135 拗らせ少女化魔物
「お前が救世の転生者だと?」
「ええ、まあ」
不審そうなルシネさんを前に、俺はきまりの悪さを感じながら頷いた。
しかし、アコさんから雑にバトンを渡されたせいで、そこから二の句を継ぐことができない。無駄に沈黙が生まれてしまう。
完全に会話の流れが滞ってしまった。
静けさが気まずい。
一応、この特別監房棟には他にも収監された少女化魔物がいるはずだが、アコさんが施した防音の効果を持つ祈念魔法によって、そちらの音も届いてこない。
実際の時間は僅かなものだろうが、体感的に短くない静寂が続く。
さて、ここから体裁よく話を進めるにはどうしたものか、と困っていると――。
「イサク、と言ったな」
「あ、はい」
ルシネさんの方から話しかけてきて、俺は若干慌てながら応じた。
対して、彼女は背筋をピンと伸ばして正座したまま、鋭い目つきのまま灰色の瞳を俺の顔に向けて観察するようにしながら口を開く。
「その顔。アロンの縁者か」
「はい。弟です」
「………………そうか」
俺の肯定を受け、ルシネさんは罪悪感に耐えるような表情を浮かべる。
恐らく、彼女もまたあの時あの場所にいたのだろう。
アロン兄さんが人形化魔物ガラテアによって連れ去られた瞬間に。
「兄に成り代わろうという心意気は買おう。だが、奴程の逸材がそう容易く生まれるはずがない。ライムでさえ、アロンには敵わないと膝を屈するしかなかったのだから」
どうやらルシネさんは、アロンの弟である俺には強い引け目を感じているらしい。
口調はそう大きく違わないが、その声色にはアコさんに対する冷淡なものとは異なって、身内を諭すような静かな優しさが滲み出ている。
……もっとも、内容は勘違いに基づいた、ずれたものだが。
ここでもまた兄さんに対する評価の高さ故に、随分と面倒な拗れ方をしたものだ。
「君はガラテアと遭遇していないから軽く考えているのかもしれないが、あれは真の怪物だ。私達のような普通の存在には到底対処することはできない」
その時の恐怖を思い出したのか、口調を硬くしながら告げるルシネさん。
ライムさん同様、ある種のトラウマになってしまっているようだ。
アロン兄さんが拉致されるのを止められなかったことも含めて。
「私達にできるのは少しでも被害を減らし、未来へ繋ぐことだけ。イサク、アロンの弟である君もそれを十分に理解し、そのために行動することだ」
彼女の言っていることは、ほとんどライムさんと同じ。
彼と真性少女契約を結んだ少女化魔物として、しっかりと認識を共有していた証と言うことができるだろう。
だが、それだけにライムさんの変心が信じられず、手紙も虚偽と決めつけている訳だ。
これは一部検閲されて情報が制限されているせいでもあるが。
そんな風にルシネさんの言い分を咀嚼していると――。
「イサク。黙って話を聞いていると延々と続くよ?」
横からアコさんがそう口を挟んできた。
説得力が乏しい空気感が出てしまったのは貴方のせいでしょうと言いたいところだったが、ここは我慢して「分かってます」と返しておく。
多分、アコさんに悪気はないのだろう。悪戯好きなトリリス様とは違って。
単純に効率よく話を進めようとしただけだ。
彼女は、体裁がどうあれ、あれを見せればそれで済むと考えているのだ。
まあ、どのみちグダグダだ。格好を気にしていても仕方がない。
率直に話を進めてしまおう。
「ルシネさん。信じられない気持ちも分かりますが、俺が救世の転生者であることは間違いありません。これはライムさんも信じてくれたことです」
「まだ言うか。若気の至りにしても戯れが過ぎるぞ、イサク。それとも何か? お前が救世の転生者である証拠があるとでも言うのか?」
「ええ。あります」
「……何だと?」
ハッキリと即答した俺の様子に戸惑った声を出すルシネさん。
そんな彼女を余所に、俺は影の中へと手を突っ込みながらアコさんに目を向けた。
「そうだね。他の少女化魔物には絶対に見えないようにしておくよ」
彼女は俺の視線から意図を汲み取って同意するように言うと、間髪容れずに祈念詠唱を口にして新たに祈念魔法を発動させた。
防音の次は、光を屈折させて俺達の様子を欺瞞するものだ。
俺がやってもよかったが、施設内では施設長たるアコさんがやった方がいいだろう。
「よし。いいよ」
そして、その祈念魔法が問題なく機能したことを彼女が頷いて示したのを確認してから、俺は改めてルシネさんと目線を合わせた。
「これが証拠です」
そのまま、影の中から取り出したそれを彼女に顕示する。
救世の転生者の証。少女祭祀国家の国宝の一つ。
第六位階の祈望之器、印刀ホウゲツを。
「な…………」
最初、俺の言葉に疑わしげな表情を浮かべていたルシネさんだったが、それを視界に捉えて正体を認識するにつれ、緩々と驚きの顔へと変化していく。
葵の御紋のように効果覿面だ。
「ま、まさか――」
数秒。我が目を疑うように、何度もそれが本物と同じ形状であることを確認する。
そもそも偽物を作ること、持つこと自体が重罪であるそれ。
法の番人の一員たるアコさんの傍で見せびらかすような真似などできる訳がない。
「本当に、お前が……」
故に、それだけで確固たる証拠と言えるはずだが……。
「い、いや、幻だ。先程の祈念魔法で私にも幻を見せているのだろう。幻ならば、たとえ偽物であろうと罰せられることはないだろうからな」
拗れに拗れた彼女の考えは、どこまでも凝り固まっているらしい。
そんな強引にも程がある理屈をつけてまで否定しようとしている。
「……困った子だね」
そこまでの頑なさは、さしものアコさんも想定外だったようだ。
驚きで目を見開き、それから呆れたように苦笑しながら言う。
そんなルシネさんの理屈を崩してやるとすれば…………。
封印の注連縄の特性を利用するのがいいだろう。
「なら、手に取って確認して下さい。そうすれば、この刀が間違いなく本物だとハッキリ分かるはずです。祈念魔法が作った幻なら消え去りますから」
そう言いながら念のため、目だけを動かして再度アコさんを見る。
すると、彼女は一瞬だけ自身の複合発露〈命歌残響〉を発動させた。
常に身体強化している俺だからこそ認識することができたが、瞬間的に悪魔(アモン)の特徴が生じて即座に消える。
フクロウのような雰囲気のある頭部。狼のような手。
目に映った限りでは、そうした変化が現れていた。
そのアコさんは、俺にだけ分かるぐらいの小さな動きで頷く。
それを受けて――。
「どうぞ」
俺はルシネさんに印刀ホウゲツを無造作に差し出した。
本来、相手がどのような人物であれ、独居房に収監されている者に武器を無防備に渡すのはさすがに好ましくない。
が、今正にアコさんから何ら問題はないとの保証を貰っている。
彼女は複合発露の力で俺の提案に対するルシネさんの感情、思考を読み、その結果を以って心配はないと判断した訳だ。
そして実際に。
封印の注連縄の内側にあって尚、しっかりと形を保つそれを目の当たりにして。
「……………………ここまでされては認めない訳にはいかないな」
ルシネさんは深く嘆息してから、力なく肩を落として事実を受け入れるに至った。
「そう、か……」
ややしばらくしてポツリと呟き、複雑な表情を浮かべながら天を仰ぐルシネさん。
ライムさんと同じく、これまでの行動を無意味に感じると共に悔いているのだろう。
……彼に対して告げたことを繰り返してもいいが、認識の上では因縁の薄い俺からの言葉では同じように響くことはない気もする。
後で、ライムさんに改めて手紙を出すように頼んでおくとしよう。
「さて、これで少しは話を聞いてくれる気になったかな?」
と、呆然とした様子のルシネさんに対し、空気を読んで敢えて空気を読まないというような感じにアコさんが話しかけた。
それに対し、目線を戻したルシネさんは眉をひそめながら口を開く。
「お前……いや、貴方はもう少しデリカシーというものをだね――」
「身から出た錆じゃないか」
それこそデリカシーなく、彼女の苦言を切り捨てるアコさん。
まあ、実際のところ自業自得と言えば自業自得ではある。
最初の二人のやり取りを聞く限り、散々アコさんに突っかかっていたようだし。
「とは言え、だ。錆も精錬すれば輝きを取り戻す。過去は全て未来に役立ててこそ価値がある。その罪悪感は償いの原動力にするといい」
アコさんはそう言うと、更に「ここはそのための場所だからね」とつけ加える。
……何だか、随分とうまいこと出てきた言葉だな。
「用意しておいたんですか?」
「うん。収容施設長としての決め言葉さ」
俺の問いに、アコさんは平然と胸を張って肯定する。
この人、割とお調子者だな。
「いずれにしても、ルシネが自分自身で言っていたように、君の複合発露は貴重だ。特別労役とかで社会に貢献することは、必ず巡り巡って救世の手助けにもなるよ」
「俺もこの社会の中で暮らしてますからね。問題があると使命に集中できない」
「うん。そういうことさ」
我が意を得たりと大きく首を縦に振るアコさん。
そんな彼女の姿に、ルシネさんはフッと力の抜けた表情を浮かべる。
「……分かった。協力しよう」
「本当かい?」
「ああ。私は何をすればいい?」
「それはね――」
ようやく協力的になってくれた彼女に、アコさんは詳しく説明を始める。
まずウラバで起きた謎の石化事件について。
同じくウラバにて、異常な暴走少女化魔物が七体同時に出現したこと。
その正体と暴走の原因。そして暴走を鎮静化する手段に至るまで。
「……理解はした。が、今の私の力では対応できないのではないか? その上位少女化魔物とやらは第六位階の干渉も防ぎ得るのだろう?」
それらの話を全て聞いた上で、冷静に問題点を指摘するルシネさん。
その辺は俺も懸念していたことだ。
アコさんは手立てはあると言っていたが……。
「問題ないよ」
彼女は俺に答えた時と同じように、自信ありげに胸を叩く。
そして詰襟の制服の懐に手を入れると――。
「これを使えばね」
あるものを取り出して俺達の目に映す。
「なっ!? 何故、そんなものを!!」
それを前にして、俺は思わず声を荒げてしまった。
ルシネさんもまた驚愕で目を見開く。
俺達の眼前に示されたもの。
それは…………突き刺した対象を隷属させると共に強制的に暴走させる、などという唾棄すべき効果を持つ祈望之器、狂化隷属の矢だった。






