76話 猫ちゃんに鉄槌
ドロテアの言葉に、ルナの瞳の奥がゆらりと見れる。
騙されている覚えがないため、困惑しているのだろう。
「な、なんのことだか!」と焦った表情で話すフローレンスに、ドロテアは淡々と話し始めた。
「まず、ルナ様がお母様の入院代を工面するために、フローレンス様は彼女をメイドとして雇ってあげているのですよね?」
「え、ええ! そうよ! 優しいでしょ!?」
「そうですね。それが本当ならば。……けれど、実際は違います。ルナ様のお母様はかなり前から、退院できるほどに症状が改善していたではありませんか」
「……! そ、それは……」
目を泳がすフローレンスに、「どういうことですか……!?」と声を荒げるルナ。
ドロテアはルナに近づいて彼女の肩に手を置き、「落ち着いてください」と声を掛けてから、話を続けた。
「実は以前、ルナ様のお母様が入院されている病院に行ったのです。その際、看護師の方々に話を伺うことができたのですが……。複数人から、ルナ様のお母様は退院できる状態のはずという証言を得られました」
「……! そ、そんなのは看護師たちのただの戯言じゃない!」
「いえ、一部の看護師の方は、フローレンス様がルナ様のお母様の入院を長引かせるよう、セグレイ侯爵に頼んでいるという会話も聞いたと」
「……っ、そ、そんなことは……その……」
明らかに狼狽するフローレンス。額には汗が滲んでいて、口はきゅっと結んでいる。
信じられないというような目でフローレンスを見るルナに一瞥をくれてから、ドロテアは再びフローレンスに視線を戻した。
「そうまでして、自分の言う事に絶対服従する存在を手放したくなかったのですか?」
「……ち、ちが、えっと……」
「それと、フローレンス様が時折ルナ様を連れて病院に行った際、看護師の方々はこんな声も聞いたそうです。本当に使えない、母親が入院できるのは誰のおかげだと思っている、私の命令に一度でも背いたら母親を病院から追い出してやるわ、この愚図、と。……何度も何度も、聞いたそうです。……フローレンス様は、ルナ様を騙して思いのままに操るだけでなく、そうやって、ルナ様を蔑み、傷付け続けてきたのですね」
怒りと悲しみ。どちらとも取れる声色でそう告げたドロテア。
そんなドロテアの一方で、フローレンスはこのままではまずいと思ったのが、セグレイ侯爵に「パパァ!」と猫撫で声を出してしがみついた。
すると直後、口を噤んでいたセグレイ侯爵がドロテアを鋭い目つきで睨みつけた。
「ルナの母親の入院のことも、フローレンスがルナを蔑んでいたことも、全て噂程度の話じゃないか! 証拠はあるのか!?」
「セグレイ侯爵閣下、話は最後まで聞いてください。私はただ看護師の方たちの話を聞いただけで、こんなことを言っているわけではないのです」
「……! 何を……」
ドロテアはその言葉を最後に、再びルナに視線を移す。
そして、ルナの震えた冷たい手をぎゅっと両手で握りしめた。
「実は昨日、密かに別の病院にお勤めの複数のお医者様に、ルナ様のお母様の容態を見ていただきました」
「「は!?」」
合わせたように声を上げるセグレイ親子に一瞥もくれることなく、ドロテアはルナを見つめ続ける。
「……! ドロテア様、それで、母は……っ」
「はい。もうすっかり元気だそうですよ。今は手元にないですが、回復したとした旨の診断書も書いていただいています。ですからルナ様、安心してくださいね」
「……っ、うっ、うわぁぁ……っ」
その瞬間、安堵で泣き崩れるルナ。
「ルナ様……今まで、お母様の……いえ、お母様を含めたご家族や、領地の民の生活のために、良く我慢しましたね」
「……っ、ドロテア様……!」
ドロテアは膝をついて彼女の背中をポンポンと優しく叩いて慰める。
その一方で、周りの貴族たちからギロリと鋭い目つきを向けられたフローレンスは、まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。
しかし、フローレンスに同情する余地はない。
それに、ルナの今後のためにまだ聞かなければならないことがあるからと、ドロテアはルナに優しい声色で問いかけた。
「ルナ様はフローレンス様に脅されて、私にワインを掛け、平民になることを言わされたのですね?」
「はい……っ、言うことを聞かないと母を病院から追い出すと言われて……その場には、侯爵様もいらっしゃいました……」
「……分かりました。教えてくださって、ありがとうございます。それと、安心してくださいね。ルナ様が罪に問われるようなことには、絶対になりませんから」
ドロテアの言葉に、ルナはより一層安堵を浮かべた。
だが、それに相反するように、セグレイ親子の顔色はまるで青の絵の具で塗られたかのように、血の気がなくなっていく。
(獣人の皆様は家族を、仲間を大切にする。……だからきっと、フローレンス様がルナ様にしたことを、それを許容し、いえ……協力したセグレイ侯爵を、嫌悪するでしょうね)
おそらく、それによって今後の家同士の付き合いというのも変わってくるだろう。
セグレイ侯爵がこれまでと同じように、他家と関わりを持って仕事をしていくのは、もう難しいに違いない。
(まあ、それもこれも因果応報。せめて、ルナ様の気持ちが少しでも癒やされるよう、謝罪をしてくださると良いのだけれど)
しかし、そんなドロテアの願いは虚しく、セグレイ侯爵はフローレンスを守るように自身の後ろにやると、ルナに対してへらっと笑ってみせた。
「いやー、すまなかったね、ルナ! 少しフローレンスのおちゃめが過ぎたようだ」
「はい……?」
あまりにルナを馬鹿にしたような発言に、ドロテアからは乾いた声が漏れた。
ルナは悔しいのか、眉間にシワを寄せている。
「確か、君の生家は困窮しているんだろう? それを私が支援して助けてやる代わりに、今回のことは水に流すというのでどうだ? 良い話じゃないか?」
「……っ、なんですか、それ……っ」
そう言ったルナの瞳には、今度は悔し涙が浮かぶ。
──そんなルナの姿を見たドロテアの脳内には、またもやプツンと何かが切れた音が響いた。
「その支援は、病院の利益を着服した一部から支払われるのですか?」
「……な、何故そのことを……!?」
「ちゃ、着服って何よ、パパ!」




