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48話 捕食者と被食者

 

 その後ドロテアはヴィンスと彼の執務室へと訪れた。

 いつも机の上にあるはずの書類の類がないので不思議そうに尋ねれば、ヴィンス曰く今日の分の仕事は全て終わらせてあるらしい。


(それなら、さっさと報告は済ませてヴィンス様にはお休みいただいた方が良いわよね)


 せっかく二人になれたのでお茶でも飲みながらゆっくり報告ができたらと考えていたドロテアだったけれど、朝から多忙だったヴィンスの時間を必要以上に割くのは申し訳ない。


 そのため、手早く報告だけを済ませようと口を開こうとしたのだが、それはヴィンスの声によって遮られた。


「ドロテア、帰って来て早々悪いが、お茶を入れてくれないか。俺が入れてもあまり美味くないんでな」

「……! は、はい! もちろんでございます!」


 まさに願ってもないことだ。ヴィンスからそう言われれば、ドロテアに拒否をする気は毛頭ない。


(……ふふ、ヴィンス様と、一緒にいられる時間が増えたわ)


 ドロテアは事前にヴィンスが手配してくれていた紅茶セットを使い、慣れた手付きで紅茶を入れていく。その間、つい頰を綻ばせてしまうのは致し方なかった。


 ──ヴィンスと共に過ごす時間は刺激的で、甘美で、ドキドキで胸が一杯になるのに、それと同じくらいに穏やかな気持ちになれるのは、一体どうしてなのだろう。

 ときおりくしゃりと笑う姿や、こちらをじっと見て話を聞いてくれるときの優しい瞳から、目が離せないのは何故なのだろう。


(……なんてね。そんなこと、もう分かっているわね)


 口に出していないだけで、もう前からドロテアの心の中にはその感情は芽生えていたし、自覚したのも昨日今日の話ではなかった。


(ああ、勢いで言ってしまえる性格ならば良かったのに)


 身構えると中々言えない自身の性格に内心で溜息を漏らしてから、ドロテアは二つのティーカップに紅茶を注いでいく。

 当たり前のようにソファに横並びで座れば、少し動くだけで触れそうなヴィンスの右肩にドロテアはドキドキした。


 そんな中、二人がその紅茶で喉を潤せば、先に口を開いたのはヴィンスだった。


「やはり美味いな。ドロテアが入れてくれたお茶は」

「ありがとうございます。今日はヴィンス様が好きなレフィーヤを入れてみました。味はもちろんのこと、風邪予防にも最適ですよ」

「ほう」


 なんて豆知識を交えながら、拳一つ分もないほどの距離に座っているヴィンスに、ドロテアは今日のことを話していった。

 レーベが言っていたことももちろんのこと、フウゼン染めの生産量をもとに戻すために解決案、それに必要な諸々を丁寧に説明し、フウゼン染め以外の工房や、街も見て回ったことも話せば、ヴィンスは一言一句聞き逃さないように真剣に聞いてくれる。


 そういうところがまた素敵なんだよね、なんてドロテアは思いつつ話し終えると、ヴィンスの右手がドロテアの左手へと伸びた。


「えっ」

「話は分かった。悪いが可能であれば明日、必要書類を提出してくれると助かる。そうすれば俺もすぐに動けるんでな。それと、改めてお手柄だったな、ドロテア」

「……ありがとうございます。それと、書類については可能なのですが……あの、ですね、どうしてまた手を……触っていらっしゃるんでしょうか……?」


 恥ずかしそうに質問をしたドロテアに、ヴィンスは片側の口角を上げてふっと笑みを漏らした。


「仕事の話は一旦終いだ。そろそろ可愛くて仕方がない婚約者殿に触れたいと思ってな」

「!? さっ、先程も手を繋いだではありませんか……!」


 先程はまだ移動の際に手を繋いだのでエスコートの一貫……と言えば言えなくもない。


(こともないと思うけれど、それはひとまず置いておいて!)


 上擦った声で苦言を呈したドロテアに、悪びれる様子なく、ヴィンスはさらりと言ってのける。


「さっきはドロテアの右手にしか触れてないからな」

「……へ?」

「本当は全身に触れたいところを、両手で我慢すると言ってる。……聡いお前なら分かるだろう?」

「〜〜っ」


 そう言ってヴィンスは、ドロテアに見せつけるように指を一本一本丁寧に絡ませていく。

 自身の手より一回り以上大きくて、先には整った形の爪がある彼の長い指。何度も見たことがあるはずなのに、こうもその手に触れられているのだと見せつけられると、ゾクゾクと背筋に何かが這うような感覚に陥った。


 けれどそれは、一切嫌な感覚ではないのだ。むしろ、どちらかというと。


(恥ずかしいのに、ずっと触っていてほしい……何これ……何これ……っ)


 ドロテアは恥ずかしさと困惑からヴィンスの手を握り返すことは出来なかったけれど、その代わり嫌がる素振りも見せなかった。


 ただ、捕食者のような目でこちらをじっと見つめてくるヴィンスを、被食者になった気分で──いや、このまま食べられても良いや、なんて気持ちで見つめ返すだけだ。


 そんなドロテアに、ヴィンスは一瞬眉間にしわを寄せると、黒いフサフサとした耳をピクリとさせた。


「……その顔、わざとか」

「え……?」

「……俺が本当の狼だったら、そんな顔をしているドロテアを直ぐに食べるだろうな」

「……っ、た、食べるって……!」

「良かったなぁ、ドロテア。俺が理性のある狼の獣人で」


 ──もしかして、丸飲みされちゃうのかしら!? ……なんて、思えたらどれ程良かっただろう。

 こういうときは察せなければ良いのにと思ってしまうドロテアだけれど、それが今更叶わないことも良く分かっているので、願うだけ時間の無駄だ。


(……ううっ、心臓が張り裂けそう……!)


 相変わらず指は絡められたまま──いや、より強く絡められて、更に先程のヴィンスの発言にすっかり身体に力が入らなくなったドロテアには、この場から逃げ出す術はない。


 対応策もまともに考えられないでいると、「これ……」と囁いたヴィンスの声に、ドロテアは「はい?」と咄嗟に声が漏れた。


「この怪我、どうした?」

「……? 怪我、ですか?」

「人差し指、少し切り傷ができている」


 はて、一体何のことやら。怪我をした覚えがないドロテアは、一旦ヴィンスに手を離してもらい、自身の人差し指を確認する。

 すると、そこには確かに薄っすらとした切り傷があり、傷口からして近々にできたものだというところまでは推測できたドロテアは、何のときに出来たのか頭を捻ると。


「あっ、今日視察のときにフウゼンの葉を触ったのですが、そのときにもしかしたら葉で指を切ったのかもしれません」

「……なるほど。そういうことか」


 フウゼンの葉は、葉のふちがかなりギザギザとしている。そのため本来は手袋をして触れるのだが、ドロテアは初めてフウゼンの葉に触れる興奮で手袋のことを忘れていたのだった。

 途中からはレーベが気がついてくれて手袋をしたが、確かに素手で数枚触った覚えがある。


「……とはいえ、言われるまで気付かない程度ですので、問題はありません。今も痛くありませんし。念のために後で消毒だけしておきますので、本当に心配なさらないでくださいね」


 ヴィンスは優しいので余計な心配はさせたくないと思い、早口でそう言ってのける。

 ここまで言えば、そうだな、という言葉が返ってくるだろうと予想していた、のだけれど。


「治療ならここで、()がしてやる」

「えっ──」

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