し、恐怖に怯えさせたり、争いを誘発させたりすることができるのだろう。
人形化魔物は正に、対人間に特化した脅威と言える。
テアは例外として。
「ともあれ、一先ずは時間が解決してくれることを願うことにします」
言いながら、チラッとテアを見るレンリ。
対するテアは不機嫌そうにプイッと顔を背けてしまう。
どう見ても困難そうだが、こうして何度も顔を合わせることで互いに多少なり情のようなものを感じるようになってくれることを俺としても期待している。
【ガラテア】対策のために無体な真似をされるのは困るが、仲よくなるに越したことはない。テアが外に出て接触しても問題ない、数少ない相手だし。
情操教育の一助になって欲しいところだ。
「けど、改めて考えると【ガラテア】って不思議な人形化魔物だよな。何体か人形化魔物と戦って、尚更そう感じる。かなり人間に近い外見なのも含めて」
「今回、イサク様が対峙されたのは発生初期段階の人形化魔物ですからね。形状も由来となった存在に特に片寄っています。長く存在していれば、擬態もうまくなりますが」
「とは言え、【ガラテア】程、人間に近い外見をしている人形化魔物はいないはずです。極めて精巧な少女のドールが人形化魔物になったものですので」
イリュファの説明に、レンリが補足するように続ける。
さすがは、救世の転生者に依らず【ガラテア】を倒すことに人生をかけた者の孫と言うべきか。かの存在に対する知識は、それなりに深いようだ。
「食事もできる辺り、本当に人間っぽいよな」
俺達の話を無視し、湯のみを片手に大福餅を食べているテアに視線を向ける。
ちゃんと味も分かっているようで、その甘さに表情が綻んでいる。
その頭を撫でると、紫色の長い髪がサラリと流れて彼女はくすぐったそうに笑う。
柔らかな感触も、最近では感情がハッキリ出るようになった表情も人間そのものだ。
ただ、相変わらずの球体関節と、割と気温が高くなってもゴスロリ的な黒基調の長袖ロングワンピースのままで汗一つかかず、肌もひんやりしている辺りは人外そのものだが。
「と言うか、よく考えたら肉体が残ってるのもおかしくないか?」
「人形化魔物は中身が本体ですからね。肉体はあくまでも器に過ぎません」
「中身、か。……それはつまり――」
世界に蓄積された人間の破滅欲求か。
その思考を読んだように、イリュファは首を縦に振って肯定する。
「ですので、器を破壊しても人形化魔物が発生しなくなる訳ではありませんし、いくらでも同じ人形化魔物が生まれる可能性があります。勿論、再出現までにタイムラグがあるので、無駄ではありませんが」
被害軽減。時間稼ぎ。
根本的な解決にならないにしても、対処が必要不可欠なのは間違いない。
何回倒しても再出現するから、と放置する選択肢はあり得ない。
「逆に、通常の人形化魔物でも中身を討つことができれば、器たる肉体は残る可能性があります。……まあ、だからと言って【ガラテア】とは違い、余り意味はないでしょうが」
「……そもそも中身だけを討つってどうやるんだ?」
「そこは、その、私では何とも……」
言葉を濁しながら視線を逸らすイリュファ。
その表情に滲む罪悪感は、幾度も見た覚えのあるもの。
知ってはいるけれども答えることはできない、というのが本当のところか。
無理強いはしたくないが、苦しさや辛さがあるのなら話して欲しい。
だが、十七年共に過ごした彼女の場合、言葉にしても頑なになるだけだ。
なので、その複雑な気持ちを視線に乗せて、少しの間、彼女を見詰めていると――。
「誰か来ますね」
レンリが警戒するように玄関の方に視線をやりながら呟いた通り、俺の耳にも職員寮の廊下をこちらへと駆けてくる軽い足音が耳に届いた。
仕方なく、イリュファから意識をそちらに向ける。
そして即座にテアを影の中に隠し、何となく覚えのある気配の接近を待つ。
やがて、それは俺達の部屋の前に至り、ガチャガチャと乱暴に鍵を開けると物凄い勢いで中に入ってきた。そのまま一直線に、小さな影が突っ込んでくる。
レンリが迎撃態勢に入るが、それを目で制して抱き着いてきた相手を受け止める。
突然の侵入者。その正体は……。
「イサクうううううぅっ!! 会いたかったのじゃあああ!!」
愛すべき俺の母親、ファイム・ロリータ・ヨスキだった。






