64話 毛づくろいに嫉妬です
獣人国の風習は数多く存在する。その中でも特に有名なのが、王族が十歳になった貴族の子供をブラッシングをするというものだ。
これを、行う日のことを『毛づくろいの日』という。
毎年一月一日、その年に十歳になる貴族の子達が親と共に王城に集まり、王族自らが貴族の令息令嬢の耳や尻尾をブラッシングすることで、今後も国や民のために励みなさいという鼓舞の気持ちを現しているようだ。
王族にブラッシングをしてもらえるなんて、貴族であろうとこのときくらいなので、彼らにとってはかなり貴重な日であることは間違いない。
『毛づくろいの日』を迎えるまでは、家族以外にブラッシングをしてもらうのは禁止されていることこともあって、彼らにとってこの日は、貴重で初めての経験をする日、なのだけれど。
(なるほど。だからハジメテ……いや、それにしても)
因みに『毛づくろいの日』の名付けられている理由は、昔はブラッシングではなく、本当に毛づくろいをしていたからという説が有力らしいが、諸説ありとのことらしい。……と、この話は一旦さておき。
(風習だというのにハジメテを奪われたという言い方は、明らかに誤解を招くような言い方よね……しかも、その当時フローレンス様がどうしてもヴィンス様にブラッシングをしてほしいと駄々をこねたらしいし)
珍しくドロテアの眉間に皺が寄る。フローレンスの性格なんて今日のことでしか知らないが、正直あまり好感はあまり持てなかった。
とはいえ、ディアナにフローレンスのハジメテ発言の詳細を聞いたとき、『毛づくろいの日』のことは詳しく知っていたドロテアは、ホッと胸を撫で下ろしたものだ。
一方で、ディアナはフローレンスの発言にカンカンに怒っていたが。
(怒るディアナ様には悪いけれど、そんなお姿もとても可愛い……って、だめよ、ドロテア!)
ドロテアはぶんぶんと頭を横に振ると、自分のことのように怒ってくれたディアナに顔を綻ばせる。
ダンスの練習の時間が迫っていたディアナと別れて部屋に戻っていたドロテアは、ナッツからじっと見られている事に気づいて首を傾げた。
「どうしたの? ナッツ」
「お顔が嬉しそうでしたので、何か嬉しいことがあったのですか?」
正直言うと嫌なことも嬉しいこともあったのだが、どう答えようか。
そう考えたドロテアは、少し間を開けてから「そう、ね!」と答えるとナッツは尻尾をグルングルンと回しながらはにかんだ。
「ふふっ! ドロテア様に嬉しそうなことがあったなら、私も嬉しいです〜!!」
「……ナッツ……! ナッツゥ〜!!」
ナッツの優しさと相変わらずの可愛さに癒やされつつ、彼女の大きな尻尾を見てドロテアは惚れ惚れしてしまう。
そんなナッツは「あっ」と声を上げると、ティータイム用のお菓子を準備しながら、くりんっとした尻尾を揺らした。
「話は変わりますが、約一ヶ月半後の婚約パーティーの準備は順調そうですか?」
ヴィンスとの婚約誓約書が受理されてからというもの、ドロテアは公務や書類仕事の手伝いをしながら、婚約パーティーの準備も進めていた。
本来はもう少し時間をかけて準備するものなのだが、婚約パーティーをしないと結婚式ができないというしきたりにより、結婚式をあまり遅らせたくないというヴィンスが早く執り行うと皆に命じたのだ。
「ええ。ドレス選びにはナッツが、会場のセッティングにはディアナ様が、警備に関してはラビン様やハリウェル様が、来賓の方たちへの案内状についてはヴィンス様が手伝ってくださっているから、概ね順調よ。いつもありがとう、ナッツ!」
「ぷっきゅーん! お役に立てて光栄でございます! ……けれど、その、お忙しい中恐縮なのですが、執事長から一つ確認がありまして……」
「……?」
口籠るナッツに、「どうしたの?」とドロテアが問いかける。
「ドロテア様は婚約パーティーを終えた後、今度は結婚式に向けての準備が始まりますよね」
「そうね。あっ、もしかして専属メイドの候補のことかしら?」
「流石ドロテア様! そうです! そのことなのです!」
歴代の王の婚約者たちは、妃になる頃に専属メイドを最低でも二人任命する。
しかし妃になる直前は結婚式やその準備でかなり多忙なため、事前に専属メイドを決めておくものが多かった。
「そうね。早めに選ばないといけないのだけれど……。条件に当てはまるものが余り居ないのよね……」
次期妃となるドロテアの専属メイドになるには、色々と決まりがあるのだ。
「まずは、メイドとしての能力を厳しくチェックする試験に合格した者。これだけでもメイド全体の一割くらいに絞られるのだけれど……もう一つの決まりがね……」
「これが一番大切ですからね! 何があってもドロテア様に忠誠を誓える者、ですっ!」
因みにナッツについては、ドロテアがレザナードに謝罪に来た際、騎士に扮したヴィンスに謝罪し、他者を思いやる姿を見た時点で、どうしてもドロテアに仕えたいと執事長に話していたらしい。
急ぎ受けたメイド能力チェックにはクリアし、同僚たちからも信頼が厚く、裏表のない性格であることを知っている執事長は専属メイドにナッツを推し、ヴィンスから許可が降りたのである。
……因みに、ナッツはときおりミスをするものの、主人への気遣いという点で優れていたので能力チェックはギリギリ通ったらしい。
「確かに忠誠心は大切だけれど、それを測るのは難しいから、選定には時間がかかるかもしれないわね。執事長にもそう伝えてくれる? ナッツほどの人材は中々居ないもの」
「え、えへへ! 褒められてしまいました! 私はただドロテア様が大好きなだけなのですけれど! あ、伝言は承りましたっ!」
「ナッツ〜……良い子……貴方が居てくれて本当に嬉しい……!」
「ありがとうございます……! あ、ドロテア様、スコーンが冷めてしまいますから、どうぞ召し上がってくださいませっ!」
ナッツが準備してくれたスコーンに舌鼓を打ちながら、ドロテアはしばらく、可愛い専属メイドとのほのぼのとした時間を過ごした。
──それから約一時間後のこと。
部屋においてある本を読むからとナッツを下がらせた直後、ドロテアは本を持ったまま少しだけヴィンスのことを考えていた。
(あんなふうに変な態度を取ってしまって、ヴィンス様には申し訳ないことをしたわ……謝らないと。それにしても、『毛づくろいの日』かぁ。誰かがブラッシングをしているところって見たことがないわね。……って、あ)
その瞬間、頭に思い浮かべた幼いヴィンスと、幼いフローレンスの姿だ。
二人の幼少期を知らないので勝手な想像なのだが、ドロテアの脳内には幼いヴィンスが幼いフローレンスの耳や尻尾をブラシで整えている光景が浮かんだ。
(…………ブラシを持っていない方の手で、耳や尻尾に優しく触れたのかしら。丁寧な手付きでブラッシングしてあげたのかしら。その時のフローレンス様はきっと、とても嬉しかった、わよね。……羨ましいな)
獣人でもなく、獣人国の貴族でもないドロテアには出来ない経験だ。
それは分かっているし、風習の一つなのだからそういうものなのだと認識する他ないというのに。
(……こんなことにも妬いてしまうなんて、ヴィンス様に知られたくない)
閉じたままの本をテーブルに置いたドロテアは、ハァと溜め息を漏らして頭を抱えた。




