144 vs.擬似超再生
「も、申し訳ない」
激突の直前に真・複合発露〈万有凍結・封緘〉によって生成された巨大な氷の塊を胴体に叩きつけられ、四肢が千切れ飛んでしまったリビングデッドの上位少女化魔物。
その余りにも凄惨な光景を前に、俺は思わず謝罪の言葉を口にしてしまった。
本来ならば、まだ親の庇護下にあるべき少女。
何とか傷つけずに戦いたかったが、そこまでの余裕はなかった。
まさか急降下する俺へと正確に突っ込んでくるとは。
「イサク! リビングデッドは四肢のつけ根が脆くて取れ易いだけだ! それに、あれぐらいなら再生するから気にしちゃ駄目だ!」
微妙に動揺してしまった俺に対し、アコさんが強く諌めるように言う。
対象の想定外の身体能力に焦っているようだ。
彼女の指摘に関しては、勿論、俺も頭では理解している。
第六位階の再生能力が如何なるものかは、先日既に目にしているのだから。
だが、それはそれとして。
被害者である彼女を前に、端から冷徹になることはできなかった。
その辺りは人外ロリコンたる俺の弱点でもあるのだろう。
元より自分自身のこと。己の性根に関しては百も承知だ。
だから、即座に鋭く一つ息を吐くことで心を無理矢理落ち着かせる。
そうしながら俺は、地面に叩きつけられた相手を油断なく見据えた。
腐ったバラバラ死体状態だが、決して目を逸らしたりはしない。
「あっ!?」
直後、リクルの驚いたような声が響く。
正にアコさんが言った通り。
その僅かな内に、対象の千切れ飛んだ四肢は世界に溶け込むように分解されて消え去り、彼女の手足は何ごともなかったかのように元に戻っていた。
正に驚異的な再生能力と言える。しかし――。
「……腐ったまま、か」
再生した足で立ち上がった彼女。
その皮膚も大部分が爛れ、変色した肉が露出してしまっている。
リビングデッドの上位少女化魔物と化した彼女。
その暴走・複合発露〈不死鎖縛・感染〉。
既定の(腐った)死体の形に戻るなどという、再生能力と呼ぶには余りに歪な能力。
その禍々しいあり方に眉をひそめる。
「うぐっ」
更には……息を吸って吐いて再び吸うその間に強烈な腐臭、死臭がまたもや急激に濃くなり、俺は尚のこと眉間のしわを深くした。
恐らく、これもまたリビングデッドの種族特性なのだろう。
「…………可哀想に」
幼い女の子が、このような目を背けたくなる異形に成り果てている理不尽な状況。
それを作り出した人間至上主義者の所業に、改めて憤怒の念が込み上げる。
……だが、そんな感情は今の彼女にとっては無意味なもの。
何の解決にもならない同情の言葉など欠片程の価値もない。
「おお、おおおお、あああ……」
そう示すように、リビングデッドの上位少女化魔物は低く低く呻くと――。
「ああああ!!」
再び大地を蹴り、森への潜伏を妨げた俺を排除せんと迫ってきた。
その脚力によって地面を砕き、空気抵抗を突き破り、衝撃波を発生させながら。
力任せの速さだが、実際に恐ろしく速い。
「くっ」
それを前にして俺は内心舌打ちしつつ、瞬間的に氷の壁を作り出して進路を塞いだ。
しかし、初撃とは異なり、ただ単に互いの間に置くように発生させたに過ぎず、そのせいか、今度は第六位階の力の産物たる氷塊が砕かれるのみに終わってしまう。
その上で彼女は、僅かたりとも怯むことなく猛進してくる。
「加減が過ぎたか」
肉薄するリビングデッドの上位少女化魔物。
しかし、こと速さにおいて〈裂雲雷鳥・不羈〉に勝ることはない。
俺は亡者の如く伸ばされた手を激しい電光と共に掻い潜り、空間に雷の如き軌道を描きながら彼女の背後に回り込んだ。
そして、右手に纏った氷を倍以上に巨大化させると、その無防備な背を殴りつける。
拳の先から鈍い音が響く。
背骨が圧し折れた音だろう。
だが、その影響も一瞬だけのこと。
腐った肉体は即座に規定の形状に戻る。
それでも、崩れたバランスまでは戻らない。
自身の速さに俺の攻撃の勢いまでもが加わった形となり、彼女は足をもつれさせて地面に突っ込んでしまった。
当然、制動などかけられるはずもなく、土を撒き散らしながら大地を抉っていく。
やがて彼女が制止した時には、平原に一筋の長い長い線が刻み込まれていた。
「も、もう、何が何だか」
眼前の光景を前に、影の中から混乱したようなパレットさんの声が耳に届く。
その間も対象はダメージもなく立ち上がると、暴走するままに襲いかかってくる。
そうした目まぐるしい展開を視覚で追い切れないのだろう。
転移の複合発露を持つ悪魔(サルガタナス)の少女化魔物たる彼女。
力の希少性は高い。……だが、身体強化に限って言えば、よくて祈念魔法レベル。
それに基づいた反射神経では、超高速の攻防を捉えるには不十分だ。
そして、それは実のところイリュファ達とて同じこと。
ライムさんとルシネさんにしてもそう。
真・複合発露〈裂雲雷鳥・不羈〉によって大幅に補正が入っている俺とは違うのだ。
それ故に――。
「イサク、どうしよう。外に出ていけないよ」
このままでは、凍結による拘束を試みることすらできない。
改良型の狂化隷属の矢を借りてきていても、それを使う段階にまで至らない。
持ち腐れも甚だしい。
「…………仕方がないさ。これ程の相手だとは誰も思っていなかったんだから」
打撃で対象の突進を逸らしつつ、役割を果たせないと泣きそうなサユキを慰める。
アコさんでさえ動揺していたのだから、想像できた者などいなかっただろう。
過去の事例に基づいた予測を遥かに上回る事態という訳だ。
せめて壁役でもいればマシになったのに、と思うが、対象の攻撃が一回掠っただけでも感染してリビングデッドに成り果ててしまう以上、望むべくもない。
苦しい状況だ。しかし、泣き言は言っていられない。
誰よりも苦しんでいるのは目の前の少女なのだから。
「とは言え、この調子じゃ精神干渉まで持っていくのは至難の業なのも事実だ」
そう口の中で呟く間にも、彼女は体勢を立て直して追い縋ってくる。
回避して単独での凍結を試みるが、当然のように瞬時に破られてしまう。
あの七人とは、やはり格が違う。
ならば別の方法を、と間合いを保ちながら、無数の氷の杭を機関銃の如く射出する。
恐ろしく速いだけで動きは予測し易い対象故に、ほぼ全てが命中するが……。
それらは彼女の追跡を極僅かに鈍らせるのみ。
これでは策を練る時間も作れない。
まだ四肢が千切れ飛んだ時の方が猶予はあった。
「……やるしかないか」
覚悟を決める。
疑似的ながら超再生と呼ぶに相応しい彼女の力を頼みとした戦法で、時間を稼ぐ。
だが、決して殺してしまうようなことだけはないようにしなければならない。
「慎重に、手足だけを……」
そもそも、千日手の様相を呈している理由は唯一つ。
俺達の目的が、あくまでも暴走を鎮静化して彼女を救うことだからだ。
このような複合発露を持つ存在とて不死ではない。
頭、もとい脳を潰されれば死ぬ。間違いなく。
何故ならば、複合発露もまた人間原理に基づく力。
観測者が観測不可能な状況に陥ってしまえば、機能しなくなる。
そうなれば再生することができないまま死に至る。
故に、頭を潰すような攻撃だけは控えなければならない。
「おおおおっ!!」
「……我流・氷刀」
変わらず獣の如く突っ込んでくる彼女に、俺は一瞬だけフェイントを入れてから自ら間合いを詰め、両手に生成した氷の剣を閃かせて四肢のみを切り飛ばそうとした。
が、相手の身体強化に負け、刀身の方が砕け散ってしまう。
その隙を突くように彼女は掴みかかってくるが、ギリギリで回避して距離を取る。
四肢のつけ根の一体どこが脆いのか、と言いたくなる。
あくまでも他の部位に比べて、というだけなのだろう。
強度という点で、第六位階の氷が遥かに劣っている事実は覆しようがない。
やはり最初の激突程の威力……互いの全速力と氷塊の質量が必要のようだ。
だが、あの時は咄嗟に胴体を狙うことができたが、少しでも狙いがずれると頭部を吹っ飛ばして殺してしまいかねない。
それ以前に正面衝突の再現は余りにもリスクが高過ぎる。
やはり正確に、確実に四肢を切り落とすことができる方法が必要だ。
だから――。
「ごめんな。もう少しだけ、耐えてくれ」
俺は間合いを保ちながら彼女にそう乞うと、影の中からそれを取り出した。
救世の転生者の証たる刀。
これまで単なる飾りのように扱ってきたが、間違いなく第六位階最上位の祈望之器であり、第六位階の氷すら容易く切断することができる武器。
印刀ホウゲツを、氷に覆われた手に固定して構える。
「必ず、元に戻してあげるから」
そして俺は反転して一気に彼女の懐に入り込み、擦れ違い様にその手足を切断した。






