149 本心
死にたい。
ウラバ大事変の最大の被害者であるルコ・ヴィクトちゃんが口にした願いは、単なる言葉に留まらず遅かれ早かれ叶ってしまうことだろう。
彼女が成り果てた上位少女化魔物という存在。
それもまた観測者の思念の影響を大きく受けた存在たる少女化魔物の一種である以上、その性質を踏襲しているのだから。
精神的に追い詰められれば、心に引きずられて肉体もまた弱っていく。
その果てに……。
勿論、それは人間にも起こり得ることではある。
しかし、少女化魔物のそれは輪をかけて肉体への影響が強い。
気のせいなどとは言えない自覚症状を伴った急激な肉体の衰弱が、更なる精神の衰弱を呼び、それがまた肉体を弱らせる。
そういった負の連鎖こそが、あるいは絶望を少女化魔物にとっての死の病としてしまう最大の要因なのかもしれない。
「ルコ……」
俯くルコちゃんを前に、沈黙に包まれていた小会議室。
その静寂を破ってアコさんが彼女の名前を口にしたものの、しかし、続く言葉を見つけることができないのか結局は口を閉ざしてしまう。
ルコちゃんの反応もない。
「……ルコちゃん」
代わりに、俺もまた努めて柔らかく呼びかける。が、彼女は俯いたまま。
既に結論に至ったから、これ以上は話をする意味を見出せない、というところか。
その頑なさには、ある種の幼さも感じられるが……。
いずれにせよ、このままでは、俺がこの場に来た目的を何一つとして果たせない。
だから、大人げなく無遠慮に続ける。
「それは、君の一番の望みじゃないよね?」
彼女の心を抉るだろう、ほとんど断定するような不躾な問い。
失意のさ中にあって尚、その内容に関しては無視することができなかったようで、ルコちゃんは再び顔を上げてこちらを見る。
「何を、言って……」
その声色と表情には、多くの動揺と僅かな苛立ちの色が滲んでいた。
諦めざるを得ないはずの本心を暴き立てようとする俺を恐れ、憎むように。
「死にたいと言った君の気持ち。それも嘘だとは言わない。言えない。けど、ルコちゃんの中にある気持ちは、本当はそれだけじゃないはずだ」
異種族へと変じるのみならず、少なくとも思春期の女の子ならば、忌み嫌わざるを得ないようなグロテスクな姿と成り果てた己を目の当たりにしてしまった衝撃。
たとえいつかは制御できるようになるのだとしても、そうなる機能はリビングデッドの上位少女化魔物である限りは永遠について回る事実。
それらを受け入れることができなくて人間ではなくなった自分を自分として認められずにいることは、彼女の言動から明らかだし、そうでなくとも想像に容易い。
極々平凡な少女が絶望し、死にたいなどと口にする状況も理解できなくはない。
だが……もし心の底からそう望み、決心してしまっていたのなら。
彼女は、とっくのとうに何かしらの行動に出ているだろう。
「何が、言いたいの……?」
「君は死にたいと思っている以上に、死にたくないと思っているはずだ」
「そんな……そんなの――」
人間、死にたくなることなど気分の浮き沈みでいくらでもある。
彼女からすれば、そんな一過性の感情と一緒にして欲しくはないだろうけれども。
極論、まだ自死を選んでいないのなら、死にたいという気持ちよりも生きたいという気持ち、あるいは生きていなければならないという気持ちの方が強いということだ。
少なくとも、今この瞬間においては。
勿論、時間が経てば、よくなるにしろ悪くなるにしろ変化は生じるだろうが。
「そんなの、当たり前じゃないですか! けど……けど…………」
俺の指摘に憤慨したように叫んだルコちゃんは、しかし、引きずり出された理不尽への苛立ちと悔しさを諦観によって再び埋め尽くすように尻すぼみに声を小さくする。
彼女の言う通り。それは普通の人間ならば当然のことだ。
そもそも、死にたいという気持ちには前提となる理由が普通はある。
端的に言えば、己を取り巻く状況に絶望したから死にたい。これに尽きる。
「けど、どうしようもない」
ルコちゃんが口にできなかったことを敢えて告げる。
すると、彼女は耐えるように唇を噛んで小さく首肯した。
そんな相手を前に、追い討ちとなるような言葉を更にぶつけようと口を開く。
「裏を返せば、どうにかなるのなら死にたくないってことになる」
「それは……」
否定することができずに表情を歪めながら口ごもるルコちゃん。
それもまた当たり前のことだ。
己を取り巻く状況に絶望したから死にたい。
これは間違いではないが、正確でもない。
正しくは、己を取り巻く状況をどうにかする術がなくて絶望したから死にたい、だ。
状況を打破できるなら絶望する必要はないし、死にたいと考えることもない。
「つまり、君の一番の願いは――」
「やめて下さい!」
ルコちゃんは怒りを顕にしながら俺の言葉を遮る。
願っても叶わないものを望み続けても辛いだけだと言うように。
それでも……。
「人間に戻りたい。そうだろう?」
俺は口を噤むことなく、そう告げた。
彼女の顔は悲憤に歪み、目にいっぱいの涙を溜める。
「そうだよ! 戻りたいに決まってる!!」
そして、絞り出すように叫ぶルコちゃん。
何故、そんな惨いことを言うのか。
そう問い質すように俺を睨みつけながら。
「ちょ、ちょっとイサク」
いくら何でも無意味に煽り過ぎだと言うようにアコさんも制止にかかる。
そんな彼女に視線をやりながら軽く右手を上げ、今は自分に任せて欲しいと暗に伝えてからルコちゃんに向き直る。
その間も、彼女は思いの限りを口にし続ける。
「わたしは、わたしだって本当は、人間に戻って、人間らしく生きたいよ! でも、でも、それが無理だから――」
「いや、無理じゃない」
今度は俺がルコちゃんの言葉を遮って静かに、しかし、ハッキリと告げると、彼女は虚を突かれたように口を噤んだ。
アコさん達もまた驚きと困惑を表情に浮かべながら俺を見る。
「人間に戻せる可能性はある。少なくとも、リビングデッドの上位少女化魔物であることから解放される方法はある」
「ば、馬鹿なことを言うものじゃないよ。そんな方法、ある訳がない。イサク、いたずらにルコの心を乱すのはやめるんだ」
さすがに目に余ると言うように、俺の肩を強く掴むアコさん。
「妄言を言っているつもりはありません」
そんな彼女に対し、俺は振り返ってキッパリと言い切った。
嘘ではない。実際に案はある。
もっとも、その方法は今この時、彼女のために思いついたものではないが。
切っかけはちょっとした疑問。
今回の事件の始まり。人間至上主義者達の所業を聞いた時に、ふと思ったことだ。
あれがああいう結果になるのなら、逆もまたあり得るんじゃなかろうか。
その時はそんな軽い想像に過ぎなかったが、今この瞬間には救いとなる。
「ルコちゃん。俺は本気だ」
彼女に視線を戻し、その目を強い意思を込めて真っ直ぐに見詰めて言う。
すると、ルコちゃんは動揺したように視線を彷徨わせた。
信じられないという気持ちと信じたいという気持ちの狭間で揺れているのだろう。
正直なところ、実証している訳ではないので俺の中にも不安がない訳ではない。
だが、その方法には何よりも彼女に成功すると信じ込ませることが不可欠だ。
だから、そんな内心を見せないように俺は表面上自信を滲ませておく。
「で、でも……」
諦めようとしていた本当の望みが叶うかもしれないと告げられても尚、一度絶望の淵に沈んだルコちゃんは信じ切れずにいるようだ。
繰り返しになるが、この方法には彼女が信じることが必要だ。
そして誰の言葉なら、信じてくれるかと言えば――。
「ルコちゃん。これを見て欲しい」
「え? ……え? こ、これって……」
初対面の人間ではなく、憧れの存在からの言葉だろう。
「救世の転生者の名に懸けて、俺が君を救って見せる」
だから俺は、影の中から取り出した祈望之器印刀ホウゲツに釘づけになっている彼女にそう宣言した。






