81話 溢れ出た、愛の言葉
ルナと別れたあと、ドロテアはヴィンスと共に馬車に乗り、普段暮らしている王宮に到着した。
「ドロテア、さっさと部屋に行くぞ」
「あ、はい……!」
そして、ヴィンスに手を取られ、やや足早に部屋へと向かうドロテア。過去に何度もヴィンスと手を繋いでいるというのに、今日はいつにもまして緊張して、全身から汗が吹き出しそうだった。……というのも。
(わ、私……これからヴィンス様に、告白をするのよね)
馬車に乗っているとき、ドロテアはヴィンスに、ルナが専属メイドを目指すつもりらしいという話をしていた。
ヴィンスも楽しそうにその話に耳を傾けてくれたので、その後のことなんて考えていなかったのだけれど、王城に入った瞬間、すぐに告白が控えていることを思い出したのである。
(自分で宣言しておいてなんだけれど、とてつもなく緊張してきたわ……。手汗が……手汗がまずいことに……!)
一旦手汗を拭いたいものの、ヴィンスに力強く握り締められているため、彼に離してほしいと伝えるほかない。
そう思ったドロテアは、隣を歩くヴィンスをそっと見上げ、「一度手を離してほしいのです」と頼んだ、のだけれど。
「却下だ」
「……!? な、何故ですか」
視線だけでこちらを見つめ、軽く口角を上げて否とするヴィンス。
その余裕そうな笑みと、どこか意地悪な瞳に、ドロテアは理由を問いかけると。
「ようやく今から、ずっと聞きたかった言葉が聞けるんだ。絶対に逃がすつもりはない」
「……っ、逃げません……! その、手汗がですね……」
「緊張してるお前も可愛いがだめだ。……ほら、もう着いたぞ」
「あっ……」
手を離す離さないの問答をしていたものの、いつの間にやら自室の前に着いていた。
(ま、まだ覚悟が出来ていないわ……)
しかし、部屋の前でいつまでも立ち尽くしているわけにはいかない。
パーティーのあとでヴィンスも疲れているだろうし、一刻も早くソファで寛いでもらうべきだろう。
だからドロテアは一旦体ごとヴィンスの方を向いて、意を決したように口を開いた。
「は、入りまちょうか……! あっ」
「ククッ……。ああ、入りまちょうか」
「〜〜っ」
言葉を噛んだドロテアに、酷く愛おしそうな目を向けて真似をしてくるヴィンス。
そんなヴィンスに、ドロテアは緊張だけでなく胸がキュンと高鳴ってしまう。
(落ち着きなさい……! 私……!)
けれど、こんな精神状態では上手く思いを言葉にできる気がしない。
だからドロテアは、できるだけ心臓の鼓動を落ち着かせようと、スーハーと深呼吸をしてから部屋へと入った、というのに。
「……おいドロテア、体がガチガチだぞ」
窓から差す満月の光。テーブルの上に置かれた淡い光のオイルランプ。
そんなテーブルのすぐ近くにあるソファにヴィンスと横並びに座ったドロテアは、まるで氷漬けにされたかのように体を硬直させていた。
いつにもましてぴしっと伸びた背筋に、強張った表情は、初対面でも分かるくらいに明らかに緊張していることを示している。
「〜〜っ、少しだけ、その、お時間をいただけますと幸いです……」
そんな中、必死にそう言葉を紡いだドロテアに、ヴィンスは少し前のめりになってドロテアの顔を覗き込みながら、笑ってみせた。
「……お前は本当に、無自覚でとんでもないことを言う割に、いざとなると緊張しいだな」
「本当に不徳の致すところでございます……できるだけ直ぐに気持ちを落ち着かせますから、しばしお待ちを」
話し終わるときゅっと口を横に結ぶドロテア。ヴィンスは、ふぅ、と小さく息を吐くと、入室した際離れた自身の手を、膝の上に置いてあるドロテアの手にそっと重ねた。
すると、ドロテアの体がピクリと跳ねる。そんな反応もいちいち可愛くて、ヴィンスはふっと笑みを零した。
「待ってやるから、手くらいは触れさせろ。今日は全然ドロテアが足りてないんでな」
「た、足りてない……?」
「それとせっかくだから、ドロテアの緊張が解けるまでの間、少し他の話をするか」
その瞬間、ヴィンスが纏っていたチョコレートケーキのような甘い空気感が、少しだけ変わる。
いくら緊張をしていようと、観察力に優れたドロテアがその変化に気づかないはずはなく、ドロテアは無意識に少し緊張を解いて、彼の言葉に耳を傾けた。
「今日の婚約パーティー、改めてご苦労だった。……それでだ。騒ぎについて何があったかは大体聞いたが……。本当に大丈夫か?」
「ヴィンス様……」
そっと顔ごとヴィンスの方を見れば、先程とは一転して心配そうな面持ちの彼が目に入る。
(ああ、本当にヴィンス様って、優しいわ……)
きっと、ドロテアの立場や性格からして、パーティー会場では弱音や不安は見せないと思ったのだろう。
だからこうして、今話せるように尋ねてくれているに違いない。
「……ヴィンス様、私は平気なのです」
「……俺への気遣いは要らない」
「いえ、そうではなくて」
──しかし。ヴィンスの考えが分かってもなお、ドロテアは弱音を漏らすことはなかった。
強がりや、ヴィンスに心配をかけたくない、なんて気持ちではなく──。
「私は本当に、セグレイ侯爵様やフローレンス様に何を言われても、一切傷付きませんでした」
いつの間にか完全に緊張は解けたドロテアは、柔らかな笑みでヴィンスにそう伝える。
そんなドロテアの様子に、先程の言葉が偽りでないと察したのだろうか。ヴィンスはスッと目を細めて、ドロテアの手に重ねた自身の手に僅かに力を込めた。
「ドロテアは、強いな」
「……いえ。今までの私なら、悪意の言葉を浴びせられたら、きっと深く傷付いていたと思います」
「……。それなら、何故今回は傷付かなかったんだ?」
そのとき、ドロテアは腰を捻るようにして体ごとヴィンスの方を向く。
オイルランプの光のせいか、瞳の奥がゆらゆらと揺れているようなヴィンスに、ドロテアはおもむろに口を開いた。
「ヴィンス様に愛してもらってから……私、いつの間にか、何があっても貴方の隣に居たいと思うようになりました。……その思いがあると、フローレンス様たちに何を言われても、へっちゃらでした」
「ドロテア……」
目尻にしわができるくらいに、くしゃりとドロテアは笑う。
一方でヴィンスは、食い入るような目でドロテアを見つめて、耳を傾けた。
「ですから、ヴィンス様。もし私が強くなったんだとしたら、それはヴィンス様のおかげなのです。つまり──」
シェリーと比べられ、売れ残りだと揶揄されてきた、これまでの人生。
自分を愛してくれる人なんて、一生現れないのかもしれないと思ったこともあった。
けれど、そんなドロテアに、ヴィンスは惜しげもなく愛情を注いでくれた。
(……何度も、何度も。自分の気持ちを押し付けるだけじゃなくて、私が心の底からヴィンス様の愛情を受け入れるのを、待っていてくださった)
思慮深くて、民のことを誰よりも思いやっていて、王として申し分ない器を持つヴィンス。
けれど、少し意地悪で、嫉妬深くて、普段は格好良いのに、ときおり可愛い。
耳や尻尾をもふもふするドロテアを見て、この上なく愛おしそうな目をする彼は、自分のことよりもドロテアが幸せになれることを優先してしまうくらい、酷く優しくて。
(……もう、止まらない)
無性に泣きたくなるくらい、高ぶる感情。
ヴィンスへの思いが溢れて、溢れて、どうしようもなくて、それは自然と言葉になって、溢れ出した。
「ヴィンス様のことが、大好きになったからなのです」




