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50話 ドロテアの悩み事

 

 ◇◇◇



 ──『……ドロテア、お前の家族たちへの罰が確定した。ドロテアの生家、ランビリス子爵家は約二ヶ月後爵位を剥奪され、平民に下ることになった』


 ヴィンスからそんな話を聞いた日の夜、ナッツを含めたメイドたちを既に下がらせたドロテアは、ナイトドレス姿で自室のバルコニーにいた。


「良い風……」


 下ろした髪の毛がふわりと靡く。グレーのうねった髪の毛先にはほんの少し水気が残っていた。


「……実家が、没落……二ヶ月後には爵位の剥奪、か」


 木彫の丸いテーブルに、同じ木彫のお洒落な椅子は、この国に二つとない貴重なものだ。

 バルコニーで読書をするのが好きだと以前言った際に、ヴィンスが特注で手配してくれたのである。


 そんな椅子にドロテアは腰掛けると、先程自身で準備したティーカップの中に紅茶を注ぐ。

 他国からの輸入品である花茶を初めて試すというのに、ドロテアの表情は暗いものだった。


「シェリーのしたことを考えれば、爵位を失うくらいで済んだと思うべきだということは分かっているけれど……」


 ──ドロテアの妹、シェリー・ランビリス。


 シェリーは当初、生誕祭でディアナのことを侮辱した。しかしそれを謝罪することなく、尻拭いをドロテアに押し付け、更に建国祭ではヴィンスに暴言を吐いた。


 結果としてシェリーは謝罪し、聖女の称号は剥奪されて王子との婚約破棄にまで至ったわけだが、それは決して償いとは関係ない。


 ただの子爵令嬢が他国の王族──ヴィンスとディアナを侮辱したとなれば、ことと場合によっては処刑さえもあり得るところ、平民になるだけならむしろ罰としてかなり軽い方なのだろう。


「平民に下るのは二ヶ月後だとしても、もう既に屋敷は国が管理していてもおかしくはないわ。ずっと貴族として生きてきたシェリーたちがいきなり平民だなんて……住む家は? 仕事は? 一体、どうするつもりなんだろう……」


 シェリー個人への罰だけでなく、子爵家の取り潰しというのは、おそらく両親の監督責任が問われたからだろうとドロテアは考えている。建国祭のときの様子から、両親も今回の罰は甘んじて受け入れたはずだ。


 実際、ドロテアがヴィンスのもとへ嫁いだ段階で、子爵家として機能しなくなることは明白なので、今回の罰が違う形であったとしても、結局は没落していたかもしれないが。


「また後日、ヴィンス様に尋ねて──。……ううん、やめておきましょう」


 ドロテアは、数時間前に分かれた婚約者のことを思い浮かべる。


 ──実家の没落の話の後、ヴィンスは直ぐ様大臣たちに呼ばれて、少し会話をした後に申し訳無さそうに執務室へと戻っていった。

 それから少しして、隣国との国境で新しい鉱石を発見したとかで、ヴィンス自らその鉱石の権利について話し合いに出向いて行ったようだ。


「……忙しいあの方の負担になりたくないもの」


 それに、家族のことは今悩んでも仕方がないというのもまた事実だ。ドロテアが率先して手を貸すようなことではないし、おそらく彼らのためにもそれはしてはいけないだろう。


「…………ハァ」


 そう考えれば少しは気が晴れるかと思ったというのに。ドロテアを悩ませているのは、家族についてだけではなかった。


「獣人国の王の婚約者が、他国の人間の平民……これは流石に……」


 ただでさえ獣人国の王の妻になるには、子爵令嬢では肩書が足りないと思っていたのに、二ヶ月後には平民になってしまうからである。


 こればかりは、本当にドロテアではどうしようもないので考えても致し方がないのだが、それでも悩んでしまうのは、それほどヴィンスに好意を持ってしまったからだろうか。彼の隣に居たいと思うようになったからだろうか。


「ヴィンス様は去り際、どんな私でも構わないと仰ってくれた。ディアナ様やラビン様、お城の皆も心優しい者ばかりだから、そんなのは些細なことだと、気にしないかもしれない」


 現に、城勤めの文官や、騎士にも平民は少なくない。獣人国レザナードは貴族制を取り入れてはいるものの、ヴィンスは実力があるものは身分関係なく取り立てるという考え方を持っているためだ。


 争い事を好まず、おおらかな者が多い獣人たちの殆どは、そんなヴィンスの考え方に賛同している。

 そのため、たとえ今は平民でも貴族としての教養やマナーを満たしているドロテアならば、将来の王妃としてそれほど大きな反感は起きないかもしれない。


「けれど……きっと認めてくれない人も居る。平民の私なんて王妃に相応しくないと思う人が……」


 そう思うのは、各個人の自由だ。むしろ、なんらおかしなことじゃない。

 だから、自身に対して不満の声が上がることは致し方がないとドロテアは思えた。……けれど。


「ヴィンス様が悪く言われるのは、嫌だな……」


ドロテアが今後平民に下ることについては、正式に書類が受理された二ヶ月後に、城の者たちや貴族たちに伝達するとヴィンスは言っていた。けれど、その際、周りの貴族たちと衝突することはないのだろうか。


 ドロテアはそっと口を閉じて、そっと夜空を見上げる。


(綺麗な逆三日月……あと数日で、新月ね……)


 そのとき、ドロテアのコバルトブルーの瞳に映る逆三日月が、儚く揺れた気がした。



 ◇◇◇



 それから数日。

 もう少しで陽が落ち始めるという頃、ドロテアは一人自室で筆を走らせていた。


(この書類が二ヶ月後に受理され、完全に貴族の籍から抜けるのね……)


 ドロテアが書いている書類は爵位の剥奪を認めるという旨のものだ。

 本来爵位はランビリス子爵家当主である父しか有して居ないのだが、その家族もこの書類にサインをすることが決まりになっているのである。


(もう少しで、私はただのドロテア)


 コト……と羽ペンを机に置き、ドロテアはふぅ、と息をつく。


(それにしても、ヴィンス様がここ数日城を空けていて良かったわ)


 爵位を剥奪されることを知ってからというもの、ドロテアは不安な気持ちを押し殺して気丈に振る舞っていた。実際、ナッツやディアナ、ハリウェルに態度がおかしいと指摘されることもなかった、けれど。


(きっとヴィンス様じゃ、そうはいかない)


 ヴィンスは本当に察する力に長けている。ドロテアの気丈なふりなんて、きっと一瞬でバレてしまうだろう。


「あっ、もうこんな時間! そろそろヴィンス様が帰ってくる頃だわ」


 壁掛けの時計を見れば、ヴィンスが帰ってくる時間の三十分程前だった。

 今日は新月のため、夜になるまでには必ず帰るという連絡を受けていたドロテアは、素早く立ち上がった。


(ヴィンス様、多分もう体がお辛いはず……。お出迎えしたら直ぐにお部屋にお連れして、それから温かい飲み物と着替えとそれに……)


 そんなことを考えていると、突如聞こえてきたノックの音にドロテアは驚きつつ、「はい」と声を上げる。

「失礼致します」と入って来たのは、部屋の外で警備に当たってくれていたハリウェルだった。


「ハリウェル様、どうかされましたか?」


 いつもより重たい足取りで入室したハリウェルの表情は、何だか気怠げに見える。尻尾も床につくほど垂れ下がっていて顔色も悪く、ドロテアが「大丈夫ですか?」と尋ねると。


「申し訳ありません……その、少し体調が悪いため、今日は失礼してもよろしいでしょうか。別の者にドロテア様の護衛の件は任せてありますので」


 ハリウェルは、言いづらそうにそう告げる。


 先程まで色々と頭を悩ませていたドロテアだったが、今思い出せば、確か昼を過ぎた辺りからハリウェルの元気がなかったかも……と思い、彼に駆け寄った。


「体調が悪いことに気付かなくて申し訳ありません……! この後はヴィンス様をお出迎えするだけですから、私のことは気にせずに先に休んで──」


 ください、という言葉は静かに飲み込んだドロテアは、そのときハッとしてハリウェルを見つめた。


(そうよ、ハリウェル様は……)


 ヴィンスの従兄弟で、そして──。


「ハリウェル様は白狼──狼の獣人さん……! 完全に陽が落ちる前に、早くお部屋に行かないと……!」

読了ありがとうございました!

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