65話 寂しい黒狼陛下
◇◇◇
──一週間後。
執務室で仕事をしていたヴィンスは、手元に落ちた影に顔を上げた。
「ヴィンス様、こちら頼まれていた資料です。それと、王城内の備蓄のチェック表も記入済みですのでご確認くださいませ」
「ご苦労。助かった。……なあ、ドロテア、この後は──」
「急ぎの仕事は終わりましたので自室に戻り他の仕事をしてまいります失礼いたします」
ヴィンスの言葉を遮るようにノンブレスで言い切ったドロテアに、彼は「あ、ああ」と答えることしか出来なかった。
小さくなっていくドロテアの姿。バタンと閉まる扉の音。彼女が執務室にいなくなった瞬間、ヴィンスの口からは溜め息が溢れた。
(これは……どうすべきか)
一週間前、フローレンスのせいでドロテアに拒絶された。
ヴィンスはドロテアがあらぬ誤解をしていることを容易に想像できたのでその日のうちに誤解を解こうとしたのだけれど、セグレイ侯爵が持ってきた資料を読み込むのに時間がかかってしまい、それは叶わなかったのだ。
それならば次の日だ、と意気込んだヴィンスだったのだけれど。
(あの手この手で上手いこと避けられてしまっているな……。今日までドロテアと仕事以外の会話を一つも出来ていない。さて、そろそろ本気でどうにかしないといけないな)
ドロテアはあの日以降も仕事はきっちり熟すし、報連相も怠らない。
ただ、目があったら直ぐ様背けられて、私用を話そうとすると仕事が忙しいからと避けられるだけだ。……いや、それが一番きついのだが。
とはいえ、ディアナからはフローレンスの発言は『毛づくろいの日』の出来事であったとドロテアには説明済みだという報告を受けている。
聡明なドロテアが、その事実を知ってもフローレンスと良からぬ仲なのではないかと疑っているとはヴィンスには思えなかった。
(しかし、五日前に何故避けるのかドロテアに尋ねた際、自分の問題だから放っておいてほしいと言われてしまったしな。……これ以上しつこく聞くのも考えものだ)
その時のドロテアが本気で困って悩んでいるようなら無理にでも聞き出しただろうが、如何せんあのときの彼女の表情や声色からは話したくないという強い意思が感じられた。
だからそんなドロテアの意思を尊重して、今日までヴィンスは敢えてドロテアに必要以上に問いただすことはなかった。
(……だが、もう限界だ。ドロテアと話ができないのが、こんなに寂しいとはな)
獣人国の王が聞いて呆れる。婚約者と一週間まともに話せていないだけで、こんなに心が掻き乱されて、寂しさを覚えるなど。
「………………」
無意識に、ヴィンスの漆黒と耳と尻尾が垂れ下がった。
そんな彼の様子を見たラビンはやれやれと言った様子で立ち上がると、ヴィンスを執務室の外に連れ出した。
「……で、何のつもりだラビン」
執務室の比較的近いところにある談話室にて。ヴィンスの問いかけに、ラビンは苦笑いを溢す。
「さっきドロテア様に逃げられて落ち込んでいたでしょう? ですから仕事に手がつかないかなと思いまして、一旦この部屋に」
「余計な世話を。お前は自分の仕事とディアナのことだけ考えていろヘタレメガネめ」
「なっ、何ですって〜!?」
……とは言いつつも、いつもラビンの気遣いには助けられてばかりだ。
「常に姫様のことを考えていたら私は無能になって文官の職を下ろされてしまいますよ!」なんて言っているラビンに対して、ヴィンスは小声で礼を伝えるとテーブルに置かれている花瓶が目が入った。
(これは……)
談話室には常に花が飾られている。
今日は花弁が五枚ほど付いた桃色の花──アザリアのようで、確かこれは王城の庭園に咲いているものだ。
「アザリアはまだ咲いているのか」
「ええ。確かこの花は二ヶ月以上枯れないと言われていますからね。それにしても、ヴィンスが花に興味を持つなんて珍しい」
「ドロテアがここで暮らすようのなって直ぐの頃、庭園を歩いた際にドロテアがアザリアに興味津津だったことを思い出してな」
「なるほど」
ドロテアは庭園にある花を愛でる……というか、獣人国でしか咲かない花や希少性の高い花に特に興味を持ち、興奮気味に観察して様子は未だに鮮明に覚えている。
特にこのアザリアは長く咲く反面、花を咲かせるまでが難しい品種で、庭園にあるのを見つけたドロテアは食い入るように見つめていたものだ。
(……! そうだ)
そのとき、アザリアを視界に捉えたままのヴィンスは、とあることを思いつく。
何の考えもなしにドロテアに問いかけるより、良いかもしれない、と。
「ラビン、良くこの部屋を選んだ。手柄だ」
「はい? 何のことですか……?」
ぽかんと口を開けるラビンに、ヴィンスはフッと笑みを浮かべると。
「お前の優しさに助かった」
「……!? ヴィンスがこんなに素直だなんて……!」
「──礼に、今度の婚約パーティーの後、ラビンが大事な話があると言っていたとディアナに伝えてやろう」
「はい!? 誰もそんなこと言っていませんが!?」
「パーティーの後に大事な話なんて、ディアナの奴物凄く期待するだろうだ。な……そろそろ男を見せろよ、ラビン」
「ちょ、ちょちょちょ……!!!!」
動揺からか、ラビンの長い両耳が右に曲がったり左に曲がったりとおかしな動きを見せている。
ラビンとは長い付き合いだが、そんな彼の耳の動きは見たことがないヴィンスは、目尻にしわを寄せて「ハハッ」と微笑んだ。
◇◇◇
一方その頃、ドロテアと言えば。
嫉妬心を隠したいあまり、ヴィンスを変に避けてしまっていることに反省しながら、その申し訳無さを書類仕事にぶつけていた。
「ドロテア様、お部屋にここまで沢山お仕事の書類を持ち込むのは珍しいですね。今日はもう執務室には行かれないのですか?」
「え、ええ。まあ、ね。たまに場所を変えると、とっても仕事が進むことがあるじゃない?」
「確かにっ! 私もたまにお外でご飯を食べると、いつもより沢山食べてしまいことがありますから、それと同じですね!」
「そ、そうね……?」
ナッツらしい例えである。
その会話を最後にナッツが部屋から退出したので、ドロテアは再び真剣に書類に向き直った、そのとき。
「……あら? ……何だか、おかしい……?」
手に持った書類に書かれた数字の羅列に違和感を覚えたドロテアは、手元を覗き込んだ。
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