79話 猫ちゃん親子のメンタルをフルボッコ
(つ、つまり、えっと!?)
ロレンヌの言葉は届いているのに、突然のことにドロテアは理解が追いつかなかった。
「え?」「公爵令嬢?」「養女?」と単語だけを並べて困惑を見せるドロテアに、ロレンヌは「順を追って説明するわね」と話し始めた。
「一ヶ月半ほど前かしら。サフィール王国の王城に出向いたときに、ランビリス子爵家の処遇が決まったことを耳にしてね。いずれ知れ渡ることだからってそのときに詳細は教えてもらって、ドロテアが平民になることを知ったのだけれど」
そのタイミングは、ドロテアがヴィンスから家族の処遇について聞いたときとちょうど同じタイミングだ。
ロレンヌのゆったりとした話し方のおかげだろうか。少しだけ冷静さを取り戻したドロテアは、ロレンヌの言葉に相槌を打ちながら、耳を傾ける。
「そのあと直ぐに、レザナード陛下から連絡が来て、お願いされたのよ。ランビリス子爵家が没落して、ドロテアが平民になってしまうから、ライラック公爵家の養女に迎えてくれないかって。もちろん、我が家は獣人国との深い関わりが持てるし、何より娘のように思っていた貴女を養女に迎えるのは大歓迎! ああ、弁明しておくと、レザナード陛下はドロテアの聡明さは誰よりも分かっていたわよ? けれどほら、一国の妃になるなら、公爵家の養女という立場は持っていて損はないでしょう? どの国にも居るじゃない。地位や立場でしか他人を測れない可哀想な人って」
その瞬間、ロレンヌは氷のように冷ややかな目をフローレンスたちに向けた。
「「ヒィィィ……!!」」
ヴィンスとはまた違う、静かな怒り。それを感じ取ったセグレイ親子たちからは、上擦った叫び声が漏れた。
一方ドロテアは、セグレイ親子に見向きもせず、無言で思考を働かせる。
(まさか、私が知らぬ間にヴィンス様がそんなことを──……)
子爵家が没落せずとも、家格が低いことはドロテアにとって不安要素の一つだった。
(けれど、ライラック公爵家の養女になれば、その不安要素は完全に無くなるわ)
それに、五年もの間ロレンヌのもとに務めていたドロテアは、彼女の人柄を知っている。娘のように大切に思ってくれていることを知っているから、ライラック家の養女になることに不安は一切なかった。
加えて、養女となればたまにライラック公爵家に顔を出すことも不思議はないし、ロレンヌにも会いやすくなる。
まさに一石二鳥──いや、一石三鳥と言うべきだろうか。
口元に手をやって、真剣な表情で色々考えているドロテアにロレンヌはふふっと微笑んで、今度はヴィンスに視線を向けた。
「ドロテアを公爵家に迎えるに当たっての手続きですが、レザナード陛下の助力によって、予定より早く終わりました。けれど、ドロテアにぬか喜びさせないためとはいえ、このことを秘密にするのは少し胸が痛みましたわ。まあ、秘密にするよう提案したのは私ですけどね」
通常、公爵家が誰か養子を迎える場合、親戚全員にその旨を承諾する書面を書いてもらわないといけない。
そして、その書面をサフィール王国陛下に提出して承諾をもらい、ようやく公爵家養子縁組手続きは完了する。
のだけれど、公爵家の養子に入るとなると確認事項などが多く、申請がはねられることもまま有り得るのだ。
「……秘密にするよう言いつつ、ドロテアに宛てた手紙には、楽しみにしていてねと書いていたのでは?」
少し呆れたような表情のヴィンスに、ロレンヌはうっとりしてしまいそうなほど美しい笑みで答えた。
「だって、改めて考えればこの申請が通らないはずはないんですもの。サフィール王国は、優秀なドロテアが獣人国へ行ってしまったことを憂いていますが、そんなドロテアを我が公爵家に迎えれば──……」
それだけでサフィール王国にとっては有益なことだ、とロレンヌは話す。
それはロレンヌの親戚にも言えることで、そもそもドロテアを公爵家に迎える申請が通らないはずがない、のだと。
だから、ロレンヌは以前ドロテアに、意味深な手紙を書いたのだそうだ。
ヴィンスとしても、ドロテアがライラック公爵家に迎え入れられることは確実だろうと踏んでいたらしいが、ロレンヌとの秘密にしようという約束を守らなければと思い、言えなかったのだという。
「そういうことだったのね……」
ドロテアの表情が先程よりも明るいのは、これまで違和感や疑問が払拭できたから。
──それと、もう一つ。
(ヴィンス様はいつも、私の不安を取り払ってくれる。いつも、いつも私を思いやってくださっている……。ああ、もう)
込み上げてくるヴィンスに対しての愛おしさ。
それが今にも溢れ出してしまいそうになって、無意識に頬が緩んでしまう。
けれど、まだ人前だからしっかりしなくては、とドロテアは表情筋に力を入れると、まずはロレンヌに対して深く頭を下げた。
「ロレンヌ様、私をライラック公爵家に迎えてくださってありがとうございます。それと改めて、よろしくお願いいたします」
「こちらこそよ、ドロテア。これから我が家が貴女の実家なんだから、いつでも顔を出しなさいね」
「ロレンヌ様……」
心がじーんと温かくなる。そんなドロテアは次に、ヴィンスに向かって頭を下げた。
「ヴィンス様、私のことを気遣っていただき、ありがとうございます」
「……いや、当たり前のことをしただけだ」
そう言って、微笑を浮かべるヴィンス。けれど、耳はピクピクと反応し、尻尾が大きく揺れている姿は、表情よりも気分が高揚していることが分かりやすい。
(か、可愛い〜!! もふもふしたい……! って、また私は……!)
と、ドロテアがそんなことを思ったときだった。
「お義姉様! 遅れて申し訳ありません……! 話は全て聞きましたが、大丈夫ですか……!?」
「ディアナ様……! それにラビン様も……!」
控室がある方向の扉から急いで、走って来てくれたのは、息を切らしたディアナと、その隣を走るラビンだった。
どうやら会場に居た家臣の一人にドロテアの騒ぎを報告され、急いでやって来てくれたらしい。そして道中、既に騒ぎが解決した報告も聞き及んでいるようだ。
肩で息をするディアナに、ドロテアは駆け寄る。
「ディアナ様、それに、ラビン様も、ご心配をおかけして申し訳ありません……」
「お義姉様が謝る必要はありませんわ! 悪いのは……悪いのは〜〜!!」
ディアナは顔を真っ赤にしてそう言うと、見たことがないくらいに鋭い目つきをして、セグレイ親子の近くへと歩いて行く。
そして、フローレンスたちのほど近くまで行き、床を叩くように大きく尻尾を揺らすディアナに、フローレンスたちはビクリと体を震わせた。
「貴女たち如きがお義姉様を陥れようとするなんて……怒りで頭がどうにかなりそうですわ」
「「ヒィィィ……!!」」
その目つきも、言葉も、ヴィンスもよく似ている。
(さ、さすが兄妹……)
むしろ、普段のギャップからするとディアナのほうが恐ろしいかもしれない。ラビンは、そんな姿も素敵です……! と言わんばかりのキラキラとした目をしているが、それは一旦さておき。
ディアナは一旦深呼吸をすると、今度はフローレンスだけを睨んで口を開いた。
「こんな機会だから申し上げますけれど、私はずっと、フローレンス様が苦手でしたの。話し相手をするのがとても苦痛でした。これから貴女の話し相手をしなくて済むのだと思うと、せいせいいたします」
「あっ、あっ……ディアナ、様……っ」
「ああ、けれど苦手なのは私だけで、お兄様はそうではないようですわ? ね、お兄様」
怒りから一転、笑顔を浮かべたディアナは、そう言ってヴィンスへと目を向ける。
するとヴィンスは、ディアナの言葉の意図を理解したにか、ニヤリと口角を上げて、こう言い放った。
「ああ、俺はお前みたいな女が世界で一番大嫌いだ」
「ニャンですってぇぇぇぇぇぇ」
「フローレンスゥゥ……!!」
これ以上なくプライドが傷付けられたからだろう。フローレンスから聞こえた、まるで断末魔のような叫び声と、そんなフローレンスを心配するセグレイ侯爵。
(……まさかの、にゃんですって)
噛んだからなのか。それとも猫の獣人故なのか。知的好奇心の塊のドロテアは、また後日調べてみようと、そんなことを思ったのだった。




