141 最終確認と作戦開始
「ヒメ様」
それぞれ元の立ち位置に戻ると、側近と思しき見知らぬ少女化魔物がヒメ様にスッと近づいて何やら耳打ちを始めた。……もっとも、強化された聴覚で丸聞こえだが。
どうやら、俺がこの仕事を引き受けたことを踏まえた話し合いをこれから関係各所と行うらしい。側近の口振りからすると、随分と俺に時間を割いてくれたようだ。
火中に身を投じる者への最低限の配慮というところか。
「……分かっています」
その側近に対してヒメ様は小さく頷き、改めて貴人らしく佇まいを正して俺を見た。
「では、イサク様。よろしくお願い致します」
そして最後にそう告げると、彼女はテレサさんの複合発露によって、この場にいたほとんどの者と共に広間から転移していった。
「……さて、ここからはワタシが引き継がせて貰うゾ」
一瞬の静けさを破り、その場に残っていたトリリス様が口を開く。
その両隣にはディームさんとアコさんの姿。少し離れたところにムニさんの端末。
俺の隣にはルトアさん。背後にはライムさん達三人。
後の話はここにいる者だけで十分ということなのだろう。
「早速だが、イサクにはこれからウラバへと向かって欲しいのだゾ」
「これからすぐに、ですか?」
「ヒメが言った通り、十二時間以内なら精神干渉可能という推測が出ていますが、逆に言えば十二時間しか余裕がないということなのです……」
「イサクには悪いけれど、私達は万が一の場合も考えないといけないからね」
「……でしょうね」
申し訳なさそうに言うディームさんとアコさんの二人に同意を示す。
もしも俺が失敗したら。
これ以上はもうどうしようもないから諦めます、とはいかない。
国家の存亡がかかっていると言っても過言ではないのだから。
上に立つ者として、胸の内はどうあれ最悪の事態を想定して動くのは当然のことだ。
万が一に備え、時間的な猶予はなるべく残しておきたいというのも理解できる。
ヒメ様もまた成功、失敗どちらの結果に終わろうとも即座に対処することができるように、関係各所に根回しに行ったのだろうし。
……まあ、一先ず今はその辺のことはいい。
「さっきは聞きそびれましたけど、リビングデッドの上位少女化魔物の発見と拘束の方法については、完全に俺に丸投げですか?」
「ああ、その辺りについてはまだだったナ。さすがに無策と言う訳ではないゾ」
「とは言え、策と胸を張って言える程のものでもないのですが……」
「とりあえず、捜索に関しては私が協力するよ」
「アコさんが、ですか?」
「うん。捜索隊が行方不明になった森が本命なんだけどね。割と広くて正確な位置を把握するのに時間がかかるだろうから、周辺の感染者から情報を得ようってこと」
彼女の複合発露〈命歌残響〉を用いて、か。
「多分、森には多数のリビングデッド化した被害者達が配置されていて、彼女はその中に紛れ込んでいるだろうからね」
これまでの行動から、逃げ隠れしていたと思われるリビングデッドの上位少女化魔物。
木を隠すなら森の中という感じで、アコさんの想定通りの状態にある可能性が高い。
同じ人型。似た動き。さすがに祈念魔法などによる探知では判別がつかない。
一人一人確認している間に察知され、奇襲を受けでもしたら堪ったものじゃない。
少しでも手がかりが増えるのなら助かると言えば助かる。
「けど、危険ですよ? 第六位階の身体強化がないと。下手したら虫にちょっと齧られたって感染しかねないんですから」
いくら感染元よりも一つ位階が下がるにしても、最大で第五位階なのだ。
最低でも複合発露による身体強化がなければ、本体に近づくこともままならない。
「そこで、だ。君の影の中に入れて貰いたいんだよ」
「影に……成程」
それならば多少は安全かもしれない。
とは言え……。
「フェリト、大丈夫か?」
先程まで見知らぬ人間も広間にいたからか、ここに入った時点で慌てて俺の影の中に逃げ込んでいた彼女に尋ねる。
「こんな状況で拒否する程、我侭じゃないわ。アコさんは少女化魔物だしね」
「あー、そこなのだけどナ。後ろの三人も一緒に連れていって貰いたいのだゾ」
トリリス様に視線で示され、俺は背後を振り返った。
そこにいる三人の内の二人、ライムさんとルシネさんは、リビングデッドの上位少女化魔物に精神干渉を施して暴走を鎮静化する作戦の要となる存在のはずだが……。
「それは、さすがにリスクが高過ぎるのでは?」
「前の七人のように安全かつ完全な拘束が可能とは限らないからナ。戦いの中で隙を突く方が勝算が高いという判断だゾ」
「まあ、一理あるとは思いますけど、もし俺が失敗したら……」
自分のことなのでそんな想定はしたくはないが、彼らまでリビングデッドと成り果ててしまったら唯一の希望が潰えてしまう。
単に俺だけが失敗するよりも遥かに危うい。最悪の状況だ。
「そのためのもう一人だゾ」
トリリス様が微妙に変化させた視線の先には、初対面な最後の一人の姿。
自然な紫色の髪と瞳は少女化魔物の証。
その彼女は無感情な瞳をこちらに向け、無表情のまま軽く頭を下げた。
「彼女の名前はパレット。悪魔(サルガタナス)の少女化魔物なのです……」
「空間転移系の複合発露持ちだからね。危なくなったらちゃんと自分達で逃げるよ」
「ああ――」
そう言えば。
あの事件の中で、ライムさんは俺達の目の前に転移してきたっけ。
その能力の大元が彼女。パレットさんなのだろう。
「そう言うことなら、俺としては問題ありませんが……」
彼らが共に現場へと来てくれるのなら、最悪、この身を犠牲にしてでも数十秒の時間を稼ぐという手段も選択肢に加わる。
暴走さえ鎮静化すれば、一時的にリビングデッドになっても元に戻るだろうし。
後は人間が苦手なフェリト次第だが――。
「ええと、大丈夫か?」
「……我慢、するわ」
少し硬い口調ながら彼女は了承の意を示す。
フェリト自身がそう言うのであれば、信じるとしよう。
トラウマ克服の一助となるかもしれないし。
「それと、これも渡しておくのだゾ」
そう無造作にトリリス様が差し出してきたのは、狂化隷属の矢だった。
決して好ましくは思えない道具だが、真・暴走・複合発露には必要不可欠だ。
ライムさんの隣にいるルシネさんに視線をやってから受け取る。
「ああ。違うゾ。ルシネには既に渡してあるからナ」
「え? じゃあ、これは?」
「七人の時のように拘束できなかった時のための保険なのです……」
俺とサユキ。二人の力を重ね合わせた凍結が通じなかった時のため、か。
「ライムが持っていたものを参考に改良してあって、少女征服者側への暴走のフィードバックは最小限に抑えられるから安心してね」
人間至上主義組織スプレマシーの研究成果が組み込まれていると考えると複雑な気持ちになるが、このような緊急事態を前にしては四の五の言ってはいられない。
とりあえず影の中に保管してくことにする。
しかし、これの使用には暴走状態に対する慣れが必要だったはずだ。
俺達だとそれこそ数十秒使えるかどうかというところだろう。
もし本当に使うなら、使い時を考える必要があるな。
「後は臨機応変に対応して欲しいのです……」
「分かりました。ありがとうございます」
時間に制限がある中でできる準備としては、こんなものだろう。
丸投げでないだけ上等だ。
「ワタシ達からは以上だゾ。何か質問はあるカ?」
「あ、あの。私はどうすれば」
と、一人だけ蚊帳の外状態だったルトアさんがおずおずと手を上げて問う。
「ルトアはここで待機なのです……」
「待機、ですか?」
「状況が状況だからナ。機動性の高い第六位階の身体強化は、手元に置いておきたいのだゾ。万が一の時のために」
「事態が悪化したら、私達は迷宮の外に出られなくなるのです。そうなった時、ルトアにはムニの端末がないところへの連絡係や避難誘導などをして貰いたいのです……」
「わ、分かりました」
頷きつつも、複雑な表情と不安そうな視線を俺に向けるルトアさん。
事態が悪化したらという言葉を、俺が失敗したらと捉えたのだろう。
臆病だからと同行しなくていいのか、と罪悪感を抱いてもいるのかもしれない。
それこそ状況が状況だけに。
だが、トリリス様達の依頼も重要な役目だ。引け目を感じる必要はない。
何より、彼女が帰りを待っていてくれると思えば力も増すというもの。
そういう形のサポートの仕方もあるとは前に彼女にも話したことだ。
とは言え、この場で再度語るだけの間はない。
「大丈夫。さっさと行って解決してきますから。いつも通り笑顔で出迎えて下さい」
「……はい」
一先ず、そう応じてくれたことをよしとする。
後でまた話す機会を作るとしよう。
そう考えながら彼女に頷きを返し、それから俺は後ろの三人を振り向いた。
「ライムさん、ルシネさん。よろしくお願いします」
「ああ」「任せてくれ」
作戦前だからか簡潔に返答する二人。
多くは語らない姿は頼もしい。
「それと……初めまして、パレットさん。俺は――」
「聞いてる。救世の転生者、イサク」
俺の自己紹介を遮り、抑揚なく告げるパレットさん。
彼女は、無表情のまま続ける。
「私達が勘違いする前に教えて欲しかった」
「そ、それはすみません。……けど、そう言うってことは認めてはくれたんですね」
「ライムが言うことだから一考はする。ルシネとは違って」
チラッとパレットさんはルシネさんを見る。
だが、ルシネさんは真面目な顔で明後日の方向を見て知らん振りをする。
その様子に思わず苦笑してしまう。
「ただ。まだ完全に認めた訳じゃない。認めるには条件がある」
「条件、と言うと?」
「この事件を解決できたら、イサクが救世の転生者だと認める」
「…………分かりました。頑張ります」
俺がそう返すと、パレットさんは表情を変えないままコクリと頷く。
恐らく、彼女なりに鼓舞してくれているのだろう。
改めて一つ鋭く息を吐いて気合いを入れる。
よし。そろそろ――。
「そろそろ行こうか」
見計らったように告げたアコさんにライムさん達三人と共に頷き、それから彼女達には影の中へと入って貰う。
「念のため〈裂雲雷鳥・不羈〉を発動しておくのだゾ」
そしてトリリス様の助言通りに、ルトアさんとの真・複合発露を発動させた直後。
「では、頼んだゾ。イサク」
その言葉を合図とするように視界が移り変わり、深夜のホウゲツ学園校門前。
トリリス様の行動は慣れたもの。
俺はそこから夜空に電光と共に浮かび上がり、ウラバを目指す稲妻を描いた。






