AR15 意味深な対話(裏)
「彼女は全てを知っていた。けれど、それで全てが思い通りになる訳じゃない。私達も全てを知っていた。けれど、その結末を心底望んでいた訳じゃない。それでも――」
***
「それで、何を確認しようと言うのですか?」
当代の救世の転生者様たるイサク様、私の愛しい旦那様が、ホウゲツ学園の地下にあるというこの隠し部屋を去って少ししてから。
私は眼前の三人へと蔑むような視線を向けながら問うた。
そんな礼を失した態度を、彼女達は気にも留めることなく――。
「別に難しい話ではないゾ」
「貴方がちゃんと弁えているのか、私達は心配なのです……」
最初にトリリスとディームが、私の問いに対して憐憫と共に答えた。
まるで幼い子供を宥めるような高慢な姿に、酷く苛立ちを覚える。
一体どんな立場でそのようなことを抜かしているのか、と。
しかし、感情のままに振る舞っても何の意味もない。
そう自分に言い聞かせて、気持ちを鎮めながら口を開く。
「……分かっていますよ。目的を果たすまで、私も邪魔をされたくはありませんから」
「そうは言いながら、早速やらかしそうになったみたいだけどね。ついさっき」
抑揚を抑えて告げた私に対し、他者の過去を読み取ることのできる複合発露を持つ悪魔(アモン)の少女化魔物たるアコがチクリと刺してくる。
ホウゲツ学園の学園長室へ向かう途中の廊下にて。あの刹那に背筋を貫いた強烈な殺気を思い出し、恐怖心が再び鎌首をもたげ出す。
しかし、私はそれを、あの直後に感じた彼の温もりを頼りに何とか抑え込んだ。
……そんな心の動きもまた、アコは見抜いていることだろう。
他の者達もそうだが、彼女もまた本当に忌々しく、厄介な存在だと思う。
アコの前では誰も、過去の行動もその瞬間の本音すらも隠せはしない。
まあ、逆に考えると、開き直ればいくらでも率直に言えるということでもあるが。
「念のため言うけど、一線を越えたと判断されたら、いくら私達でも庇えないからね」
「……ギリギリまで許容して下さる寛大な御処置、本当にありがたいことですね」
上から目線なアコの物言いを鼻で笑いながら、皮肉を込めて言葉を返す。
正直、配慮を示す彼女達の言動は、下らない偽善としか思えない。
自らの邪悪な行いから目を逸らすための。
「とは言え、正直なところ、そんな不毛なことはやめて欲しいのだゾ」
「…………不毛? 今、不毛と言いましたか?」
どこか懇願するように告げたトリリスの言葉に思わず耳を疑い、明確な怒りを滲ませながら糾弾するように強い口調で問いをぶつける。
それは御祖母様の願いを侮辱する言葉だ。
何より、彼女達の浅ましい自己弁護に過ぎない。
「貴方が望むような道があったなら、五百年の間に私達が実行しているのです……」
「残念ですが、そのような言葉を額面通りに受け取ることはできませんね。今の貴方がたは、端から諦めているだけではないのですか?」
「馬鹿を言うナ! ワタシ達がどれだけ――」
「たったの五百年」
悲痛な声で反論しようとするトリリスの叫びを遮り、冷たく言い放つ。
そんな私に圧されたように、彼女は口を噤んだ。
「救世の転生者様達の世界では、それ以上の時間、技術も社会も発展せずにいたこともあったそうです。逆に、数十年で世界が様変わりしたことすらも」
「貴方は時の重みを知らないから、聞き齧っただけのことを簡単に言えるのです……」
「ええ、そうなのでしょう。しかし、そうだとしても、私が諦める理由にはなりませんし、時の重みとやらに負けて貴方がたが諦めたことに変わりはありません」
世の中、経験が枷となることもあるし、無知が原動力となることもあるものだ。
だから私は、たとえ御祖母様と同じ結末を迎える可能性が高くとも、立ち止まるつもりはない。そんな私には、諦観が滲んだ彼女達の言葉は何一つとして響かない。
「そもそも、この世界の危機を、本来何の関わりもない異世界の人間に背負わせることに違和感はないのですか? 世界の問題は、その世界に生きる人の手によって解決されるべきでしょうに」
そう思うことすらないと言うのなら、もはや世界に属する存在としての矜持を捨てているとしか言いようがない。
「できるものなら、当然そうするのです……」
「しかし、それが不可能なことは、お前自身も知っているはずだゾ」
「……何度も言うように、私は諦めた貴方がたとは違います。不可能の一言で切って捨てるつもりはありません。諦めず、別の方法を探し続けます。定められた運命に抗い続けて見せます。私達の悲願を果たす、その日まで」
苦虫を噛み潰したような顔をする二人を僅かばかり見直しつつも、それでも意見を変えない姿に呆れの視線を送りながら、私は改めてハッキリと宣言した。
「………………私達の悲願、ね」
すると、それを彼女達の横で聞いていたアコが、痛ましげに呟いて更に続ける。
「いいかい? 君の人生は君自身のものであって、間違ってもベルカの人生の続きではないんだよ。レンリ・ソニア・アクエリアル」
「……私をその名で呼ぶのはやめて下さい」
また的確に、人の嫌な部分を突いてくるものだ。
そう心の底から思い、私は眉をひそめながら再び口を開いた。
「私は、あのような女を母親とは認めていません。公的にも私は単なるレンリ・アクエリアルです。どうしてもミドルネームをつけろと言うのなら、私はレンリ・ベルカ・アクエリアルを名乗ります」
父たる皇帝に容姿だけで取り入り、寵愛を受けようとした生みの親。
子たる私に興味はなく、ベルカに救われた時には私は衰弱死寸前だったと聞く。
あの時、レンリ・ソニア・アクエリアルという名だった少女は記録から完全に抹消され、私は御祖母様の下で長らく公的には存在しない人間として過ごしてきた。
血縁関係は祖母と孫だが、もし母親と呼ぶべき人がいるとすれば御祖母様だけだ。
「……レンリ。いくらベルカに救われたからと言っても、彼女の願い通りに生きる必要は全くないんだよ。そもそも、それは本当に君自身の願いなのかい? これまで口にした理屈は、君自身の中から出てきた理屈なのかい?」
「それは――」
「見たところ君への教育は、複合発露や祈念魔法こそ使っていないものの、間違いなく洗脳と言って過言ではないものだった。君の意思は本当にそこにあるのかい?」
幼少期。当時は何とも思わなかったが、救世の転生者様のためとして施されていた激しい鍛錬は、他の皇族と比較する限り地獄のようなものだったようだ。
一定の知識を得た後で振り返ると、アコの言い分は理解できなくもない。
覗き見た情報をペラペラと告げられるのは、全く以って気に入らないが。
しかし――。
「そうだとして、それが何です? 私は御祖母様の最後の願いを必ず果たします。たとえ、そこまでは私の人生でないとしても、そこから先は確実に私の人生です」
大恩ある御祖母様と過ごした日々。
その積み重ねが私の人格の中核をなしている以上、今更切り離すことはできない。
それを捻じ曲げようというのなら、それこそ洗脳するぐらいでなければ無理だろう。
何より。少なくとも今の私は、己の意思でここに立っているつもりだ。
彼女達にとやかく言われる筋合いはない。
そう自分自身の左手を強く意識しながら思う。
右手のアガートラムの影響を受け、同じ位階相当に引き上げられた本来は第五位階の銀の義肢。神の義肢という逸話があるだけあって、感覚は生身のそれと変わらない。
強く握ってくれた彼の手から感じた温もりは、勘違いでは決してない。
正直、私のことなど突然押しかけてきた迷惑な存在のようにしか感じていなかっただろうに、あの瞬間そんな私を確かに気遣って手を引いてくれた優しさは嘘ではない。
その優しさ故に、彼は救世などという大それた重荷を背負わされている訳だが――。
「私は救世の転生者様を使命から解放し、旦那様と共に歩める未来を目指します」
だからこそ、やはり私が人生を懸けるに値する人だとあの瞬間に確信できた。
鍛錬ばかりで年相応の経験に乏しかった私が、初めて抱いたこの切ない気持ち。
それは初恋と呼ぶべきものだろう。
どれだけちっぽけな切っかけだったとしても、私自身が得た宝物だ。
「……そうか。もう、君の中にも理由ができているのか」
改めて複合発露を用いて私の胸の内を覗き見たのか、悲しげに告げるアコ。
「そこまで意志が固いなら……ワタシはもう何も言わないのだゾ」
「貴方の願いが叶うことを、私も祈っているのです……」
続くトリリスとディームの声色にも憐れみが滲んでいるのを感じ、その頑なに私を愚かな子供の如く扱う言動に尚のこと苛立ちが募る。
「同情は無用ですが、御随意に。それよりも私の願いが叶い、全てが明らかになった時の言い訳でも考えられた方がよろしいかと思いますが」
「もしそうなったら……ワタシはいくらでも償いをするのだゾ」
儚げに微笑むトリリスは、そんなことは万に一つもあり得ないと思っているかのようだ。そんな姿に湧き上がる腹立たしさをぶつけるように、私は一つ鼻を鳴らした。
少しの間、互いの間に沈黙が降りる。
一先ずこれで、この対話は一区切りがついたと考えていいだろう。
「いずれにせよ。私達が君に求めることは唯一つだ。イサクに救世の真実を告げないこと。もしそれを破ろうとすれば、ガーンディーヴァの一撃が君を粉砕することになる」
「念を押さずとも分かっていますよ。さすがに死んでしまっては、妻として旦那様を救うことなどできませんからね。そこは守ります」
所詮、自己責任と見なせるだけの言質を取って己の罪悪感を薄めようとしているだけだと思うが、それを受け入れずに寛大な御処置を失っては目も当てられない。
確認とやらの主題を改めて口にしたアコに、頷いて応じておく。
そうして救世の転生者様を利用する首魁共との対話を終えた私は、トリリスの力によって再びホウゲツ学園の校舎に戻ったのだった。
***
「私達も彼女も、そして何も知らなかった君もまた。運命という車輪を回す小さな歯車に過ぎない。けれど、そんな歯車でも自らの役割を逸脱すると、車輪は崩れ落ちてしまいかねない。だから、私達は黙って歯車を全うするしかないんだ」






