185 急襲
「被害状況はどうですか?」
「まだ人に被害は出ていない。大丈夫だ」
雷の如く空を翔け、数秒とかからずに目的の場所へと辿り着いた俺は眼下の様子を確認し、念のためという感じに尋ねてきたレンリに対して小さな安堵と共に答えた。
勿論、この複合発露の速度ならば確実に間に合うと判断したからこそ、こうなることが容易に想像できた彼女のやり方に賛同した訳だが。
加えて、雪の探知で把握した限り、通行人の気配も近くにはない。
ホウゲツ学園の状況が広く伝わり、屋内に退避したのだろう。
おかげで人的な被害は皆無と言って間違いない。
……とは言え、場所は学園都市トコハの住宅街の一画。
そこに建つ一見すると普通の一軒家から、壁を破壊して無数の少女の形をした土人形が次々と溢れ出してきており、今正に塀を突き破って他の家に向かおうとしている。
暴走している証か、一部同士討ちを始めてしまっている者もいるが、このまま何もしないでいると屋内に避難した住人に被害が出る可能性が高い。
だから――。
「そうはさせない!」
それら分身体が人を襲い、少女化魔物が加害者となることのないように。
俺は上空で真・複合発露〈万有凍結・封緘〉を発動すると、出現した人形の数に対応した分だけ氷の塊を作り出し、狙いを定めて射出した。
それらは寸分違わず命中し、直撃した分身体は男の時と同様に泥と化して消滅する。
しかし、消えた傍から新たな分身体が生まれ、僅かに勢いを留めるのみに終わった。
しかも、新たに作り出されたそれらは直前よりも数を増している。
本当に一瞬のみ収まっただけで、むしろ勢力が拡大してしまっている。
「……まあ、そうなるか」
やらないよりはマシだっただろうが、時間経過で指数関数的に増殖してしまいそうだ。
分身体を倒すという対処療法では、当然ながら根本的な解決には至らない。
「レンリ、俺は中へ行って少女化魔物の本体を探す。外は任せた」
「承知致しました。お任せ下さい」
言いながら指示に対する答えを聞く前に地上への降下を開始し、そうした俺の相手が了承前提での行動に声を嬉しそうに弾ませたレンリを投下する。
その彼女は即座に真・複合発露〈制海神龍・轟渦〉を発動し、その身に竜の如き特徴を発現させると直下の分身体へとそのまま殴りかかった。
手加減抜きの攻撃により、対象は破裂するように消え去る。
彼女の強さならば、外の心配は全く必要ないだろう。
そう判断した俺は雷の如き鋭角な動きで方向転換すると、分身体達が作り出した壁の穴へと空中から飛び込み、あの男の潜伏先と思しき一軒家の中に突入した。
「見た目、普通の家だけどこういう場合は……ああ、やっぱり地下か」
定番も定番ながら、どうやらこの家には地下室があるようだ。
下から突き破ったような跡があり、そこから今も続々と分身体が這い出てきている。
少女の姿をしたそれらを前に、俺は本体に精神的なダメージが生じないようにレンリと同じく彼女らが認識できない刹那の内に全て打ち倒しつつ、地下室に押し入った。
すると――。
「少女化魔物を盾にする造りか」
そこそこ広い部屋に、土人形達がすし詰めになっていた。
目を凝らすと、最奥には狂化隷属の矢が腕に突き刺さった本体。
その更に後ろには、恐らく男の本体がいると思しき別の部屋への扉があった。
「……少しの間だけ、辛抱してくれ」
そうやって観察している間にも、俺を敵とみなして分身体達は襲いかかってくる。
無理矢理押し出されてきていると表現した方が正しいかもしれないが。
一体一体の強さ自体は男と同程度。
……ただただ暴走して闇雲に暴れるだけの少女化魔物と同等、である。
その事実を、男は深く恥じ入るべきだろう。
「すぐに解放してやるからな」
そんな愚かな人間の手から。
そう心の中で言葉を続けながら、一直線に彼女の本体へと突っ込んでいく。
間にいた分身体を残らず拳で粉砕し、それ以外は全て無視して。
そして俺は、本体の少女から狂化隷属の矢を抜き取った。
瞬間、彼女は糸の切れた人形のように、その場で気を失って倒れ込む。
同時に、周囲に残っていた土人形が一斉に泥と化して消滅する。
呆気ない幕切れだが、少女化魔物自身への負担が少ないのは喜ばしいことだ。
それから、一先ず彼女の矢が刺さっていた患部を祈念魔法で治療していると――。
「旦那様」
レンリが地下室まで下りてきて、背後から呼びかけてきた。
丁度いい。
「この子を頼む。俺は奥に」
「はい」
再び簡潔に指示を出して意識のない少女化魔物を彼女に任せ、一応は警戒しながら扉を開いて奥の部屋に入っていく。
こちらは狭いながらもインフラが整備されているらしく、どうやらビジネスホテル程度には生活できるようになっているようだ。
食料も大量に備蓄されている。やはり籠城するつもりだったようだ。
そして、その部屋の中央には……。
「こいつが犯人……学園を襲った分身体の本体か」
白目をむいて両手で頭を押さえたまま、立った状態から体の制御を失って転倒したかのような妙な体勢で転がっている男の姿があった。
完全に意識を失っているようだ。
慎重に近づいて観察すると、顔から首にかけて自傷したような傷跡があり、また気絶して倒れた際についたらしき傷も見て取れる。
「……やり過ぎたか?」
その様子から、精神に受けたダメージが窺い知れる。
意識を取り戻した後、まともな受け答えができるか少々心配になる。
だが、まあ、これは自業自得という奴だろう。
それに、複合発露などによる干渉を受けた結果としての永続的な影響とかではない以上、祈念魔法で治療することは不可能ではない。
たとえ発狂したままだったとしても、アコさんに見て貰えれば、素性から人間至上主義組織についての情報に至るまで全てを知ることもできる。
後はこいつを彼女のところに連れていけば、今回の事件は解決と言っていいはずだ。
「よし。行くか」
大人の男を抱きかかえて喜ぶような趣味は全くないので、浮遊の祈念魔法をかけて男を浮かせながら奥の部屋を出る。
対照的に、気絶した少女を抱きかかえたレンリと手前の部屋で合流。
小柄なレンリが自分よりも大きい少女をお姫様抱っこの形でかかえている様に、何とも凄い違和感を抱きながら家の外へと向かう。
そうして住宅街に出たところで。
「ん?」
突如として、どこかで聞き覚えのある歌声のようなものが遠くから聞こえ――。
「っ! レンリッ!!」
俺はそう叫びながら男にかけた祈念魔法を解除して地面に転がすと共に、〈裂雲雷鳥・不羈〉の全速力を以って遥か上空へと緊急離脱した。
それから焦燥と共に氷の鎧を身に纏う。
雪の探知とは別に周囲に散布しておいた極小の氷の粒。
先んじてそれに異変が生じたおかげで、致命的な攻撃を察知することができた。
そうでなければ、本当に危険な状況だった。
「ふううぅ……」
冷や汗をかきながら、息を吐き出す。
それから、まず俺はレンリと彼女が抱く少女化魔物の無事を確認した。
どうやらレンリもまた一先ず水を纏い、と言うには体積が多過ぎるが、そうしながら中を流れるように泳いで攻撃目標となったものから距離を取ったらしい。
彼女への追撃はない。
そして、その目標となった対象そのもの。人間至上主義組織の男。
標的と分かっていながら彼を置き去りにしたのには理由がある。
彼を伴って雷速で攻撃を避けようとすると、祈念魔法による強化も施されていない状態ではGによって死ぬ可能性が高かったからだ。
だから、それと攻撃の結果とを天秤にかけ、地面に放り捨てる選択肢を取ったのだ。
その彼は今、地面に倒れ伏した体勢のまま正体不明の存在からの攻撃を受け――。
「……石化の、複合発露か」
全身が石となり、地面に転がる石像と化していた。
散布していた氷の粒が影響を受けた時点で、どういった攻撃かは把握できていた。
だが、正直まさかと思った。
何故ならば、俺の知る限りでは石化の複合発露を持つのは唯一人だったから。
しかし、このタイミングで、この男に、第六位階の強度を持った力を向けたとすれば間違いない。話に聞くあの男以外にいない。
「お前が……」
男の石像が転がる位置から少し離れた生活道路のど真ん中。
そこに数人の人影があった。
雪や氷の粒の探知によれば、歌声が聞こえた直前に転移してきたかの如く突如として出現していた。複合発露を用いて瞬間的に移動してきたのだろう。
そんな彼らの前に、石化による攻撃を最大限に警戒しながら降り立って口を開く。
「お前が、人間至上主義組織の……」
「ああ。俺がスプレマシーの代表テネシス・コンヴェルトだ。以後お見知りおきを、救世の転生者イサク・ファイム・ヨスキ」
俺の問いに深く頷いて肯定しながら、確信を持って告げるテネシス。
その言葉を受け、俺は強い敵意と共に彼を一度睨みつけた。
それから、その奥にいる見覚えのある少女化魔物達に目線だけを向ける。
彼女達は――。
「ね、姉さん!!」
その内の一人。
ひたすらに歌を歌い続ける少女化魔物へと、影の中から叫ぶフェリト。
それはかつて、共に人間至上主義者に操られてヨスキ村を襲撃し、行方不明になっていた彼女の姉、セイレーンの少女化魔物たるセレスさんだった。






