117 宝石化攻略法
「と、その前に。石橋を叩いておきましょう」
宝石化した広大な領域を前にして、覚悟を決め過ぎて若干硬くなり過ぎた感のあるアグリカさんを少し落ち着かせるように告げる。
煽るような真似をしておいてなんだが、余りガチガチになるのは好ましくない。
「は、はあ」
虚を突かれたように、前のめりになった姿勢を戻すアグリカさん。
勿論、緊張を解すためだけに言った訳ではない。
二人の少女化魔物の未来が懸かったこの依頼。
速やかな遂行は勿論だが、何よりも確実性が不可欠だ。
俺達だけなら多少無茶をしてもいいかもしれないが……。
ロジュエさんの下へ安全に辿り着くこと自体は可能だという確信が俺の中にはあるとは言え、今はアグリカさんという一般少女化魔物の命も預かっている訳だから。
彼女も確証を得られた方が、安心して説得に専念できるだろう。
「ええと、何をするんですか?」
「まず、ロジュエさんの大まかな位置と暴走・複合発露の強さを確かめます」
首を傾げて問うアグリカさんに答えつつ、俺は真・複合発露〈万有凍結・封緘〉を発動させ、成人男性ぐらいある氷の塊を空中に複数作り出した。
一先ず、数にして二十四個。前方斜め上の辺りに、均等に並んでいる。
「す、凄い数ですね。これ、本当に制御できるんですか?」
「できます。S級補導員ですから」
目を丸くするアグリカさんに、新しく得た肩書きを再び都合のいい言い訳に使う。
そうしながら俺は、それらを投擲すると同時に一度広域に散開させた。
そして速やかに、宝石化した領域の円周上にその全てを均等に配置すると、そこから更に中心部を目がけて各々の方向から射出した。
万が一にもロジュエさんに命中して傷つけたりしないように一定の高度を保ち、速度は彼女の目が確実に捉えることができる程度に制御しながら。
すると――。
「あっ!?」
アグリカさんが、氷の塊に生じた異変を目の当たりにして声を上げる。
本来、戦いとは無縁に生きてきて身体強化も素人に等しい彼女では、これだけ距離の離れた事象を正確に把握することはできない。
が、今なら俺が祈念魔法で施した身体強化の効果が残っているため、認識できる。
「…………成程」
当然、その現象は俺の目にはより明瞭に映り、想像通りの結果に頷きながら呟く。
二十四個のそれらは、異なるタイミングで一定の方向から急激に浸食されるように宝石と化し、やがて表面全体が美しく輝く薄皮に覆われて地面に墜落してしまった。
まだ俺の方からも微妙に制御できそうだが、距離が遠いこともあって相当動きが鈍い。
更には徐々に浸食されているようで、時間が経つごとに干渉しにくくなっている。
こうなるとどうしようもないな、と内部に残る氷を消失させる。
「ロジュエ……」
氷塊の宝石化状況を俺が頭の中で整理していると、中が空洞の宝石が墜落した辺りを複雑な表情と共に見詰めながらアグリカさんが小さく呟く。
伝聞ながらロジュエさんが暴走したことは彼女も知っていたはずだし、眼前に広がる宝石化した領域を前に間違いない事実であることも改めて理解しただろう。
だが、眼前の現象は見ようによっては攻撃に対する反撃。
現在進行形で彼女が狂乱の中にある決定的な証拠だ。
それ故に、大切な身内への想いや理不尽な状況と自分自身の落ち度(と思い込んでいること)への怒りが一層鮮明になったのかもしれない。
勿論、俺は別に殊更その事実を彼女に突きつけるためにそうした訳ではない。
最初に口にした通り、ロジュエさんの位置と暴走・複合発露の強さを確認するため。
それ以上でも以下でもないし、その目的はしかと果たした。だから――。
「アグリカさん。ロジュエさんは恐らくこの方向にいます」
俺は、気持ちを落ち着けようと深く息を吐き出している彼女に、言葉は推測の形ながら迷うことなく人差し指をとある方向へと向けて示した。
宝石化した領域の中心部からは大分ずれた位置を。
「その方向……」
アグリカさんは俺の指差す方を見詰め、切なげに呟く。
「あの子、果樹園に戻って……」
暴走して尚、無意識に自分の帰るべき場所は分かっているのだろう。
ある意味、予想できた居場所ではある。
そこを、正確な位置を知らないはずの俺が指し示したことで、アグリカさんも俺の行動に意義があったと感じたようだ。
しかし、本命の情報はここからだ。
「氷の宝石化の具合から、射程はおおよそ十キロ。人間ぐらいの大きさのものを宝石化する所要時間は〇.五秒というところですね」
俺とサユキの〈万有凍結・封緘〉による凍結もそうだが、物体に物理的に干渉する形で複合発露を使う場合には、干渉する対象を使用者が認識している必要がある。
勿論、周囲一帯とかそういう無茶な使い方も不可能ではないが、さすがに飛来してくる物体に干渉するには一つ一つ把握しなければならない。自動発動ではない。
特に、ロジュエさんの複合発露は視覚で対象を捉える。
つまり、彼女が見た部分から宝石となっていく訳で……。
干渉された氷の順番とその経時変化を見極めれば、ロジュエさんの位置も含め、その暴走・複合発露の性質も丸裸にすることができる。
「そ、それじゃあ、さっきみたいに高速で突っ込むなんてできないじゃないですか!」
そんな俺の分析に、愕然としたように声を大きくするアグリカさん。
実際、彼女を抱えて飛行していた時で、最高速度は数値にするとマッハ二十弱。
十キロ先に行くのに一秒以上かかる。
ロジュエさんに届く前に、人間大の宝石が一塊できあがるだけだ。
父さんの複合発露〈擬光転移〉を再現した祈念魔法なら更に速度を出せるが、小回りは利かないし、あの時のように凍結から炎で身を守るといった防御手段もない。
よしんば、辿り着けてもロジュエさんを傷つけずとはいかない。
しかし――。
「大丈夫。任せて下さい。俺に考えがあります」
ここまで派手な移動手段で来たから、彼女も勘違いしてしまったのだろう。
誰も機動性を頼みに、この領域に突入するとは一言も口にしていないのに。
俺が選択したのは、極めて単純な方法だ。
「堂々と、真っ直ぐに、歩いていきましょう」
「え?」
満を持して提案したそれを耳にし、ポカンとした顔になるアグリカさん。
鳩が豆鉄砲を食らったようなリアクションは、ちょっと場違いな程に滑稽だった。
真面目な顔を崩されかけるが、何とか堪える。
ちょっと意地悪が過ぎた。ここから更に笑いまでしたら性悪にも程がある。
久し振りにいい反応をしてくれるから、ついつい勿体ぶってしまったようだ。
俺の知り合いは、既に割と俺のやり口に慣れてきてしまっているからな。
「傍に寄って下さい」
やはりやり過ぎたようで、そう促してもアグリカさんは固まったまま。
仕方なく俺から彼女に近づく。
見たものを宝石化するという複合発露を、彼女を伴いながら正攻法で破る方法。
それを実行するために。
…………恐らく。あの朝刊の記事を見た後に、このような依頼が舞い込んできたのは完全な偶然ではないのだろう。
ロジュエさんが暴走するに至った全てに関しては、突発的なものだったとしても。
ヒメ様は、意図を持って俺を指名したのだ。
人間至上主義組織スプレマシー代表テネシス・コンヴェルトが持つ石化の複合発露。
似た系統の力だろうそれと対峙することになった時を見据えた、一種の訓練として。
俺もこのタイプの攻撃への対抗策はあの記事を見た時から、いや、サユキとの真・複合発露を得た瞬間から考え続けてきた。
その過程でできた技は既に使用したこともある。
「あ、イ、イサク様?」
再起動して近さに戸惑ったように一歩下がろうとするアグリカさんの手を取る。
前世なら事案扱いされかねないが、今の俺の見た目なら許容範囲内だろう。
「我流・氷鎧巨人」
そして俺は告げた。イメージを確固たるものとするためにつけたその技の名を。
彼女と共にロジュエさんの下に向かうための力。その答えは――。
「わ、わわ」
地面が揺れ、逆に支えとするように俺の手にしがみつくアグリカさん。
大地が突如として隆起したかのように、急激に視界が高くなる。
同時に、俺達の周囲を氷が軋んだ音を立てながら覆っていく。
足元の冷気対策として抉り取った地面と共に俺達を中心に据えて持ち上げながら、全長五十メートル程の巨大な人型が徐々に形作られていく。
「こ、これって――」
アグリカさんはそれを前に、何度目か分からない驚愕と共に周りを見回す。
その時には、透き通った氷は難攻不落の城壁の如く分厚くなっていた。
表面は絶えず新たな氷の生成と剥離が行われており、立っているだけで常に、正面から人間を見た以上の面積の薄い氷が地面にはがれ落ちていく。
「……さあ、歩いて迎えに行きましょう。ロジュエさんを」
「は、はい!!」
特大規模の派手な力の発現を前にして、ようやく確かな希望を見出したらしく、張りのある声色と共に応じるアグリカさん。
そんな彼女に一つ頷きを返しながら、俺は第六位階の力によって生み出した氷の巨人を操作して、救うべき少女の待つ宝石化領域への第一歩を踏み出したのだった。






