139 パニックホラー序幕
「イサク君!! 起きて下さい!!」
「ん、んん?」
乱暴に揺すられながら名を呼ばれ、無理矢理に意識を覚醒させられる。
そうして寝ぼけ眼をこすりながら布団から起き上がると、見慣れた顔。
補導員事務局受付にして俺と真性少女契約しているサンダーバードの少女化魔物たるルトアさんが、焦ったように挙動不審な動きを見せていた。
寝起きのぼんやりとした思考で、何故職員寮の寝室に彼女がいるのかと首を捻る。
ああ、そう言えば、部屋の合い鍵を渡したんだったか。
しかし、まだ薄暗いところを見るに深夜だろうに、一体何の用事なのか。
そんなことを考えていると……。
「よ、夜這い!?」
騒がしくて起きたのか、影の中で眠っていたフェリトがそんな疑いをかけながら慌てて飛び出してきて、俺を守るように彼女との間に立った。
「へ? ち、ちち、違いますよ!!」
酷い濡れ衣だと言いたげに、わたわたと手を振りながら否定するルトアさん。
顔は一瞬にして真っ赤っか。
漫画ならグルグル目になっていそうなコミカルな挙動。
彼女には悪いが、思わず吹き出しそうになる反応だ。
……しかし、よくよく見ると可愛らしいパジャマ姿。
あれ? まさか本当に夜這――。
「フェリト」
と、不埒な思考を遮り、イリュファが窘めるように緊張感に満ちた声を出す。
これは……明らかに彼女を出しに俺にも注意を喚起している。眠気が薄れていく。
「落ち着いて、周りをよく見なさい」
「う、うん」
困惑気味になりながら、イリュファの言う通りにするフェリト。
「え? ……ええ!?」
途端に彼女は驚きの声を上げた。
俺もまた、何ごとかと思いながら周囲を見回す。すると――。
「はあ!?」
目にした光景に、僅かに残っていた眠気が一瞬にして吹っ飛んでしまった。
職員寮の寝室で眠っていたはずが、明らかに異なる場所にいる。
どことなくダンジョンめいた石造りの通路。
そこに常用している布団が直に敷かれており、俺はその上にいた。寝巻姿で。
傍には何となく見覚えのある扉。ようやく頭が追いついてきた。
ここは……。
「トリリス様が〈迷宮悪戯〉で作った迷宮の中、です?」
リクルが小首を傾げながら自問するように呟く。
すると、彼女の言葉を肯定するように扉が重々しい音を立てながら自動で開く。
「……また悪戯?」
微妙に怒ったように言うサユキに共感するように、俺も内心呆れながら嘆息する。
さすがに睡眠妨害は悪質にも程がある。
文句の一つも言いたくなる。
「ルトアさん。何か聞いてます?」
「い、いえ。私にも何が何だか……」
「……そうですか。直接トリリス様に聞くしかないみたいですね」
もう一度深く溜息をつきながら全員に視線で促し、寝巻のまま扉をくぐる。
以前のようなトラップ的なギミックを警戒して慎重に。
しかし、すぐに再び扉があり、今回は何ごともなく終点と思しき広い部屋に出た。
人影がいくつか視界に映る。トリリス様もいる。
と言うか、苛立ちの矛先を向けていたため、まず彼女にしか目が行かなかった。
「今回は一体、何の遊び――」
ですか、と不機嫌を示すように言いかけて、部屋の緊迫した雰囲気に口を噤む。
彼女の深刻な表情からして、どう見ても悪戯でなしたことではない。
「……深夜に申し訳ないのだゾ」
神妙に頭を下げるトリリス様。
その普段とはかけ離れた姿に、表情を引き締めて背筋を伸ばす。
間違いなく、何らかの緊急事態に陥っている。
ふざけている場合ではない。
「いえ。問題ありません。何があったんですか?」
極めて真面目な口調で問い、そうしながら改めて視線だけで部屋の様子を窺う。
よくよく見ると、場所はいつかヒメ様にお目通りした謁見の間的な広間。
そして上座にはヒメ様。……ヒメ様?
「っと、申し訳ありません。ヒメ様。ご無礼を」
「構いません。火急の事態です」
だらけモードではなく、国の象徴たる奉献の巫女らしい威厳ある姿を見せるヒメ様。
彼女の近くにはトリリス様とディームさん。アコさんもいる。
少し離れた位置には……確かヒメ様専属の転移係をしているテレサさん。
何人か初めて見る顔もある。
ん? あそこにいるのはもしかしてムニさんの本体か?
この国の情報伝達の核とも言える存在までいるとは……。
これは、いよいよ以って只事ではなさそうだ。
「説明を、お願いしてもよろしいでしょうか」
「はい。先日、ウラバにて石化事件があり、その後、その近辺で七人の上位少女化魔物が暴走するままに暴れ回っていたことはご存知と思います」
丁寧な口調のまま告げるヒメ様に頷く。
「この七人についてはイサク様のご助力もあり、鎮静化することができました。今では皆、己の状況を理解するに至り、何とか落ち着いております」
人間から少女化魔物的な存在へ。
姿形はおろか種族、場合によっては性別まで変わって冷静でいられるはずもない。
だが、恐らくは特別収容施設ハスノハの職員達の尽力、カウンセリングなどによって一先ずは話が通じる状態にはなっているようだ。
さすがに俺も、複数人のメンタルケアまでは面倒を見切れない。
その辺りは適材適所というものだ。
代わりに、救世の転生者としての力が必要な場面で俺は俺の力の限りを尽くす。
そして今。ヒメ様から求められるものこそ、その場面の一つなのだろう。
「しかし、アコからお聞きになったかと思いますが、一人、上位少女化魔物と化したまま行方知れずとなった人間がいたようなのです」
小さく相槌を打って続きを促す。
確かルコ・ヴィクトちゃん十三歳。だったか。
「その捜索をウラバの警察が行っていたのですが、捜索員の連絡が途絶え、更にはウラバ自体との連絡が途絶し、隣の都市であるアカハまでも……」
口惜しげに目を伏せたヒメ様は、一拍置いてから顔を上げて続ける。
「人間と動物の死骸の群れが迫ってくる。それがアカハからの最後の連絡でした」
「人間と動物の死骸の群れ?」
「はい。その情報を基に過去の事例を参照し、その最後の一人がリビングデッドの上位少女化魔物であると推測致しました」
リビングデッド。何らかの力で死体のまま甦った人間。ゾンビとも呼ばれる。
元来は死体が動くだけだったが、映画の影響によってリビングデッドによって殺された人間もまた同じくリビングデッドとなるという属性も追加された。
発端が一人の上位少女化魔物であり、人間と動物の死骸の群れが発生していることから考えると、この世界でもリビングデッドにはその属性が付加されているのだろう。
あるいは、過去の救世の転生者や英雄ショウジ・ヨスキがどこかで、いわゆるミームという奴を汚染したのかもしれない。
「その暴走・複合発露の名は〈不死鎖縛・感染〉。これは身体強化の側面を持ちつつも感染する複合発露であり、傷を負わせた対象を同じリビングデッドとします。感染した存在は、感染元よりも一段階位階が低い複合発露が擬似的に発動した状態となります」
どうやら、おおよそ予想通りの能力らしい。
こういう類のものは本体に近づく程に強くなるのが常だ。
……しかし、これ。ヤバい能力じゃないか?
ゾンビものは大抵バッドエンドだし、無理矢理ハッピーエンドに持っていくにしても感染拡大した時点で対象を皆殺しするか、ワクチンのようなものを得る以外ない。
いずれにしても、ゾンビになった上で倒されたものは死んだままだ。
対処を誤れば、被害が恐ろしいことになりそうだ。
「……過去の事例ということは、対処法も確立されているのでしょうか」
深刻な雰囲気で呼び出されている時点で、そのまま適用できるか少々怪しいところ。
だが、一応尋ねておく。被害はどうあれ、過去は鎮静化したはずだから。
「かつては……口惜しくも感染者を全て殺すことで対処しました」
「……そう、ですか」
苦しげに告げるヒメ様の答えに、そう返すことしかできない。
ゾンビものらしいビターエンドだったようだ。
心中察するに余りある。
それを罪として咎めるには、余りにも俺と彼女達は背負っているものが違い過ぎる。
「……しかし、それは人間と少女化魔物のみが感染していたからです。今回は上位少女化魔物であり、複合発露の対象範囲が動物にまで拡大しています」
「動物…………? え、もしかして鳥とか――」
「鳥も昆虫も含みます。加えて、本能的に他の動物を襲うようになります」
ヒメ様の簡潔な答えに言葉を失う。
それは……過去の比ではない危険な状況だ。
特に鳥と虫が媒介する上、積極的に感染させようと行動するとなると、恐るべき速度で蔓延してくことになるだろう。
下手をすれば瞬く間にホウゲツ、どころか世界中に拡大していく。間違いなく。
だからと皆殺しという冷徹な判断をしようにも、一体でも漏れては元の木阿弥。
虫の一匹まで探し出して、となると不可能としか言いようがない。
国家どころか人類存亡の危機と言っても過言ではない。
だが、いや、しかし……。
「ちょっと待って下さい。そもそも暴走した少女化魔物を鎮静化すればいいのでは?」
あくまでも複合発露ならば、大元のそれが停止すれば解除されるのではないか。
そう考えてヒメ様に問う。
彼女は少しの間視線を伏せてから、躊躇うように口を開いた。
「暴走・複合発露〈不死鎖縛・感染〉の基となる複合発露〈不死鎖縛〉は身体強化という点では極めて脆弱であり、通常状態より速度は遅く、体は脆くなり、戦闘に耐え得る体ではなくなります。既定の死体の形に戻るという特性を持ち、擬似的な再生能力を持ちますが……精神干渉耐性も低く、本来強制的な鎮静化は不可能ではないでしょう」
「なら――」
「ですが、感染者が増えた場合はその限りではありません。感染者が増えれば増える程に身体能力が強化され、当然精神干渉も通用しなくなります。これはある種、感染者からの思念が本体に向き、蓄積が発生することによるものと思われます」
……自らの力で擬似的に特異思念集積体になるようなものか。
そうなると、凍結による封印も難しそうだ。
「過去、そのために精神干渉系の真・複合発露を持つ少女化魔物が役割を果たせぬまま犠牲となり、暴走した少女化魔物を排除する以外に術がなくなりました。結果、少女残怨が発生し、感染者は永劫元には戻らず……」
視線を下げ、悔しげに唇を噛むヒメ様。
そうか。外界に干渉するタイプだと、少女残怨が発生するのだったか。
その影響力は元になった少女化魔物に準ずる。
聖女がいたとしても、その治癒も通らない可能性が高い。
それでは確かに感染者を皆殺しにするしか世界を守る術はない。
さぞ、無念だったことだろう。
しかし今は、過去を悔んでいる場合ではない。
「俺は、どうすればいいんですか?」
俺を呼んだということは、何かしら頼みたいことがあるのだろう。
こうした事態こそ救世の転生者の出番のはずだ。
何より、ことは先達として守るべき子供達にも、愛すべき人外ロリにも及ぶ。
俺にできることがあるのなら、如何なることでも成し遂げて見せよう。
「教えて下さい」
そうした意思を込めた視線と問いかけ。
それを前にヒメ様はしばらくの間、逡巡するように黙り込む。
そして彼女は――。
「リビングデッドの上位少女化魔物を探し出し、そして彼女の暴走を鎮静化して下さい」
これまでの話からすると不可能ではないかと思われる、矛盾するような要求をしてきたのだった。






