AR19 空を司る者
「緩やかに。緩やかに。世界は今この時に向けて歩みを進めていた。明確な始まりは誰にも知られることなく、救世の転生者の誕生によって時計の針が既に動き出していたことが明らかになり、ガラテアの復活、そして人形化魔物の出現、氾濫に繋がっていく。
彼女が生じたのは、一応はその流れの中での出来事だった。もっとも、先に挙げたものに比べると重要度の低い事象に過ぎないのだけどね。とは言え、彼女こそ君が戦った少女化魔物の中で最強の力を持っていたことは紛うことない事実だ。何故なら――」
***
この空は全て自分のもの。
それが、誕生して間もないワタシの中に当たり前に存在していた感覚だった。
青く澄み渡る空。白い雲。巡る大気。
茜色に染まる空。荒れ狂う雷雲。弧を描く虹。
自由に飛んでいるように見える鳥さえも。
その全てがワタシに属するものだ。
何故ならば、ワタシはこの大いなる空の化身として生み出された存在だから。
ワタシが空であり、空がワタシ。
誇張ではなく、それ以上でもそれ以下でもない。厳然たる事実。
ここにワタシを妨げるものなど何一つとしてなく……違う、何一つとして存在してはならず、ワタシはただ空を象徴する者として思うがまま世界を翔け巡るのみだ。
己が身に宿した力を以って、空を覆わんばかりの巨大な鳥の姿となりながら。
そのようにあることが、この世界の摂理と言っても過言ではない。
にもかかわらず――。
「あれは、何だ?」
このワタシが統べるべき空を、ワタシの許可なく我がもの顔で横切る何かがあった。
生まれ持ったワタシの知識には存在しない巨大な異形。
当然ながら、大きさからしてか弱い鳥達ではない。
多少の力を持ち合わせていようとも、決してワタシに逆らうことなどない空の魔物達でもない。それどころか非生物的ですらある。
どことなく鳥に近い形状をしているようにも感じられるものの、あのように巨大で歪な物体が自然発生するはずがない。
無力な人間が海を渡るために使うと言う船に、少しだけ似ている気もするが……。
「何者が、如何なる目的でこんなものを」
分からない。理解できない。
頭の中が混乱して思考が大きく乱される。
しかし――。
「否、そのようなことはどうでもよい」
ワタシにとって何よりも重要なのは、それの出どころではない。
許可もなく、ワタシの領域を得体の知れない存在が侵犯していることだ。
その事実に、胸の奥底から燃え滾るような怒りが湧き上がってくる。
「空の理を乱す者を、ワタシは、許しはしない」
だからワタシは激情に従って飛行する何かに向かって翔けていくと、翼の羽ばたきによって圧縮された塊の如き猛烈な風を生み出し、それを対象へと叩きつけた。
結果、空を飛ぶ謎の存在は呆気なく海上へと墜落していく。
「脆弱」
余りにも弱い。弱過ぎる。
勿論、たとえ魔物であったとしても、空を統べるワタシに敵うはずなどないのだが。
故にこそ……その無様な様子を見て僅かながら留飲が下がる一方で、そのような惰弱な存在が空の摂理を乱していたことに別種の苛立ちが募る。
それでも、その後少しの間はワタシが制する秩序立った空を取り戻すことができ、その理性を激しく揺さぶられる感覚も薄れつつあったのだが……。
「まさか、あれは一つだけではないのか?」
しばらくして、同じ形をした存在が再び同じ空域に出現していた。
再度、空を乱された事実に怒りも苛立ちも増していく。
その度合いは一度目の時よりも遥かに激しく、脳が焼き切れそうになる。
気づいた時には、再度現れたそれもまた一瞬にして海に叩き落としていた。
本当に腹立たしい。
とは言え、追撃まではしない。
本当は、八つ裂きにしても足りないぐらいに不愉快ではあるが。
何故ならば、海はワタシの領域ではないから。
海には海の、ワタシと同格の支配者がいることをワタシは本能で知っている。
再び空が侵されない限り、海に落ちたあれらは彼女の裁量となる。
それがこの世界を貫く摂理というものだ。
だと言うのに――。
「またなのかっ!」
数日後。今度は一つのみならず、複数。
巨大な空飛ぶ船の如き何かが渡り鳥の如く一定間隔で編隊を組み、二度にわたって同型の存在を撃墜した場所目がけて空を横断してきていた。
「この空はワタシのものだ。虫けら共がっ!!」
瞬間的に憤怒が極限まで高まり、その内の一つを鋭く巨大な鉤爪で引き裂く。
その一撃でバラバラになった飛行物体の破片が、緩やかに落下していく。
そこへ更に風をぶち当てて粉微塵にしてやろうと翼を広げた正にその瞬間。
まだ空に残る数十のそれらから、小さな火や小枝のように細長い土くれなどがワタシに向けて飛んでくる。が、全てこの巨大な体に当たり、その反動で儚くも消滅した。
更に続けて、雨粒のように小さな水滴やそよ風にも満たない微かな大気の流れ、蛍の如き弱々しい光などがこちらに向けられる。
この弱々しい接触に一体、何の意味があるのか。
一瞬戸惑い、大分遅れて攻撃だと気づく。
空の化身たるこのワタシへの。
「貴様ら。何をしているのか分かっているのか? 空を行く存在が、空そのものであるワタシに害意を向けるなど、あってはならない!!」
一喝しても尚、その攻撃と呼ぶには脆弱極まりない現象がやむことはない。
痛みどころか触感すらないが、怒りが、苛立ちが尚のこと積み重なっていく。
敵意を向けられることだけではない。
その弱さに自覚もなく挑んでくる愚かさもまた、許容しがたい。
惰弱なる者。愚劣なる者。そのような存在に、ワタシに触れる資格はない。
「この空から……消え失せろっ!!」
憎悪にも似た憤怒が、遂には臨界を超える。
ワタシがワタシであるための根幹。秩序を穢し尽くさんとするかの如き害虫共。
今の世に、このようなものが蔓延っているのならば、全て滅ぼさなければならない。
この大いなる空の安寧を取り戻すために。
だからワタシは理性を手放し、身を焼き尽くさんばかりの怒りに己を委ねた。
***
「彼女こそ空を司る者、天空の覇者。三大特異思念集積体の一体たるジズの少女化魔物。その怒りは人間からすると傲慢で、不条理に思うことだろう。けれど、そうあることが人間の共通認識。かくあれかしと強固に定められた彼女は、他の凡百の少女化魔物とは異なり、そう振る舞うしかない。だからこそ彼女は特異思念集積体たり得、その暴走は救世の転生者に勝るとも劣らない力を持つ訳さ」
幕間 3→4了






