177 ホウシュン祭一日目
レンリとのデートのようなお出かけから約一週間後。五月も末の週末。
学園都市トコハにおいて年に二回催される一大イベントの内の一つであるホウシュン祭が、間もなく開幕しようとしていた。
前夜祭のようなイベントはなかったものの、街全体で(便乗して)盛り上げようとしていたためか、昨日の内から既にホウゲツ学園には浮ついた空気が漂っていたが……。
今日と明日こそが本番だ。
「凄く人がいっぱいだね」
そのホウシュン祭一日目の朝。
俺と並んで職員寮の窓から校内の様子を窺いながら、サユキが目を丸くして言う。
外からの喧騒が気になって一緒に覗き見たのだが、正直なところ俺も驚く程だった。
ざっと見た感じ、この前の繁華街よりも人口密度が高い気がする。
この世界に転生してから一番と言っても過言ではない。
正式な開幕はまだで一般来場者は入場していないので、学園関係者や生徒達が先行して学内の模擬店などを軽く回っているだけのはずなのだが……。
「さ、さすがにこんなに人がいると外では影から出にくいわね」
俺の背後から覗き込んだフェリトも、ちょっと引き気味だ。
大分トラウマも克服しつつある彼女だが、このレベルの人混みは話が別のようだ。
まあ、トラウマ関係なく、人混みを好む人間はそう多くはないだろうけれども。
何にせよ、本格的にホウシュン祭が始まれば更に混み合ってくるのは間違いない。
人が密集しているところでは、むしろ影の中に避難している方が快適かつ効率よく祭りを楽しむことができるかもしれない。
勿論、最低一人は体を張って混雑をかき分けて移動しなければならないが……その煩わしさもそれはそれで祭りの風情というものでもあるだろう。恐らくは。
そんなようなことを考えながら、人の流れを眺めていると――。
「どうやらレンリさんと……セト様達もいらしたようですね」
玄関の方へと視線を向けたイリュファが、そう知らせてきた。
レンリがアマラさんにお願いしてアガートラムを複製して作って貰った指輪のおかげで、彼女を含めた全員が祈念魔法による身体強化よりも鋭敏な感覚を獲得している。
同条件ならば、位置的に近いイリュファの方が真っ先に気づくのは当然のことだ。
とは言っても、ほとんど誤差の範疇に過ぎない。
イリュファが口を開いた時には、俺の耳にも人数分の足音は届いていたため、俺は彼女に視線で応じると同時に玄関へと向かった。
「兄さん、いる?」
「ああ、いるよ」
そして、ノックの後で発せられたセトの問いかけに答えながら扉を開ける。
すると、そこには案の定いつもの四人とレンリの姿。
彼女は余所行きの笑顔を浮かべているが、どことなく複雑そうな顔をしている。
さすがに嫌がっているような感じはないが。
俺達以外の前では演技をしなければならないのが少々面倒、という程度のものだ。
ただ、全く別の場所に向けた苛立ちのような気配も微かに読み取れた。
もしかすると、今回はレンリがセト達についている以上は恐らく自由行動を取っているであろうラハさんから、何か余計な一言でも貰ったのかもしれない。
……後で愚痴の一つぐらい聞いてあげるとしよう。
「ええと、どうしたんだ? 皆」
そうやって俺がレンリの様子を十分に観察できるぐらいの間、用件を切り出さずにいたセト達に問いかける。微妙に困惑気味の表情と口調と共に。
どことなく躊躇いのような感情が見え隠れしているが……。
「あんちゃん。ホウシュン祭、一緒に回ってくれる?」
五人の中でダンが一歩前に出て、何故か意を決したように力を込めて尋ねてきた。
そこまで気合いが必要な内容ではなかろうに、と首を傾げながら軽く理由を考える。
「……俺の財布が目当てじゃないだろうな?」
「そ、そんなことないよ」
俺が冗談のつもりで問いかけると、どもり気味に答えたダンを始めとしてセトもトバルも露骨に目を逸らす。ラクラちゃんは特に恐縮し切って、小さくなっている。
どうやら図星だったらしい。
ラクラちゃんはセト達の企みに流されてしまったのだろうが……。
全く困った子供達だ。思わず苦笑する。
しかし、そんなちょっとした幼い悪知恵は、むしろ可愛らしいもの。
一応は実年齢二十歳のレンリも、そんな彼らの思惑に若干呆れつつも、まだ幼い子供だから仕方がないかというような視線を向けている。
「兄さん、お願い」
半ば結論が出ている中でのセトのおねだりはダメ押しだ。
「……ま、試験の結果もよかったみたいだし、少しぐらいはいいけどな」
それでも無条件というのは教育に悪いだろうから、体裁は整えておく。
丁度今週、少し前に行われた中間試験の結果が廊下に張り出されていたので、俺もそろりと見に行ったのだが、ラクラちゃんを含めた四人で四位までを独占していた。
まあ、正直なところヨスキ村出身者の三人は当然と言えるが、少なくともラクラちゃんに関しては頑張ったと手放しに賞賛しても問題ない。
セト達にしても、それぐらいできて当然だなどと人生初めての試験から冷や水を浴びせてしまっては、やる気が削がれるばかりだ。
今この時ぐらいは、ご褒美を上げてもバチは当たらないだろう。
「ラクラちゃんも、遠慮しないようにね」
「あ、ありがとうございます。すみません、いつも」
「いいって。頑張ってる子は報われないと」
他の生徒達はいざ知らず、セト達は生活費以外の小遣いはないに等しい。
ラクラちゃんにしても親元を離れての一人暮らしで、仕送りも余裕がないだろう。
祭りの屋台を前に指を咥えているだけというのは、ちょっと可哀想過ぎる。
「さて、じゃあ早速行こうか」
そうして子供達四人とレンリを連れ、職員寮を離れる。
とりあえずセトとラクラちゃん、トバルとダンに先導を任せ、俺とレンリは後ろからついていく。人の往来が激しいので、四人を見失わないように注意しながら。
「最初にどこへ行くんだ?」
「朝ごはん代わりに、少女化魔物寮でやってるって言う模擬店に行こうかと思って」
後ろから尋ねるとトバルが俺を振り返り、同時にセトを視線で示しながら答える。
その仕草を見るに、あるいは、ヨスキ村襲撃に起因してセトの心の奥底にこびりついている少女化魔物への苦手意識を緩和するため、という意図もあるのかもしれない。
もっとも、表向き少女化魔物にも普通に対応できるセトに効果があるかは正直なところ怪しいが……そんな彼の、精神的な成長の見られる配慮には乗っかるべきだろう。
そうでなくとも、模擬店で食事を取ることを考えて朝は軽く済ませたので丁度いい。
だから俺はトバルに頷き、そのまま前を歩く彼らの後に続いた。
そして目的地、ホウゲツ学園に管理されている少女化魔物達が住まう寮の前まで至ると、如何にも祭りの屋台という風の模擬店が数店並んでいた。
「焼きそば、たこ焼き、お好み焼き……どんどん焼き?」
縁日の定番から、該当地方出身の救世の転生者でもいたのかローカルフードまで。
しかし、何と言うか、系統が近しい重めの食べものばかりだ。
綿菓子とかチョコバナナとかそういうデザート系統は、この場には全くない。
「お、トバルにダン、セト。それにイサクじゃないか」
と、聞き覚えのある気安い声をかけられ、屋台の隙間を縫いながら大量の荷物を運んでいた背の高い少女へと視線を向ける。
「あ、ヴィオレさん、お久し振りです」
「相変わらず馬鹿丁寧だな、イサクは」
苦笑気味に返してきたのは、昔フェリトと共に人間至上主義組織スプレマシーに利用されてヨスキ村を襲撃した内の一人、オーガの少女化魔物たるヴィオレさんだった。
トバルと少女契約を結んでおり、護衛的な立場で学園都市トコハまで来たが、将来を見越して彼女達もホウゲツ学園で教育を受けている。
引き続き、トバルのサポートをしてくれるのか、ヴィオレさん自身の目標を新たに目指していくのかは分からないが、この学園での学びは無駄にはならないはずだ。
補導員として働き出したためか全く接点がなく、ちょっと存在を忘れかけていた俺が偉そうに言うことではないだろうけれども。
「ランさんとトリンさんはお元気ですか?」
同じく狂化隷属の矢で操られてヨスキ村を襲撃いた彼女達、まだダンとの少女契約を保っているはずの二人についても問う。
「ああ。変わりなくやってるさ。二人共、今日は他の出しものの手伝いをしてるから別行動だけどな。アタシは二人に比べると不器用ってんで、ここで力仕事の雑用だけど」
答えながら肩を竦めるヴィオレさん。
思い返せば、ヨスキ村でしばらく過ごしていた時もそんな感じだったな。
久し振りにそんな彼女の姿を見て記憶が刺激され、ふと昔のことが脳裏に浮かぶ。
それに伴って一つ思い出したことがあり、俺はそれを尋ねるために口を開いた。
「そう言えば、インシェさんとは会えましたか?」
「あー……」
その問いに、ヴィオレさんは視線をさまよわせながら言葉を濁した。
インシェさんもまたヨスキ村を襲撃した少女化魔物の一人だったが、彼女達に先駆けてヨスキ村を離れて新たな生活を始めていたはずだ。
その際、再会したら食事をするといった約束をヴィオレさん達としていたが……。
「それがさ。連絡先が分かんなくてさ」
「あれ? 学園都市トコハにいるんじゃないんですか?」
「確かに以前ここにいたのは間違いないらしいんだけど、別の都市で仕事が決まったって住居を引き払ってそれっきりみたいだ」
「それは、うーん……」
行方不明と言えば行方不明だが、単なる仕事上の都合という感じもないでもない。
慎み深い人だったし、近隣の人に数年越しの言伝を頼むというのも遠慮しそうだ。
「知り合いに頼んで探して貰いますか?」
「いや、いいさ。縁があれば、いずれ会えるだろ」
……ヴィオレさんはさっぱりしているな。
ともあれ、約束を交わした当人がそう言うのなら俺が無理強いするのは違うだろう。
まあ、それとなく居場所ぐらいは調べておいてもいいかもしれないけれども。
「ヴィオレ! 口じゃなくて手を動かしてよ! 忙しいんだから!」
「おっと、ごめんよ!」
屋台の奥から声をかけられ、そう応じながら荷物を抱え直すヴィオレさん。
「悪いけど仕事中だからこれで。ここの食いもんはワクムスビの少女化魔物が複合発露で生み出した小麦粉で作ってるから絶品なんだ。食べてってくれよ」
それから彼女は俺達全員を見回しながら言い、屋台の裏へと消えていった。
ワクムスビの少女化魔物の複合発露で作った小麦粉を使って、か。
そう言えば、以前ルトアさんと訪れた居酒屋ミズホの店主であるオオゲツヒメの少女化魔物のリヴェスさんが、似たような力を持っていたっけ。
ただ、相応のカロリーを消費するはずだから……もしかするとヴィオレさんが持っていた荷物は、複合発露の対価とするための食料なのかもしれない。
いずれにしても、裏表のない性格の彼女の言葉だ。
この模擬店の料理が絶品なのは間違いないだろう。
「よし。皆、好きなものを頼んできな」
「やった!」
少々小さめでワンコインという感じなので、それぞれに硬貨を渡して買いに行かせる。
「レンリは――」
「私は旦那様と同じものを」
俺はレンリの分と合わせて二つどんどん焼きを買い、それから全員で寮のすぐ傍にある簡易的なテラス席のようなところに向かう。
そして、肩がぶつかるぐらいの狭い円形テーブルを囲みながら各々食べ始める。
「あ、おいしい!」
祭りの雰囲気を差っ引いてもヴィオレさんの評価に間違いはなく、麺や生地がソースやマヨネーズなどの味つけを全て受け止めた上で格段に味を深めている。
複合発露によって作られた小麦粉は、やはり伊達ではないようだった。
しかし……。
確かに絶品と言えるその味に、俺は今一集中し切れずにいた。
一度思い出すと妙に気になるもので、杞憂だとは思いながらも、インシェさんの話で何かのフラグが立ったのではないかという考えが脳裏に浮かんでしまったがために。






