131 〈命歌残響〉
姿勢正しく前を歩くアコさん。
その動きに合わせ、全体的に肩にかかる程度の紫髪の中で例外的に腰の辺りまでと長い揉み上げが、詰襟の制服の上に羽織った色鮮やかな羽織と共に揺れている。
それを後ろから眺めながら、色彩の乏しい刑務所然とした廊下をしばらく歩いていくと、施設長室に向かう時に通ったエントランスホールに一旦戻る形となった。
「あっちが通常の犯罪者を入れる監房がある監房棟。基本は雑居房だけど、第六位階の力を持つ場合は独居房だね。それもかなり狭い」
その広間の中央で立ち止まったアコさんは、ついでだから、という感じに昨日できなかった施設の説明をする。
彼女の目線を追う限りでは、正面入り口から入って真っ直ぐ進むと監房棟のようだ。
ちなみに施設長室を含む管理棟は左手にある。
「第五位階以下なら封印の注連縄を複製して大量生産した奴でいいけど、第六位階には純正品を使わないといけないからね。数が限られるから、必然的に部屋は小さくなる」
犯罪者相手ながら、どこか同情するように告げるアコさん。
「あそこには私も入りたくないね。本当に狭いから。積極的に見学させれば、犯罪抑止になるんじゃないかな」
その同情は同じ少女化魔物だから、というより、本当に環境が悪いからのようだ。
いくらでも仕事にありつけるだろう第六位階に至って尚、罪を犯すような者は、如何に少女祭祀国家ホウゲツでも厳しい扱いを受けるのだろう。
「で、こっちが暴走したままの少女化魔物達を収容する特別収容棟」
位置的には正面入り口から入って右手。
アコさんは、特別収容棟入り口とプレートに書かれた扉の前まで行って告げる。
「特別収容棟、ですか」
「そう。まあ、実のところ、構造的には単に第六位階用の独居房が並んでいるだけだけど、さすがに監房棟と呼ぶのは可哀相だからね」
「……ですね。俺もそう思います」
彼女の言葉を受け、俺は小さく頷きながら同意を示した。
暴走した少女化魔物の多くには憐れむべき事情がある。
勿論、そうでない場合もあるが、割合的には圧倒的に前者の方が多い。
いずれにしても、さすがに経緯も分からない内から犯罪者扱いは可哀想だ。
特に今回は、その辺の情報をアコさんが既に把握していて尚そう評している以上、何らかの外因によって暴走せざるを得なくなった被害者なのは間違いないのだから。
「うん。じゃあ、行こうか」
俺の返答にどこか嬉しそうに微笑んだ彼女は、ドアノブに手をかけて扉を開ける。
中は看守の部屋のようだ。
丁度半分の位置で鉄格子によって区切られ、その手前側には看守と思われる詰襟の制服を着た少女化魔物。奥側には更に別の扉がある。
「アコ様、お疲れ様です」
と、看守の少女は立ち上がって言いながら、アコさんに頭を下げようとする。
「ああ、そのままでいいよ」
それを彼女は手で制しながら、特別収容棟に入る旨を伝えて鉄格子を開けさせた。
そして共に奥の扉を抜けると、両脇に小さな部屋が立ち並ぶ通路に出る。
突き当りにはまた扉。ちょっと形状に見覚えがある。
あれは昨日封印措置を行った、天井の高い広間に続いているのだろう。
そんなことを考えていると――。
「ウウウウウウウッ!!」
俺達の気配を察知してか、敵意に満ちた威嚇するような声が一斉に上がる。
それと共に、鉄格子を激しく揺らすような音が響き出した。
暴走の鎮静化がまだできていないということなら、当然の反応だろう。
「……今回の子達は、話せないんですね」
改めて彼女達の様子を観察しながら呟く。
これまで俺が遭遇した子達の場合は、暴走状態にあっても片言ながら話すことができた者もいたのだが……。
「そうだね。暴走は感情の昂りによって起こる現象だけど、感情の振れ幅が突き抜け過ぎていると言語機能も著しく低下する。実際、この子達はそうなるに足る状況だった」
「そう、ですか」
であれば、尚のこと彼女達が憐れでならない。
二重の鉄格子の奥。
狭い室内は、名称を取り繕ってもやはり独居房以外の何ものでもない。
いや、余りに狭い上に簡素過ぎて、もはや懲罰房のようだ。
数に限りのある封印の注連縄を張る以上、大きさはどうしようもないし、人の気配に反応して暴れるのなら、ものを何も置けないのも仕方がないことだが。
ちなみに、注連縄は部屋と部屋を区切る壁から出てきていて、二重の鉄格子の通路側に中から手が届かないように張られている。
建設段階で、この個室一つ一つを囲むように壁の中に埋め込んだのだろう。
少し引いて全体を眺めると、前世の神道的な宗教施設のようにも感じられる。
「……見ていて気持ちのいいものじゃないな」
ほとんど懲罰房のような独居房と、奥の奥まで並ぶ注連縄。
二つの要素は異様な雰囲気を醸し出していて、思わず俺は眉をひそめながら呟いた。
悪霊とか化物とか、そういう類の忌まわしい何かを封じ込めているかのようだ。
「全くだね。可哀相でならない。早く何とかして上げたい」
「はい。ですが、そのためには暴走の原因が分からないと始まりません」
アコさんの言葉に頷き、それから彼女と目を合わせながら続ける。
「教えて下さい。何故、彼女達は暴走してしまったんですか?」
「それは……私の手を握ってくれれば分かるよ」
そんな俺の問いに彼女は勿体ぶるように告げ、それから小さな手を差し出してきた。
「ええと……」
「言ったろう? 百聞は一見に如かずだ」
その行動の意味が分からず困惑していると、彼女は少し強引に俺の手を取る。
「些か荒唐無稽な話なんだ。だから、実際に見て貰うのが早い。勿論、痛みはないから安心して欲しい。…………うん。この子がいいかな」
そのままアコさんが早口で捲し立て、七人の内の一人に目線を向けて最後にポツリと呟いた正にその瞬間、突然俺の視界が切り替わった。
どこかの街、どこかの路地裏。
驚いて体を動かそうとするが、体は俺の意思とは全く別の行動を取る。
疑問が脳裏に渦巻く中、ふと気づく。視界の高さが違う。
更には、何者かの意思、思考のようなものも伝わってくる。
よくは分からないが、この体は郵便配達中らしい。
今は次の住所への近道を進んでいるようだ。
そうした情報と直前のアコさんの発言を基に、前世のファンタジー知識を参照しながら自分が置かれた状況を推測する。
「もしかして……」
声を出したつもりだったが、音にならない。
実質頭の中で自問自答しているような状態になっていると――。
「えっ!?」
転んだかのように体勢が崩れて地面が急激に近づき、いきなり視界が暗転する。
伝わってくる感じからすると、後頭部に衝撃を受けて気を失ったようだ。
かと思えば、急激に意識が浮上する感覚。場面が変わったらしい。
しかし、視界は真っ暗なまま。
猿轡を噛まされ、腕も足も何かで固定されている。
体は熱に浮かされたようで重苦しく、鈍い痛みを感じているようだ。
俺自身には直接苦痛は伝わらないが、そうした感覚を抱いていることは分かった。
どうやら聴覚は生きているらしく、何やら唸り声が聞こえている。
「全員、気がついたようだな」
そんな中で、何者かの明瞭な声が耳に届く。
他にも似たような状況にある者がいるらしい。
唸り声は、その誰かがこの体が受けている苦痛と同じものを感じているからか。
「皆様にはとある実験にお付き合い頂きたい。これから貴方がたには少女化魔物の複合発露による毒を受けて貰う。遅効性で、徐々に肉体を蝕んでいき、最終的には手足の先から崩れ落ちて死に至る猛毒だ」
男が話す間、時間経過と共に苦痛が大きくなっていく。
それは毒のせいだったようだ。
「この場に解毒薬はない。しかし……毒を治癒できると心の底から信じ切ることができれば、それは現実となるはず」
続く男の説明。
世迷言を、とは前世とかけ離れたこの世界では言い切れない。
しかし、つまりこれは……。
「人間原理。この世界は人間という観測者を優遇してくれているのだから。貴方がたの中から力を持つ新人類が生まれることを期待している」
この時点で俺は、少なくとも眼前の状況については大まかに事情を把握できた。
徐々に増していく苦痛と周りの人間の絶望に満ちた反応が体のみならず心を蝕み、限界を超え、暴走という結末に至るのを待つまでもなく。
「こんなところかな」
と、俺の理解を察したように、アコさんの声がどこからともなく脳内に届く。
同時に、一歩引いた位置で認識していた過去の彼の感覚が急激に遠ざかっていった。そして、視界に特別収容棟の景色が戻ってくる。
「ア、アコさん、今のはもしかして……」
「そう。私の複合発露〈命歌残響〉の力で、この子の過去を追体験して貰ったのさ」
髪の色からして特殊な複合発露だと分かってはいたが、また異質な力が出てきたものだ。あの体験の中で推測はしていたが、俄かには信じ切れない。
しかし、実際に体験した部分もあるし、ヒメ様やトリリス様、ディームさんと同じ救世の転生者を補助する役割を負う彼女がその部分で嘘をつく意味もない。
事実と考えていいだろう。
とは言え、丸っと信じても疑問が一つある。
「けど、封印の注連縄は複合発露を無効化するのでは?」
俺の凍結が、注連縄が張られた瞬間に解除されてしまったように。
それを、どうやって擦り抜けたのだろうか。
「私のこれは対象に干渉している訳じゃないからね。単に世界に記録された過去の情報を読み取っているだけ。まあ、膨大な情報の海から目的のものを得るには、名前と顔を知っていること、あるいは直接視認することが必要になるけど」
「…………成程」
「一応言っておくと、過去を読めるだけで未来を予知できる訳じゃないから、そんな期待はしないでね」
あくまでもログを辿っているようなものらしい。
とりあえず彼女の複合発露に関しては理解した。
それより今は、この少女化魔物達のことだ。
「……アコさん。あれは事実なんですね?」
彼女を信じることと、内容を即座に受け止められるかどうかはまた別の話。
一呼吸置いて気持ちを落ち着かせてから、確認のために問いかける。
「うん。君が今見た通り、あの子達は元は人間だ」
対してアコさんは深く頷き、俺の目を真っ直ぐに見詰めながら肯定し――。
「それも男性が四人、女性が三人。どうやら人間至上主義組織スプレマシーの人体実験に巻き込まれてしまったようだね」
更にそう補足を加えたのだった。






