91話 はじめまして、先代の国王夫妻様
隣のヴィンスの顔をちらりと伺うと、ドロテア同様、かなり驚いた表情をしている。
まさか出迎えられるとは……と思っているのだろうか。
(わざわざ出迎えてくださるなんて、実はとても歓迎されているんじゃあ……)
そんな淡い期待を持ったドロテアは、出迎えの感謝と挨拶を述べてから頭を下げるヴィンスに続いて、控えめなカーテシーを見せた。
ナッツやハリウェルなど、この場にいる全員も続くように頭を下げる。
その後、顔を上げて視界に映ったヴィンスの母の表情に、ドロテアの甘い期待は無惨に壊れた。
(ものすごく、睨まれている……!)
何故だろう。何かしてしまったのだろうか……。
しかし、先代の国王夫妻の前で、勝手にペラペラと話し出すわけにはいかない。
ドロテアが笑みを浮かべることしかできないでいると、ヴィンスがすかさず助け舟を出してくれた。
「父上、母上、こちらは俺の婚約者、サフィール王国出身の、ドロテア・ライラック公爵令嬢です」
「……ご紹介に与りました、ドロテア・ライラックと申します。両陛下にお会いする機会をいただけましたこと、心から感謝申し上げます」
なにはともあれ、ヴィンスのおかげで最低限の挨拶ができたドロテアは、ホッと胸を撫で下ろした、のだけれど。
「とりあえず屋敷に入りましょう。詳しい挨拶はまた中で。行きましょう、貴方」
「ああ」
ヴィンスの母の抑揚のない声。
素早く屋敷内に入っていくその後ろ姿。
先程睨まれた時の瞳を頭に思い浮かべたドロテアは、少し心が折れそうになった。
(ヴィンス様のお母様……間違ったことはなんら仰っていないけれど、少しばかり怖いというか……)
事前にヴィンスから話は聞いていたため驚きはなかったが、距離を詰めるのは容易ではなさそうだ。
「ドロテア、済まない」
顔を寄せ、耳元で囁くように謝罪をするヴィンスに、ドロテアは「いえ」とだけ答えると、彼の両親たちの後に続くように足を踏み入れた。
一部の騎士を除いたハリウェルたちやナッツも、ドロテアたちに続く。
(屋敷の中は、風がない分暖かいわね)
ドロテアは建物内に入ると耳当てを外した。ヴィンスを含め、皆も建物内に入ると揃って帽子を脱ぐ。
「ああ、そういえば」
屋敷の外観同様、味のあるエントランスを眺めながら、ドロテアがヴィンスの隣を歩いていると、はたと彼の母が振り返った。
「ヴィンス、それに他の者たちも、珍しい帽子を被っていたわね」
そう話す彼女の目つきは鋭く、またもや淡々とした声色だ。
帽子の話題を出されたドロテアの額からは、冷や汗が流れた。
(不敬だったかしら……)
屋敷内に入った際に脱帽したものの、ヴィンスの両親の前であの帽子はまずかっただろうか。ヴィンスたちがお叱りを受けることになったら、居た堪れない。
ドロテアが謝罪を口にしようとすると、いち早く口を開いたのはヴィンスだった。
「……我々の耳が寒いだろうからと、ドロテアが気遣って贈ってくれたものです。俺を含め、皆とても喜んでいます」
「…………そう」
その会話を最後に、ヴィンスの両親は再び歩き出した。
結局ヴィンスの母が何を言いたかったかは分からなかったが、お咎めはないようだ。
しかし、あの雰囲気から察するに、帽子のことを良く思っている、というわけではないのだろう。
(……こ、これは、手土産としてお渡しするのは、ワイン類だけにしたほうが良さそうね)
心配げな表情のヴィンスが、ドロテアの頭をぽんと叩く。
ドロテアは、大丈夫だと伝えるために、控えめに笑ってみせた。
◇◇◇
ヴィンスの両親に通された応接間は、廊下と比べて段違いに暖かかった。壁側にある暖炉のおかげだろう。
部屋の真ん中にはローテーブルがあり、それを挟むように二つのソファがある。
ドロテアとヴィンス、彼の両親に分かれて、向い合せにソファに腰を下ろした。
ナッツたちメイドは、先にドロテアに用意された部屋に行き、運んできた荷物を解いている。ハリウェルを含む騎士たちは、この屋敷の騎士たちとともに屋敷内の把握をしているそうだ。
(それにしても、さすが前国王夫妻に仕える使用人たちね。当たり前だけれど、皆質が高いわ)
応接間内の壁際には、この屋敷の執事と数名のメイドの姿がある。
美しい姿勢に無駄のない動き、手早く運ばれてきた香り高いお茶には、さすがの一言だ。
(ハァ……。美味しい……)
この屋敷に着いてから、よほど緊張していたみたいだ。紅茶を飲むと、体がほぐれていく気がする。
ドロテアがほんのりと微笑んでいると、口火を切ったのはヴィンスだった。
「改めて紹介します。俺の婚約者、ドロテア・ライラック公爵令嬢です」
やけに静かな応接間に、凛としたヴィンスの声が響く。
ドロテアは丁寧な所作でティーカップをソーサーに戻した。
「改めまして、ドロテア・ライラックと申します。ご挨拶の時間を作っていただき、誠にありがとうございます」
公爵家養子縁組手続きが無事に受理され、ドロテアの姓はライラックとなった。
だからといって、それが自分の生活に大きな変化をもたらすことはなかった。
ただ、ドロテアの心境は違う。
ヴィンスの婚約者として、身分差という不安がなくなったことはかなり大きなことだった。
ヴィンスの両親だって、ドロテアが公爵家の令嬢ならば、身分差が釣り合わないという理由で一蹴りすることはないだろう。
二人がどの程度身分を重要視するかは知らないが、身分はあって損はないはずだ。
「はじめまして、ドロテアさん。アガーシャよ」
そう挨拶してくれたのは、ヴィンスの母であるアガーシャだ。ヴィンスから事前に聞いた話では、彼女は黒豹の獣人らしい。
確かに、黒い耳はヴィンスに比べるとやや小さい。先程廊下を歩いている際に見えたアガーシャの尻尾は、ヴィンスに比べると細長く、豹の特徴的な模様が薄っすらと見えた。
(ヴィンス様のお耳や尻尾も素敵だけれど、ヴィンス様のお母様のお耳や尻尾もとっても素敵……! 可愛いぃ……)
しかし、アガーシャの彫刻かと見紛うほどに美しい顔立ちは、少し冷たさを感じる。
年齢を感じさせない美しい肌に、赤色のルージュがよく映えていて、ディアナとは違った美しさがある。
漆黒の髪を後頭部で束ねており、後れ毛がなんとも妖艶だ。ヴィンスの色気は母親譲りで間違いないのだろう。また、角度によって薄い黄色にも、水色にも見える不思議な瞳は、とても魅力的だ。
(それにとても豊満だわ……。お胸が……!)
羨ましい……! とドロテアが思っていると、次に口を開いたのはヴィンスの父だ。彼はヴィンスも同じ、黒狼の獣人である。
「……デズモンドだ」
地を這うような低い声は、ゆったりとしていて聞きやすいが、確かに先程から口数は少ないだろうか。
キリリとした鋭い金色の目や薄い唇は、ヴィンスとよく似ている。凛々しい眉毛や彫りの深さのせいで、かなり強面だが。
漆黒の前髪をかきあげたオールバックは、強面のデズモンドに良く似合っている。ヴィンスよりも一回り体格が大きく、そのせいでかなり威圧感もあった。
(お二人とも、存在感が凄いわ……。若干怯んでしまいそう)
しかし、ドロテアはできるだけ平然を装って笑みを浮かべながら、事前にハリウェルから受け取っておいたワイン類をテーブルの上に置いた。
「こちら、よろしければお受け取りください。ヴィンス様から、両陛下がお酒を嗜まれると伺いましたので、ホットワインに合うワインと、フルーツやスパイスをご用意しました。気に入っていただけると良いのですが……」
アガーシャはワインを一本手に取ると、それをジィっと見つめる。
「…………そう。ホットワインに合うワインを……。ありがとう」
アガーシャの言葉に同意するように、デズモンドがコクリと頷く。
アガーシャに、当初のような鋭い眼光はない。
ひとまず嫌がられていない様子にドロテアは安堵する。ヴィンスに視線を向ければ、彼も小さく笑い返してくれたので、更に安堵が増した。
(良かった……! とりあえず最低限の自己紹介と、手土産をお渡しすることができたわ)
……考えた末、帽子は渡していないが、それはさておき。
その後、アガーシャは執事に指示を出し、ワイン類をテーブルから下げさせた。
それからアガーシャは、ヴィンスへと視線を向けた。
「それにしても、ヴィンス。久しぶりね。約五年ぶりかしら」
「ええ」
「……今年はかなり雪が積もっているけれど、馬車移動は問題なかったかしら」
「問題ありません」
「…………明日にはディアナも到着するようだけれど、ディアナとは仲良くしているの?」
「それなりには」
「…………」
「…………」
──まさかの会話終了。盛り上がりは零。
再び訪れた沈黙は、壁時計のチクタクと動く針の音を異様に引き立てる。
(き、気まずい……!)
テーブルの下。太もも辺りに手を置いたドロテアは、冷や汗を流しながらドレスをぎゅっと握り締めた。




